【三番組組長道中記 23】
斎藤はとっさに千鶴を胸元に抱え込み、自分の背中から落ちるよう体をひねった。
ぎりぎり炎の場所は抜けていたので落ちた場所は土間だ。
だが、落ちたところはすでに崩れ落ちたカベや二階の床板がゴロゴロと転がっている。床に打ち付けられた衝撃と同時に、上からも火のついた床板が大量に落ちてくる。
肩と激しく打ち付けた状態で、斎藤は千鶴の上にのしかかるようにして上から落ちてくる物から彼女をかばった。細かな木片が火の粉とともにパラパラとおち次に角材のようなものが落ちてきた。
「くっ!」
肩を強く打ちそのあと頭に角材があたり、斎藤は目の前にちかちかと飛ぶ星を見る。
一階はもう火で覆いつくされている。ここもいつまでもつかわからん。
ここで意識を失うわけには…
斎藤が切れそうな意識を必死で保とうとしていた時、遠くから聞き覚えのある声と鳴き声がした。
「ワンワン!ワン!」
「……こだ……!一君、どこだー!!!」
「おい!平助!あそこ!」
「ワンワン!」
妙に遠く聞こえる声を聴きながら、安堵とともに斎藤の意識はふつりと途切れた。
目を開けようとしたらひどく傷んだ。
しみるようなじーんとした痛みがあり、目の周りの皮膚も突っ張るように痛い。
「?」
千鶴は戸惑いながらもとにかく薄目を開けた。
「ここは……」
板敷きの部屋に布団が6枚敷いてあり、それに人が寝ていた。千鶴もその中の一人で、枕元に水の入った桶と手ぬぐいが置いてある。廊下につながる部屋の障子は開け放されており、バタバタという足音や声を交わすあわただしい雰囲気が聞こえてくる。
ぐるりとあたりを見渡し天井を見ると、ここがどこだかわかった。
お寺……?
高い梁に広い部屋。ここはお寺のお堂だ。腕をついて起き上がると、体中がきしむように痛い。体をうごかすと、ふっと煙の臭いがする。
千鶴は火事のことを思い出した。斎藤が助けに来てくれたこともぼんやりと覚えている。
火事は夜だったけど今は明るい。自分はいったいどれくらい眠っていたのだろう。
「あの……」
誰かいませんか?と聞こうとしたら、喉が痛くてそれ以上言葉がでない。光がまぶしくて目が明けていられない。千鶴はぱちぱちと何度か瞬きをして体お起こす。布団の中の右の足首がずきんと痛んだ。
他に敷かれている布団に横たわっている人も、皆眠っているようで動かない。どうしようかと思っていると、軽い足音共に「こっちです」という声が聞こえてきた。
「たぶんこの部屋に眠っている方だと……あ、起きたみたいですね、ちょうどよかったです」
声とともに少年が顔をだした。そして後ろから顔をだしたのは、いつもの着流しをきた斎藤だった。
「斎藤さん……」
まだどこかぼんやりした頭で、千鶴は斎藤を見た。
斎藤は千鶴の顔をみると、どこか焦るようなイラつくような気持ちがすっと落ち着くのを感じる。
ほっとほほ笑み、そしてこういう気持ちでほほ笑むのはずいぶん久しぶりだな、と思った。
まだ寝ている人が多い周囲を気にしながら枕元に座った。
「気分はどうだ」
「私……どうなったんでしょうか?」
斎藤は少し面食らい、瞬きをした。覚えていないのだろうか?
「床が抜けて一緒に一階に落ちた。そこに平助と左之が助けに来てくれたのだ。お前は意識がなく、とりあえずちかくのこの寺に避難させてもらった」
「そうなんですか……」
千鶴はぼんやりとつぶやく。しばらく考えてはっとして顔を上げた。
「あの、藩邸のみなさんはどうなったんでしょうか?」
斎藤は腕を組み、考える。
「火事による怪我人は何人かいるようだが、重症なものはいなかったようだな。無事な女子供や家財道具は、とりあえずこの寺に運び込まれているようだ。新選組と斬り合いになったが、数が圧倒的にこちらが多かったおかげでほとんどが捕縛できた。沙汰はおってあるだろう」
火事なのになぜ新選組と斬り合いを……?と、不思議そうな顔をしている千鶴に、あの藩に謀反の疑いがかかっていたこと、火事のにかけつけたのは消火のためではなくもともと取り押さえるためにむかっていたことを告げる。千鶴は「そうだったんですか…」と不安げな顔をしてうつむいてしまった。
西国藩に行ってまだ一年。国元と京の藩邸とでは意見が真逆だったようだし、千鶴が京藩邸にきてからまだほんの少しの日にちしかたっていない。藩内の事情をしらなくても当然だろう。
千鶴は悲しそうにほほ笑んだ。
「江戸から京にきて、西国に行ってまた京に戻って……。また西国に行かないといけないんでしょうか。なんだか落ち着かないですね」
斎藤は頭を傾げる。なぜ西国に行ってしまうのだろうか?
