【シンデレラの指輪 14】









―――半年後、初夏。

センタータワーの最上階の大きな窓からはさわやかな光がさしこんでいるが、会議室の中は重苦しい雰囲気だった。

「だめだな、後発の上に重いしでかい。せっかく開発しても売れねーだろ」
社長の土方はそう言うと、手に持っていたA4サイズの箱の試作品を机に置いた。
開発担当の平助は『やっぱりな』という顔だ。左之がフォローするように言う。
「もうちょっと用途をはっきりさせるか。声紋認証でその人にしか開けられない箱ってのも漠然として売りずれえよな。守るのは貴重品や貴金属じゃなくてプライバシーってとこを前面にだしてよ」
平助が大きく溜息をつき、頭をがしがしとかいた。
「まーな、作るのは指輪みたいなちっせえ物に比べりゃ楽だけど使い道まではなあ。大きさはこんなもんでいいの?」
「そーだなあ…」
土方は考える様に腕を組む。
「うーん…」
皆も考え込んだ。まずは用途を決めないとサイズも決められない。
いい考えもでずに会議室は沈黙となった。
次の議題にうつるかもう少し考えるか。皆しばらく時間を過ごす。
斎藤は、ボールペンでノートを軽く叩きながら一応考えてはいた。平助がちらりと言った『指輪』という言葉に反応したのを隠すように俯いて。
『指輪』というのは千鶴のアイディアから総司達が考えた『シンデレラの指輪』のことだろう。
もう会わなくなってかなりたつし後悔や痛みも随分うすらいだ。
思い出すのは彼女の笑顔と幸せだった自分の感情。
斎藤はそんなことを思いながら、机の上に散らばっている雑誌に目をやった。
次の議題のために置いてある雑誌で、会社が協賛したイベントや広告が載っている雑誌が開いたまま置いてある。斎藤がふと目に留まったのはその雑誌の一つで、ファッションショーのような写真だった。遠目に映っているモデルたちが何人か。そのうちの一人が、何処か見覚えがあるような気がした。
いや、見覚えがあるような気がしたのはそのモデルが着ている服か?白くふわふわとした素材が幾重にも重なった花のような……
雑誌を引き寄せて見た斎藤は動きを止めた。

千鶴だ。

これは初めて会った時に千鶴が着ていた服で、そして今この雑誌に載っているモデルも写真のピントがずれているために顔はぼけているが千鶴だ。
斎藤は慌てて記事へと目を走らせた。
見開きの記事で、服飾専門学校の今年3月の卒業展の記事だった。有名なファッションデザイナーや文化人が参加して盛大に開かれた模様が書かれている。
「これは……」
斎藤は思わずつぶやいた。左之が気が付いて覗き込む。
「どうした?これか?……ああ、この専門学校、IT系のコースもあってこの卒業展にうちの会社も協賛してんだな。これがどうしたか?」
「……千鶴が……」
「え?」
総司も覗き込む。そして気が付いたようだ。
「これ?……確かに似てるけど横向いてるしよくわからないね。千鶴ちゃん、アパレル方面なの?でもなんか試験うけるとか言ってなかったっけ?」
斎藤の頭はめまぐるしく駆け回った。
違う。千鶴がここの学生ではないのだ。誰だったか……同じアパートに住んでいる友人がいると言っていた。彼女のつくったドレスであの初めて会った夜のあのパーティに来たと。
「左之」
「ん?」
「会議が終わったらこのページをもらってもかまわないか」
「……あ、ああ。もちろんいいけどよ…」
真剣な表情の斎藤の様子に、皆は彼を見た。





千は、指定された喫茶店できょろきょろとあたりを見渡した。
そこは一杯千円はするという高級喫茶店で、もちろん千はこれまでこんな店に入ったことは無い。だが、ここが指定された場所なのだ。
先日、卒業したばかりの専門学校から千に突然電話があった。それによると、有名なIT企業で学校にも資金協力をしてくれているスポンサー企業の幹部が、千に会いたいと言っているらしい。卒業展を見て興味を持ったと。
服飾デザイナーの卵の千に、IT企業の幹部が何の用かはわからないが、怪しい人物などではなくしっかりした人だから、新しい製品のデザインチームに加わってほしいとかそんな話ではないかと、専門学校の事務の人は推測を交えて言っていた。
『デザイン』とはいっても服とIT製品とは全く畑が違う。役に立てるとは思えないが、学校側の顔を立てるためにも千は金曜日の夜7時、指定されたこの店にやってきたのだ。
千が変な応対をしたせいで、専門学校への資金協力を引き上げられたりしたら申し訳ない。
とても自分では役に立てないと思ったら丁寧に断ればいいし、すこしでも興味が持てればやってみればいい。
そう思いながら千は薄暗い店の中に入って行った。
クラッシックが流れ、落ち着いた証明に、席はみなふかふかなソファ。客も年配の人が多い中、彼は目立っていた。
千がその部屋に入るとすぐ気が付いたようで、彼は立ち上がる。すらりとした体に仕立てのいいスーツ。少し長めの髪が目にかかっている。

