【三番組組長道中記 16】
男はどさりと倒れ動かない。
声を出せずにいる千鶴を見て、斎藤は小さくうなずいた。
「遅くなってすまなかった」
「なんだお前は!」
「なにしやがる!」
行商の一団を放って三人が駆けつけてくる。その中の一人の走り方が明らかに武士のそれで、斎藤は目を細めた。リーダー格だった男で刀の構え方もかなりの鍛錬を積んでいることをうかがわせる。斎藤は千鶴を背にすると、刀を鞘に納めて男たちに向き直った。
いきり立ちとびかかろうとする男たちをリーダー格の男が止めた。「待て」
そして刀をすらりと抜くと正眼に構える。
「何者だ」
男の問いに、斎藤は刀の柄に手をかける。
「新選組三番組組長、斎藤一」
斎藤の静かな声が、廃寺の境内に響いた。
斎藤が名乗った途端、男たちの顔が青ざめた。反幕府の志士だと逆に面倒なことになるが、単なる物取りならこれでひくかもしれないと斎藤はあえて身分をあかした。思った通り後ろ側の男二人が逃げ腰になる。
「新選組……」
「しかも組長だぜ。三番組の斎藤っていやあ……」
斎藤はその男たちを見る。
「そうだ。人斬り集団の中でも俺がたぶん一番人を斬り殺している。もう数えてもいないが」
冷たい青い瞳で見られて男たちは明らかに戦意をなくしたようだ。斎藤をにらむ目に力がなくなり、刀を持つ手が揺れる。
その時「ワン!」という元気な声が横から聞こえた。
斎藤がちらりと横目で確認すると、男に蹴り飛ばされた仔犬が起き上がり尻尾を振って斎藤を見ている。隣には心配そうな顔をした千鶴が仔犬の背をなでていた。
斎藤は怪我がなさそうな仔犬を見て、ふっとほほ笑んだ。
「よくやった」
褒められたのがわかったのか仔犬の目は嬉しそうに輝き、尾っぽがちぎれんばかりに振られる。
斎藤はほほ笑んだまま視線を再び男たちに戻した。
「名前をつけてやらんといかんな」
斎藤がそういうと、自分のことを言われていると分かったのか仔犬が『わん!』とまた鳴いた。
「仔犬というだけで侮って悪かった。お前は自分の役割を十分に果たした。連れて行っても千鶴の役に立つだろう」
千鶴の驚いたような声が聞こえる。「じゃあ……」
斎藤は小さくうなずいた。同時に、リーダー格の男の足が動くのを視界の端でとらえる。
「俺も自分の役割を果たすとしよう」
そういうと、斎藤は一歩踏み込むと同時に抜き打ちの一閃を放った。
「うわああ!」
次の瞬間、リーダー格の男の刀は宙を舞った。そして刀を返した即座の二刀目でリーダー格の男はあっという間に倒される。
「う、うわあああああ!」恐怖のあまりへっぴり腰でとびかかってきた後ろの男二人に対して、斎藤はそのまま姿勢を低くし相手の大振りをあっさりとかわした。同時に流れるような動きで右側の男の懐に入り込み、胴払いで倒す。
きらりと光の筋を残して、感じたのは風の動きだけだった。
斎藤が静かな蒼い瞳を左側の男に向けると、その男は「ひいいいい!」と悲鳴を上げて自分から刀を捨てて逃げ出した。斎藤は一歩踏み出し背中から袈裟懸けに斬りつけると、その男は声も上げずに枯葉の上に倒れこんだ。
「斎藤さん……」
腰が抜けたのか座ったままの千鶴に近づくと、斎藤は「手ぬぐいを貸してくれ」と言った。そして借りた手ぬぐいで倒れた男を後ろ手に縛る。
恐る恐る寄ってきた行商の一団からも結い紐や帯を借りると、斎藤は手際よく物取りの四人の足と手を縛り上げてしまった。
「斬ったんじゃなかったのかい?」
行商の女から聞かれ、斎藤は最後の男の足の結びの固さを確かめながら答えた。
「峰打ちだ、死んではいない。まあ、千鶴を襲った男はこちらも余裕がなく斬りつけてしまったが、それほど深くは斬ってはいない。しかし殺そうとしたことはきちんと伝えて裁きを受けてもらうつもりだ。流れ者だろうから代官所扱いになるだろう」
「あんた強いんだねえ。名の通ったお武家さんか何かなのかい?」
