【三番組組長道中記 3】





千鶴は駕籠に揺られながら、もやもやと思い悩んでいた。

斎藤さん……怒ってるみたい……。
私、何かしちゃったのかな……

屯所を出てから二刻ほど。千鶴が駕籠の中から話しかけても、斎藤の返事はそっけなかった。
途中沿道のうどん屋で昼を食べた時も、会話はほとんどなかった。
そりゃあ斎藤はおしゃべりではないが、でも屯所にいたときは千鶴とはよく話してくれていたのだ。あたたかくなっただの、庭に猫が来ているだの、そんな他愛もない話をたくさんして、斎藤も楽しそうに笑ったりしていた。
だから、仲良く……とまではいかないにしてもある程度親しくなれたと思っていたのに。

「あー降り出してきちまった」
「旦那、どうします?」
千鶴の物思いは、外から聞こえる駕籠持ちたちの声で途切れた。外の様子をうかがうと、どうやら雨が降り出してきたらしい。
斎藤が答えるのが聞こえた。
「そうだな……次の宿場まで雨の中行くのは少々きついな。戻るとするか」
千鶴は駕籠のすだれを少し上げて、隣を歩いている斎藤に聞いてみた。
「戻るんですか?今日はそこで……?」
「あ、ああ。少し早いがそこで宿をとろう」
またもやふいっと目をそらして足早に行ってしまった斎藤に、千鶴は唇をかんだ。


「わ、私なにをしたんでしょうか?」
宿の入口で駕籠から降りた千鶴は、前を行く斎藤に思い切って聞いた。
「何?」
濡れそぼった菅笠を脱ぎながら斎藤は振り向いた。雨のしずくが少し長めの前髪を伝い、頬をすべりきれいな顎までたどる。
その、水も滴る斎藤の色っぽさに千鶴は一瞬たじろいだものの、もう一度勇気を出した。
この先旅は長いのだ。ずっとこんな空気でもやもやしながら旅をするのは嫌だ。
「斎藤さん、なんだか……様子が変ですよね。私に怒ってるみたいで……」
「……」
「私が何かやってしまったんだとしたら教えてください。もうしないようにしますので……」
斎藤の静かな蒼い瞳で見つめられて、千鶴は気まずい上になぜか涙が滲みそうになった。千鶴は自分でも気づいていなかったが、実は斎藤と旅ができるのが嬉しかったのだと今わかった。斎藤にとってはやっかいな隊務だというのに、自分はそれを楽しみにしていたらしい。物見遊山とまではいかないが、斎藤と行く先々の名物を見たり食べたりできるかと思っていた。
自分の浮かれ気分に斎藤をつきあわせる気などまったくないが、せめてこの……会話もろくにできないような状況だけはなんとかしたいと、千鶴はうつむいたまま斎藤の言葉を待った。

斎藤はしばらく沈黙したあと、小さくため息をつく。
「……怒っているわけではない。そう思わせたのならすまなかった」
「え?」
千鶴がぱっと顔をあげると、それにあわせるように斎藤もさっと顔をそむける。それを見て千鶴の顔は再び暗くなった。
「でも……」
「うむ、そ、そうだな」
千鶴の言いたいことはわかる、と斎藤はそっぽを向いたままうなずいた。
「その……そういう姿のあんたを見慣れていないのでな、慣れていないだけ、だと思う。おいおい慣れていくだろう」
「見慣れて……」
千鶴は首を傾げてしばらく考え、そして自分を見下ろしてうなずいた。
「女姿がってことですね?そうか…!人見知りみたいな感じでしょうか」
「人見知り……そうかもしれんな」
千鶴の言葉に、斎藤は自分自身でもわからなかった千鶴の眩しさについて答えを見つけた気がして千鶴を見た。そして再びあわてて目をそらす。
こんなに眩しい人見知りなどこれまで経験はないが、まあいい。深く考えない方がいい気がする。
よかったよかったと、二人はそれぞれに納得して、宿へと入って行った。



風呂に入って温まりさっぱりした千鶴は、少し離れた斎藤の部屋へと向かった。
「早かったな」
千鶴が廊下から声をかけるとすぐに、スッとふすまが開いて中から斎藤が出てくる。
その姿を見て、千鶴は思わず目を見開いてしまった。

首元が……
あ、そうか。首にいつもまいている白い布がないんだ……

そのうえいつもの黒い着流しではなく紺色の着物に腰位置での貝ノ口。風呂上りだから当然なのだが、あいた首元との相乗効果で、妙に新鮮でドキドキする。

斎藤さんって……きれいだよね。これで剣も強いんだから、完璧っていうか……

千鶴は、同じく湯上りで着替えた自分の姿を見下ろす。条件は同じはずなのに対して色っぽさを感じない。
千鶴はため息をついた。
ずっと男所帯で暮らしてきたせいだろうか。女子らしい着飾り方もわからないし、仕草も多分ぎこちないだろう。千鶴のような身分で千鶴のような年齢なら普通はもう嫁に行っているか嫁に行く準備……いわゆる花嫁修業をしているころだ。娘らしい着物にかわいらしい小物。かんざし、くし、帯留めに飾り紐……千鶴はどれも持っていない。

