【三番組組長道中記 20】
最初に見た時、千鶴はまさかと思った。
西国までの道中、いつも千鶴の前を歩いていた見慣れた背中。
なつかしい新選組の皆と会った後、桜でも見て帰ろうと少し遠回りした川べりの道で、千鶴は前を歩く人々の中にその背中を見つけた。
だが、以前西国の藩にいた時にも背格好の似た人を追いかけて人違いだったことも何度かあり、千鶴は落ち着こうと立ち止まった。
その時、その人も立ち止まり、何かを探すように左右を見た。そして振り向く。
千鶴……
声は聞こえなかったが、彼のくちびるがそう動いたのが千鶴には感じられた。
「斎藤さん……」
二人はしばらく無言で立ち止まっていた。
どうしよう。
何を言おう。
何か言わなくてはと思うが、驚きのあまり千鶴の頭は真っ白だった。
周りの人に押されるようにして、二人は自然と近づき、道の端へと寄った。
斎藤の視線は、一年ぶりの千鶴の上をさまよう。
きれいに結い上げられた娘らしい髪型。白いうなじに柔らかそうな耳たぶ。黒く長い睫が頬に影を落とし、肩から腰にかけて優しい曲線を描いている体は、もうどこから見ても娘のものだ。平助が騒いでいたのもわかる。
沈黙に千鶴が顔を青くしたり赤くしたりしているのをみて、斎藤から言葉をかけた。
「久しぶりだな。元気だったか」
「は……はい!あの……斎藤さんもお元気そうでよかったです」
「そうだな。相変わらずだな」
「私もです」
笑顔での、気安い会話。
沈黙が途切れて安心した反面、千鶴の心は暗く沈んだ。
あの西国での道中を遠くはかない。
あれは夢だったのだろうか。まるであの時の出来事は斎藤にとってはなかったことのようだ。彼にとってはたいしたことがないことで、何度も言っていたように隊務だったのだし。
でも……
千鶴は顔をあげた。これだけはきちんと言っておきたかった。
「ずっとお礼を言いたかったので、会えてよかったです」
「礼?」
「はい。あんな遠方まで護衛として同行していただいていたのに、碌なお礼をしていなくて……ずっと気になっていたんです」
千鶴はそういうと、丁寧に腰を折って「その節は本当にありがとうございました。おせわになりました」と、お礼を言った。
「いや、あれは副長の命で行ったまでだ。礼にはおよばん」
初めての西国街道にはしゃいでいた千鶴と一緒に笑ってくれたのも、歩き疲れた千鶴の足をもんでくれたのも、夫婦のふりをして守ってくれたのも、全部隊務だというのなら斎藤にとってはそうなのだろう。
寂しそうに瞼を伏せた千鶴に、斎藤が言った。
「平助や新八たちと会うと聞いていたが。どうしてこんなところに?」
「平助君たちとは会いました。帰り道に……」
話している途中でヒソヒソという声と視線を感じて、千鶴はそちらを見た。
町人らしき男二人連れがひそひそと千鶴と斎藤を見ながら通り過ぎていく。
反対から来たおかみさん風の女性は、斎藤のそばを通り過ぎようとしてぎょっとすると、子どもの手を勢いよく引いて反対側に離れる。
斎藤も気づいたようだが、表情は変わらなかった。
「ここ……邪魔ですよね」
千鶴が道から外れた雑草だらけの道脇に行こうとするのを、斎藤が止めた。
「いや、そうではない」
「でも……」
先ほどの町人たちは千鶴たちを見て迷惑そうだったではないか、という顔を千鶴がすると、斎藤は首を横に振った。
「新選組の京での評判はあんなものだ。お前はずっと屯所の中にいたから知らなかっただけだろう。巡察もあるし俺の顔を知っている者も多い。こんな人目につくところで話し込むべきではなかったな」
「……」
千鶴は驚いた。
確かに新選組を快く思わない人もいるというのは聞いたことがある。でもそれは昔からの武士とか京奉行所とか、あとは志士といわれる討幕派だと思っていた。だって新選組は命をかけて京の町の治安を守っているというのに?
