【シンデレラの指輪 17】















エレベーターがこんなに長く感じたのは、斎藤ははじめてだった。
いや、いっそのこと永遠に一階に着かなくてもいいような恐怖もある。それと同じくらい、もう一度千鶴と会いたいという思いも強い。
二年前と今と、彼女はかわっただろうか。自分を見る瞳はかわってしまっているのだろうか、それとも前と同じなのだろうか。
前は暖かくほころんだ、あの黒目がちな瞳が冷たく凍えていたとしたら……想像しただけで斎藤の手にイヤな汗がにじむ。
だまし討ちのように彼女の身柄を捕まえていることを不快に思ってはいないだろうか。それにしても天霧というのはあの一階にいるコンシュルジュだと左之が言っていたが、なぜ彼が千鶴を捕まえてくれていたのか?山崎はどうしているのか?

頭に渦巻く思いは、エレベーターのドアが開いた時全て消えた。
まるでカメラ画面のように、遠目でも入口の辺りにいる彼女の表情が目に飛び込んでくる。

ブラックスーツを着た大柄な男――コンシュルジュに腕を掴まれて千鶴が困ったように立ちすくんでいる。
千鶴がエレベーターからこちらに近づく人影に気づき、斎藤の方を見るまでがまるでスローモーションのように感じられた。
真っ黒な髪に真っ黒な瞳。肌は抜けるように白く瞳に浮かぶ感情は……
驚き。
気まずさ。
喜び。

きっと同じ感情が自分の瞳にも表れているだろうと、斎藤は思った。



近づいてくる男性陣に気づいた千鶴がそちらを見ると、はたしてYシャツ姿の斎藤達だった。
斎藤に総司、平助、左之、後ろから山崎と千もやってきて皆勢ぞろいだ。だが、千鶴の瞳がとらえたのは斎藤だけ。
変わっていない。
あいかわらず静かなたたずまいで、軽く息を切らしてはいるが落ち着いている。しかし深い蒼色の瞳には、複雑な表情が浮かんでいた。
無言で千鶴の傍へと近づいて行く斎藤を、みなかたずをのんで見守っていた。天霧も千鶴の手首を離して一歩下がる。

千鶴は手首を胸の前で押さえて、斎藤を見上げた。
「……」
見つめあう二人。

周囲はがかたずをのんで二人を見つめる中、斎藤がごくりと唾を飲んだ。

「……か…」
斎藤が口を開ける。千鶴が目を見開き、皆も斎藤の第一声に固唾をのんだ。

「……髪がのびたな」

ドドドドオオオオオッ
と、皆が昭和リアクションで密かにずっこける。
皆が各々心の中で斎藤の今の発言にはげしくつっこんでいると、千鶴が答えた。
「さ、斎藤さんは…あまり変わらないですね…」
「……散髪に行っているからな」
「……」
「……」

イライラと黙っていられずに二人の方へ行こうとした総司を、左之と平助が止める。その隙に前へ出ようとした千を山崎が押しとどめた。
(だって…!あれなんとかしないと!)
(ですよね?私もそう思います!)
(だからってお前が出て行ってもどうしようもないだろー!)
(そうです。はっきり言ってお邪魔虫ですよあなたは)
(みなさん静かにしてください。二人の会話が聞こえないでしょう!)
やいのやいのやっている外野は気にせずに、斎藤と千鶴はマイペースだった。

「……指輪を開錠したのか」
「は、はい。すいません…」
「何故謝る?開錠するようにキャンペーンをうったのはこっちだ」
「…そうですけど……」
「……」
「……」

また沈黙。
イライラとした外野の空気が漂う。

「……開錠の言葉は……」
斎藤はそう言いかけて黙り込んだ。千鶴がそろっと見上げると、斎藤は目じりを赤くしている。そして斎藤はしばらく沈黙した後思い切ったように続けた。
「……開錠の言葉は覚えていてくれたのだろうか」
「……」
千鶴は真っ赤になった。
恋に浮かれてレコーダーに『好きな言葉』を登録したあのころの自分が恥ずかしい。千鶴はコクンとうなずく。
「帰ろうとしていたところを強引に掴まえて申し訳なかった。この後何か急ぎの用事があったか?」
斎藤は、千鶴を捕まえてくれたコンシュルジュをチラリとみる。
コンシュルジュは相変わらずの無表情だったが、さすがにイライラしだしているのが瞳の色でうかがえた。
千鶴は首を横に振った。
「いえ、特にはないです。すいません逃げたりして……」
「いや、いいのだ。……その…『シンデレラの指輪』を開錠できるのはシンデレラだけで、そういうキャンペーンをやってきていて、その、シンデレラというのは一般的な意味ではなくこのキャンペーンでは……その……」
斎藤のまどろっこしさに千と総司が窒息しそうになっていると、斎藤がようやく続きを言った。
「……千鶴のことなのだ」

わかってるよそんなこと!とっくに!!!