斎藤さんはなんて思ってるのかな。

こんな飾り気も娘らしさもない男のような女子二人と旅をすることになって、斎藤がどう思っているのか千鶴は急に気になりだした。
着る物や身に着けるものは三年も男所帯に隔離されていたのだからしょうがないが、花嫁修業の一つである料理も斎藤の方がうまいし繕いものも斎藤の方が器用だ。掃除も片付けも、屯所でいつも千鶴があたふたとやっている横でささっと始末してしまっている。それを斎藤に言うと『一人が長いからな。どれも人並みにこなせるようになってしまった』と言っていたが、じゃあ人並みにすらこなせない千鶴はどうなるのか。
「……」
「どうした?夕飯を食べに行かないのか」
部屋を出た斎藤が宿の飯処に向かいながら千鶴に言う。
「は、はい」
千鶴は慌てて斎藤の横に並んだ。そしてふっと香るせっけんの香りにどきりとする。いつもと違う斎藤の姿と自分。いつもと違う近さ、親密さ。
見慣れた斎藤のはずなのに、妙にドキドキして妙にまぶしくて、千鶴は隣を歩く斎藤を見られなかった。沈黙が気まずくて何か話さなくてはと思うものの、そう思えば思うほど話題が出てこない。

さ、斎藤さん、変に思ってないかな……!

千鶴がこっそりと斎藤を見上げると、斎藤はなぜか厳しい顔をして周りを見渡していた。
「どうしたんですか?」
千鶴もつられてあたりを見渡した。別に普通の飯処で、旅装のままだったり自分たちのように旅装をといた人、人足に馬番らしき人、それにたぶん近所の人たち……みなくつろいで食事を楽しんでいる。が、妙に視線を集めているような気がするのは気のせい……?
「斎藤さん……私、何か……」
長い間男装してきたせいでどこか変なのだろうかと、千鶴は襟元を直したり結った髪を触る。斎藤はそのまま空いた席へと向かうと千鶴も座らせた。
「若い娘が男と二人で旅をしているのが珍しいのだろう」
注文をとりに来た男に二人分の食事を頼んだ後、斎藤はそういった。
千鶴ははっとする。髪を結ってもらうときに何も考えずに町娘の間で流行っている結にしてもらったが、この髪形はまだ結婚していない娘だけが結うのが普通だ。言われてみれば確かに親子でも夫婦でもない男女が二人で旅をしているのはおかしい。
「そういえばそうですね……!私うっかりしてて。結をかえましょうか?」
「変えるとはどのように?」
斎藤の問いに、千鶴は何も考えずに答えた。
「結婚している夫婦のお嫁さん風に……」
言いかけて千鶴はハッと気づく。と、いうことは当然ながら旦那様は斎藤ということに……
「……」
千鶴は真っ赤になってうつむいた。斎藤も気まずそうに咳払いをする。
しばらくの沈黙の後、口を開いたのは斎藤だった。
「それはそれで、またいろいろと問題があるだろうからな……」
「そ、そうですよね……」
ごにょごにょと二人でつぶやいていると、おいしそうな膳が運ばれてきた。
食べながら千鶴はふと思いついた。
「あ、じゃあ、屯所でやっていたみたいに後ろで一つに結ぶのはどうでしょう?結構そういう女の人は多いですし……」 
そういわれて斎藤は、箸をとめて机の向かい側にいる千鶴を見た。
「いや、そこまでする必要はないだろう。その髪型は……」
途中まで言いかけて、斎藤はやめた。
「……とにかく、まだ何も問題になるようなことは起きていない。たとえ問題が起きても対処してあんたを守るのが俺の仕事だ。あんたが気にすることは何もない」
うなずいて食事を続ける千鶴を見て、斎藤は安堵の溜息をついた。

その髪型はよく似合っている。

などと言わなくてよかった。いや、そもそもそんなセリフを自分が発するとは思えない。が、さきほどは思わず言ってしまうところだった。自分とは思えない。左之でも乗り移ってるのではないか。
だが実際のところ、千鶴の町娘風の結い髪をとてもかわいいと斎藤は思っていた。
丸い顔に大きな丸い瞳、そして丸く膨らんだつややかな黒髪。柔らかそうでかわいらしい。むき出しの耳やうなじにかかる後れ毛もさわやかな色気を感じる。
そこまでぼんやりと考えて、斎藤はふと手を伸ばした。
彼女の横の後れ毛が一筋、千鶴がうつむくと垂れて汁物につきそうになっていたのだ。
斎藤の手に気づいた千鶴が顔を上げ、斎藤は慌てて手をひっこめた。
「あ、ああ、すまない。その、か、髪がな……」
そういえば千鶴の顔を見るとまぶしさに目をやられるということを思い出し、斎藤は慌てて顔をそらした。耳が熱くなるのがわかる。
斎藤の動揺がうつったのか、なぜか千鶴も赤くなった。
「あ、この髪……じゃまっけですよね。でもまだ長さが足りなくてどうしても……」
「そ、そうだな。女子とはたいへんなものだ」
なにがたいへんなのかよくわからないが、千鶴は賢明にもそこには突っ込まないでくれる。
「くしとかあればいいんですけど」
「そういえば、簪も何もつけていないのだな」
普段は女性の髪形になどまったく興味もないし今もとくにはないのだが、なにか会話を続けなくてはいけない気がして斎藤はそういった。千鶴は少し恥ずかしそうにうつむいた。
「全然娘らしい小物とか持ってなくて……男みたいで恥ずかしいです」
斎藤はさらに慌てた。
「そ、そういうつもりで言ったのではないのだ。すまなかった」
もう何を言っても失言か意味不明な言葉になってしまう。
何が何だかわからないままパニクっている斎藤に、千鶴はふふっとほほ笑んだ。
「わかってます。ありがとうございます。……おいしいですね!これ」

話を変えてくれた千鶴に感謝しながらも、斎藤はどうにもいつもの調子がでない自分に首をひねっていたのだった。


  
BACK    NEXT