【三番組組長道中記 21】




「各組、組長のもとに集まれ!これは戦だぞ!鉢あてもきちんとしろ!」
「町の人間には手を出すな!だが藩邸から逃げ出す奴は一人残らず捕まえるんだ。はむかうやつは斬り捨ててもかまわん!」
「女子供もまだ中にいるはずだ!女に紛れて逃げる奴もいるかもしれん。必ず逃がすな!」

物々しい支度を終えた新選組隊士たちが屯所の前庭に集まっているのは壮観だった。
既に日はかなり傾き、薄暗くなってきている。
幕府から正式に西国藩邸への討伐命令がきてから一刻あまり。土方の差配は素早かった。
斎藤達幹部もだんだらの羽織を羽織り、刀を差し戦闘準備を整えている。
「まずは工作隊が門を壊す、六番組と五番組はそれの援護を頼む!」
土方が言うと、それぞれの組長と組下が「おう!」と声をあげた。十人ほどの工作隊は緊張した面持ちで斧を持っている。
「門が壊れたら、総司!新八!一番組と二番組で正門から突入!斎藤と左之の三番組と十番組は裏へまわれ!裏から逃げ出してくる奴をひっとらえるんだ。あとは各組長の指示に従って、臨機応変にやれ!」
「了解!」
「承知しました」
土方の命令に、左之と斎藤がうなずく。土方は今度は平助を見た。
「平助、お前んとこは裏から中へ入れ!そして総司と新八たちの援護にまわれ!」
「わかった!」
土方は、ぎらぎらと目を輝かせている隊士たちを見渡すとうなずいた。
「よし!残りは屯所の守りだ!行くぞ!」

新選組の屯所から千鶴たちの西国の藩邸までは、徒歩でもそれほどかからない。
斎藤と左之、平助の組は途中で土方達とは別れ、裏口を目指して違うルートを進んだ。新選組に道を開ける町人たちのおびえた顔が見える。子供を慌てて家の中に隠し、「また人斬りか」と吐き捨てるように言う声も聞こえる。
いつもは感情をころして命じられた仕事をこなすだけなのだが、今の斎藤の心は乱れていた。

まさかこんなことになるとは……

刀を押さえ、左右に鋭く視線を配って足早に歩きながらも、斎藤はほんのつい先ほど別れた千鶴のことを考えていた。
あの桜の下で別れた時は、ここで斎藤が手を離した方が彼女は幸せになると確信していたのに。
まさかこんなことに千鶴が巻き込まれ、しかもそれを力で収めに行くのが自分だとは。
なんとか穏便に済ますことはできないかとは思うが、しかし矢来を京の藩邸に組む、などと狂気の沙汰だ。幕府にしてみればここまであからさまに反旗を翻されて何もしないわけにはいかないだろう。
藩の取り潰しとなると影響が大きすぎて、今の不安定な情勢でどう転ぶかわからない。落としどころとしては京の藩邸は取り潰し、本国の西国藩で城主の蟄居謹慎、もしくは家老のだれかが責任をとり詰め腹か……
どちらにしても、西国藩の京藩邸は幕府としては叩きのめさなくてはいけない。

それはわかるのだが、そこには今千鶴がいる。
仕事に手を抜いたことなどないし、迷ったこともない。だが……
思い悩んでいる斎藤の横に、ふっと隣の組の左之が来た。
「心配するな、総司たちだって同じ気持ちだと思うぜ。西国の奴らが追い詰められて変なことをしでかさなけりゃあ、そこまでひどいことにはならねえさ」
「変なこと、とは……」
「そうだな……自暴自棄になって敵味方かまわず斬りつけてくるような乱戦になったり、関係ねえ女子どもたちにまで自刃を強要したり、あとは……」
左之の言葉の途中でふと空を見上げた斎藤は、続きを言った。
「自らの手で火を放ったり、か」
左之はパチンと指を鳴らす。
「それもあるな。火をつけられたらやっかいだぞ」
「左之、見てみろ」
斎藤の冷静な声に左之が指をさされた方を見ると、向こうの方でもうもうと煙が上がっているのが見えた。と、同時に先に行っていた平助の声が聞こえる。
「おい!あいつら自分たちで火ぃつけやがった!!」
左之が舌打ちをすると「急ぐぞ!」と足を速めた。斎藤も走りだす。

煙の上がった位置からして、西国の藩邸に間違いない。そちらの方から家財道具を背負った町人たちが悲鳴をあげて逃げてくる。
京の中心地からは外れてはいるが、各藩の藩邸が散らばるお屋敷街だ。火が広がれば被害は甚大だ。
それに、人同士の斬りあいのなかから千鶴を救い出すのさえ難しいのに、さらにその上火にまかれる危険まででてしまった。
斎藤の背中に冷や汗が流れる。