生きるも死ぬも一緒に
共に生きよう
火事場の土壇場で思わず口をついた言葉だったが、真剣に伝えた言葉だ。しかも二度も。
しばらく考えるようにした後、斎藤は口を開いた。
「西国に帰る必要はないと思うのだが……」
「?どうしてですか?」
無邪気な目で見つめられて、斎藤は言葉を詰まらせる。
「……そういえば返事は聞いていなかった。落ちる直前に俺が言った言葉を覚えているか?」
「直前に斎藤さんが?」
千鶴は相変わらず不思議そうに聞き返す。
斎藤は苦笑いをした。
「お前を箪笥の下から助け出しておぶって逃げようとしたが、抵抗された。無理やり抱えあげて、これからの人生を共に過ごそうと言った。これを言うのはこれで三度目だが」
今度は千鶴が目を瞬く番だった。
確かにおぶってくれようとした斎藤の手を、払いのけた記憶がある。そして危険だというのに決して千鶴の手を放そうとしない斎藤にいらだった記憶も。だが……
「……覚えてないです……」
これからの人生を共にしようなどと言われたことは覚えていない。そんな素敵な言葉を言われて忘れるなどありうるのだろうか?
「ほんとうに……?」
これからも斎藤のそばにいていもいいのか。
何度も何度も拒まれてきた千鶴には、にわかに信じられないようだった。
斎藤はあきらめのため息をつく。
「では四度目だ」
そして千鶴の手をとった。
千鶴は驚いて慌てて周囲を見渡した。寝たままとはいえ声は聞こえているだろうし、こちらを見たら手を握っているところは見えてしまう。人前でこんなことを……!と千鶴は真っ赤になった。
「斎藤さん、手を……」
手を放して欲しいと焦っている千鶴には全く構わず、斎藤は手を握ったまま千鶴の顔を覗き込んだ。
蒼い瞳が静かに輝いている。わたわたと頬をそめて周囲を気にしていた千鶴は、その輝きにのまれるように斎藤の目を見た。
「お前を好いている。前からずっと。だが、こんな稼業の男にはお前を幸せにできないだろうと勝手に思っていたのだ。お手の勝手で、思うがままにお前を俺の生き方に巻き込んではいけないと」
斎藤の声色が低くなり、彼の真剣な思いが千鶴に伝わる。
「今でも幸せにできるかどうかはわからん。世間一般の女の幸せは与えてやれんかもしれん。だが……もしお前が望んでくれているのなら、できるかぎりの努力をしたい。俺にできることは限られているが、俺の知らないところでこんな風に火事にあったり命の危険にはあうことのないようにするということだけは約束する」
斎藤は、ぎゅっと力をいれて千鶴の手を握る。少しだけ汗ばんで、かすかに震えるその大きな手は、これまで何度も千鶴を守ってきてくれた手だ。
「お前を守る。これから共に生きてくれるか」
目じりと耳を赤くして、それでもまっすぐに千鶴を見つめる蒼い瞳。千鶴の瞳に盛り上がる涙で視界がぼやける。
「は、い……」
涙で声がかすれてしまい、千鶴はあわてて言い直した。
「はい、もちろんです」
「……ふーん、良かったね」
棒読みのような口調で総司が言った。
「……ああ、ほんとうに、よかった」
斎藤は周囲の雰囲気に気づかず、しみじみと答える。
「皆にも世話をかけたな。だが我々は無事思いを確かめ合うことができた」
「……」
白けた沈黙が漂う。
ここは屯所の集会室。
火事と捕縛騒ぎの後、皆が泥のように眠りパラパラと起きてきたころに、妙にうきうきとした斎藤が大荷物を抱えて帰ってきたのだ。当然ながら左之がぼりぼりを頭を掻きながら聞いた。
『ん?斎藤、お前ススまみれじゃねーか。服も火事騒ぎの時と同じだしよ……休まなかったのか?土方さんからまた無茶な仕事がきて休めなかったとか?』
ふわあ、とあくびをしながらやってきた総司がそれを聞いた。
『うわ、斎藤君ほんとう?かわいそ。土方さんひどいよねえ、隊士をなんだと思ってるんだか』
先に起きて軽く食べてきた平助と新八も廊下の向こうからやってくる。
『なんだ、斎藤。その大荷物?休まず仕事してたんか?』
皆が斎藤が持っている大荷物を覗き込んだ。
『桶…と釜?柄杓にほうきに古布に……これはなんだ?』
新八が幅広の白い布を広げる。何の変哲もない白い布。だがふんどしにしては幅が広いし斎藤の襟巻にしては長さが長い。布団にしては小さいし……?