斎藤は一瞬言葉に詰まった。そして曖昧にうなずく。
「……そうだな、名は通っていないが鍛錬は欠かしてはいない」
そうかい、すごいねえ〜と感心している行商の一団と一緒に、斎藤は盗られそうになったものを集め、彼らの怪我(擦り傷と打撲だけだった)を確かめた後、皆で宿の方へと歩き出した。宿の主人に事の次第を伝えて代官所へ連絡してもらわなくてはいけない。物取りたちが目を覚ましても逃げられないように、きちんと結びなおす必要もある。
隣を歩いていた千鶴がほほ笑んで、先を走っている仔犬を見た。
「……名前、考えないといけないですね」
斎藤も楽しそうに駆け回っている仔犬を見て微笑んだ。「そうだな」
「連れて行ってもいいんですか?」
「今さらだろう。それにお前の命の恩人だ」
千鶴は黙り込み、しばらくしてから意を決したように口を開いた。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
「いや、用心棒としての役割を果たせてよかった。もっと早くに行ければよかったのだが、怖い思いをさせてすまなかったな」
「いいえ、すぐに助けに来ていただいて……。それと、あの、昨夜のこと、……すいませんでした」
言われて斎藤は、そういえばと昨夜のことを思い出した。朝まではそれが頭いっぱい占めていたというのに、命をかけた斬りあいをしたせいで昨夜のことを忘れて、千鶴といつも通りに話してしまっていた。千鶴がどんな様子なのかと顔を見ると、彼女の横顔からは昨夜の斎藤の態度に傷ついた様子がありありとうかがえた。
斎藤は手のひらにじっとりと汗が噴き出るのを感じる。先ほど凶悪な物取りと対峙した時は凪いだ湖面のようだった心が激しく波立っている。突然口の中が乾き、声が出しにくくなった。
「そ、その……さ、昨夜は、俺の方こそすまな……」
「謝らないでください」
意外につよく止められて斎藤は言葉を止める。
千鶴は足元を見たまま真っ赤になっていた。
「勘違いしたバカな女って斎藤さんの思い出に残っちゃいますね。悲しいですけど自業自得です。あんなこと、するべきじゃなかったです。斎藤さんを困らせて、一晩外に寝させてしまって……ごめんなさい」
千鶴のうるんだ眼を見て斎藤の胸は痛んだ。
こんな言葉を言うのもつらかっただろうに。
だが、斎藤には何も言えなかった。『そうだ』とも『そんなことはない』とも。
自分の気持ちを正直に話したうえで、納得してもらって別れることができればそれがいいのだろうが、たぶん無理だろう。千鶴も、自分も。だが思いを告げたい気持ちは、斎藤の中で強く膨らんでいる。しかしその思いが膨らめば膨らむほど、彼女の幸せを思う気持ちも大きくなるのだ。
自分には彼女をしあわせにはできないだろう。
武士の道を捨て、土方や近藤たちとの道をあきらめ、日々の仕事をどこかで見つけて千鶴と細々と二人で生きていくことができれば、とは思うが、自分はそれを選ぶことはできないだろうと斎藤には分っていた。
自分は武士だ。
そうやって生きてきたことに後悔はない。
後悔はないが、今はじめて、彼女を娶り幸せにすることができる境遇の男をうらやましく思った。
「……桜が……きれいだな」
何も言えない斎藤は、そういうと谷底に煙るように咲いている桜を見た。
謝ることも好きだとも言えない。
だが、何か伝えたかった。自分の気持ちのようなものを。
こんな言葉で伝わるとは思えないが……
斎藤に言われて、地面ばかり見ていた千鶴は顔を上げた。
谷と山肌に散らばる、濃い桃色の煙のような桜を見る。
「……ほんとに、きれいです」
涙声に気づかないふりをして。
斎藤は、満開の桜の中を千鶴と一緒に山を下って行った。
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