ばかな……!
安全な人生をと願って手放したのではなかったのか。
危険な目に合うのは俺の方で、千鶴は幸せに暮らしているはずなのに。

藩邸の裏口についたときは、中からかなり激しい炎がすでに上がっていた。町の火消しも集まり水をかけたり隣の屋敷の門を壊して、炎が燃え広がるのを止めようとしている。
「新選組だ!どけ!!」
左之が叫ぶと裏門のあたりにいたやじ馬たちが一斉に遠のいた。
「左之さん、どうする!?」
平助が、火を噴いている裏門を見ながら言った。「早く何とかしねえと中の奴らが……」
「門を壊すしかないだろう」
斎藤がそういうと、左之もうなずいた。
「だな。この板塀と矢来のせいで火がひどくなる。とりあえず取っ払って燃えるもんを少なくしねえと!」
三番組、八番組、十番組の組下が皆で体当たりをしたりどこからか探してきた板で塀を壊していく。燃え広がっていたせいで火の粉が散り、夜に近づいている空を不気味に照らした。
逃げていく周りの住民たちや家財道具であたりはごった返していた。
「くっ!」
バラバラと上から火のついた木くずが落ちてきて、斎藤はそばにあった塀の板を足で崩し落とした。「組長!」「大丈夫ですか!」三番組の組下が駆け寄り、燃え上がった庭の木の枝を払う。向こう側では平助と左之の組が必死になって裏門と門塀を崩して火の延焼をくいとどめていた。
裏口付近の火は相変わらずひどいが、藩邸内部はまだ燃えていない場所がかなりある。斎藤は唇をかんだ。
表門からの突入部隊は総司と新八のところの組だ。斎藤は左之と裏口の守りを言い渡されている。
命令の無視は組長としてはありえないことで、組を離れての単独行動もまたありえない。
だが……。
中で千鶴は、おそらくまだ生きている。
生きていると思いたい。
火に巻かれて逃げ場をなくしているのかもしれない。西国藩のたけり狂った武士に自刃を迫られていたら……。それに千鶴のことを知っているのは新選組幹部のみだ。組下の者が千鶴を敵として誤って斬ってしまうこともないとはいえない。
これまでこんなことはしたことはないし、これからも決してするつもりはない。主の命に従って、自分の命も捨てて戦うのが武士でそれを誇りに思ってきた。
だが、今は。
自分の武士としての矜持よりも大事なものがある。


斎藤は手で振ってくる火の粉を払い、組下の者にここで庭木の火を消し、塀を壊しておくように言いつけると、左之の方へと向かった。
左之は自分の組下の者を組織的に動かして、燃え上がった門扉をちょうど倒し終えたところだった。「おい!土の上において放っておけ!火消の奴らが火をかけてくれる。それよりあっちの板塀の方を次ははがせ!」
すすだらけになりながら指示をだしている左之の前に行くと、斎藤は言った。

「左之、すまない。俺だけ持ち場を外させてほしい。俺の組を頼んでもいいだろうか」

これまで斎藤からは聞いたこともない意外な言葉に、左之は目を見開いた。
そしてまっすぐに見てくる真剣な蒼い瞳を見て、すぐに合点がいく。
「ああ、わかった。お前の組下は俺が面倒みてやるから安心していって来い!」
「すまない。恩にきる」
斎藤はそう言うと、さっと身を翻らせて炎の中に消えた。





「ゴホッ!ゴホゴホッ」
千鶴は袂で口を押えてせきこんだ。
犬を放さなくてはと、炎の中必死で勝手場の裏に行ったのだが、使用人が気を利かせてすでに放してくれていたらしい、すでにいなかった。
というか、この炎も計画的だったのだろうか。藩邸の中は畳があげられ、部屋や物入れもすっかり整理されており、人もほとんどいない。
西国藩から来たばかりの上さらに今日の午前中から午後いっぱいでかけていたため、千鶴には状況がさっぱりわからなかった。
だが、斎藤と会った後藩邸に帰った時に、何か物々しかったのは覚えている。まるで普請でもしているような板組みが、藩邸中に張り巡らされていて、あまり顔の知らない藩邸の武士がピリピリとしながら働いていた。
なんだろうと思いながら千鶴がとりあえず部屋に戻り、人心地ついた後、突然火の手が上がったのだ。あわてて消火に向かおうとしたが、いつも汲み置きの水がおいてあるところに水はなく、人もほとんどいない。
藩邸の別棟に人が集まっているようなので、そこに行こうとして、その途中で勝手場によって犬を放さなくてはと思ってここまで来たのだが。