うわ、男前……

千は目を見開く。彼は千を見つめながら口を開いた。
「鈴鹿……千さん?」
「は、はい」

声もいいし

千は不意を打たれて瞬きをした。大きな会社の幹部と言っていたからかなりのおじさんがくると思っていたのだ。でもそういえばその会社は設立されてからまだそんなに経っていないはずだから幹部と言っても若いのだろう。
彼は千に向かいの椅子をすすめた。
「初めまして。斎藤と言います」
そう言って慣れた手つきで名刺を差し出す。受け取ってみると、そこにはフルネームが書いてある。

斎藤一……

聞いたことがある。
まさか、と千が思っていると彼が話し出した。
「すまないが仕事の話ではないのだ。汚い手を使って申し訳ないが人を探している。雪村千鶴と言う女性だ」
「……」
「知っているだろう?」
探るように千を覗きこむ彼の蒼い瞳は、質問の形を取った問いかけだが千が知っていることを断定していた。
そして続ける。

「彼女の連絡先を教えて欲しい」




『斎藤さんの話は千鶴ちゃんから聞いています。その……今は会っていないことも。千鶴ちゃんの連絡先は私からは教えられません。でも斎藤さんが会いたがっていることを伝えます』
『千鶴ちゃんもあの頃はずっと泣いていて……今もすっかり立ち直った感じではないんです。斎藤さんの事をまだ好きなんだと思います。だから斎藤さんが連絡を取りたがってるって知ったら、きっと喜ぶんじゃないかな』


そう言われてから一週間。
斎藤が待ち焦がれていた連絡はこない。
そしてようやくかかってきた電話は千鶴からではなく千からで、斎藤が期待した内容ではなかった。

『あの……話したんですが、会うことはできないと……』
「俺の名前は言ってくれたのだろうか?」
『はい、もちろんです。斎藤さんから連絡を取りたがってるって伝えたんですけど、『会えない』って。』
「前に話した『誤解』についても話したのか?それでも?」
電話の向こうで千が頷く気配がする。
『はい。その点いついてはちゃんとわかってるから大丈夫ですって伝えて欲しいと。誤解なんてしてないそうです。してないけど……全部千鶴ちゃんが悪いんですって』
「……」
誤解が原因ではなかったのか。ではやはりあの夜の出来事が千鶴の本意ではない展開だったのだろうか。それともあの夜、自分が気づかないところで何かしてしまったのだろうか。
だが謝って済むような問題ではないということが、千からの電話で斎藤にはわかった。
なんとかやり直す方法はないかと考えるが、ショックで何も思い浮かばない。
はっきりしたのは、千鶴がもう斎藤と会うつもりがないことということだけだ。

「千鶴は何も悪くない。多分……多分俺が全部悪いのだろう。女性とあまり付き合ったことがなくきっと彼女を不快にさせてしまったのだろう」

電話口から聞こえてきた斎藤のその声があまりにも辛そうだったので、千は思わず言った。
『そ、そんなことは無いと思います。千鶴ちゃんはまだ斎藤さんのことを好きだと思うし。不快になって会いたくないって言っているのなら、好きなんかじゃなくなってますよね』
「……」
納得しかねる、といったような斎藤の沈黙に千は続けた。
『こういうのってほんのちょっとの擦れ違いがすごく大きな問題になっちゃうんじゃないかって思うんです。千鶴ちゃんがまだ学生で斎藤さんがすごいところで働いてる人だとか、千鶴ちゃんがあまり裕福じゃなくて斎藤さんがセレブとか。そんなこと関係ないって思ってても、つきあうって日常の積み重ねじゃないですか?その日常があまりにもかけ離れてると、やっぱりどっちかが崩れてきちゃうんじゃないかって』

だからどっちが悪いんじゃなくてタイミングが悪かったんじゃないでしょうか。


千は最後にそう言って電話を切った。





「今日電話したー」
千鶴が風呂からあがると、千が帰って来ていて冷蔵庫を覗き込みながらそう言った。誰に、とは言わなかったが、千のその一言で千鶴にはわかった。
「そっか。ありがとう」
強張った笑顔でそう言った千鶴の顔を、千は不審げに覗き込む。
「うっとおしい男をふってすっきりした女の顔じゃないなあ。後悔してるんでしょ?もう一回連絡取ってみれば?斎藤さんもすごくショックだったみたいだよ」
千鶴は苦笑いをしながら首を横に振った。
千鶴の表情は落ち着いていて、散々考えた末の答えだと言うことが千にもわかった。それでも敢えて聞いてみる。
「…後悔しないの?」
千鶴は泣き笑いの顔で千を見る。
「後悔すると思うよ。今も後悔だらけだもん。……斎藤さんは本当に王子様みたいで、やさしくて素敵で。もうあんなに好きな人には会えないと思う。でも、こんな…教採も落ちて必死で勉強してる今のような時に、あんな人とやり直しなんてできないよ。バイト頑張って大学行って勉強して……でも結局私は何にもモノにできてなくて。斎藤さんとの違いにみじめになるだけだもん」
千鶴は肩をすくめて苦笑いをしながらそう言ったが、瞳の奥は傷ついたように鈍く光っていた。
「私がもうちょっとちゃんとしてる時にお城のパーティで会えていたらなって思うけど、それは今からもうどうにもならないもんね」
冗談めかした千鶴の言葉に、千もおずおずと笑った。
「……そうね、魔法はとけて次は現実ってわけね」
「現実は厳しいけどね」
そう言う千鶴と目を合わせて、二人は声を出して笑った。




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