【シンデレラの指輪 8】
「ひかれたな」
「僕なら100パーひくね」
「一君……それはちょっと重すぎる……」
三日後の朝、斎藤の机の上においてあったお金入りの茶封筒。
表には「自転車の修理代です」と千鶴の字で書いてある。
封筒を見た斎藤が複雑な顔をしているのを見て、総司、平助、左之が「どうした?」と聞き、例の白い薔薇イヤリングの子の自転車の話を聞いた。
自転車を斎藤が勝手に直したという時点で、まず左之が顔をしかめ、その後の千鶴との会話で夜遅く一人で帰るのを毎回タクシーで送りたいと斎藤が言ったという時点で総司が溜息をつき、最後の『車を買おうか』というところまで話がいくと、平助を含めた三人が口々に冒頭の台詞を斎藤に告げる。
斎藤は顎の辺りを撫でながら考える様に視線を巡らせる。
「しかし……ではどうすればよかったのだ。自転車で一人であの距離を夜に帰るのは危険だとは思わないか?」
斎藤の問に左之は頭をかく。
「まあな、斎藤の気持ちもわかるぜ。だがなあ……だからと言って勝手に彼女の自転車を直したりタクシーで送らせてほしいってのはちょっと違うよな」
「そんなことを会って一か月ちょっとの男に言われたら、警戒するかひくかのどっちかしかないよ。タイミングをよまないと」
「一君の気持ちもわかるけど、もうちょっと我慢してさあ……」
斎藤は机に浅く腰かけて腕組みをした。
「提案する時期が少し早すぎたという事か」
だが、時期を待っている間に彼女があのボロい自転車で事故に会ったり誰かに襲われたりしたら手遅れになる。
そんな事態を想像しただけで、斎藤の胸にはもやもやと焦りが湧き出てくる。やはり早めに手を打った方が良いと思うのだが、女性に対してそれは時期尚早だと皆が言う。
「……俺は、そういった……その男と女の微妙なタイミングはわからん。ただ、彼女が怖い目や痛い目にあって欲しくないだけだ」
静かな表情で、多分彼女を思い浮かべながらそう言う斎藤の蒼い瞳を見て、皆は黙り込んだ。
もともと優しく面倒見のいい斎藤だ。好きな子には特に過保護な心配性になってもおかしくない。いや実際自分達だって好きな子がそんな生活をしていれば何とかしたいと思ってしまうだろう。多分もうちょっと上手くやるとは思うが……
「ねえ、提案。僕達にもその子に合わせてよ」
総司がそう言うと、左之がうなずいた。
「だな。俺も会ってみてえな。その子の性格とかによっていろいろ対応も変わって来るだろうし。さりげなくお前が心配してることと女に不器用で妙な提案をしちまったことも謝れるかもしれねえし。で、その子の感触がいい感じだったら、俺の車を貸してやるよ。平助のパイクでもいいんじゃねえか?」
平助の顔がパッと輝く。
「そーだよ!それいいじゃん!左之さんナイス!」
「なるほど……」
斎藤は目を見開いた。人から車を借りるという手があるとは思いもしなかった。要は彼女の安全が確保できさえすれば自分はいいのだ。
頼りになる仲間を、斎藤は感謝の目で見つめた。
時間は夜の11時すぎ。
いつも通り千鶴が社長室の掃除をしようとドアを開けたら、電気がついたままで。
斎藤がいるのかと中を覗き込んだら、斎藤を含め男性が四人立ってこちらを見ていた。
みなスーツを恰好よく着こなしたいわゆるイケメンで、その迫力に千鶴は思わず後ずさる。
と、そのうちの一人、赤っぽい髪をした背の高い男性が安心させるようににっこりと微笑んで近づいてきた。
「悪い、驚かせちまったな」
「あ、あの……」
「俺は左之ってんだ。斎藤のダチで幹部の一人。他の奴らもみんなそう。お堅い斎藤が毎夜毎夜残って仕事してるのはかわいい女の子に会うためだって聞いてよ。俺たちにも会わせろってわがまま言っちまったんだよ」
茶色の髪の男性もにこやかに近づいてくる。
「とって食いはしないから落ち着いて。さ、こっちにおいで。お茶もいれてあるんだよ」
そうしてまるで捕獲されるかのようにがっちりと両脇を固められ、千鶴はそのまま幹部室のソファへと連行された。もちろん掃除道具の乗ったワゴンは廊下に放置したままだ。
ソファの前のテーブルには、大きなティーポット一つとコーヒーポット。ミルクピッチャーに砂糖入れ。上品でシンプルなティーカップが一つと残りは柄や大きさがバラバラなマグカップが4つ。ケーキの乗った大きな皿がおいてあった。
「ここの2階にあるケーキ屋さん、おいしいんだよね。千鶴ちゃんどれがいい?」
茶色の髪の人がケーキがわんさと乗った皿を千鶴の前に差出し、千鶴は目を瞬いた。
最上階の社長室と幹部室の掃除は今日はしなくてもいいいからと言われ、わけのわからないままアルバイトの作業着で千鶴はそのお茶会に参加していた。
参加というか……千鶴が主賓の茶会のようだ。
「あの……」
チョコレートケーキを受け取りながら、千鶴はきょろきょろと両脇に座った左之と総司を見る。斎藤は向かいの一人用のソファの肘部分に浅く腰かけコーヒーの入ったマグカップを持ち、脚を軽く組んでいる。
千鶴と目が合うと、斎藤は困ったように微笑んだ。