『それは腹帯というらしい。妊婦はつけなくてはいけないそうだ』
斎藤のその返答に、皆は無言になった。
意味が分からない。
それに隊務にしてはこの所帯じみた買い物の数々はなんなのか。口々にそう質問したところ、斎藤は、明け方ようやく火消しと捕縛がひと段落して土方から皆が休みをもらった後の行動を教えてくれた。休まずに一人で寺に行き、千鶴にあったと。そしていろいろと幸せな会話をしたと。
そしてこの白けた空気なのだ。
まあ、同じ仲間として。
うまくいかないよりはそれりゃあうまくいったらしい今はよかったんじゃないかとは思う。
だが、こう……なんというか堂々とでれでれした顔で恥ずかしさのかけらもなくのろけを語られ、張り切って新居の雑貨を買い捲ってきた斎藤が、以前の鋭い瞳をして触れると切れてしまいそうなくらいピリピリとした斎藤と結びつかない。
恋は恐ろしいとは聞くが、ここまでキャラを崩壊させるとは……と皆は半分呆れ、半分妬みで沈黙していた。
平助などはうまくいってよかったとうれしい気持ちはあるが、散々振り回されて心配して火の中にまで駆けつけたのに、当人たちはちゃっかりラブラブになっているというこの状況に生暖かい気持ちになる。
「……で?なんでこんなに買い込んできたわけ?」
総司が呆れたように、廊下にずらっと並べられた庶民の生活道具類を見る。
「いや、帰りに寺の境内で市をやっていてな。何となくのぞいていたら売り手とそういう話になり、今度所帯を持つと言ったらほかの店からも『あれも必要』『これも必要』と言われたのだ」
「斎藤君、それカモだから」
ズバッと総司が言ったが、斎藤はほほ笑んだだけだった。
「そうかもしれんな。だがまあ必要だろう、千鶴には」
「……」
だめだこりゃ、という会話を総司たちは目でかわす。
あー…ゴホン、と左之が咳払いをして仕切り直しを図った。
「で?こんな道具まで買ったってことは斎藤は屯所は出るんだろ?土方さんにはもう言ったのか?」
「いや、まだだ」
新八が肩をぐるぐる回しながら聞く。
「そーか。ま、でも千鶴ちゃんと、住む家については話し合ったんだろ?どの辺にするんだ?」
「住む家か……それは考えていなかったな」
平然と答えた斎藤に、皆の動きが止まった。
「ちょっと待って。家決めてないの?」
総司が聞くと斎藤はうなずく。
「じゃあ家に井戸があるかとか風呂があるかとか市から近いのか遠いのかとか何にもわからないのに、なんでこんな道具とか買ってきてるわけ?」
「……市の者が皆、新婚なら必要だと言われ……」
「先走りじゃないの?腹帯とか、千鶴ちゃん妊娠してるわけ?」
「なっっっ!し、してるわけないだろう!!」
真っ赤になって否定した斎藤に、逆に皆の不安がつのった。
左之が再び言う。
「おいおい……まさか夫婦になるのは、それはさすがにきちんと千鶴と話し合ったんだろうな?」
そういわれて斎藤も心配になってきた。不安そうな顔で皆を見る。
「話し合った……というか、俺は夫婦にはなるものだとばかり……」
平助が我慢できないというように口を挟んだ。
「あのさ、千鶴とは何を話したんだよ?」
「……」
斎藤は耳まで熱くなるのを感じた。
あの時は盛り上がっていたし千鶴も目の前にいたしつい言ってしまったが、ここでこの場でもう一度繰り返し、皆に評価されるのはかなりきつい。
「いや、それは……」
「いや、それは、じゃないよ。斎藤君、もしかして勘違いしてるんじゃないの?千鶴ちゃん、本当に斎藤君と夫婦になるつもりなの?」
極めて疑わしい、という顔で総司に言われて斎藤は思わずムッとしてしまった。
受け入れてもらったこの気持ちを疑うなんて。
斎藤はしばらく悩んだが、思い切って口を開いた。
「心配は無用だ。ちゃんとお互いの合意はとれている。『お前を守る。これかれも共に生きてくれるか』と言ったのだ」
うわあ……
こっぱずかしいセリフに、皆の背中がかゆくなる。総司など本当に掻きだしてしまった。
この無表情で鉄面皮でクールな斎藤がそんなセリフを言ったというのはとりあえずおいておいても、これで腹帯まで買う仲になったと思うのはさすがに斎藤の先走りすぎだろう。
左之が言う。
「……千鶴は『はい、もちろんです』としか言ってないんだろ?もしかしたらまた男装して屯所で暮らすつもりなんじゃねえか?新選組としてともに生きるつもりとか」
総司がパチンと指を鳴らす。
「ありうる。あの子、新選組になじんでて、江戸とかに移動するなら私もついていきたいです、とか言ってたし」
「家を借りるとか一緒に暮らすとか以前に、斎藤と夫婦になるかどうかについても怪しいな……」
皆の意見に、斎藤は必死に説明をした。
これまで22話ものなかで、きちんと関係をつくってきたのだと。だからこそその短い言葉で、家を借り夫婦になりともに暮らし、斎藤の子を産みどもに育てていくことをあらわしているのだと。
しかし、その意見は失笑とともに皆にあっさり却下され、斎藤はもう一度千鶴に確かめに行かなくてはいけないことになった。
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