【三番組組長道中記 24】



「『これからともに生きてくれるか』という意味は、だな、つまり……その、ともに住む、ということだ。………いや、『二人きりで』、を入れた方がいいか?」

斎藤はぶつぶつと小さな声で呟きながら足早に千鶴のいる寺へと向かっていた。
求婚するのはいったいこれで何度目だろうか。
千鶴には五度目。総司たちのいる前で言わさせられたのも加えると六度目だ。この世にこれだけの数の求婚をした男がいるだろうか。なぜこんなはめになっているのだろうかと斎藤は首をひねった。ほんの2,3日前までは、求婚などと自分からははるか遠くに離れたものだったのにこの二日でもう六度……。
斎藤はため息をつく。こうなれば六度だろうと百度だろうと一緒だ。
斎藤はなかばやけっぱちになりながら寺の門をくぐる。午後の遅い時間の境内は、一昨日の火事騒動でどことなく煩雑な雰囲気だがとりあえずは落ち着いていた。
斎藤が千鶴がいる部屋へ行こうとすると、ふと視線を感じた。見ると、寺の端の方で女たちが斎藤を見て何か話している。上等な着物を着たこぎれいな女性たちだから、たぶん町からきた手伝いの下腹木の女ではなく千鶴のようなある程度の身分のある西国藩の女中や姫付きのものたちなのだろう。

なんだ?

隠れているように見せて実は斎藤が気づくのを期待しているようなあからさまな態度に、斎藤は首を傾げた。今日は隊服は着ていない普通の着流しだが、当然帯刀はしているし火事の時に斎藤を見た者もいるだろう。千鶴の見舞いも一度行きかなり目立ってしまった。何か言いたいことでもあるのかと斎藤が立ち止まった時。
「ワン!」
寺の裏の方で聞いたことのある鳴き声が聞こえた。斎藤は切れ長の蒼い瞳を見開いてきょろきょろとあたりを探す。
そうだ。
そういえば、あの犬はどうしただろうか?斎藤達が中二階から落ち、斎藤の意識が遠のく直前に鳴き声が聞こえた気がする。と、いうことはあの犬は無事だったとは思うが、火事に紛れて見失ってしまった。
斎藤は寺を見渡した。
当然ながら目立つ正門あたりにはいないだろう。と、いうことは……
斎藤が寺の裏側へと行ってみると、そこにはたぶん西国藩の京藩邸から持ってきたのであろう大きな家具や建具やらが転がっていた。斎藤がそれを避けながら歩いていると、別棟への渡り廊下の柱に紐で結わえられた犬が丸くなって寝ているのを見つけた。
斎藤の唇が柔らかくほころぶ。
「けがはなさそうだな」
その声に犬は斎藤に気が付き、ぱっと飛び起きた。目を輝かせて尻尾をふる。
斎藤は犬の頭へと手を伸ばし、ふと気づく。茶色の毛並のところどころに焦げたような跡がある。
斎藤の描いたように整った眉がゆがんだ。
「……世話になったな。千鶴を助けることができたのはお前のおかげだ」
「くぅ〜ん」
顔をなめてくる犬の背中を、斎藤はなでる。
「おまえは仔犬の時と言い今回といい、いつも千鶴を助けてくれるな」
旅の途中で何度も捨てるように言ったのは自分だが、千鶴が頑固で結局最後まで連れて行ってしまった。足手まといの無駄飯食いだとばかり思っていたが、この犬がいなければ道中も今も、千鶴がどうなっていたかわからない。
そうだ、千鶴と一緒に暮らすようになったらこの犬もひきとってやろう。自分では手が届かないところでいつも千鶴を守ってくれる、頼もしい同志だ。この犬も、そして千鶴も喜ぶだろう。だが、今はまず千鶴に一緒に住む……いや夫婦になって一緒に住んでほしいと頼まなくては。
「……」
その前にまずこの犬の意志を確認しておくか。
「一緒に来るか?」
斎藤が生真面目に犬にそう語りかけた時。

