【シンデレラの指輪 16】
綺麗でかわいいコンパニオンが二人。
目立たないように控えているスーツ姿の社員が一人。
センタータワー1階の多目的スペースの展示ブースは、土方率いる斎藤の会社にクリスマスまで貸し切られていた。
華やかに飾り付けた台の上に、社の商品が飾ってある。
ビジネスシーンだけではなく一般にも認証技術を普及させたいと言う狙いどおり、実際に通りがかった人が試したり触ったりできるようになっており、タワーに遊びに来た一般客が入れ代わり立ち代わりブースにやってきていた。
登録された人の声と特定ワードがないと電源がはいらないスマホや、同じく認証技術が使われた宝物箱。金庫のように貴金属ではなく、護るのはプライバシー、というコンセプトで開発された商品の数々が並んでいた。
「もしよろしければ、こちらにお客様の声を登録されますか?」
コンパニオンに愛想よく話しかけられた女性客は、音声認証つきの日記に自分の声を登録している。
展示ブースにはいってきたばかりの若い女性二人が、何かを探すようにきょろきょろとあたりを見渡していた。「お困りですか?」とちょうど手が空いていたスーツ姿の社員――山崎が声をかけた。
「あの〜雑誌で見たんですけど、指輪の話」
「そう、あのシンデレラみたいなお話の」
女性客たちがそう言うと、山崎は頷いてブースの真ん中へと彼女達を連れて行った。
「ぜひご自身で試してみてください」
山崎はそういうと、チェーンにつながっている『シンデレラの指輪』を、彼女たちに手渡した。
「あ、女の子たちが行った」
その様子を左之と平助は、コンシュルジュの横に立って遠目で見ていた。平助は隣で何やら作業をしているコンシュルジュに話しかける。
「おじさん、あそこのブース、俺たちの会社のなんだけどさ。どう?人が入ってる?」
コンシュルジュは無表情に平助を見た。
「私は天霧と申します。あのブースは毎日盛況ですよ」
コンシュルジュ天霧の返答に左之が苦笑いをする。
「盛況じゃないと俺が困るぜ。広報担当として腕によりをかけてメディアやらマスコミやらに売り込んだんだからな」
連日記者やテレビ関係者を案内して接待で飲み歩いた日々を思い出し、左之は頭をかく。平助がにかっと笑って左之を見上げた。
「あれだろ?『シンデレラを探しています』」
『シンデレラを探しています』
広告代理店が考えたキャッチコピーはこれだった。
後は全て謎めいた感じで、『この指輪は魔法がかけられ今は誰もはめることができません。どこかにいるシンデレラ。あなただけがこの指輪の魔法を解き指にはめることができるのです。我と思う方はぜひ当社展示ブースにあるシンデレラの指輪に向かって、ご自身の声でご自身の思う魔法のパスワードを言ってみてください。見事魔法を解くことが出来た方には当社から素敵なプレゼントを差し上げます』
『指輪』に『シンデレラ』というキーワードで、若い女性は興味を持ってくれたようだ。
センタータワーに来たついでに展示ブースに寄る人や、わざわざそれのためだけに来てくれる人もいて、キャンペーンを開始した最初の一週間は列ができたこともある。
しかし千鶴は来なかった。
斎藤はもちろん、左之や平助、総司も気にしているが千鶴はまだセンタータワーにも来ていない。
山崎を一日中貼り付けて指輪を開錠することができた人間がいたら即座に保護して幹部に知らせる様にと指示を与えている。だが、指輪は相変わらず固まったままだ。
「あてがはずれたな。千鶴、結構すぐに出てきてくれると思ったんだけどよ」
左之がぼやく。平助も頷いた。
「だな。千鶴、雑誌とかテレビとか見てねーのかな。しかもキャンペーン開始して3週間たつのに一度も開錠されたことがないからなんかまずいことになってるんだって?」
「ああ…まあ、な。マスコミが『あんな小さなものに音声認証技術なんかつめこめない。あれは宣伝効果だけを狙ったフェイクなんじゃないか』とか『シンデレラは本当はすでに表れてるのに音声認証技術が雑なせいで開錠できないだけなんじゃないか』って皮肉交じりに言いだしてるな」
