【シンデレラの指輪 3】










「もう時間だぞ」
光沢のあるグレーのスーツを着こなした左之が、机の端に腰掛けながら覗き込む。胸元のチーフは、髪と同じ深い朱い色だ。
「ねえの?」
珍しくブラックのフォーマルスーツを着た平助も、ソファから立ち上がり近寄ってきた。胸の明るい黄色のチーフと同色のネクタイが爽やかだ。
自分の椅子に座り、机の引き出しをあさっていた斎藤は、溜息をついて背もたれに寄りかかった。
「……ないな、捨てた覚えがあるからな。こういったパーティは好きではない」
「何言ってるのさ。センタービルの設立記念パーティに、最上階のテナントである会社の『幹部』がでなきゃ、ビルオーナーはメンツをつぶされたと思うよ。斎藤君も出席しないとね」
こちらも黒のスーツを着た総司が、斎藤の机まで歩いてきて引き出しを開けてみる。

これから今日は斎藤達の会社が借りているビルのオーナーが開く、設立5周年記念パーティなのだ。
社長の土方はもちろん、左之、平助、総司、斎藤の幹部たちももちろん招待状を受け取っていたのだが、あと10分でこのビルのレセプション会場でパーティが始まるという時になって、自分の招待状がないと斎藤が言いだした。
斎藤はもうあきらめたように椅子に座り腕を組む。
「『幹部』は他にお前たち3人もいるし、社長の土方さんも遅れて行かれると言っていた。俺は行かなくてもいいだろう」
総司は腰に手をあてて首を振る。
「だめだよ、確信犯的に招待状を捨てておいて。僕たちはみんな招待状を持ってるし一緒に行けば、斎藤君は招待状なくても大丈夫だと思う。行こうか」
「……」
皆の視線を感じて、斎藤はもう一度溜息をついてからゆっくりと椅子から立ち上がった。斎藤も黒のフォーマルスーツ。ネクタイとチーフは深いブルーだ。
「最初にオーナーに挨拶したあとは会場の隅にいるがそれでいいか」
左之がからかうように斎藤に言う。
「隅で隠れていられれば、な。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのIT会社の幹部だぜ。俺たちみんな注目の的さ。今日のパーティは女優やらアイドルやらモデルやら鵜の目鷹の目で有望な結婚相手を探しているきれいどころがたくさんきているからな。見つけ出されて喰われないようにしろよ」
斎藤はブルーのカフリンクスをつけながら皆と歩き出した。眉間に皺がよっている。
「女か……。苦手なのだがな」
隣を歩いている平助も肩をすくめた。
「なんかこの立場になってから女の子たちの目がギラギラしててこえーよ。マスコミも一部会場入りするみたいだし変な噂たてられないようにしねーとな」
左之もうなずく。
「最初はちやほやされて楽しかったけどな。さすがに飽きたな。それに俺は追いかけられるより追いかけたいタイプだし。総司は誰に対しても全く同じ笑顔で接しててそれはそれで怖いよな」
土方は仕事で留守で遅れて直接パーティ会場へ行くことになっているため、総司が社長室のドアの鍵を指紋認証で締めた。そして左之の言葉に振り向く。
「まあね。寄ってくる女の子たちの考えてることが透けて見えるし、僕の地位とか金だけが目当てなんだなーって思うと萎えるよね。会社のイメージダウンにはならないように適当にあしらうけど、心を許す気にはなれないな」
「『仕事もプライベートも大切に』が会社設立時のモットーで、休日も夏休みもたっぷり、残業も遅くても8時まで、そのかわり業務時間内は死ぬ気で働くって決めたのにな。時間はあるのに肝心のプライベートの中身がこんなに貧相だとは思わなかったな」
音もなく開いたエレベーターに乗り込みながら言う左之に、皆は頷いたのだった。




