【三番組組長道中記 11】
その後、宿場町を二つ越え旅は順調に続いた。
旅の行程も半分以上終え、後二つ宿場町を過ぎれば綱道の待つ城に着く。
千鶴はそれが嬉しいのか寂しいのかよくわからなくなっていた。
旅は、確かに不便なことも多いし毎日歩くのだから当然疲れる。けれども千鶴は楽しかった。
日々の仕事から解放されて、まるで物見遊山のようだからだろうか。
……多分違う、よね。
千鶴は、例の通り少し前を歩く斎藤の背中を見て、地面に視線を落とした。
多分違う。
斎藤がそばにいたから楽しいのだ。まるで屯所にいるときのようで。いや、屯所にいるときよりもゆっくりと話す時間が多くてそれも楽しい。その時間があと少ししかないというのがさみしくて不安で……。
これは長年慣れた屯所から離れることに対する感傷なのだろうか。これから行くところは、いくら親元とはいえ初めての場所だ。そして千鶴自身もこの数年でいろいろ学んだし、成長したと思う。うまくやっていけるか不安ではあるのだ。
「どうした」
遅れだした千鶴に斎藤がすぐ気づいてくれて、振り向いた。
この旅の間に何度も見たあの顔。少し頭を傾けてやさしい目で千鶴を待っていてくれる。
「そろそろ休憩するとするか。あそこに休憩所がある」
街道の道筋には近所の農家が小遣い稼ぎに小さな店を出したりモノを売ったりして休憩所ができていた。斎藤が指さしたところにも大きな木の下に腰掛ける木の箱のようなものがいくつも置かれ、何かを焼いているようで煙も見える。
「はい」
長引かせたいわけではないが、ゆっくりとこの時間を味わいたい。
千鶴はうなずくと、斎藤について休憩所へと入って行った。
このあたりの娘だろうか。千鶴と同じくらいの娘が三人ほど、手拭いを姉さん被りにしてお茶をだしたり奥から団子のようなものを運んだりしていた。
斎藤が入っていくと、娘たちの視線が集まる。
他にいる町人や商人らしき男たちとは違い、斎藤の周りの空気はあきらかにピンとはりつめている。それを感じて、二本差しを見て、娘たちは「ああ、お武家さまか」と納得した顔になった。そしてもう一度、斎藤の整った顔と武士特有の立ち姿を惚れ惚れとみるのだ。
この反応は、旅の間で千鶴は慣れっこになっていた。
品があるというのか凛としているというのか、斎藤の周りは世間よりも清浄な空気が流れているようだった。
ちなみに隣にいる千鶴には、うらやましそうな視線を投げる娘もいれば、千鶴はまったく眼中になく斎藤だけを見ている娘もいた。ここの休憩所の娘たちは後者のようだった。
「斎藤さんってモテるんですね」
できるだけあてつけがましい感じにならないよう努力しながら、千鶴は出されたお茶を手に取った。斎藤は、娘から特上スマイルとともに手渡しでお茶をわたされ礼を言っている。
「?何を言っているのだ、突然」
「そういえば京でも斎藤さんが女の人たちから人気だって聞いた気がします」
「俺は初耳だが……。誰から聞いたのだ?」
千鶴は屯所での面々を思い出す。「永倉さんとか原田さんとか……」
千鶴がそういうと、斎藤はうなずいた。
「島原での話だな。ああいう場所は商売だからな、モテるとは言わんだろう。人斬りを生業としている男なぞうす気味悪がられるだけだ」
「でも原田さんも島原で人気があるって、いろんな人から聞きました」
「左之は話がうまいし面白い。女子も一緒にいて楽しいだろう」
言外に、斎藤は話が下手でつまらないと言っているように聞こえて、千鶴は思わず反論してしまった。
「私は斎藤さんと一緒にいて楽しいです!けど……」
静かな蒼い瞳で見つめられて、勢い込んだ言葉がだんだんとしりすぼみになる。しばらくの沈黙の後、斎藤は両手で湯呑を抱えるように持ち、中を覗き込みながら言った。
「俺も……そうだな。千鶴といると……楽しい、と感じる」
音がするのでは、と思うくらいすごい勢いで斎藤の耳が赤くなった。それを見た千鶴の頬も熱くなる。
「あの、それに……それにいつもきちんとしてて剣もすごく強くて真剣で……剣だけじゃなくていろんな意味で強くて、すごいなあって」
胸がどきどきして顔が真っ赤で頭が真っ白になりながらも、何か言わなくてはと千鶴は焦ってつづけた。
「私はなんにもできなくて……いつもうらやましいなって斎藤さんみたいになりたいなって思ってます」
「いや……」
思わぬところで褒めちぎられ、斎藤は居心地悪そうに身じろぎをした。
「俺からするとお前の方が強い」
「え?」
「見知らぬ人斬り集団の中に留め置かれて、若い女がそこで暮らすように強制されて、皆が皆お前のように隊士たちと馴染めるということはないだろう。変な争い沙汰に巻き込まれることなく自分を見失わずに前向きに生きているお前を、強いと常々思っていた」
