【シンデレラの指輪 5】
「あれ?斎藤君、それ何?」
朝、出勤してきた総司は、コーヒーショップのカップを机の上に置きながら斎藤に聞いた。
朝の光の中でぼんやりと手のひらの中の白い薔薇のイヤリングを見つめていた斎藤は、慌ててそれを自分の机の引き出しにしまう。
「いや、なんでもない」
「……」
あからさまになんでもある動揺ぶりに、総司は立ったまま斎藤を見た。
「……ふぅん?言いたくないなら無理には聞かないけど。でもちらっと見た感じでは斎藤君らしからぬ色っぽいもののような―」
「……」
今度は斎藤が黙り込む。
「っはよー!何々?なんかあったの?」
元気いっぱいの平助がやってきて、斎藤と総司を見比べる。
「いや、なんか今斎藤君が白い花のかたちをした何か…アクセサリーかな?をあわてて引き出しに隠したからさ。怪しいなーって」
そこまで詳細に見られていたのかと、無表情を装った斎藤の目じりがほんのりと染まる。平助もまるで骨を見つけた柴犬のように尻尾を振ってその話題に食いついてきているし、ここは正直に言ってしまった方がヘンな憶測を呼ばないかもしれない.
斎藤は興味津々の同僚たちに溜息をつくと、口を開いた。
「なんだ、斎藤。あのつまらねえパーティでそんな楽しいことしてたのか。お前も意外とやるなあ」
朝から幹部が集まって話し込んでいるのに気が付いて、土方も社長室からやってきた。そして、少し驚いたように斎藤に言う。
「申し訳ありません、パーティとはいえ仕事の一環であるにもかかわらず……」
「いーんだよ、んなこたあ!つまんねえオヤジとメシ食ってるよりそっちの方がいいに決まってるだろーが」
斎藤の謝罪を、土方は一蹴した。
実際お堅い斎藤にそういう色っぽい話が出たのは知り合ってから初めてだ。斎藤は特定の女性と長く付き合うタイプだろうし、仕事のストレスを癒してくれる女性ができたのならそれにこしたことはない。
後からやってきた左之も、斎藤のデスクに浅く腰を掛けながら、話に参加してきた。
「で、どこの子なんだ?まさか売出し中で話題を欲しがってるアイドルとか、売れなくなって結婚相手を探してるモデルとかじゃねえだろうな?」
「……」
沈黙する斎藤に、隣の席の平助が顔を覗き込んで言う。
「なんだよ?俺たちに紹介したくねえとかそんな……」
「いや、そういうわけではない。名前はわかっているのだが、どこの誰だかわからんのだ」
立っていた総司が眉根をよせた。
「どういう意味?連絡先は?」
「それもわからん」
斎藤の返事に、総司と平助、左之、土方は顔を見合わせる。
「でもこのセンタービルのどこかの女の子なんだよね?タワーが3棟もあるし住居もショップも会社もあるけど、その中のどれ?一般の社員や店員は招待されていないからそれがわかるだけでかなり……」
「……それもわからん。聞いたのだが答える前に記者に写真を撮られた」
左之が「何?」と真面目な顔になって立ち上がった。広報を担当している左之としては見過ごせない情報なのだろう。
「写真を?どういうことだ?」
「いや、大丈夫だ。データはその場で消去した。お前が言っていた通り、IT会社幹部と芸能人とのネタを探していたらしい。だが、そいつにかかわっている間に彼女は何故か急いでその場を去ってしまった。そいつの始末をつけた後急いで後を追ったのだがどうも帰ってしまったようだ」
……斎藤君、ふられちゃったんだ……
と皆は思ったものの口にはしなかった。心なしかしょんぼりしているこの真面目な友人が可哀そうで。
平助が気を使って口を開く。
「……そっか…まあ、でもすぐまた気になる子ができるよ!」
しかし斎藤は首を横に振る。
「いや、そうではない。多分彼女は何か…その場を急いで去らなくてはならない事情があったのだ。その証拠に……」
そう言って斎藤は、手のひらに握っていたものを皆に見せた。先程総司に見つかって机の中に隠したものだ。皆が覗き込む。
「……イヤリング?」
左之の言葉に斎藤は頷いた。
「片一方だけだ。ちょっとしたことで彼女が落としたものを拾って返そうとしたときに記者が来た。俺を嫌っていて去るタイミングを計っていたのだとしても、多分このイヤリングは受け取って帰るのが普通だと思う」
「なるほど。確かにそれはワケありっぽいな」
左之も同意した。平助が腕組みをして椅子の背によりかかる。
「そっか!じゃあ俺昨日のパーティの運営会社にダチがいるから聞いてやるよ!」
「だけど昨日のパーティは記名制じゃなかったよ?名前がわかっててもどこの子かとかまではわからないんじゃない?」