「はじめっ!!!」

ふいに後ろから激しく名前を呼ばれて、斎藤は驚いて振り向いた。
角の向こうにいるのはススまみれの顔で焼け焦げた着物を着た中年の女性だ。先ほど遠くから斎藤を見てひそひそと話していた女性たちとは同じ女性でも人種が違う感じの女性で、どっしりとした両足を地面につけて仁王立ちでこちらを見ている。大きく瞳が見開かれ、信じられない、という表情だ。
見たところ知らない女性だったが、屯所の下働きに来てくれている女性だったかもしれない、と斎藤は立ち上がった。屯所で洗い物や掃除で下働きの下男や女中と話すこともたまにはある。……が、ここまで親しく名前を呼ばれる覚えはないが……
不審に思いながらも、明らかに喜んでくれている表情の女性を見て、斎藤は向き直った。
「……心配をかけたようだが、この通り無事だ」
新選組が総出で火事の消火に当たったと聞き、心配して駆けつけてくれたのだろうか?なんにせよ、心配してもらえることはありがたいことではあるだろう、と斎藤は「ありがとう」と礼を言う。女性は、斎藤からは見えない角の向こう側を向くと、「みんな!はじめが無事だったよ!」と叫んだ。
わらわらとあらわれる同じような年恰好の女性陣、総勢7,8名を見て、斎藤はぱちぱちと瞬きをした。女性たちは斎藤の無事な姿を見て喜び、こちらにかけよってくる。
「心配をかけたようで……」
たじたじとなりながら礼を言う斎藤の横をするりと通り抜けて、女性たちが取り囲んだのは、斎藤の横で嬉しそうに跳ねている犬だった。
「心配したんだよ!縄はほどいたけど燃え上がってる屋敷の中からいつまでも鳴き声が聞こえてさあ!」
「ほんとにねえ、連れて逃げるよりも放した方がいいだろうって放しちゃったんだけど、はじめも京に来たばかりでよくわからないかもってね」
「後になってから悔やんだんだよ、無事でよかったねえ」
女性たちは笑いながら涙を流して犬を抱きしめ、犬は犬で大喜びで尻ごと尻尾を振ってぴょんぴょんとびながら女性たちの顔をなめている。

犬……か……

斎藤は無言でそっと手を下すと、女性たちと犬との感動の再会の邪魔にならないように一歩下がった。
この犬の名前はどうやら『はじめ』と言うようだ。まあ、当然ながら千鶴がつけたのだろう。斎藤との思いでとして……だと思いたいが。
「……一緒に暮らすとなると、名前は変えないといかんな」
嬉しそうに跳ね回る犬を見ながら、斎藤は苦笑いをした。



千鶴は足を引きずりながら寺の長い廊下を歩いていた。
焼きだされた身の回りのものを何とか見つけて風呂敷に詰めて、もとの部屋に戻る途中だった。
斎藤からもらった櫛もちゃんとあったのでそれは大事に胸元に入れ、風呂敷をもって歩くのだが、使えない足を引きずるというのはこんなに重いものなのか。少し歩いていただけで肩で息をするくらい疲れてしまう。
千鶴が柱に寄りかかりながら休んでいると、向こうから女性が歩いてくる。京の西国藩邸で見かけたことのある女性だ。
その女性は千鶴を見ると、あからさまに嫌そうな顔をした。風呂敷を顎で指し冷たい声で言う。
「なんなの。新選組と通じてうちの藩の密告をしただけじゃ足りなくて今度は物盗り?」
「そんな……」
密告なんてしていない、と言いたかったが、女性の目に憎しみの色をみて千鶴は口をつぐんだ。横になっていた部屋でも聞こえるように同じようなことを言われ居づらくて出てきたのだが、どこも同じらしい。
「そんなことないです……」
千鶴が小さくそういうと、女性は憎々しげに吐き捨てた。
「どうだが。壬生狼どもにいい目をみせてもらえるんじゃないの。いったいいつから通じてたんだか」
「通じてなんていません!」
「信じられないね!一年前にふらっとやってきて、怪しい蘭方医の娘だとか言ってもぐりこんで、あれこれ探って報告してたんじゃないの?どうせ最初から幕府側のまわしものだったんでしょう!?」
「違います!父様は……父は、前から江戸で一緒に住んでいて……」
「じゃあどうして新選組の奴が見舞いに来るのさ。いやに仲がよさそうだったし、あの火事の午前中にだってあんたがやつらと会ってたっていう噂もあるんだよ!」
「……」
千鶴は唇をかんだ。
その通りだ。
午前中に平助たちとあったし、斎藤だってお見舞いに来てくれた。幕府側と仲がいい流れ者とみられてもしょうがない。そしてその流れ者が来たとたんに新選組の討ち入りがあったのだから疑うのも無理はない。

