【シンデレラの指輪 2】










カンカンカン…と音をさせて、千鶴は古ぼけたアパートの階段を二階へと昇る。
深夜の2時。普通なら音に気を付けないといけないところだが、このアパートに限っては大丈夫なのだ。
古すぎて取り壊しを予定しており、退去するようにとの通告が頻繁に大家からでているため、このアパートに住んでいるのは今はもう千鶴と、ファッション系の専門学校生である鈴鹿千、そして2階の千鶴とは反対の端に、耳の遠い老人が一人住んでいるだけだった。
自分の部屋の前で鍵を開けようとした千鶴は、扉の前に貼られている紙に気づき、手に取って見る。
そこには、このマンションは今年末で取り壊し予定であることと住人は早く立ち退くようにと、大家の字で書いてある。
千鶴は溜息をついてその紙を見つめた。
立ち退きたいのはやまやまだが、このあたりの地域でこの値段で借りられる家が他にはないのだ。大学まで自転車で30分、風呂もトイレもキッチンもボロいけれど一応ついている。一階に住んでいる鈴鹿は来年の3月で学校を卒業するので、それまではここに粘ると宣言している。千鶴はまだ三年生で卒業まであと一年あるし、来年も大学はあるし教採の試験もある大事な年だ。新しい家を探したり引っ越ししたり、敷金礼金でまたお金もいるし、できれば引っ越しはしたくない。ここに居させてほしいと大家に頼んだのだが、冷たく断られた。これ以上バイトは増やせないから、生活をやりくりして、なんとか引っ越し費用をねん出しなくてはいけない。新しい家も探さなくては。こんな安い家はなかなか見つからないだろうが……
「千鶴ちゃん」
階段の方から小さく声がかかり、千鶴は後ろを振り向いた。一階からあがってきたらしい鈴鹿 千が階段から千鶴の方を覗いている。
「夜遅くごめんね。明日なにか用事ある?」
近くまで来た千がそう聞き、千鶴が首を横に振ると嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。もしよかったら明日、ちょっとお願いできないかな?千鶴ちゃんにはタダで協力してもらっちゃっててほんとに悪いんだけど。あ、洗濯機ならもちろん使ってくれていいから」
千の学校の卒業生制作に千鶴は協力しており、それを明日手伝ってもらえないかとのお願いらしい。先月壊れた千鶴の洗濯機の代わりに、千の家の洗濯機を使っていいとのおまけつきで。しかし千鶴は明るく前向きな千が大好きで、そんなおまけがなくても喜んで協力したいと思っていた。
「うん、もちろん!じゃあ明日千ちゃんの家に行くね」
「OK、待ってる」
軽く手を振って階段を降りて行く千を見送り、千鶴は少し力を入れればすぐに壊れそうなアパートのドアのカギを開ける。
中に入ると簡単に顔をあらい着替えて、すぐにベッドに倒れこんだ。

疲れた……。お風呂や片付けは明日の朝にしよう

ぼんやりとそう考えると、千鶴はすぐに眠りに入る。
意識をなくすほんの少し前、少し長めの髪をした素敵な男性の姿がちらついた。
睡魔でぼんやりした頭で、千鶴はだれだったかと思い出そうとしたが、あっという間に眠りにのまれてしまったのだった。



