【三番組組長道中記 17】
ようやくたどり着いた西国の藩は、大きな川が町の真ん中を流れ、よく手入れされた畑や田が広がり、ゆったりとのどかないい土地だった。
初めての場所をものめずらしくあちこちと見ながら進んでいくと、城へと続く大きな道に出る。
道の脇にはきれいに整備された石積みの側溝があり、水がさやさやと流れている。そして城へ近づくにつれ道は広がり家や商いの店が増えにぎやかな城下町へと変わっていった。大手通りには何やら屋台がならび、うきうきした雰囲気があふれている。
千鶴は横を走って通り過ぎた子どもをよけながら、言った。
「何か、お祭りをやってるみたいですね」
斎藤も、華やかな周囲を見ながらうなずいた。
「そうらしいな。城もいろいろと忙しい時かもしれん」
「お祭りですもんね」
この城下町でも桜は満開だった。川沿いに植えられた桜が重そうに水面に枝を伸ばしている。
「……いいところだ。京の不安定さがうそのようだな」
「そうですね」
京や江戸では外国の受け入れや幕府の衰退を巡って様々な問題が噴き出ているが、田舎は静かなものだ。
この藩は今のところ幕府に恭順の姿勢を示している。それほど強硬派もいないし、何か事が起こったとしても日和見で勝つ方につくだろう。千鶴が幸せに暮らしていくにはいいところだ。
斎藤は、一抹のさみしさを覚えながらも、これから千鶴が住む土地に安心もしていた。
城につき名を名乗ると、すぐに別棟の座敷へ通された。ほどなくあわただしい足音がして、綱道が顔を出す。
「千鶴か!よく来た。たいへんだったろう!」
「父様!」
千鶴が思わず立ち上がり、綱道も手を取る。
「苦労をかけた。すまなかったな。一人で江戸から京へ行ったんだって?全く無茶なことを……。お前は小さいころからこうと決めたら梃子でも動かなかったからな。江戸へ手紙を何度も送って、迎えに行くから待っているようにと書いていたんだが届かなかったんだね。しかし、新選組のみなさんに保護していだいてよかった。京は今は物騒だ。保護してもらっていたおかげでこうして会えたのだし」
綱道はそういうと、正座をしたままの斎藤を見る。
斎藤は綱道と京で一度会ったことがある。軽く会釈をすると、綱道が前に来て座った。千鶴も横に座る。
「近藤局長から文をいただいております。遠路、娘のためにご足労いただき誠にありがとうございました」
「いや、こちらこそ長い間娘さんをお帰しできずに申し訳なかった」
丁寧に挨拶をかわし、近況を報告する。
あの仔犬についても問題なく城の敷地内の一角で飼ってもらえることになった。もちろん使用人用のかなり離れた場所でだが。
その後で、綱道は申し訳なさそうに言った。
「申し訳ない、実は本日は夜通しの祭りで城がバタバタしておりましてな。落ち着かないかもしれませんが、お部屋はご用意してあります。ゆっくりとお過ごしください。夕飯はぜひ一緒にとらせていただけますかな。いろいろと京でのお話や道中でのお話をお聞かせください。長い旅でお疲れでしょう。しばらく旅装を解いてここにご滞在ください。千鶴も新しい環境で不安でしょうし、ここは京から遠い分珍しいものも多いです。ぜひゆっくりして行ってください」
「ありがとうございます」
斎藤が丁寧に礼を言ったとき、塀を隔てた外から大きな歓声がした。
「何でしょう?」
千鶴が外を見、斎藤も視線とむけた。綱道が笑う。
「山車ですよ。今日から明日、あさってと五穀豊穣と家内安全を祈っていくつもの山車が城下中を練り歩くのです。もしお疲れでなければ見物されてはいかがですか?京の祇園祭のような華やかさはないですが田舎にしてはなかなかのものですよ」
おはやしの音や人々の歓声が一層大きく鳴る。
千鶴と斎藤は顔を見合わせた。
城の裏手口から城下へと降りたところはちょうど山車が何台も並んでいる場所だった。
観客たちの顔をみると、山車が動き出すのを今か今かと待つ興奮が伝わってくる。