「ビビデバビデブー♪なんちゃって!」
最後に一はけチークのピンクを薄く頬に載せて、千は楽しそうに笑った。
「シンデレラの出来上がり〜!千鶴ちゃんかーわいい!」
おんぼろアパートの千の部屋で、千鶴は千の手によってお姫様に変身していた。渡された鏡で自分の顔を見て、千鶴は目をぱちくりと見開く。
もともと長い睫は、更に長く厚くなり、瞼の上は角度によってはキラキラと光っている。アイラインのせいで黒目はいつもより大きく潤んで見えるし、ピンクの唇はグロスがたっぷりと塗られてぶるんとしている。
大きく開いたデコルテは鎖骨が繊細で女性らしく、白を基調とした千のデザインしたドレスは千鶴の無垢なイメージを生かしつつほんのりとした女性らしさをひきたてて、女の千から見てもとても魅力的だった。
「タクシーで行けるといいけど……」
千が言いかけると、千鶴は首を振った。
「高くて無理だよ」
「だよね。じゃあ地下鉄か。終電何時か知ってる?」
首を振る千鶴に、千はピピッと携帯をいじって、センタービル最寄駅の地下鉄の終電の時間を調べる。千鶴は生活を切り詰めているので、携帯を持っていないのだ。
「夜の12時11分よ。ぎりぎりでも12時には会場を出ないと、歩いて帰ることになっちゃうから気を付けて。アラームにしとくね」
「ありがとう!千ちゃんほんとにいろいろ……」
「いいのよ!セレブ達のドレスをいろいろ見てきてね。あとお土産話も楽しみにしてる!ほんとにきれいよ千鶴ちゃん……あ!そうだ!忘れてた!」
千はあわてて、鏡の横にある小さな引き出しを開ける。そしてクリーム色の薔薇の形をかたどった大ぶりなイヤリングを取り出した。
「これ、イヤリングよ。これでコーディネートは完璧!象牙に見えるけどフェイクだから気にしなくていいわよ。どっか露店でかった安物なの。でもそんな風に見えないでしょ?」
千鶴は手のひらに乗せられた美しいイヤリングを見る。
「本当に千ちゃんはセンスがよくてうらやましいな。これとってもかわいい!」
「ありがと!安いの探すのもうまいのよ。はい、これショール。地下鉄でこのパーティドレスは目立つから、このショールを広げてくるまるようにするとイイと思うわ。パーティ会場に着いたら肩にかけるくらいにして」
千が渡してくれた薄い金色のショールをまとって、同じく千から借りたキラキラしたスパンコールがついている白い小さなバックを持って、千鶴は華奢なミュールを履く。夏も終わりのせいでかなり安くなっていたミュールを、千鶴はこのために買ってきたのだ。銀色の細いヒモのシンプルなミュールなので来年も使えるし…と罪悪感をなだめながら、千鶴は久しぶりにオシャレな靴を買ったことにワクワクしていた。
狭い玄関で、千鶴はくるりと回り全身を監督のような厳しい目でチェックしている千に見せる。
「どう?」
千は満足そうな笑みを浮かべてうなずいた。
「カンペキ。あとは笑顔ね。楽しんできて!」
千らしい言葉に、千鶴は笑顔になった。
「うん!行ってきます」
手を振りながら、慣れないヒールにふらふらしつつおんぼろアパートを出る。
目指すはいつも掃除のアルバイトに行っているセンタービル。
バックの中に入っている招待状を確かめて、千鶴は地下鉄の階段を降りて行った。



そうして当然ながら二人は出会うのだ。
その運命の場所は、センタービルの真ん中のフロア全体をぶち抜いたレセブションホール。
『空の庭園』として話題をよんだ、かなり広い中空のテラス。
時間は夜の8時を少し過ぎたあたり。
オープニングセレモニーが終わり、各テナントがひととおりオーナーに挨拶したころ。