「おお〜!似合う!かわいい!自画自賛だけど!!」
千が両手を叩いて目を輝かせる。
鏡の中の自分を見て、千鶴も目を見開いてくるりと回ってみた。白いオーガンジーが幾重にも重なったAラインの膝丈のワンピースは、千鶴の動きにワンテンポ遅れてふわりと宙を舞う。スカートの裾の辺りに丁寧にしてある金糸の花の刺繍と緑の葉の刺繍が爽やかさとゴージャスさを演出している。
胸のすぐ下で切りかえられているせいでスタイルが良く見えるし、胸元はかなり空いているのだが、同じくオーガンジーで繊細に作られた花の飾りがネックラインを飾っているせいで下品には見えない。金糸で複雑に編まれた細い肩ひもは、今にも丸い肩を滑り落ちてしまいそうなはかなげな色気を醸し出していた。
「すごい!千ちゃん、これ一人で作ったの?」
千鶴がスカートの裾をつまんでもう一度回る。デザインもさることながら縫製も丁寧だし、刺繍や飾り紐や…とにかく手がこんでいるのだ。
千は自慢げに胸をそらした。
「そーよ、もちろん!卒業制作だもん!気合いが入るってもんよ。うちの卒業制作展、結構メディアやアパレル関係者が見に来るからどこで声がかかるかわかんないし!一応アパレル会社に就職は決まったけど、やっぱり自分でデザインしたいし」
そして針山を手首につけまま、デザイナーとしての厳しい目で千鶴の全身を眺めた。
「千鶴ちゃんは華奢だから、もうちょっと脇の下の部分を詰めた方がいいわね。このままだとセクシーを通り越して見えちゃうわ。スタイル的にブラはつけないほうがいいし……」
「……胸、小さくてごめん……」
千鶴がしょんぼりとうなだれると、千は慌ててフォローをした。
「そ、そういうつもりじゃないのよ!その、普通にモデルとして服を一番きれいに見せる方法を言っただけよ。だって一流モデルなんてみんな胸ないわよ?大丈夫よ千鶴ちゃんだって!」
「……私は別に一流モデルじゃないもん」
「あら、でも私の卒業制作展でモデルしてくれるでしょ?」
そうなのだ。千鶴をイメージしたオーダーメイドの服をつくり、何度も試着をして完璧に仕上げ、卒業制作展でそれを着た千鶴がモデルとして学校主催のファッションショーにでる……去年の冬に千に頼まれた時はここまで本格的だとは思わず気軽にOKした。しかし一番仲のいい千の頼みだ。千鶴としても全面的に協力するつもりだった。

千鶴が、いよいよ生活を切り詰めなくては行けなくなり、このアパートに引っ越してきたのは3年前。千はもうその時からここに住んでいた。引っ越してきた年の近い千鶴に挨拶に来てくれたのだ。学年や年齢も近く、苦学生なところも同じだった二人は、すっかり意気投合をしたのだった。

四年前に千鶴の両親が事故でなくなった。
小さな個人病院の院長だった父と専業主婦の母。それほど裕福でもないが困窮していたわけでもない。短大を卒業した千鶴は、父の紹介で小さな医療用品の問屋に事務として就職し働いていた。しかし両親の事故の後、生活は一変した。
病院と家を手放し、ローンを両親の保険金で支払った千鶴は、すっからかんになり住むところもなくなってしまった。しかしさらに父は、千鶴の就職先である医療用品問屋の社長から個人的に金を借りていたのがわかった。契約書もちゃんとあり父が毎月支払っていた記録も残っている。
頼れる親族もなく天涯孤独の身となった千鶴に、その社長は寛大だった。
とりあえず少しずつでもいいから返すようにと、千鶴が何とか払える額まで、毎月の返済額を下げてくれたのだ。
しかしこのままここで事務員として働いていても、日々の生活費をどれだけ切り詰めようと借金を完済するのはかなり難しいことは目に見えている。短大の恩師に相談したところ千鶴の昔からの夢である『教師』の仕事をすすめられたのだ。
短大はでているので同系列の大学の学部に社会人枠で編入して教員免許をとり、教員採用試験を受ける。
教師の卵専用の奨学金制度もあるし、その恩師が千鶴を推薦してくれると言ってくれた。千鶴は一年間、これまでの医療用品問屋で働き、土日はバイトもして学費を溜めて、その後円満退職をして大学へと編入したのだった。
大学の卒業をさ来年に控え、教員試験の勉強も少しずつだが進めている。
まわりの同じ年代の女の子のように、おしゃれや旅行、彼氏といった楽しい出来事はない毎日だが、仕事につければ変わるはずだ。でも今は……
「素敵なドレス……こんなの着られるようなパーティとか行ってみたいなあ…」
苦学生の千鶴といえども年頃の女の子で、やはりそういうものにはあこがれる。千も頷いた。
「千鶴ちゃんのイメージに合わせてデザインしたから当然だけど、すっっごく似会ってるから、私も千鶴ちゃんにこれ着てどこかに行ってみて欲しい〜!とってもかわいいよ。髪の毛はあげて、でも後れ毛を巻いて緩く垂らして、イヤリングは…そうだな…象牙風の白い大きな薔薇のがあるからそれつけて、ネックレスとかはない方がいいわね。これにレースの長手袋も作ろうと思ってるのよ。ニーハイの絶対領域みたいなのって腕でもドキドキすると思うんだ」
千鶴のドレスのあちらをつまみ、こちらをつまみしてマチ針で印をつけた千は、「よし」とうなずいた。
「試着ありがとう!脇の辺りをなおしたら完成だわ〜!レースの手袋の制作に今日からはいらなきゃ」
気を付けながらドレスを脱ぎだした千鶴に、千は着替える服を差し出した。
「はい、これ。……ん?これは?」
「あ、それ洗濯物なの。バイトの作業服で。洗濯機借りていい?」
「うん、もちろん……あら?なにこれ?」

