【三番組組長道中記 12】





「俺の任務はお前の護衛だ。犬は知らんぞ」
「はい。この子の面倒は私が見ます」
「……」
ひく気がまったくない千鶴を見て、斎藤は腕を組んだ。
「宿はどうするのだ?犬を部屋にあげてくれるような宿などないだろう。外に置いておいたらどこかに行ったり他の者に邪魔にされる。知らない場所でそんな目に合うその犬の方が哀れだ。今ならまだ自力であの茶屋まで戻れるだろう。置いてきた方がいい」
「夜は……夜は、じゃあ私もこの子と一緒に外で寝ます。馬屋の中とか庭の隅っこなら宿の人もいいって言ってくれるんじゃないでしょうか」
斎藤はため息をついた。
「馬鹿なことを言うんじゃない。夜はまだ冷えるし物騒だ、そんなことが許可できるわけがないだろう」
窘めるように斎藤が言うが、千鶴はにっこりとほほ笑んで顔を横に振った。
「大丈夫です。どんな宿かもわからない今、話してもしょうがないじゃないですか。さ、歩きましょう?宿についたら私がなんとか考えます」
そう言って歩き出した千鶴の背中を、斎藤は再びため息をついて見る。
「……俺は知らんぞ」
もう一度そういったが、もちろん千鶴の耳には届いていなかった。

昼は宿で作ってくれた握り飯を道の途中で石に腰掛けながら食べた。
もくもくと食べる斎藤の横で、千鶴は犬と楽しそうに食べている。
「ほら、そんなに勢いよく食べないの。ちゃんとあるから……ああ!ほら、頭を突っ込むからぶっちゃけちゃった。ふふっ鼻にご飯がついてるよ」
がふがふと握り飯に顔を突っ込んで食べていた犬の黒い鼻には、千鶴が言ったとおり飯粒が一つついている。千鶴がそれをつまんで犬の前に差し出すと、犬はペロリと食べた。
「おいしい?そっかよかったあ。お水もどうぞ」
手のひらで救った水を犬に飲ませる。飲み終わった犬ははしゃいで千鶴の膝に前足をかけて顔をなめようとした。
「きゃあ!ダメだよ、私はご飯はまだなの。ちゃんとそこでいい子で待ってて?……ふふっそうそうそうやってお座りしてて。いい子ね」

別に仲間に入れてほしいわけではないが、隣でこうもきゃっきゃとされていると斎藤の身の置き所に困る。
自分が偏屈な頑固者ののような気がしてくるではないか。
だが、俺は間違ってないはずだ、と斎藤はもう一度これまでの経緯を思い出して小さくうなずいた。
そうだ、間違ってなどいない。ただ千鶴が……千鶴の注意がすべて犬にいってしまっているのが正直面白くないのだ。犬ばかりを見て犬に話しかけ犬と笑いあっている。犬も犬だ。千鶴に夢中で全身がしっぽではないかというくらい千鶴が好きだとあらわしている。千鶴もそれに嬉しそうに応えているのだ。
「……」
まさかと思うが、これは嫉妬なのだろうか。
屯所を出てから長い間二人きりで、つらい時も楽しい時も共有してきた。その千鶴が、今は斎藤のことなど眼中になく犬に夢中なのが面白くないのか。

斎藤は握り飯を食べ終え水を飲みながら、いちゃいちゃしている千鶴と犬を横目で見ながら考えてみた。
そして正直なところ、……犬がうらやましいと思わなくもない、という結論に達した。
千鶴のやさしい白い手で頭をなでられ、何をしてもよしよしとかわいがってもらえ、抱き上げえて頬ずりしたり顔をなめたり……
自分もあの犬のようにふるまえば千鶴はああやってやさしく扱ってくれるのだろうかと、斎藤はちょっと考え、そんな自分を想像して頭を振った。

……あり得ん。

だが、犬だったらと考えてたことで犬の気持ちも少しだけわかる気がした。
ずっと一人でいろんなものに飢えて暮らしてきたのだろう。それがある日突然やさしい笑顔で見つめられ、なぜかはわからないものの気にかけてもらい、そばにいてくれる。
二度と離れたくないと思うのも当然だ。
この幸せを相手に伝え、ずっとそばに……