会場からの灯りもぼんやりとしか届かないテラスの庭園の奥まったベンチに、少し疲れた千鶴が座っていると、誰かが居るとは気づかなかった斎藤がそこを通り抜けようとして千鶴の足を踏んだ。
「っ…!」
千鶴が驚いて叫ぶよりも早く、感触に気づいた斎藤がさっと足をどかした。
「す、すまない!申し訳ない…!気づかなかった。怪我は……!?」
斎藤は慌ててひざまずき、千鶴の足を持ち上げた。
「きゃ、きゃあ!」
ぐいっと片足だけ持ち上げられて、ただでさえ短いスカートが持ち上がりはだける。ハッとそれに気づいた斎藤は千鶴の足をはなし素早く後ずさった。
「すまない!失礼なことを…!どう謝罪すればいいのか、本当に申し訳ない!ただ、救いになるかはわからないが、俺は爪先しか見ていなかったので見えていないし、たとえ見えていたとしても暗くてその……見えなかったと……」
「あ、あの、もういいです……」
千鶴は真っ赤になりながら両手でスカートを抑えて俯いた。
「その……わざとではないのはわかっています」
斎藤は、冷や汗をかきながらあたふたと視線や手をあちこちに動かす。どうすればいのかと空にぽっかりと浮かんでいる月を見て、思いつかずにもう一度ベンチで赤くなって俯いている千鶴を見る。
「……すまなかった」
謝ることしかできない。
斎藤は律儀に腰を折って深々と頭を下げた。「いえ、本当にもういいので……」と千鶴が慌てて顔を上げ、二人は月の灯りの下で初めて真っ直ぐに目を合わせた。

「……」
月明かりに照らされた彼の顔を見て、千鶴はポカンと口を開けた。

……あの人だ。

バイトの夜、幹部用の部屋で居眠りをしていた素敵な人。
実は千鶴は、あの招待状はもしかして彼のではないかと、まさかとは思うがそうだったらどうしようかと思っていたのだ。顔も知らない人の招待状でも悪いことは悪いが、顔を知っており優しくしてくれた人のものだと思うと妙に現実感がありちくちくと胸が痛む。
幹部は4人もいるのだし、多分彼の招待状ではないはず、と千鶴は罪悪感を抑えた。だって、彼の招待状を千鶴が使ってしまっていたら、彼はこのパーティに来られる筈もないではないか。しかし、幹部の誰かは、千鶴が招待状を持って帰ってしまったせいできっと来られなかったのだろう。いや、でもそもそも来るつもりもなくあの招待状はゴミ箱に捨てられていたのだから問題は無い筈。
千鶴はそう思うと後ろめたさから、視線をそらす。
と、その時、会場からやってきたボーイが彼に声をかけた。
「申し訳ございません。遅くなりましたが確認がとれましたので、これをおつけいただけますか」
ボーイがそう言って手渡したのは、千鶴も招待状と引き換えに渡された金色のバッチだった。月の灯りに照らされてキラリと光る。優雅にあるきまわつている給仕のボーイたちは、招待されていない人間がこのパーティにまぎれこむのをふせぐために、さり気なく客の胸のこの金バッチを確認しているのだ。
その金バッチをボーイが今『確認がとれた』と言って渡したということは……

彼は、あの時千鶴を魅了した優しい笑顔でボーイに礼を言う。
「ありがとう。俺の不注意で招待状を失くしてしまったのにわざわざすまなかったな」
「いえ、とんでもございません。こちらこそ確認などとご面倒をおかけして申し訳ございません。いくつか軽食を持ってきましたので……」
そう言ってボーイは手に持っていたプレートを斎藤に渡した。それにはオードブルが各種彩りよく盛り付けられてフォークも一つ添えられている。
ボーイはちらりと千鶴を見ると付け加えた。
「もう一皿とお飲み物もお持ちします」
そう愛想よく言うと、彼は会場へと戻って行った。

千鶴の胸はいまやズキンズキンとうずいていた。
この人の招待状だったのだ。
彼の招待状の代わりにもらった金のバッチは、今千鶴のドレスの上で輝いている。広い意味では千鶴の雇い主なのに、その人の招待状をコッソリ使っていまこうして目の前で……