作業着を持ち上げた千は、その中からひらりと落ちたものを手に取った。
「……招待状?センタービル設立5周年記念パーティ……なにこれ?千鶴ちゃんどうしたの?」
「あ、それ……」
千鶴は千の手にある物を見て、目を瞬いた。あれは昨日バイト先の会社の幹部部屋のゴミ箱に入っていたきらきらとした手紙だ。捨てたと思っていたのだが、作業着のポケットに入れたまま忘れて持って帰ってきてしまったのだ。
千は薄い封筒を開けて招待状をじっくり読みだす。
「ふんふん、センタービルってあれでしょ?5年くらい前に鳴り物入りで開発した高級ビル群でしょ?オフィス棟ありーのホテル棟ありーのショッピングもあれば住居棟もあるっていう?そこのテナントだけを招待した設立記念パーティみたいね。すっごいセレブばっかりくるんだろうな〜。こんなのどうしたの?」
興味津々の千に、千鶴は事情を話した。アルバイト先のゴミ箱に捨ててあったのだから、別に千鶴の家のゴミ箱に捨てても問題ないだろうと千鶴が手を差し出すと、千は招待状を渡さずにぎゅっと手を握ってきた。
「?どうしたの?」
キョトンとした千鶴に、千は興奮したようにキラキラした目で顔を近づける。
「……千鶴ちゃん!チャンスよ」
「チャンス?何の?」
「あのドレスを着る!」
「……」
一拍の間をおいて、千鶴は吹き出した。
「ええ?私がこのパーティに行くの?この招待状で?無理だよそんなの!千ちゃんも来てくれるならともかくそんなパーティで私なにをすればいいのかわからないし」
「バカね!なにもしなくていいのよ。この招待状は一人しかダメみたいだけど、私が完璧に頭のてっぺんから爪先まで、かわいくコーディネイトしてあげるから!さっきこんなドレスを着られるようなパーティとか行ってみたいなあって言ってたじゃない?今がその時よ!こんな機会もうないわよ、とりあえず行くだけ行ってきて!別に何もしなくてもいいから雰囲気だけ味わって、有名人を間近で見て、高いお酒を飲んだりして!誰ともしゃべらなくてもいいじゃない?こっそりセレブの世界を覗いてかえってくるだけよ。きっとワクワクするわよ!」
千の言葉に、千鶴の脳内にきらびやかなパーティが広がった。
……確かに彼女の言う内容通りなら気楽そうではある。
最高におしゃれして、その場所に行くだけだ。
試しに想像してみた途端、千鶴の胸もドキドキしてくる。
「で、でもばれないかな?この招待状、ゴミ箱に捨ててあったんだよ?」
「隅々まで読んだけど、名前も通し番号もそれらしき記号も何も書いてないし、多分ばれないと思う。それに別にばれてもいいじゃない?入口でダメですって言われたら帰ってくればいいだけよ。センタービルって有名人や芸能関係者もたくさん住んだりオフィス借りてるみたいだからマスコミもたくさんくるだろうし、記者とかおっかけとか断られる人だっているんじゃないの?別に警察呼ばれたりなんかしないわよ!」
千の熱気に飲まれて、千鶴は思わずごくりと唾を飲んだ。
こんなパーティに行ってみたいとは思ったが、まさかそれが現実になるとは思っていなかった。
しかし、千の言うとおりだ。この機会を逃したら千鶴の一生にはこんなパーティに行く機会は二度とないだろう。それに日々生活に追われて睡眠時間とお金と勉強の事ばかり考えている毎日から、一日だけ、いや一晩だけでも解放されるなんて素敵ではないか。しかもパーティだ。
千鶴も、ぐっと千の手を握り返した。
「…行く?」
挑むような目で千が聞く。千鶴も目を見開いたままうなずいた。
「行ってみる……!」





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