という外野の心の声。
「なぜ、千鶴を……開錠してくれた人を掴まえたかと言うとだな……」
再び沈黙。
皆がごくりと唾を飲む。
「何故掴まえたかと言うと、『シンデレラ』には我社から素敵なプレゼントを贈ることになっているのだ」

ガタガタガタガタッ
外野は再びよろめいた。

千鶴が目を瞬いて斎藤を見上げた。
「素敵なプレゼント…ですか?そういえば雑誌にもそんなことが書いてあったような……」
「プレゼントは俺だ」

直球すぎーーーーー!!!!

総司は頭を抱え、左之はおでこに手を当てて脱力、平助は転がり、山崎は肩を落とし、千は膝をついた。天霧だけが微動だにせず立っていたが、呆れたように瞼は閉じられていた。

テンパっている斎藤は、前後の流れや客観的な視線などすっかりなくなった。
「何度もフラれているのにまたこのようなことをしてしまって申し訳ないと思っている。しかし、俺は千鶴でなくてはダメなのだということがわかったのだ。上手い言い回しもシャレた言葉も言えないが、俺は千鶴の事を好きで傍に居て欲しいと思っている。千鶴の方ではいろいろと……俺の傍に居ることや俺自身にも問題があるのだろうと思う。それを言わずともわかってやれればよかったのだがあいにくさっぱりわからず、つらい思いをさせた。だから……だから、次は。もし次があるのなら、だが、全部思っていることを話そうと思う。千鶴の話も聞いて、そして二人で納得できる答えを探っていければと」
斎藤は突っ立ったまま千鶴に言いつのる。
「うまいやり方でもないし、気の利いた言い方でもないのはわかっているのだ。俺がもう少し女性の気持ちを…いや、女性の気持ちではなくお前の気持ちをわかってやれればいいのだが、あいにく不調法者でさとってやることができない。完璧な男でありたいといつも思っているが現実はそうも……」
「斎藤さん」
「そうもいかないのだ。こんな弱い部分のある俺を受け入れてくれなどとはとても言えないが、だがしかし……」
「斎藤さん」
「だがしかし……え?」
自分の気持ちを言葉にすることに夢中になっていた斎藤は、目の前の千鶴が自分の名前を呼んでいることに初めて気が付いた。
千鶴は泣き笑いのような顔をして涙をぬぐっている。
「怖くて逃げだしたのは私の方です。臆病者の癖にプライドだけ高くて、斎藤さんに相談することもできなくて一人で勝手に思いつめて。謝らなくちゃいけないのは私の方で……」
千鶴は拭っても拭ってもポロポロと零れてくる涙を、手のひらで押さえた。
「…さ、斎藤さんがプレゼントなら喜んでいただきます」
「……」
口をポカンと空けたまま斎藤は固まっていた。
しばらく時間がたち、千鶴の言葉が脳まで伝わると、斎藤は口を閉じる。

千は涙を浮かべながらそんな二人を見ていた。
(ハッピーエンドですね。シンデレラだけに)
(そうだね、ほんとうにハラハラしたけどなんとかなりそうだね)
(ったく不器用にもほどがあるぜ一君!)
(ま、そこが斎藤のいいところだろ)
(後は抱き合って愛を確かめ合って終りという訳ですね)
最後のコンシュルジュ天霧の言葉に、他4人は一斉に彼を見た。この無表情でいかつい男がそんなロマンチックなことを言うとは。
しかし間違ってはいない。

だが斎藤は真っ赤になって黙っているだけだった。
(一君、早く動けって!今だよ、今!!)
(ちょっと僕行って押してくるよ)
(ま、待て待て!もうすぐ動くからよ)
しびれを切らした千が行こうとしたとき、千鶴が動いた。
そっと手を伸ばし、斎藤の手に触れる。斎藤は目を見開き、おずおずと手を伸ばした。二人の手が絡まる。
(もう我慢できない!山崎君、指輪!)
(……はっ?)
(早く!!)
山崎から『シンデレラの指輪』を受け取って、総司はとうとう二人の前に進み出た。