総司の疑問に皆は顔を見合わせた。
「ああ、それは一応わかりますよ、ちょうど今やっていたところです」
呼び出された平助の友達という、昨日のパーティを企画した部署の男性が、後ろの自分のオフィスを指差した。
「マジ?やった!」
平助は隣に立っている斎藤を見て、目を輝かせた。斎藤も驚いた様に目を見開いている。
その男性社員は続けた。
「あの招待状にはじつは隠して通しの番号が入っていて、特殊な機械に通すとその番号が見られるんですよ。そしてその通し番号は誰の招待状なのか記録をとっていますんで。やっぱり運営側としては招待した人のうち何人が来てくれたかとかどんな人が来てくれたかとか傾向を掴む必要がありますんで。ですけどあまりあからさまにするとビルオーナーに対する気遣いのせいで無理にいらしてくださる方もいらっしゃるのでこっそりつけていたんです。で、今それを集計してます」
「実は…その、…雪村千鶴という女性を探しているのだが。あのパーティで会ったのだが、彼女の落とし物を預かっていて……」
斎藤はそう言うと、持ってきていた白い薔薇をかたどったイヤリングを見せた。その男性は頭をかく。
「うーん……」
金持ちや有名人、いわゆるセレブリティのみ参加の許された昨夜のようなパーティでは、通常は変なナンパやプライバシーの関係上、そのような依頼はすべて断っている。しかし斎藤の様子はそんなちゃらちゃらしたものとは程遠いし、探している理由もしごく納得できるものだ。身元も確かだし……と運営会社の社員は考えた。
「……とりあえず、まあ調べるだけ調べてみます。お伝えするかどうかはまた別として。雪村千鶴さんですね。招待状を渡したリストがあるので…」
斎藤と平助を部屋の外に残し一旦部屋の中にその男性は帰っていく。
しばらくして戻ってきたその男性は、困惑したように手元のファイルを見ながら歩いてきた。その表情を見て斎藤と平助は顔を見合わせる。
気軽に教えることができないような女性だったのだろうか。どこかのお嬢様とか……あの若さからは考えられないが奥様とか?
しかし答えはどれも違った。
「雪村千鶴さん……ですよね?……うーん……招待状を送った人の全リストがあるんですが、『雪村』も『千鶴』も該当する人はいませんね」
「ほんと?間違いじゃなくて?」
平助が聞き返すと、その男性は頷いた。
「パソコンの元ファイルも調べましたし、紙ベースのものも調べたんですがいらっしゃらないですね」
「住居棟の家族とかは?」
平助の質問に、その男性は首を横に振る。
「いえ、あのパーティはアルコールがでますので未成年には招待状を出していませんが、二十歳を超えている人には全てだしています」
「じゃあ、その『雪村千鶴ちゃん』は未成年だったんかな」
平助が斎藤に聞く。
斎藤は眉根を寄せて考えた。彼女はそういえばシャンパンは飲まなかった。しかし二十歳は超えていたように思うが……しかし女性の年齢は斎藤にはわからない。
「いや……二十歳は超えているとは思うが……」
斎藤が迷いながらもそういうと、そのパーティの企画運営をした会社の男性も頷いた。
「そうですね。二十歳以下の人には招待状がそもそも送付されていませんから。貸与も譲渡も禁止していますしネットオークション等についても厳しく監視していますので」
「???まてよ?なんかおかしくねえ?じゃあその雪村千鶴ちゃんはなんで招待状を持ってたんだ?招待状がなければあのパーティに入れねえんだろ?で、その招待状はその雪村千鶴ちゃんには送ってない。……じゃあ、なんでその子はあのパーティ会場にいたんだ?」
平助が腕組みをして首をかしげる。
「……おかしいな」
斎藤も頷いた。
しかし実の所、そんなことはどうでもよかった。
斎藤は、あの夜彼女を見失っても、パーティの参加者は厳しく制限されているのだからそこから辿れば彼女のことはわかるだろうと思っていた。
そう言う意味では今朝までは、まだ糸……というか彼女からつながっている切れ端のようなものは握っているように思っていたのだ。
しかしこれでは……
「……では、もう……」
彼女のことはわからないのか。
斎藤は、あの夜月明かりに照らされている彼女の顔を思い出す。
斎藤の言葉に笑い、目を見開き、頬を染めていた。ふっと視線を逸らしたときの横顔がきれいでずっと見つめていたいと思った。
もう会えないのか……
協力してくれた男性に礼を言い自分たちの会社へ帰る途中。
平助は、斎藤に言った。