斎藤はうなずく。
「流れ者の人殺し集団としか見られていない。そしてそれはあながち間違いでもないしな。お前も早く藩邸に帰るといい。俺と一緒にいることで変な噂を流されても困るだろう」
「困らないです!そんな……そんな噂をする方が変だと思います。だって斎藤さんは……斎藤さんだけじゃなくて、近藤さんも土方さんもみなさん本当に厳しい法度で京の人たちに迷惑なんてかけてないのに……!」
千鶴が顔を真っ赤にして怒っているのを見て、斎藤は小さく笑った。
「昔からこうだからな。俺も、近藤さんも皆ももう慣れている。お前が困らなくても、お前の藩邸のものは困るだろう。これから縁者も増えるだろうし、もうあまり俺たちにかかわらない方がいい」
きっぱりとした言葉に、千鶴は「斎藤さん……」と口ごもった。千鶴にしてみれば新選組は第二の故郷のように懐かしい場所なのに。
斎藤はしばらく、戸惑った表情の千鶴を見つめ、視線を遠くへと移した。
桜がきれいだ。
「道はもう分かれたのだ。それぞれの道を行くのがいい」
斎藤はそう言ったあと、ふと千鶴の頭に目をやった。そして思わず、といった風に手を伸ばす。
「え…」
千鶴が上を見ると、斎藤ははっとしたように手をひっこめた。
「いや、桜の花びらがついていた」
「花びらが……」
千鶴は、斎藤からもらった櫛を思い出す。真っ黒なくしに一つだけ桃色の花びらをかたどった飾りがあった。
ふとそれを思い出し斎藤の顔を見上げる。
斎藤の蒼い瞳と目が合ったときに、彼もあの櫛を思い出してているのだと千鶴には感じた。優しい光が、彼の静かな蒼い瞳には浮かんでいる。慈しむような、いとおしく、少し寂しい光が。
そして、ストンと何かが胸に落ちたような気がした。
たぶん……たぶん自分は疎ましがられているわけではない。
なんとも思われていないわけでもなく、その逆で大事に……たぶん大事に思われている。
斎藤がこれまでやってきたこと。これからやること。
それが千鶴を不幸にすることが怖いのだ。千鶴を幸せにすることができないと斎藤は思っている。
手をつないだ。
櫛もくれた。
単なる気まぐれだと忘れようとしてきたが、斎藤は気まぐれでそんなことをする人ではない。社交辞令やお愛想なども言っているところをこれまで見たことなどないではないか。どうしてわからなかったのだろう。
いつも千鶴以上の広い気持ちで千鶴のことを考えていてくれたではないか。
「さ、斎藤さん、私、わたし……」
「見合いをするそうだな」
斎藤の言葉に、千鶴は口を閉じた。
もう遅いのだろうか。気づくのが遅かったのか。それとも早くに気づいていても結果はおなじだったのかもしれない。
「幸せを祈っている」
「……」
千鶴はもう何も言えなかった。
斎藤は川べりの桜並木を眺める。
「……そろそろ満開だな。桜見物もいいが、早めに藩邸に帰るといい」
斎藤はそういうと、小さく会釈をして千鶴の横を通り過て行った。
「斎藤さん!」
千鶴は振り向いて呼び止めた。
少し頭を傾げて、斎藤は振り向く。
西国藩への旅の途中に、なんどもそうやって千鶴を振り向いて待っていてくれた。
「……あの、……私……」
散り散りな思いを寄せ集めて、千鶴はなんとか言葉にした。
「あの時の桜が一番きれいでした。覚えていますか?一緒に見たあの山の桜です」
斎藤はしばらく黙ったまま千鶴を見つめていたが、少ししてふっとほほ笑んだ。
「これから先はまだ長い。あれよりきれいな桜を、お前はきっと見るだろう」
千鶴は首を横に振った。
「……これからいろんな桜を見るかもしれないですけど、あの時、斎藤さんとみたあの山桜が一番きれいです。一生……一生忘れません」
斎藤の蒼い瞳が、湖のように深い色になった。
しばらくの沈黙の後、斎藤は千鶴を見つめたまま口を開く。
「……そうだな。俺も……俺もあの桜が一番美しかったと、思っている」
斎藤はそういうと、背中を向けて立ち去った。
斎藤が戻った時、屯所はどこか浮足立ったようにざわめいていた。
ばたばたと組下の隊士たちが走り回り、大きな声で怒鳴るように何事かを話し合っている。
何事かあったのかと、斎藤はそのまま幹部棟の方へと向かった。
途中で源さんと出くわす。
「ああ!ちょうどよかった!今局長が招集をかけていてね、近藤さんの部屋に行ってくれるかい?」
そのまま忙しそうに走り去ってしまった源さんを見ながら、斎藤は近藤の部屋へと向かった。
千鶴とのことで乱れていた内心を鎮めるために、武道場へでも行き素振りをしようと思っていたのだが。
最近は京も落ち着いていて特に大きな問題はないはずだが、幕府からなにか新な指令でもあったのだろうか。
近藤の部屋には幹部が集まっていた。
皆神妙な顔をしており、入ってきた斎藤を見上げる。前では近藤と土方がが書面を見ながら難しい顔で何か話し合っていた。
斎藤は、空いていた左之の横に座りながら刀を置き、小さく聞く。
「何があった?」
「斎藤か。……あの藩だよ。千鶴の」
左之の答えに、斎藤はまじまじと左之の顔を見た。
「何だと?」
「幕府から西国の例の藩に内々に注意があったらしい。で、家老が京の藩邸であれこれしてる若手武士たちにきつくお灸をすえたところ、不満が爆発……ってとこらしい」
隣にいた平助も、真剣な顔で加わった。
「矢来を大きく組みだしたんだ。京の藩邸の四方全部に急に。こんなすぐにできるわけねえから、前々から組んでつくってたのを立てたんだろって土方さんが。報告じゃあ畳を上げて女こともを一か所に集めて、臨戦態勢らしい。反逆の心ありってことで、おとりつぶしどころの騒ぎじゃねえぞ」
「そんなバカな。千鶴は何も……」
「俺らも会ったばっかりだけどよ、千鶴は何も知らねえよ、たぶん。でも千鶴があの藩邸に帰って行ったのを山崎が見てるんだ。……まずいよな」
珍しく暗い左之の表情に、平助も真剣な声で答える。
「昼にあった時にわかってれば……くっそっ!帰したりしなかったのによ!」
斎藤は動揺を抑えて二人に聞いた。
「それで……それで、どうするのだ。我々が何か……」
左之はちらりと、前でまだ何事かを話している近藤と土方を見た。
「俺たちのところに十中八九、幕府から命がくる。……あの藩邸に攻め入り反乱分子を取り押さえろ、ってな。それはいいんだが、あいつら、自分とこの藩邸の女子供を逃がすつもりがねえみたいだし下手に刺激をしたら何をされるかわからねえ」
平助も真剣な瞳で斎藤の顔を覗き込んだ。
「どうすんだよ!俺、千鶴んとこに攻め入るとか嫌だぜ!」
BACK NEXT