そこまで考えて、斎藤ははっと我に返った。
犬の気持ちになってどうする。今は千鶴を無事送り届けるという任務のために、あの甘えた何の役にも立たない犬をなんとかしなくてはいけないのだ。
しかし千鶴は意外に頑固だ。言っても聞かないことはもうわかっている。千鶴が目を離したすきにいなくなってくれればいいのだが……いや、いなくなるようにすればいいのか?俺が。
「……」
斎藤は無言で、千鶴の頬をペロペロなめている犬と楽しそうに笑っている千鶴を見た。


その日の宿で、もう夫婦のふりをする必要もないため斎藤が部屋を二つとろうとしたとき。
「あの……私、お部屋はいいです。一つで」
という千鶴の言葉に斎藤は一瞬だがドキリとした。まさか同じ部屋がいいとかそういう……と思い、そしてすぐに千鶴の足もとで尻尾を振っている仔犬を見て気づく。
「まさか本当に外で寝るつもりなのではあるまいな」
「はい、今日はそれほど寒くないし、さっき見たら庭の端に道具置場みたいな小さな小屋があったんで、今夜はそこで……」
「ダメに決まっているだろう!」
「でもこの子を部屋に上げるわけにはいかないじゃないですか」
「だから連れてくるなとあれほど……」
宿屋の女将の前で二人が言い合いしていると、「まあまあ」と女将が仲裁に入った。
「その犬のことですよね?庭がついてる部屋があるからそちらにお部屋を……あら、別別なんですね。ではその中庭に面してる部屋は二部屋ありますので、二部屋おとりしましょうか?」
「……」
「いいんですか?」
「もちろんです。生垣で囲まれてるから犬も大丈夫だと思いますよ。庭に面してる部屋は二部屋しかないから問題ないですし」
「わあ!ありがとうございます!」
「夕飯はどうされますか?」
「もうなんでも。私が残した物でもいいです。お金は払いますので」
「やだ、この犬じゃなくてお二人の方です!」
「あ!そうですよね!えーと……」
余計なことを…という顔の斎藤を無視して、女将と千鶴は楽しそうに話をすすめていた。
「斎藤さん、夕飯、ここの宿でいいですよね?」
しかし振り向いた千鶴の顔が、大層まぶしく幸せそうで、斎藤は「……ああ」と答えるしかなかった。


食事も終わり風呂からも上がり荷物の整理を終えた斎藤は、ふと庭に面した障子から月の光が差しているのに気が付いた。

千鶴は先ほど風呂に行くと言っていたし、犬はどうしているのか。もしかしたら逃げたかもしれん。

淡い期待を抱いて、斎藤は犬に見つからないようほんの少しだけ障子をあけて庭の様子を見た。
仔犬は狭い中庭をうろうろ歩いている。あっちで地面のにおいをかぎ、こっちで植込みのにおいをかぎ、千鶴の部屋のしまっている障子を見て、またうろうろとあるき……