どうしよう。どうしよう……。私のことなんてバレないだろうけど……

申し訳ない。
しかも足を踏まれたことで彼に謝らせてしまった。本当に悪いことをしているのは千鶴の方なのに。
千鶴はとりあえず、ここから去ろうと彼の顔を見た。
彼は渡された皿を所在無げに見ていたが、千鶴を目が合うと思いついたように頷く。
「足を踏んで、さらに失礼なことまでしてしまい申し訳なかった。謝罪の代わりと言ってはなんだか、これはどうだろうか?」
そう言って彼は、先ほどボーイから受け取った皿を千鶴に差し出した。
千鶴は思わずその皿を見る。
スモークサーモンにローストビーフ、ミートパイにサンドイッチにパテとサラダ。
月明かりの下でもかなりおいしそうなそれらを見て、千鶴のお腹が勝手に鳴った。「あっ」と声をあげて顔を真っ赤にした千鶴に、彼は笑みをこらえた顔で聞こえないふりをしてくれる。
そして「食べるといい」と言いながら皿を千鶴に渡した。
「……ありがとうございます」
あきらかに千鶴のお腹の音が彼に聞こえてしまったこの状態で断るのも恰好が悪い。それにこの料理は……確かにとてもおいしそうだ。
千鶴はお皿を受け取る。すぐ後に先ほどのボーイがもう一皿とシャンパンを二つ持ってやってくる。
立ったままの彼に、千鶴は「あの……もしよろしければ……」と自分のベンチの横を指した。

斎藤はどうしようかと迷った。ボーイが立ち去る時に「もう一皿はいらない」と言えばよかったのだが、今この状況でここにとどまることを拒否するのは彼女に対して失礼なような気もする。しかも、自分が足を踏み、持ち上げてしまった女性だ。
会場での社交がある程度すんで、どこか静かな所でぼんやりしようと思ってテラスに出たのだが、彼女はそううるさそうな女性にも見えないし、来るときに左之達がいっていたようなモデルや女優のような派手さもない。
斎藤といえどもオトコで、一人で暗闇でぼんやりするよりは魅力的な(月明かりだったが姿はばっちり見え、かなり……かわいいと思っていた)女性と一緒に過ごした方が楽しい。一般の女性らしい落ち着いた雰囲気に、斎藤は左之や平助たちが注意するようと言っていたような問題にはならないだろう、と肩の力を抜いて頷いた。
「では……失礼する」
斎藤の言葉に彼女はほっとしたように微笑む。

彼女の笑顔、月明かり、真白なドレス、静かな庭。
斎藤の心臓は数秒止まった。
それと同時に、周りの時も止まり空気も、月の灯りも、会場からかすかに聞こえてくる音楽も消える。

しばらくして斎藤は我に返った。
一瞬にして遥か彼方まで飛んで行った意識にしばし呆然とし、そんな自分に驚き、彼女は変に思わなかっただろうかとドギマギと斎藤は顔を赤くした。ぎこちなく音がしそうな動きで、彼女の横に座る。彼女がいる右側が妙に敏感になっているような気がして、斎藤は戸惑った。
「あの……」
彼女のかわいらしい声がして、斎藤は顔を上げた。彼女は恥しそうに微笑みながらシャンパンを掲げている。
「あ、ああ」
斎藤も自分のシャンパンをあげて、そっと彼女のグラスにあてた。触れ合ったのは無機質なグラスとグラス。
にもかかわらず、斎藤の体はまるで彼女に触れたようにかっと熱くなった。
チンとグラスから聞こえてくる可愛らしい音も妙に大きく聞こえる。
彼女がまた柔らかく微笑み、斎藤の心臓の鼓動を止めた。
「何に乾杯かわからないですけど」
小さく舌をだし片目をつぶり、悪戯っぽくそう言った彼女のせいで、斎藤の心臓はもう限界に近い。
シャンパングラスにそっとやわらかそうな唇をつける彼女を、斎藤は茫然と見ていた。いや、見ていたというより見惚れていたという方が正しいだろう。

先程彼女は何と言ったのか、何か返事をしなくてはいけない内容だったのか、ぼけっとしている自分を変に思われなかったかと内心動揺しながらも、斎藤もシャンパンを飲んだ。 当然ながら味はまったくわからなかった。






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