父様……ごめんなさい。軽率でした。京に着いて平助君が来てくれて懐かしくてうれしくて、つい……

単なる女たちの噂でしかないものの本国での父の立場が心配だ。しかし後悔してももう遅い。何を言われても耐えるしかないのだ。
「すいませんでした。でも、私、密告なんてしていませ……」
「早く出て行って!」
千鶴の言葉をさえぎって女性のヒステリックな声が響く。千鶴はその声の響きに、まるで斬りつけられたように立ちすくんだ。
「この疫病神!裏切り者!恥を知りなさい!」
続く罵倒の言葉に千鶴は頭が真っ白になる。体が自然に震えだし何も考えられない。
その時、ふっと後ろから空気が動く気配がしたかと思うと、千鶴の体は中にふわりと浮いた。
「っあ…!」
驚いて声を出した千鶴は、次の瞬間自分が抱き上げられていることに気が付いた。抱き上げているのは斎藤だ。
「さ、斎藤さん!」
「……行くぞ」
斎藤はそれだけ言うと、千鶴を抱いたまますたすたと歩きだしてしまった。先ほどののしってきた女性は、突然の斎藤の出現に一瞬驚いたようだったが、すぐに憎まれ口をたたいた。
「ほらね!あんたの顔覚えてるよ。新選組のえらいさんでしょう?火事の真っ最中に『雪村千鶴』はどこだって聞きに来てた人だよね?屋敷に火をつけて人を斬って何もかも壊して、幕府のカサをきてえらそうに!」
口汚い罵り言葉に千鶴は息をのんだ。
千鶴を抱く斎藤から、ひやりとした冷たい雰囲気を感じる。まさか斎藤のことだから斬りつけるなんてしないと思うけど……と千鶴が思わず心配になるくらいの殺気……いや、怒りだろうか?
斎藤は千鶴を抱いたまま振り向くと、静かにその女性に言った。
「千鶴は俺があずかる。ここにいてはどちらもつらいばかりだろう。それと……」
斎藤はそういうとしばらく言葉を止めて、その女性を蒼い静かな目でじっと見た。女性はその雰囲気にのまれたようにぐっと言葉につまる。
「千鶴は何も密告などしていない。俺たちは昔からの知り合いで久しぶりに会って他愛もないことを話していただけだ」
斎藤はそう言い捨てると、千鶴を抱いたまま寺を出た。



「千鶴、は、話があって今日は来たのだ」
「はあ……」
「今さらだが以前お前に言った『共に生きてくれるか』という意味はだな、生きるも死ぬも一緒、つまり、その生活を共にしてほしいということなのだ。だがしかし、屯所で一緒に前のように、という意味ではない。そういう意味ではないのだ。それではなくて、その……二人でずっとともに、いや、もちろん俺は新選組での隊務があるから『ずっと』というわけにはいかないが、つまり世間一般でいうところの夫婦としてというか……いや、夫婦に、だな。その、なるのはどうかという……」
「あの、斎藤さん。とりあえずその、どこか人目につかないところに行きませんか?」

千鶴はとうとうと話し続ける斎藤の言葉を止めた。周りからの視線が痛いのだ。
斎藤は焦りまくっているようで周囲はまるでみえていないようなのだが、ここは京の往来のど真ん中で、千鶴は斎藤にお姫様抱っこをされ、足元には犬が嬉しそうに尻尾を振っている。
人々が好奇の目で見るのは、まあわからないでもない状況だ。
斎藤は千鶴に言われてハッとしたように周囲を見渡した。
「あ、ああ、そうだな。確かに」
しかしどこにいけばいいのか皆目見当もつかない。男女二人がとりあえず人目につかずに落ち着くことができ、千鶴は怪我もあるから横になれるところといえば……



「はい、お二人さんね。上空いてますよ〜」
やる気のなさそうな出会い茶屋のオヤジは、斎藤から金をうけとるとだるそうに二階を指さした。
「……すまないが犬がいるのだが……」
斎藤がそういうと、「犬ぅ!?」とオヤジは目をむいた。当然ながら、これからあいびきをしてしっぽりとしけこもうと思っている男女が犬を連れているのが珍しいのだろう。確かにそうあることではない。
そしてじろじろと斎藤と抱き上げられている千鶴を見る。千鶴は恥ずかしさのあまり蒸発するのではないかと思うくらい顔が熱かった。
オヤジは、変な客だが特に害はなさそうだ、と判断したようで「犬なら庭につないでおきますよ」と言ってくれた。そして。
「一刻ですか?二刻ですか?」
「……」
斎藤が意見を聞くような表情で千鶴を見たが、当然この状況で千鶴に意見などあるはずもない。真っ赤な顔で固まっている千鶴を見て、斎藤は回答は返ってこないと思ったようだ。
「二刻で頼む」
斎藤はきっぱりとそういうと、千鶴を抱いたまま二階へと上がった。
戸惑いもせず言い切った斎藤を、千鶴はびっくりして見つめた。





※長い間ご購読ありがとうございます!
たぶん、次のお話(たぶん今週か来週更新)で最終回になると思います。
おつきあいいただいてありがとうございました〜


 BACK  NEXT