平助は憤慨して腕を組む。
「何をー?あれはうちの会社の技術の粋を集めて作ってんだよ。正常に動いてるんだからな!あーあ、千鶴が言ってくれれば開錠できんのに。テストじゃちゃんと開錠してたぜ」
左之は、まあまあというように平助の肩を叩いた。
「ああ、わかってるって。そういう記事を書いたライターとそれを載せた編集部には厳重に注意しといたから。広告ひきあげんぞってな」
「斎藤君も申し訳ながってたな。『俺のせいで会社の評判までおとしてすまない』って」
平助の斎藤の物まねがうまかったので、左之は吹き出した。
「大丈夫だって。それだけ話題になってるってことは宣伝効果はあがってんだよ。技術が確かなのは他の展示品からでもわかるしな」
「じゃあー…あとはシンデレラだけってことか」
「だな」
左之と平助は、『シンデレラの指輪』に向かっていろんな言葉を試している若い女性二人を見ながらそう言った。
「あーお腹いっぱい!もう食べられない!」
千はそう言うと後ろに手をついて自分のお腹をポンポンとたたいた。
「千ちゃんが『お別れ会はちゃんこ鍋食べ放題の店がいい』って言ったんだよ?でも私ももう食べられない〜」
千鶴も笑いながらそう言って箸をおく。そんな千鶴を見ながら千はぼやいた。
「あーあ、楽しかった共同生活も解消かあ。ずっと一緒に住んでもいいって言ってるのに千鶴ちゃん律儀なんだから」
「私だってあのマンション好きだけど、でももう千ちゃん一人でも家賃払えるし、もともと千ちゃんだから家主さんが家賃負けてくれてたんだし。自分で家を借りられるようになった私がいつまでもいるのは悪いよ」
「そんなの気にしなくていいのにぃ…」
「ちょうど冬休みだから引っ越しもしやすいしね」
千鶴がそう言うと、千は気分を変える様に言った。
「学校の先生っていいねー!冬休みも夏休みもおやすみなんて」
千がうらやましそうに言うと、千鶴はにっこりほほえんだ。
「でも学校には行かないといけないし、私まだ新米だからいろいろ勉強しないと」
千鶴の言葉に千も微笑む。
「ずっとがんばってたもんね。夢がかなってよかったね」
「千ちゃんには、去年試験に落ちたときとかもいろいろお世話になって……本当にありがとね」
「何言ってるのよ。がんばったのは千鶴ちゃんでしょ?」
「でも一緒に住もうって言ってくれたりその後も……」
試験に落ちたり斎藤と別れたりでボロボロになっていた千鶴を、千は時には優しく時には厳しく慰めてくれたのだ。
「一緒に住むのは家賃の関係上私にも得だったからよ。その後は……」
千はそう言いかけて、自分が会ったときの斎藤の様子を久しぶりに思い出した。
憔悴したような思いつめた目をしていた。『連絡先を教えて欲しい』と言う口調は静かだったが彼の強い思いは伝わってきた。
千は、ちゃんこ鍋の残りを寄せている千鶴を見てしばらく考えた。
「……ねえ、斎藤さんのこと本当にいいの?その……差し出がましいけどさ、別れたときの千鶴ちゃんの理由、今ならもう大丈夫じゃないの?」
千鶴は菜箸を持つ手を一瞬止めた。そして千を見る。
「……そうでもないよ。私は多分あんなきらきらしたパーティに呼ばれることなんてこの先一生ないけど、斎藤さんは……」
久しぶりに声に出した『斎藤さん』という言葉に、千鶴は自分でドキリとした。
名前だけでこんなにドキドキするなんて、と自分に呆れて千鶴は小さく咳払いをし、続ける。
「あの人は、あっちの世界が普通の人だもん。食べるものとか着るものとか行くところか……全部違うよきっと。それにもう他に素敵な女の人ができてるんじゃないかな」
チリッとした胸の痛みを無視して、千鶴は笑顔でそう言った。千は肩をすくめて答える。
「まあ…ね、付き合うって言ってもいろいろたいへんかもしれないね。あっちもあっちで今は会社が何か大変みたいだしね」
会話を締める際に付け加えた千の言葉に、千鶴は「え?」と反応した。
「大変って?何かあったの?」