「やっぱりどう考えてもおかしーよな。だって招待状送ってないのに招待状持って入って来てるんだぜ?どんな感じの子だったんだ?なんていうかさ……言い方悪いけど、家族のものとか人のものとか盗んじゃいそうな感じの子?」
斎藤は首を横に振った。
「いや、そんな感じには見えなかった。……だが、もうわからん。実際彼女と会って話したのはあのパーティの時だけだった。俺はあまり女性のことはわからんし、だまされたのかもしれんな」
自嘲気味にそう言う斎藤の横顔は明らかに傷ついていて、平助は胸が痛んだ。
さっきあのパーティを主催した会社の男性から聞いた話と、斎藤から聞いた話との矛盾点から何かわかりそうなのだ。きっかけが一つあればするすると謎が解けそうなのに……
彼女がどうやってあのパーティに入ったのか。それがわかれば……
平助は頭をひねりながら、落ち込む斎藤の横を歩いていたのだった。
「あれ?何これ」
それから一週間ほどだった朝、出勤してきた総司は、自分の机の上のすみっこに、まるで隠れるように置いてあるものを見て呟いた。
既に来ていた平助が、向かい側の席で総司を見る。
「何が?」
「僕の机に何か置いてあるんだけど。……これ……カフリンクス?片っぽだけ?……僕のじゃないけど、どこかでこれ見たような……」
銀色に輝く小さな物をつまみあげ、総司は首をかしげる。
「あーそれ一君のじゃねえ?あのパーティの時はめてるのを見た気が……」
ぼんやりと答えていた平助は、頭の中でかすかに点滅していた何かと、今目の前で総司が持っているカフリンクスとが、バチッと音を立ててつながったのがわかった。
「わかったあああああああ!」
叫びながらがばっと立ち上がった平助と、それに総司が驚いて「わっ」とのけぞったのが同時だった。
「一君、あのパーティでカフリンクス失くしてない?片一方だけ!!」
朝出勤してきた途端平助にそう聞かれて、斎藤は驚いた。何を突然…と思いつつ、あの夜水の中に腕を入れるためにカフリンクスをはずし、彼女に渡したのは確かなので、斎藤は戸惑いつつも頷く。
「やっぱり!!一君のじゃねえ?これ!」平助がぬっと突きだしてきたものを見ると、それは確かに斎藤があの夜していたカフリンクスだ。自分が持っている片一方の分かと机の引き出しを開けてみると、そこにはちゃんと彼女の白い薔薇のイヤリングと一緒に自分の分は入っている。
と、いうことは平助が今持っているこれは、あの夜彼女が持って行ってしまった方で……
「これは…これはいったいどうしたのだ?どこで…?」
「総司の机の上に置いてあったんだよ。その子だよ!返しに来たんじゃねえ?ってことは、その子が出した招待状は一君のなんだよ!例のパーティ運営会社のアイツ!アイツに確認したら、一君に送った招待状はちゃんと会場で提出されてるんだって!」
「はあ?待ってよ、平助。もっとよく分かるように説明してよ」
総司が腕を組みながら頭をかしげる。
斎藤は招待状は捨てた。
斎藤はあの夜、総司達と一緒に招待状無であのパーティ会場に入ったのだ。
にもかかわらず、斎藤の所に送付された招待状と同じ通し番号を持った招待状がパーティには提出されている。
と、いうことは……
「一君、自分の招待状どこでなくした?いや、自分で捨てたって言ってたよな?それってこの部屋じゃねえの?」
興奮している平助を押さえて、総司も言った。
「そうか…!この部屋はセキュリティがきつくて、基本僕達しか入れないよね。でもカフリンクスがここにあるってことは、多分その子はこの部屋に入れて、っていうことはつまり、その子が使ったのは斎藤君がこの部屋で捨てた招待状じゃないかってこと?でもこの部屋社内で一番セキュリティがきついよね……うちの社員かな?」
首をひねって考え込んでいる総司と平助をよそに、斎藤の頭はフル回転していた。
この部屋には総司達が言うとおり、自分たちと自分たちが招いた社員以外は入れない。
しかし。
しかし、この部屋で斎藤は他人を見た覚えがある。
脳裏には、あの夜……あのパーティの夜よりもさらに前。仕事が立て込んでおり、夜中にここで眠り込んでしまった時にあった出来事が浮かんでいる。
ある女性が入ってきた灯りで、あの夜斎藤は目が覚めたのだ。逆光で彼女の顔はあまり見えなかったが、声は……声は確かにあのパーティの時の彼女ではなかったか。
斎藤が招待状を捨てたのも、確かにこの部屋のゴミ箱だったはず。
「……彼女が誰だかわかったぞ」
斎藤は確信に満ちた声で、そうつぶやいた。
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