「あれが動くんでしょうか?」
千鶴が斎藤を見上げると、斎藤もうなずいた。
「そうらしいな。確かにかなり大きいな」
趣向をこらした様々な山車の上には、着飾った娘や子どもたち、そして法被を着た男たちが乗っている。
先ほどから流れているおはやしの音は賑やかで、混み合った観客の間からは歓声があがっている。
そんな雰囲気に触れているうちに千鶴の心も浮き立ってきた。
最初は、祭りなど見る気分ではないと思っていたのだが父に勧められ、斎藤も『では行ってみるか』と言うので、内心気乗りがしないままついてきたのだ。でもやはり斎藤と一緒に時を過ごすのは楽しい。
彼が楽しそうに何かをみたり、ふと考えるように小さく頭を傾げたり、千鶴の言葉にほほ笑んでうなずいてくれたり。
それだけで千鶴は幸せになってしまうのだ。
たとえ思いを返してもらえなくても、そばにいられればよかったな……
父に会えたのはうれしい。
ふわふわと宙にういていた足がようやく地に着いたような気がする。父に会うまでは、と千鶴の中の時間はすべて止まってしまっていたのだ。
でも。
斎藤と会えなくなるのと引き換えだとは思わなかった。いや、斎藤のことをここまで好きになるとは……いや、それも違う。斎藤のことをここまで好きだったと気づくのが遅すぎたのだ。
でも、屯所にいるときに気づいても、どうにもならなかったよね
千鶴は桜の舞い散る中でじわじわと盛り上がっていく祭りの様子を見ながら思った。
どんな手を使ったとしても、斎藤は振り向いてはくれなかっただろう。でも屯所ならせめて一緒に入られた。毎朝顔を見て、困っていると相談して、お茶を一緒に飲んだり、声をかけてもらったり。斎藤はやさしくて、いつも男所帯に一人の千鶴を気にかけてくれていた。とても幸せな環境だったのだと、千鶴はいまさらながら思う。
その時「わあ!」問う声とともに、低く迫力のある太鼓の音が加わった。
そして一番端にある山車がゆっくりと動き出す。
「あ!動きましたよ!」
千鶴が興奮してそう言うと斎藤もうなずいてくれた。
「そうだな。あれで町中を練り歩くのか」
「重そうですよね」
周りの歓声にかき消されないように大声で耳元で話す。飾り付けられた山車はゆっくりと動き大手通りへと向かった。すぐ後に次の山車、そのあとにまた次の山車……と趣向を凝らした山車が続き、観客たちの目ははみな山車釘づけだ。
千鶴も当然初めて見る迫力ある祭りに目を見開いて集中していた。
ふと、おろしていた指に暖かな感触を感じて、千鶴は目を瞬いた。
え?と思った次の瞬間に、千鶴の指は大きな手に包まれる。
…あ……
思わず千鶴の口から洩れた小さな声は、祭りの興奮の渦にのまれて消えた。
隣で千鶴の手を握っている斎藤の耳には届いただろうか。
斎藤の手は一瞬緩んだが、すぐに思い直したようにもう一度強くしっかりと握ってきた。
千鶴は斎藤の顔を見ることができず、じっと前を見つめていた。が、もう目には勇壮な山車も舞い散る桜も入ってこない。体中のすべての神経が、斎藤に握られている右の手のひら、ふれあっている腕に集中していた。
耳が熱い。頬も、胸も、すべてが熱く、ドキンドキンと脈打っているようだ。息が苦しいような、心臓がせりあがってくるような胸苦しさを感じるが、同時になぜか目に涙がにじんでくる。
ドンドン!と響くような太鼓の音が空気を震わせる。
にぎやかなおはやしの音が陽気に響く。
そして歓声。
ぼんやりとそれらを聞きながら、千鶴と斎藤は黙って、山車がゆっくりと動いていくのを見つめていた。
最後の山車が出ていくと、人々は山車を追いかけて移動を始めた。
あたりを支配していた熱狂した雰囲気がふっとゆるんだ時に、斎藤の手は一瞬の戸惑いの後にゆっくりと離れた。
「……」
ぬくもりが消えた自分の手を握って、千鶴はうつむく。
どういう意味かと、斎藤に聞きたい。
期待してもいいのでしょうか?嫌ではないと、思い直してくれたんですか?