……寂しいのだろうか。人間なら……5歳とか6歳くらいか?まだ親のそばにいたい時期だろう。

「……」
斎藤は障子を開けようか迷った。しかし、ここで斎藤が出ていけば当然ながら犬は狂喜乱舞して飛びついてくるだろうし、ますます居ついてしまうことになる。明日には千鶴を説得してこの宿場町に犬を置いていきたいと思っているのだ。この宿の人間も人がよさそうだったし、頼めば犬の面倒くらい見てくれるかもしれない。千鶴を送り届けた後、この宿にまた泊まって犬の様子を見て大事にされているか確認もできるし……
斎藤がそう考えていると、庭から「くぅーん」という寂しげな鳴き声も聞こえてきた。
斎藤はため息をつくと障子を開けた。
「……寂しいのか。千鶴は風呂だ。しばらく帰らん」
斎藤は紺色の浴衣のまま、下駄をはきながら庭に下りる。
腕を組むと、しゃがみこんだ。犬が嬉しそうにはっはっと言いながら斎藤の脚に前足をかける。
「……まったくお前はのんきだな」
「くぅん」
「明日一日歩かねばならんのだぞ。しかも明日の夜の宿が今日のように好意的とは限らん。もう少し賢くて強い成犬なら、動くなと言いつけておけば人も襲ってこないだろうが、お前のような仔犬を夜一匹のまま外に出しておくのは千鶴が心配するだろう。おまえに何かあったら悲しむのは、お前がペロペロ顔をなめていた千鶴なのだぞ、わかっているのか」
「わん!」
「それをお前は人の気も知らず飯をがつがつ食い一人で勝手に遊び、甘えて……」
「斎藤さん?ワンちゃんとお話し中ですか?」
後ろから千鶴が現れた。
斎藤は犬相手に説教していた自分が気まずく口をつぐんむ。
千鶴は隣にくると斎藤と同じくちょこんと座る。仔犬はすかさず千鶴の方に尻ごとしっぽを振り飛びついてきた。
「ふふっワンちゃんと仲良しになったんですか?」
「……なるわけがないだろう」
「どうしてですか?あ、斎藤さんは猫派とか?猫ちゃん、かわいがってましたもんね」
「おれば別に何派というわけではない。あの猫も餌をやれる状況だからやったまでで、この犬は、今は飼うことができる状況ではないと言っているだけだ」
「大丈夫ですよ。私がちゃんと面倒みます。さっきお風呂に行きながらこの子の名前を考えていたんです」
犬は自分の話だとわかるのか、千鶴の顔をぺろぺろとなめる。千鶴は仔犬を抱き上げると頬ずりをした。
「ね、何て名前がいい?強そうな名前がいいね。私の知ってる強い人って言えば……土方さん?沖田さん?永倉さん、原田さん、平助君、斎藤さん……隊のみなさんかな。歳三、とかどうかな?」
千鶴が犬にそう話しかけるのを聞いて、斎藤は吹き出した。
「それはだめだろう。叱りにくい」
「『こら!歳三!もっとごはんをゆっくり食べなさい!』とか言いにくいですよね」
千鶴も吹き出し、しばらく二人で笑う。
「新八にすればいい。あいつは飯の喰い方が犬並だ」
「でもいたずらとかはあんまりしないじゃないですか」
「いたずらか……それは総司だな」
「それに強くて頼りになるやさしい犬になってほしいんです。となると……やっぱり斎藤さんかな?」
強くて頼りになるやさしい……
千鶴は特に何も考えずに口にしたようで犬と遊んでいるままだが、斎藤は千鶴からそんなふうに見られているのかとすこしくすぐったく思った。
人を斬ることを生業にしている嫌われ者だと自分では思っていたのだが。おまけに女性が楽しくなるようなことも話せないし気もきかない。千鶴がそんないいイメージで自分を見ていてくれたことは斎藤にとってはうれしいことだ。だが。
「名前はつけないほうがいい。情がうつる」
「ちゃんと連れていくつもりなんですから、名前は付けた方がいいじゃないですか?」
「明日、この宿にこの犬を置いて行ってもいいか相談してみよう」
斎藤がそういうと、千鶴は顎をひいて唇を引き結んだ。

「嫌です。私がちゃんと連れていきます」

千鶴の大きな黒目がちな目でじっと見られて、斎藤はしばらく見つめ返したものの、負けてしまった。
大きくため息をついて苦笑いをする。
「まったく……お前がこんなに頑固だったとは知らなかったな」
千鶴はふっと表情を緩めて斎藤に謝った。
「すいません、わがままを言って……でも、この子を置いて行ったら気になって気になって私……」
「わかったわかった」
斎藤が手のひらを上げて千鶴の言い訳をとめる。千鶴の顔がうれしそうに輝いた。
「つれてってもいいんですか?」
「俺がダメだといっても連れていくんだろう?」
あきらめ顔の斎藤を見て、千鶴はいたずらっぽく笑った。
「はい、すいません。頑固で……」
「いや、いいのだ。その方がいい」
斎藤はそういいながら立ち上がった。
千鶴は犬を離すと自分も立ち上がる。「そうなんですか?おとなしい方がいいって聞きますけど……」
「そういう女がいいという男もいるだろうが、な」
斎藤が部屋に戻ろうと歩き出すと、千鶴も続いた。
「斎藤さんは違うんですか?」
「俺は……」
いいかけて斎藤は首を傾げた。なぜこんなところで千鶴相手に自分の女の趣味の話をしているのだ?
「俺は、あまりそういうことを考えたことがないのでよくわからん。わからんが、お前が、自分がいいと思ったことについて考えを曲げないのはいいと思った」
斎藤がそういうと、千鶴は一瞬驚いたように眼を瞬きそのあとこぼれんばかりの笑顔になる。
「あの…!あの、うれしいです。なんだかすごく」
自分の言った言葉のなにがそんなに嬉しかったのかと、今度は斎藤が目を瞬く番だった。
「そ、そうか?何がそんなに嬉しいかわからんが……まあ嬉しいのならよかった」
「ふふっ」
頬を染めてうつむく千鶴に、照れくさそうに腕を組む斎藤。
足もとでは仔犬がぐるぐると二人の周りを駆け回っていた。







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