【三番組組長道中記 13】



「おや」
「あ!」
次の宿屋で一緒になったのは、例の行商の一団だった。
宿の手続きのために待たされている間に、行商の女が千鶴たちに声をひそめて耳打ちしてきた。
「あんたたち知ってたかい?よく一緒になってた目つきの悪い男たちがいただろ」
斎藤は女の顔を見た。目がすっと細くなる。
「ああ、何かあったのか?」
「気味が悪いからね、私たちもずいぶん前にちょっと寄り道をしてやり過ごしたんだよ。そしたら……」
女が指さす方を見ると、そこには例の四人組のうちの二人がいた。荷物は持っておらず客の顔を確かめるようにしてうろうろとしている。
「ここに連泊していたようだな」
「だろ?気を付けなよ」
「ああ、恩にきる」
目つきの悪い男たちが近づいてきたので、女はぱっと笑顔になり話を変えた。
「それはそうと、どうしたのさ、その犬!」
もぞもぞと千鶴の胸のあたりで結ばれた風呂敷から仔犬が顔を出した。
「途中で拾ったんです。連れて行こうと思って」
「あんたたちの目的地は、もうすぐだものね。明日にはつくだろうし。でもそんなのをかわいがってるよりもあんたたちは早く子供を作らないと!」
バン!と背中の真ん中をたたかれて、斎藤は「ゴホッ」とせき込んだ。
「な、なにを……」
「何を、じゃないだろう?親御さんだって早く孫を見たいだろうに。若いんだから励みなよ!」
「……」
隣にいる千鶴の顔がみるみるうちに真っ赤になるのを横目で確認しながら、斎藤はなんとか「う、うむ」と返事をした。自分の耳も熱いから、赤くなっているのだろう。
そういえばこの行商の一団には自分たちは夫婦だと思われているのだったと、斎藤は思い出した。と、いうことは……

「一室でございますね」

宿の旦那にそういわれて、斎藤は心の中で千鶴に謝りながらもうなずくしかなかった。


斎藤が宿の話を旦那としているときに、後ろで千鶴は行商の女と話していた。
仔犬をあやしながら女は何かを思い出したようで「ああ!」と手をたたく。そして宿の入口から見える村の方を指さした。
「ちょうどいいよ、あそこの村の奥にあんたたちにぴったりの神社があるから行っといで!」
「神社ですか?」
「そうだよ。結構有名なんだ。おいしい水が湧いてるんだけど、霊験あらたかだっていってね、結構みんな汲んで行くんだよ。体にいいからあんたたちも飲んどきな」
「体にいいんですか。そういえば温泉もお肌がすべすべになったしぽかぽかとずーっとあったかくて……やっぱり湧き水って体にいいんですね」
「そうだよ。暗くならないうちにね、行ってくるといいよ。ちょっと山を登るけど大した距離じゃない」

千鶴は、部屋に入るとまた座って同室を謝ろうとしだした斎藤を止め、行商の女から聞いた話をした。
「行ってみませんか?」
「神社か……行きたいのか?」
「はい!温泉もすっごくよかったですし、湧き水っていうのがどんな風なのか興味があります。おいしいってあの方は言ってましたけど、温泉みたいににおいがあるんでしょうか……」
「いいだろう」
斎藤はそういうと、一度置いた刀を再び差した。
「いいんですか?」
「ああ、旅ももう最後だ。無事な旅だったことを、少し気が早いが神に感謝しておくのはいいことかもしれん」

斎藤と千鶴が宿を出ると、宿の脇にある荷物置き場から仔犬が嬉しそうに走り出てきた。
二人の足にまとわりつくようにして一緒に歩き出す。

仔犬は、宿の出口のあたりにある屋根付きの荷物置き場に一晩おいてもらえることになった。簡単な柵がついてはいるが仔犬くらいの大きさなら自由に出入りができる。犬にとってはここは見知らぬ土地だ。いまさら夜のうちにどこかに行ってしまうこともないだろうと、斎藤と宿屋の旦那に言われ、千鶴も納得したのだった。