「すまないな。お前の事を少し話したら皆が会いたいと言いだして聞かなくてな」
照れくさそうな斎藤の様子に、千鶴もなぜか恥ずかしくなる。なんだかまるで……まるで恋人の友人に紹介されている彼女のような気分だ。
「あのつまんねーパーティで一君がこんな可愛い女の子とお知り合いになってたなんてなー。意外にやるじゃん!」
斎藤の隣のソファに座っている「平助」という男性が、斎藤の背中をバン!とたたく。
ゴホン!と斎藤と千鶴は同時に喉を詰まらせた。真っ赤になっている二人を見て、他の三人は楽しそうに笑う。
それからの展開は、真夜中でアルコールも入っていないにもかかわらずとても楽しかった。
それぞれの自己紹介と千鶴への質問。あたりさわりのない楽しい会話に笑い声。
千鶴が斎藤達の仕事について質問すると、「沖田総司」と名乗った男性が説明してくれた。
「認証ってあるでしょ?静脈認証とか声紋認証とかいろいろ。うちはその認証技術を専門に扱っている会社なんだ。大学の時のゼミの仲間で、その時の研究内容を流用してね。誰にも見られたくないエッチな画像とかを決して開けられないようにっていう平助の熱意が発端」
「ばっっ!ちげーよ!!総司が『僕の端末にはアクセスしないでよ』って文句言って来たからそれくらいなら最初から誰からもアクセスできないようにしとけよって、そっからはじまったんだろ!!」
「やーだな、図星さされたからって人のせいにしたりして。顔真っ赤だよ、平助」
じゃれあうように会話をする皆を、千鶴は笑いながら聞いていた。
「素敵ですね。おとぎ話みたいなことが現実にできるようになるんですね」
左之が、千鶴の言葉を聞いて首をかしげる。
「おとぎ話?」
「はい、ほら『開けゴマ!』とか」
斎藤がうなずく。
「なるほど。確かにあの時声紋認証があれば盗賊は宝を守りきれたな」
言い合いをしていた総司も笑った。
「確かにね。でもそうなるとお話にはならないけどね」
千鶴も笑う。
「認証じゃないですけど、シンデレラの靴だって。同じサイズの人なんてたくさんいるんだろうにって小さいころお話を読みながら冷や冷やしてたんです。そういう認証があれば絶対シンデレラ以外あの靴ははけないので安心ですよね」
千鶴がそう言うと、総司と平助は何かひらめいたように顔を合わせた。
「ちょっ……それ、いいんじゃね?」
「平助もそう思った?前にちょっと話してたよね。なんかこう…ビジネスシーンだけじゃなく認証を使った商品が開発できないかなって。『シンデレラの靴』っていいよね!」
左之も「へえ」と感心したように言った。
「そりゃ、面白いな。でも靴だとなんつーか、あれだよな。要はその子じゃないとダメな何かとかそういうのだろ?靴じゃなくてアクセサリーの方がいいんじゃないか?ネックレスとか指輪とか……」
「指輪がいいよ!彼氏が彼女に贈る、とかいいんじゃない?その彼女しかはめられない指輪で、彼女の声紋『開けゴマ』とかの特定ワードにのみはめられるようになるってコンセプトはどう?」
「どうやってやるんだよ、そんなの。声紋認証しなけりゃはめられない指輪って」
「三連とかにしてさ、真ん中を指が入らないように穴を塞ぐ形にして固定しておけばいーんじゃね?」
「そんで彼女の声と特定ワードで固定が外れて指が入るようになるってワケか?」
「そうそう!!」
次々とアイディアが飛び出し、目をキラキラして話している皆を千鶴は目を丸くして見ていた。彼らの発想力や実行力がうかがえて、この会社がこんなに急成長した理由もわかる。総司や平助が話しているその指輪は、千鶴が聞いても素敵だなと思う。彼に買ってもらった自分しかはめられない指輪なんて、女子心をくすぐるではないか。
「平助、早速試作品作ってみてよ」
「面白いけど指輪みたいにちっちゃいものにそんなことできるかあ?」
「それをやるのが平助でしょ!千鶴ちゃんナイスアイディアありがとね」
きらきらした笑顔で総司に礼を言われ、千鶴も彼らのワクワクに釣り込まれて思わず笑顔になった。
「はい!とっても楽しみです。がんばってください」
平助が冷やかすような顔で言う。
「試作品ができたら、一君から千鶴ちゃんに贈ってもらえばいーんじゃね」
にかっと笑って言われたその言葉に、斎藤はコーヒーを再びのどに詰まらせた。千鶴も「そ、そんなつもりじゃ…」と真っ赤になる。
皿いっぱいにのっていたケーキもほぼ空になり、和やかな雰囲気の中で深夜のお茶会は終了した。
そして斎藤がおずおずと、『左之の車を借りるので送らせてもらえないか』と千鶴提案する。と、すかさず皆が『おー!そうだその方がいいんじゃね』『やっぱりこんな夜遅く女の子に一人で帰すのは心配だよな』『斎藤君送り狼にならないようにねー』という援護射撃する。その明るい雰囲気と提案内容に千鶴は恥ずかしそうなほほえみ、素直に「ありがとうございます」とお礼を言うことができた。
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