「……」
千鶴は目を見開いて斎藤の言葉を聞いていた。
自分のことをそんなふうに思って行ってくれたのか、あの屯所の中で自分を見ていてくれたのかと、千鶴の中で何かがあふれそうになる。
嬉しい……
誰かに認められるというのはうれしいものだ。それが尊敬する斎藤からならなおさら。
「あ、ありがとうございます」
千鶴はなぜか滲みそうになる涙を隠して、地面を見た。ここで泣いてしまったら斎藤はびっくりするだろう。
ぱちぱちと瞬きをして涙を乾かそうとあちこち見ていた千鶴は、ふと自分たちが座っている箱の後ろから小さな茶色のしっぽが飛び出して動いているのに気が付いた。
「……あれ?」
千鶴が体を傾けてそちらを覗き込むと斎藤も自分が座っている箱の後ろを見た。
「犬か」
小さなころころした犬が嬉しそうにしっぽを振ってこちらを見上げている。
「かわいい!」
千鶴は思わずしゃがんで仔犬に手を伸ばした。仔犬は一瞬びくりと後ろに飛びのいたが、千鶴に害意がなさそうなのを感じると鼻をふんふんと動かして千鶴の手のにおいをかぐ。
「どうしてここにいるの?おなかが減ってるの?」
千鶴はそういうと、お茶うけに出されていたせんべいを仔犬に差し出した。仔犬は喜んでかぶりつく。
食べている仔犬の頭をなでながら千鶴は話しかけた「おいしい?このお店の子かな?」
千鶴がそういったとき、給仕の女性が「あら!またこの犬…!しっしっ!」と仔犬を追い払う。
「すいませんでした。お召し物にとびかかったりしませんでしたか?二、三日前くらいからここに来るようになっちゃって……ほら!あっちいきなさい!」
女性はそういうと手に持っていたお茶を仔犬に向かってかけた。犬はぱっと後ろに飛び跳ねてよけた。
「あっ、まって…まってください。私たち大丈夫だったんで、もうそんなに……」
千鶴が慌てて止めると、女性は「そうですか?また来たら言ってくださいね」と言いながら、別の旅人に呼ばれて離れていった。
仔犬は千鶴たちからかなり離れた岩まで逃げてその横にちょこんと座りこちらを見ている。
「斎藤さん……」
「だめだ」
言う前から断られて、千鶴は目をぱちくりさせた。
「……私が何を言うかわかってるんですか?」
ぷっと膨れて下から上目づかいで見てくる千鶴の顔を見て、斎藤は腕を組んだ。
「あの犬を連れていきたい、だろう?」
「……」
黙ったところを見るとあたりだったようだ。
「旅の荷物もあるし歩く距離も長い。あの仔犬ではついてこれないだろう」
「大丈夫です。私が抱っこします。斎藤さん、あと少しだって言ってたじゃないですか。特に険しい山もないし平坦な道のりだって」
「だとしても荷物を持ち犬を抱えて楽に歩けるような距離ではない。それに連れて行った先で飼えなかったとしたらどうするのだ」
「大丈夫です!父様、犬が大好きで江戸にいた時も迷い込んできた犬に餌をあげたりしてました」
「そうは言っても城住まいなのだろう?娘が来るのはいいにしても犬までというのは考えていないだろう。犬を飼いたいのならしばらく暮らして様子を見てから飼えばいい。番犬になるような賢くて強い犬ならともかくあれでは……」
斎藤はそういうと、人懐っこい顔で期待に体を震わせてこちらを見ている仔犬を見た。
「単なるただ飯食いが増えるだけだ。迷惑にしか思われんだろう」
「でもそれじゃああの子はどうなっちゃうんですか?」
そういって岩の横に座ってこちらを見ている仔犬を千鶴は指さした。斎藤も見る。
「……どうなるもなにも今のままだろう」
斎藤はそういうと、「世話になった」と茶屋の娘に言い金を置いて立ち上がった。
「行くぞ」
「斎藤さん!」
歩き出してしまった斎藤の後ろを千鶴も追いかける。
「斎藤さん、待ってください!あの……」
千鶴はそういって後ろを振り返った。
あの仔犬は「行っちゃうの?」という顔をしてひょこひょこと千鶴たちの後をついてきている。
「斎藤さん、あの子ついてきちゃってますよ。私たちが歩いてると多分ずっと……」
斎藤は後ろを振り向いて犬を見た。
「お前が餌をやったり撫でたりしたからついてきているだけだ。しばらく構わず歩けばあきらめる」
そういって再び背を向けてしまった斎藤を、千鶴は唇を引き結んで見た。そしてしばらくく考えると、意を決したように回れ右をして仔犬の方へと向かう。
ペロペロと仔犬に顔をなめられながらも抱っこしてついてくる千鶴を見て、斎藤はため息をついた。
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