村の中をつっきり、きれいに作られている道を緩やかに昇っていくと、その神社はあった。
小さなこじんまりとした神社で、人は誰もいない。
仔犬は千鶴たちの先を走り奥の森の方へ行ったりまた戻ってきたりとはしゃいでいる。
真正面に社のようなものがあるので、千鶴と斎藤はまずそこに向かいお参りを済ませた。そして戻ろうとすると、社の脇になにやらお供え物がたくさん置かれている石があるのを見つけた。石にはしめ縄が巻かれているので、一種のご神体なのだろう。
その石は、千鶴の腕での一抱えぐらいの大きさの円柱で先端が丸くなっており、まるで地面から生えているように屹立している。
「斎藤さん、これなんでしょう?ご神体ですよね?」
「……」
千鶴が見上げると、斎藤は微妙な表情をして顔をそらした。
「斎藤さん?」
千鶴が覗き込むように斎藤の顔を見る。
「……いや、お前が知る必要のないものだ」
「私が知る必要のない……?斎藤さんは知ってるんですか?」
「……」
話しかけられるのを拒むような斎藤の背中を見て、千鶴は首を傾げた。いつも自分が知っていることは快く教えてくれる斎藤なのに、どうしておしえてくれないのか。なにかヒントはないかと千鶴はもう一度ご神体を見た。
「わあ、たくさんお供え物……着物かな?赤ちゃんの産着????」
ますますわからなくなる。産着……他にも赤ん坊が喜びそうなおもちゃが置いてある。いったいなんのためのお供え物なのか?
「そろそろいくぞ」
斎藤が頑なにこちらを見ないまま促した。わからないまま帰るのは残念だ。それに噂の湧き水も飲んでいない。
きょろきょろとあたりを見渡すと、社の反対側に石の大きな鉢があり、そこから水が常時あふれ小さな池になっているようなところがあった。
「斎藤さん!あれ、あれ、湧き水じゃありませんか?飲んでみましょうよ」
「いや、もう……もう帰った方がいいと俺は思う。あれを飲むと何が起こるかはなんとなく想像がつく」
「ええ?なんだか斎藤さんだけいろいろわかっててずるいです。あれを飲むと何が起こるんですか?」
「……」
千鶴が聞くと、斎藤はまたもや視線をそらして決して答えないポーズをとった。
もう!と千鶴がその鉢の方を見るとすぐそばに云われを書いているらしき木の立札がある。
「あ!斎藤さんあれ!あそこに行っていいですか?あそこにいろいろ書いてあるんじゃないかと思うんです」
千鶴はそう言うと、斎藤が止める間もなく立札へと走って行った。
そして見上げて読む。
「えっと、この水は……」
この神社ができる前からここから湧き出ていたこと。
この水を飲むと体が軽く健康になること。
そして赤ん坊をはらむこと…
「え!?」
千鶴は驚いてもう一度読んでみる。
長年子供ができずに悩んでいた夫婦が、嫁いでなかなか子供ができず離縁されそうになっていた若いお嫁さんが、年を取りもう無理だ思っていた老婆が、ここの水を飲んだとたん身ごもったと書いてある。千鶴はそのまま声に出して読んだ
そして男性の方は……
「精、みるみるうちに湧くが如く発せられ意気ようようと挑まんと幾度も……」
読み上げていた千鶴の声は途中で途絶えた。
「……」
背後の斎藤の沈黙が痛い。神社内の木々もことごとく黙り込んでいるようで、ただでさえ静かな空気がぴりぴりと肌を刺すように感じる。ただ仔犬だけが空気を読まず、二人の背後で走り回っていた。