「斎藤君、ほら、これ。僕達からプレゼント」

そう言って、総司は開錠された『シンデレラの指輪』を斎藤に手渡した。
「……総司……。いいのか?それはキャンペーンに使うのでは……」
「だー!!もう!一君はそんなこと気にしないでいいんだよ!」
平助も我慢の限界が来たようで口を出した。左之も言う。
「そうだぞ。明日マスコミ各社に連絡してやるよ『シンデレラ現る!』ってな」
「千鶴ちゃん、おめでとう!」
「千ちゃん……」
皆が指輪を持った斎藤と、茫然としている千鶴を囲んで口々に騒ぎ出した。収集が付かなくなりそうになった時、静かな声が後ろから響く。
「落ち着いてください、みなさん。まだ終わっていませんよ」
コンシュルジュ天霧だ。皆の視線が自分に集まったところで彼はおもむろに続けた。
「指輪をはめてあげなくては」
促すようにコンシュルジュ天霧は斎藤を見た。
「そうだよ!一君」「早くやってよ!」「千鶴ちゃん手だして」「写メでも撮っとくか」

わいわいと騒がしいロビーの一角で、斎藤が千鶴の左手を恐る恐るとる。
細く白い彼女の手。斎藤はその薬指にゆっくりと指輪をはめた。
『シンデレラの指輪』の名にたがわず、それはするりと千鶴の指にはまる。

「もうその指輪一生外せないよ、千鶴ちゃん」
総司がからかうように片目をつぶって千鶴に行った。平助もうなずく。
「そーそ!一君しつこくてねちっこいからね。なんたって二年越しでもあきらめてなかったんだから」
「あら、千鶴ちゃんだってずっと斎藤さん一筋だったんですよ?頼まれたってはずさないわよねーえ?」
千がそう言って千鶴をのぞきこむと、斎藤が「あ、いや」と口をはさんだ。
「その指輪は防水性ではないので、手を洗うときは外す必要がある」
「……」
暫くの沈黙の後、総司が溜息をついて千鶴を見た。
「……まあこんな男だけど、千鶴ちゃん、呆れないでつきあってあげてよ」
左之も頭をかきながら言う。
「俺たちもできるかぎりフォローするからよ」
「千鶴ちゃん、相談があったらいつでも言って」

皆が口々にそう言ってくれるが、千鶴は笑いすぎて聞こえていなかった。涙と笑顔と幸せな気持ちに包まれて笑いが止まらない。千鶴の笑い顔につられて斎藤も照れくさそうな笑顔になる。

「水に濡れても大丈夫な指輪を別に贈りたいのだが受け取ってもらえるだろうか?」

「…はい、もちろんです」
千鶴は涙を拭きながら笑顔で斎藤を見上げた。
見上げだ斎藤の肩越し、ロビーの大きなガラス窓に静かに降り出したクリスマスの雪が見える。
千鶴は、二年前に斎藤と一緒にタクシーの中で見たクリスマスの雪を思い出した。
そしてその後のつらい雪空も。
これからも、きっと悩んだりケンカしたりつらい思いをすることがあるかもしれない。
でももうこの手は二度と離さない。
千鶴がぎゅっと斎藤の手を握ると、斎藤も微笑みながら握り返してくれた。
そして恥ずかしそうに言う。

「その水に濡れても大丈夫な指輪はその……はめる場所が決まっていてだな……」
言いにくそうに黙り込み、頬を染める斎藤を、千鶴は幸せな気持ちで見上げる。斎藤はうっすらと赤くなり緊張した様子で千鶴の顔を見た。
「左手の薬指用だが、大丈夫だろうか?」
千鶴の瞳がふたたび滲んだ。返事をしようにも声がうまく出なくて、何度も頷く。
「……はい……!」
なんとか絞り出した声は、涙で途切れていた。
斎藤は握っていた千鶴の手をひいた。

再び胸に抱きしめることができた暖かい温もりを、斎藤は恐々と、だがしっかりと抱きしめる。
そして、大きな窓から降ってくる雪を眺めて、彼女のいい香りのする髪に顔をうずめて。
斎藤は静かに瞼を閉じた。








そして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。









【終】



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