「どうしよう……もうあっちに行くより外に逃げた方がいいよね」
どんどん激しくなる火の勢いに、千鶴は人が集まっていそうな棟へ行くのをあきらめた。そちらの方から大きな音がしてかなり騒がしいから助けがいるのかもしれないとは思うが、このままでは千鶴自身が先に焼け死んでしまう。
しかし、慣れない藩邸の上に火の勢いが激しく、なんとか通れる廊下を探しているうちに、千鶴は自分がどこにいるかわからなくなってしまった。
たぶんこちらが出口だろうと思うところはもう火が回っていて、千鶴はしかたなく梯子にのぼり、物置場として使われている中二階へと逃げる。ここまで火が来ていなければ、この中二階を通って反対側に出られるのではないだろうか。
「あのー……誰かいますか?火事ですよー」
幸いなことに火はまだそこまで上がっていなかった。
下働きの子どもや、勝手場で働いている女性の子どもがよく出入りしていたのを思い出して、千鶴は声をかけながら天井の低い中二階を歩いた。下では燃えているらしくここもひどく熱い。
突然ゴオッっという音とともに近くの床板が音を立てて割れ、足元から炎が吹き上げ、千鶴は熱風に飛ばされた。
「きゃあ!」
新鮮な空気を得た炎は激しく燃え上がり、天井をなめる。
「あっ!」
下から吹き上げた熱い空気が床板を持ち上げたせいで、箪笥が千鶴に倒れ掛かってきた。
「きゃあっ」
必死で手で防いだものの箪笥の重さにはかなわず、千鶴は箪笥に押しつぶされる。
激しく腰と背中を打ち付け、一瞬息が詰まった。右足が鉄でもねじ込まれたように痛い。
「誰か!……誰かいませんか!」
叫び声をあげても、返事はない。聞こえてくるのは、不気味な火が壁をなめていく音だけだった。



裏口から炎の中に単身飛び込んだ斎藤は、とりあえず人の気配がする右の棟へと向かった。
火の粉の舞い散る薄暗い屋内の中で女の悲鳴や男の怒声が聞こえる。合間に剣戟の音。
斎藤は急いだ。
ふすまと畳を取っ払った大広間に、人が集まっていた。
斎藤はすばやく左右を見渡す。
右の奥の方に女子供が固まり身を寄せ合っており、反対側の廊下側で、武士と新選組が激しくやりあっている。ここまではまだ火の手はとどいていないようだ。
斎藤はずかずかと女たちの方へ向かうと、殺されるかと悲鳴を上げ怯えきっている女たちの顔を一人ひとり確認した。家老の娘だろうと思える高価な着物を着た女性を、複数の女性が取り囲んでいるが、その中に千鶴はいない。
「雪村千鶴はどこにいる」
斎藤がそう聞くと、女たちは悲鳴をあげた。斎藤の言葉の意味など分からずただただ恐ろしいようで耳を押させている。
斎藤は舌打ちをすると、一番冷静そうに見える中年の女と目を合わせた。
「手荒い真似をするつもりはない。抵抗せねば女子供には手を出さん。雪村千鶴の場所を聞いているだけだ」
女は青ざめた顔で首を横に振るばかりだ。ここにはいないということか。
斎藤はちらりと戦っている男たちの方を見た。
本来ならここで加勢にむかうべきなのだろうが……

総司と新八なら問題あるまい

見たところ新選組の方が押している。とにかく早く千鶴を見つけて安全なところに保護したうえで、助太刀をしても遅くはないだろう。
斎藤は踵を返すと、急ぎ足で部屋を出た。
ここにはいない、ということはたぶん一人ではぐれているのだ、千鶴は。ここと反対側の棟は火の勢いが激しい。早く探さなくては。斎藤は焦った。すっきりした額から顎へと、汗が一筋流れる。捕り物や斬りあいでここまで追い込まれた気分になるのは初めてだ。こんなことなら自分がピンチになった方がどれだけ気が楽なことか。
もと来た廊下を戻り反対側の棟へと向かおうとしていると、ちょうど裏口から入ってきた平助とその組下とにかち合った。
「一君!」
「平助か。みなあちらの大広間に集められているようだ。総司たちもそちらで今戦っている」
「わかった!」
平助はすぐに組下に、斎藤が言った棟の方へ行くように指示をした。そして平助だけ残ると斎藤に聞く。
「千鶴は?見つかった?」
斎藤は首を横に振った。「いや、まだだ。あちらの大広間には千鶴はいなかった。ここの藩邸のどこかで逃げ遅れたのだと思う」
平助の顔が真剣なものになる。
「よし!俺も探すよ、一君がこっちに行くならオレは……」