何か言ってこの痛いくらいの空気を壊さなくては。
千鶴は我ながら言い訳がましいと思いながらもなんとか笑った。
「えっえっとー…だからあの行商の人わたしたちにぴったりの神社って言ってたんですね、だって私たちのこと、新婚の夫婦っておもってましたもんね」
明るく言ったつもりだったが、顔が真っ赤なのと目が泳いでいるのと、背景のご神体のせいで逆に生々しい。
斎藤もどう答えたらいいのかわからないようで、目を泳がせている。
声が空しく空気中に消え去った後、千鶴は自己嫌悪で肩を落とした。

「……ごめんなさい。斎藤さんはわかっててもう帰った方がいいって言ってくださっていたのに……」
千鶴が謝ると、斎藤は驚いたように顔を上げた。目じりがうっすらと赤い。
「なぜ謝る。お前があやまることではない」
「でも、斎藤さんに嫌な思いをさせてしまって……」
「嫌な思いなどしていない。お前の方が嫌な思いをしただろう、見たこともないものを見せられて……」
「見たこともないもの?」
思わずそう聞き返してすぐに、例のご神体が目に入り、千鶴はさらに真っ赤になった。
「あ、ああ……あれ、その……た、確かに見たことはないんですが……」
「い、いや、すまなかった。そんなことを言いたかったわけではなくてだな……」
必死で何か別の話題がないかと探していた斎藤は、ふと立て板の横の何やら地図のようなものを見た。
「千鶴、反対側から変える道もあるようだ。こちらの方が近そうだ。行ってみないか」
「は、はい。それはもう……こんなところまでついてきてもらってしまったんで、早く帰った方がいいですよね」
「いや、そういうわけではないが、その、こちらの方が山の中を突っ切って行く分近いだろう」
「はい、じゃあ……」
千鶴が真っ赤になりながらも別ルートへ向かおうとすると、斎藤が呼び止めた。
「水は……湧き水は飲まなくていいのか?」
「え、だって……赤ちゃんができたら困るじゃないですか」
真っ赤になりながら言う千鶴。斎藤は「それはそうだが……」と言いよどんだが、思い切ったように言った。
「湧き水の味が知りたかったのだろう?別にこれを飲めば何もしなくても子をはらむわけではないだろうし、単なる迷信だろう。味見はしてみたらどうだ。こんな機会もないだろうし」
なかなかにあからさまな会話に、千鶴の顔はどんどん熱くなった。
斎藤の言いたいことはわかる。つまり、たとえ飲んだとしてもそういうことをしなければ赤ん坊はできないだろうということだ。だが、ことは神仏にかかわることだ。もしかしたら、そのう……飲むとそういうことをしたくなるようになってしまうかもしれないのではないか。今夜は斎藤と同室だし、水を千鶴が飲んだせいで、なにか斎藤に迷惑をかけるようなことがあると嫌だ。
いや、嫌というわけではないが……困るというか。
千鶴は、刀の柄に置かれている斎藤の大きな手を見た。

こ、困る……かな?

千鶴はそう考えて、自然に胸の奥からこぼれ出た自分の答えに驚いた。
困りは……しない。と思う。斎藤が嫌でないのなら……斎藤が望んでくれるのなら。
千鶴は一瞬息が詰まった。でも胸の奥では妙に納得している自分もいた。

だから一緒に旅行できるのがあんなにうれしくて、私を隣で見てくれると胸が痛くて、もうお別れかと思うとさみしかったんだ……

そばにあるがっしりとした肩。細身なのに固い腕。背筋の通った背中。
大きいのに繊細な長い指に、整った唇。

あの腕が自分の体に回されて引き寄せられたら……そしてあの蒼い瞳で心の奥まで見つめられて、そしてあの唇でまぶたを、頬を、唇を……

想像した千鶴は胸が苦しくなって、ぎゅっと目を閉じた。
胸がどきどきと痛いくらい打って呼吸が浅くなる。千鶴は自分の腕で自分を抱きしめた。

「の、飲みます、私……!」









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