「ん?ううん、全然そんな大きいことじゃないけどあの人の会社が雑誌の記事になってたから。なんかキャンペーンに失敗したとかしそうとかって」
千はそう言うと持っていた自分のカバンをごそごそあさる。
そして「あーあったあった、これ」
というと、女性向け情報誌を千鶴に渡した。
千鶴は急いで目を走らせる。
――『シンデレラを探しています』
――大々的にキャンペーンを始めたこの企画だが、どうやら企画倒れになりそうだ。肝心のシンデレラが現れず、指輪はいつまでも誰の指にもはめられないまま飾られている。いや、もしかしたらこれもこの会社が得意とする大見得にすぎず、この指輪はもとから音声認証機能など持っていないのかもしれない。だとすると我々は見事に彼らの思う壺にはまったということになるのか。――
小さなベタ記事だが、そう書いてあった。
千鶴は記事を見つめたまま固まる。
その記事には、斎藤の会社がやっているキャンペーンの内容もあわせて書いてあった。
千鶴の脳裏に、あの冬の斎藤の様子や皆の笑顔が浮かび上がる。
これはあの指輪だ。あの夜、ケーキを食べながら皆で話したあの時の。
千鶴が言った言葉を皆が拾い上げて商品化すると言っていた『シンデレラの指輪』。
本当にちゃんと形にしたんだ……。二年もかけて。
ちゃんと。
そして、うぬぼれでなければ。
この『シンデレラ』は自分だ。あの時、試作品は斎藤から千鶴に、と彼らが言っていたのを覚えている。
……彼が……斎藤がまだ会いたがっているというメッセージだと思っていいのだろうか。
でももう昔の話なのに……
本当に?
しかしそれはそれとして、斎藤達の作った製品が千鶴のせいで評判を落としているのは心が痛い。いや、痛いというよりは……責任を感じて尚且つ腹も立つ。彼らはちゃんとした製品をつくる人たちだし、約束はきちんと守る人たちなのに。
「千ちゃん」
「ん?」
「この後、行きたいところが……寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」
ちゃんこ鍋屋をでて地下鉄を乗り継ぎ、ピカピカに磨かれたセンタータワー一階のロビーを、千と千鶴は歩いていた。
「ここでバイトしてたんでしょ?」
千の質問に千鶴は頷いた。あのコンシュルジュも相変わらずロビーの端の机に座っている。手元の手帳に目をやっており千鶴の方は見ていないようだ。
例え見たとしても、あの頃の千鶴を覚えている彼は、今の千鶴と同一人物だとは思わないだろう。
千鶴は、ガラスに映る自分の姿をみてそう思った。グレイと白のストライプのフレアスカートにパンプス。白のゆったりしたブラウスに淡いピンクのカバン。
「出入りしてたのは夜遅くだけどね。昼間はほとんど来たことなかったな。ここのはどれも高くて」
「でも今は来れるじゃない?」
「……」
「千鶴ちゃんは少しこだわりすぎなんじゃないかな?今はもうちゃんと独り立ちしてるのに」
千の言葉は耳が痛い。確かにそうかもしれない。
「……そうかも。ここにバイトに来てた時は毎日忙しくて疲れててお金がなくて勉強しなきゃって思ってて……そんな時に斎藤さんに会って……なんだか卑屈になってたのかな」
展示ブースにはいると、二人いるコンパニオンは他の客の相手をしていた。しかし、スーツを着た男性がこちらをじっと見ている。
こっそりと指輪を開錠させて斎藤達の会社の技術力を証明したいと思っていた千鶴は、千に耳打ちをした。千は任せとけとばかりに頷く。
山崎は舌打ちしたくなるのを必死に我慢した。
問題はこの女の客だ。
二人で来ていたのに一人だけが「すいませーん。ちょっと教えてもらえますかあ?」と妙にハイテンションで話しかけてきて、山崎をブースの端っこへと連れてきてしまったのだ。幹部から聞かされていた『雪村千鶴』というシンデレラの特徴に似ている女性が来たから注意して見ていたのに、この女のせいで今彼女が何をしているのかが見えない。
山崎がのけぞって『シンデレラの指輪』の辺りを覗き込もうとすると、まるでそれをさえぎるかのようにこの女が動く。そして「聞いてます?ここ見てくださいって言ってるのに」と言いだすのだ。