聞きたいことはたくさんあるのだが、千鶴は言葉にできなかった。驚きと緊張と、その他もろもろで頭がまだ真っ白だ。単語は浮かんでくるものの、それを文章につなげることができない。
「…さ、斎藤さん……」
何か言わなくては、と千鶴が口を開くと、斎藤はふと視線を外した。
「行くか」
「え?」
「もうここには山車は来ないのだろう?」
「……は、はい。そうですね……」
城とは反対方向、山車が向かった大手通りの方へと歩く斎藤の後ろを、千鶴はついていった。
何を聞けばいいのか。答えは簡単だ。
なぜ、手をつないだのか。
今聞いた方がいいのだろうか。
千鶴はちらりと斎藤を見上げた。
斎藤はいつもの冷静な表情に戻ってしまっていて、千鶴には何を考えているのかわからない。
でも、別に迷子になるような状況じゃなかったし、道がでこぼこで転ぶって感じでもなかったし……
手をつながなくてはいけないような必然性は特になかった。
斎藤がつなぎたいと思ってくれたということ以外には。
どうしてもいい方へ考えようとしてしまうのは、好きになってしまったせいなのだろうか。勘違いからまた迷惑をかけてしまうのは避けたい。
思い切って聞きたいけど、聞きにくい……。少し落ち着いた後……夕飯の後とか明日とか。私も、旅のすぐ後で汚れたままだし、汗もかいたし、斎藤さんも疲れてるかもしれないし……ううん、でもその間ずっと、いろいろなんだったんだろうって悩むのはあれだし、早くはっきりさせたい気もする。でも……
千鶴が思い悩んでいると、前を歩いている斎藤が立ち止まって振り返った。
「千鶴」
千鶴も驚いて足を止める。
「はっはい!」
「……」
斎藤はしばらく静かな青い瞳で千鶴を見た。そして大手通りの先、西国街道の方へと顔を向ける。
「俺は、ここで失礼しよう」
「……え?」
斎藤の言葉の意味が分からず千鶴は聞き返した。
「京の情勢も気になるし、新選組も心配だ。ここはいいところのようだし、お前の父親もしっかりしている。大丈夫だろう」
「……」
斎藤がこのまま、城に滞在せずすぐに戻るつもりなのだと分かり、千鶴は言葉を失った。
「でも、……だって……お疲れじゃあ……」
「いや、一度休んでしまった方が体を再び旅に慣らすのがつらい。ここから次の宿場町はお前も知っているように近い。俺一人なら夜までにはつくだろう」
「荷物は……」
「もってきている」
そういって簡単に一つにまとめた荷物を、斎藤は片手であげて見せた。まさかそのつもりで最初から荷物を持ってきたのかという千鶴の表情に気が付いたのか、斎藤は首を振る。
「別にそのつもりで城を出たわけではないのだがな」
斎藤はそういうと視線を外して遠くを見た。そして言いよどんだ末に口を開く。
「……ここで別れた方がいい」
千鶴ははっと顔を上げた。
斎藤はやさしく笑った。あの、千鶴の好きなほほ笑みで。
「あの犬も、ここでかわいがってもらえるようだ。お前も、幸せになるといい」
「そんな……そんな、ずるいです、斎藤さん」
思わず千鶴の口からこぼれた言葉に、斎藤は目を伏せた。
「すまない」
「そんな……」
あまりの急な出来事に、引き止める言葉も浮かばず千鶴は首を横に振った。斎藤は、思いきるように一歩後ろにさがる。
「では、これで。綱道さんによろしくとお伝えしておいてくれ」
「そんな……」
茫然としている千鶴に背を向けて去ろうとした斎藤は、ふと足を止めた。懐を探り何かを取り出すと、振り向き千鶴へ近づいて差し出す。
「……」
ぼんやりしたまま反射的に手を伸ばした千鶴の手のひらに、ひんやりと冷たいものが置かれた。
「これは……」
黒の漆塗りの、きれいな櫛だった。隅にピンク色の模様が一つだけ施されている。
「お前が髪を留める女子用のものが何もないと以前言っていたのでな」
「……」
「ここで女子として暮らすうちに、そういったものも増えていくだろう」
斎藤はそういうと、踵を返した。
「達者で暮らせ」
あっさりとそう言い、斎藤は去って行った。
今度は二度と振り返らずに。
残された千鶴は、櫛を持ったままいつまでも立ち尽くす。
舞い散る桜が斎藤の背中を隠し、見えなくなるまで。
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続きますよ〜!