「ワン!」

緊迫した空気は、大きな鳴き声で途切れた。
平助と斎藤は顔を見合わせ、声のした方を見る。
そこには当然ながら犬がいた。
「い、犬?」
平助は驚いたように一歩、その犬に近づく。外で飼われていたらしいたくましい中型犬のその犬は、火事だというのになぜか逃げるでもなく屋内に入ってきたようだ。
「迷子になったんか?無事でよかったけど、お前も早く逃げねーと……」
平助が逃がそうと伸ばした手から、犬はひょいっと避けるように飛びずさった。そして「ワンワンワン!」と今度は斎藤に向かって吠える。
その何かを訴えるような鳴き声、必死な目に、斎藤はふと真顔になった。
「まさかとは思うが、お前は……まさかあの時の犬か?」
「ワン!」
わが意を得たり!と言わんばかりの嬉しそうな犬の鳴き声。尻尾がゆさゆさと振られる。
「そうなのか!?ほんとうに?大きくなったな……!もうすっかり大人ではないか!」
「ワンワン!」
「今回も千鶴の後をついて西国から京まで来たのか?」
「ワワワワン!」
千鶴、という音に反応したのか、犬の鳴き声がさらに大きく必死になる。そして走り出そうとして、早く早くと言わんばかりに後ろの斎藤を振り向いた。
「……おまえ、もしや……千鶴か?千鶴の場所を知っているのか?」
犬の吠え方が変わった。
「ワン!」
「そうなのか?千鶴はどこだ?」
こっちだ、というように、犬は一声「ワン!」となくと、火の粉が舞い上がっている廊下の方へと走り出す。
「平助!こちらに千鶴がいるらしい。すまんが後を頼む」
斎藤は平助にそういうと、犬の後を追いかけて走り出した。

「お!平助。来てくれたか。あっちはほとんど片付いたぜ。残党はこっちにいそうか?」
新八だ。
新八はぽかんとした表情で突っ立っている平助の顔を覗き込んだ。
「どうした?」
平助は目を見開いたまま新八を見て言った。
「は、一君が犬としゃべってた……」


走っていた犬が立ち止まり、一点を見上げて狂ったように吠えている。
左奥から火が迫ってきているそこは、土間から中二階へあがるようになっているところだった。下が土のためその上がちょうど延焼がまぬがれている。
しかし、廊下側からは火が迫っており、上にあがるためのハシゴも火に巻かれていた。
「ワンワンワン!」
激しく吠える犬の頭にを置き、斎藤も上を見た。
「この上だな。ご苦労だった、必ず助けるからお前も早く逃げろ!わかるな?」
「ワン!」
「よし」
斎藤はジャンプして上の梁に両手をかけた。そしてそのまま懸垂の要領で体をあげる。
「くっ…!」
熱い空気が左から湧き出てきて、斎藤は歯を食いしばった。ぐぐぐっと力をさらに入れて足をかけ、何とか中二階に上る。
「早く行け!」
下から吠えている犬に向けて手を払うと、斎藤は腰をかがめて中二階の様子を見た。
奥が激しく燃えているが、漆喰の壁のおかげて手前の方までの延焼は免れているようだった。しかしそれも時間の問題だ。
「千鶴!」
斎藤は腰をかがめると奥へと進む。左側はもう炎に巻かれていてとてもいけない。
しかしここから去るのは、千鶴がいないことを確かめてからだ。歩くスペースを作ろうと、刀の鞘で炎をまとった長持ちを押すと、バキバキッと板の折れる音がして下へと落ちていった。

そうか、ここだけ下から炎が吹き上げているのか。だからこの周りだけ激しく燃えているのだな。と、いうことは、この炎の向こう側はまだ燃えていないかもしれん。

斎藤は抜けた床を慎重に避けると、炎の向こう側へと向かった。
むせかえるような熱さと火の粉だが、煙はそれほど出ていない。思った通り、手前の火の横をすりぬけると、その向こうはまだ燃えていない物置場が広がっていた。
「千鶴!いるのなら返事をしてくれ!」斎藤はとりあえず燃え上がりやすいものを端へとやり逃げ道を確保しながら奥へ進んだ。
しかし箪笥がたおれているせいでそれ以上進めなくなっている。千鶴はここにはいないのか、反対側だろうかと斎藤が戻ろうとしたとき、視界の端に縦縞の着物柄が見えた。
千鶴が昼に来ていた着物に似ている気がして、斎藤は振り向き回り込む。

「千鶴!!」

箪笥の向こう側、押しつぶされるようにして千鶴がうつぶせに倒れていた。






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