頼りの綱のコンパニオン二人も、中年の男性客と若い男性客にべったりと貼りつかれていて、例の疑わしい女性はフリーになってしまっている。
何かあればすぐに電話するようにと幹部たちから言われているが、今から電話しても遅いし、どうするか……山崎はじりじりしながら目の前の女の要件が早く済む様に祈っていた。
千鶴は展示ブースのコンパニオンとスーツの男性、誰からも見られていないのを確認すると、そっと『シンデレラの指輪』が乗っている台へと近づいた。そこにあった指輪を見て、千鶴は「わあっ」と思わず小さく声を上げた。
三連のリングが複雑に絡み指を入れることができないようになっている。思ったよりごついが、音声認証のためのギリギリなのだろう。
千鶴は胸がわくわくしてくるのを感じる。
すごい…
すごいです、皆さん
おとぎ話を現実にする彼らに、千鶴は何故か感動してじんわりと涙がこみ上げるのを感じた。震える指先で『シンデレラの指輪』をそっともちあげる。ピンク色の唇の近くまで持ち上げて。
そして、多分…
多分……この指輪の魔法を解く言葉は……
「さいとうさん……」
カチリ
魔法が解ける音が聞こえたような気がした。
実際は何の音もなかったのだが。
指輪は魔法のようにするするとほどけ、先ほどまでガチガチに固まっていたのが嘘のように柔らかく解けた。
三つのリングがそろい、一つの穴になる。
とけた……
千鶴は目を見開いたままそれを恐る恐る自分の薬指にはめてみる。
それはするりとはまり、千鶴の指でキラリと輝いた。
何故かこみ上げる涙を我慢して、千鶴は満足気に心の中で頷くと、急いで『シンデレラの指輪』をはずしてそのブースから離れた。
ちらりとこちらを見た千に合図して、展示ブースから離れる。
それに気が付いたスーツ姿の男性が慌てたように後を追いかけようとした。それを千が押しとどめる。
スーツ姿の男性の様子に、千鶴は驚いて駈け出した。
彼は本当に見張っていたのだろうか。千鶴が現れるのを待っていたのか?斎藤がそうしたのだろうか。それともキャンペーンの一環として開錠した人を知っておく必要がある?
千鶴は混乱してロビーを急いで横切る。
斎藤に会いたいのかどうかもわからない。まだ好きなのは確かだけれど、二年前あんなに身勝手な理由で別れた以上顔をあわせられない。
そんな状態でキャンペーンの一環として会うのも耐えられない。
しかし、もう少しで出口というところで、千鶴は手首をがっしりと掴まれた。
驚いて息をのみ振り替えると、それは以前自転車修理の件で世話になったコンシュルジュだ。
相変わらず無表情で冷たい瞳のまま千鶴を眺めている。
あの時とは違い、今の千鶴の恰好はそれほどこのセンタータワーでは場違いではないとは思うのだが……
以前の記憶がよみがえり、千鶴は場違いだと思われているのか、何か叱られるのだろうかと身を縮めた。
それともロビーで走ったのがいけなかったのか、謝ればいいのだろうか?
「あの、ごめんなさ……」
言いかけた千鶴の言葉を無視して、コンシュルジュはもう一方の手で携帯電話をとりだした。
打ち合わせ中に突然鳴りだした着信音に斎藤は顔をしかめた。ポケットから携帯を取り出している総司を見る。
「総司、携帯は電源を切っておけ」
「あーゴメンゴメン。打ち合わせっていっても僕達だけだしつい、ね」
「そういう馴れがいかんのだ。日頃の心構えの問題だ」
はいはいと斎藤の説教を受け流して、総司は携帯にでる。
「……はい、どちら様?……」
しばらく電話口で話を聞いていた総司は、目をきらめかせた。
「斎藤君、僕が携帯の電源を入れていたことに土下座して感謝してもらおうかな」
「何?」
「容疑者確保だってよ。一階の……コンシュルジュから。…?でもなんであの人が千鶴ちゃんを確保してくれたのかな?顔知ってたのかな??」
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