【シンデレラの指輪 10】






斎藤の風邪もすっかり治り、いよいよ街もクリスマスカラー一色に染まるころ。
「あ、千鶴ちゃん!ちょうどよかった!」
センタータワーに入ろうとしていた千鶴は、入口ですれ違った総司から声をかけられ立ち止まった。
「沖田さん?お出かけですか?」
「そう、ちょっとお客さんとこに行かないと行けなくてね。今日は斎藤君とバイト前にここでお茶するんでしょ?斎藤君を追いかけたんだけどすれ違っちゃったみたいでさ」
総司はそういうと、手に持っていた小さな機械を千鶴に渡す。
「はい、これ」
千鶴は受け取った。
「えーと、これを斎藤さんに渡せばいいんですよね?」
「違う違う。これは千鶴ちゃんにお願いなんだ」
「私に?」
通行の邪魔になってしまっていることに気が付いて、総司は千鶴をビルのロビーの脇に寄せる。
「前に話したでしょ?『シンデレラの指輪』。あれ、今平助が開発チームつくっていろいろやってるんだけど、発案者に敬意を表してプロトタイプの音声解除キーは千鶴ちゃんの声にしたいなって。これに解除キーを録音してくれない?」
千鶴は驚いて手の中の機械を見た。ではこれはレコーダーなのか。
「そんな…そんな大事なものに私の声なんかでいいんでしょうか?」
「もちろん!いいかな?」
「……光栄です。けど、どんなことを録音すれば……?」
新商品の解除キーなのだ。『開けゴマ!』的な普通の人には想像できないワードの方がいいのだろうか。
千鶴が困ったように首をかしげていると、総司はポンと肩を叩いた。
「なんでもいいんだよ。好きな言葉とかそういうので大丈夫」
「……はあ…」
「じゃね!できたら僕の机の上に置いといて」
そう言いながら明るく立ち去る総司に、千鶴は手を振った。自分のしたことは、ほんとうに小さなアイディアをだしただけなのだが…いや、アイディアを出してくれと頼まれて考えたわけではないから、アイディアを出してさえいない。千鶴の何気ない会話から総司と平助がヒントをすくいあげただけ。でも、少しだけ彼らの仕事の仲間になれた様で千鶴は嬉しかった。
キラキラと開発の話をしていた平助と総司の顔が目に浮かぶ。

たいしたことはできないけど、沖田さんから頼まれたんだからちゃんとがんばろう。
『好きな言葉』かあ……

千鶴は考えながらレコーダーをカバンにしまい、斎藤と待ち合わせをしているセンタータワーのコーヒーショップへと急いだのだった。





週末の夜。
千鶴は自分の家で来年の試験のための勉強をしていた。
風邪のせいで勉強の進み具合がかなり遅れてしまっている。……いや、風邪のせいだけではないと、千鶴は自分でわかっていた。
斎藤と出会ったことで、物理的にも精神的にも勉強に身が入らなくなってしまっているのだ。
千鶴の勉強の邪魔をしないようにと斎藤は気を遣ってくれて、アルバイトの前後の少しの空き時間だけ会うようにしてくれている。だからこれは斎藤のせいではなくすべて自分のせい。
斎藤の事を考えて気が散ってしまったり、アルバイトの前に会うわずかな時間に着ていく服を考えたり。
もともと時間のない中での勉強は、そのおかげでかなり圧迫されてしまっていた。
「しっかりしなきゃ」
狭い自分の部屋で、千鶴はつぶやいた。
試験勉強をして試験を受けて、先生になって借金を返しながら自分の生活を作って。
そのすべてが今の時期の勉強にかかっているのだ。斎藤ももちろん大事だけれど、ちゃんと自分の足で自分の思うとおりに立つことのできる人間になりたい。両親がいなくなり自分ひとりで暮らしていかなければいけなくなった時の不安は、千鶴の胸にしっかりと刻み込まれていた。もうあんな不安な思いをしたくない。ちゃんと自分で、安定してお金を稼げるようにならないと。
大学やアルバイトがお休みの日は、勉強をがんばろう。
千鶴は気を取り直すと、また参考書にむかった。


「そうか。がんばっているのだな」
いつものごとくアルバイトで掃除をしている千鶴から、残業の名目で残ってその話を聞いた斎藤はうなずいた。
頑張り屋の彼女らしい。将来のための資格を取る勉強をしているとのことだったが、そのしっかりしたところも好感が持てる。
その将来の職業は彼女の昔からの夢だと聞いていたが、斎藤は応援したいと思っていた。勉強時間が足りなく焦っているのならバイトをやめればいい、それに相応するお金は自分が払うから――と斎藤は提案したいくらいだったが、ガマンした。
お金はある。そして斎藤にはそのお金を使いたいような趣味は特にない。ならば、応援したいと思っている女性に提供しても、何ら問題は無いし合理的だろうと思う。
しかし、前回の自転車の件で斎藤は学習していた。
親兄弟でもない他人に対して行う金銭的援助は、うまくやらないと受け入れてはもらえないということを。
多分ここで斎藤が『では、俺がアルバイト代と同額を払うから、千鶴はアルバイトを辞めて勉強をすればいい。夜遅くで歩く心配もなくなるし体力的にも楽だろうし勉強もできる。一石三鳥だ』などと言ったら、千鶴は「ひく」のだろう。多分。

つまりは金をもらう対価が必要ということだ

アルバイトという労働力を提供して、金をもらう。
何もしていないのに金だけもらうということには、抵抗があるのだろう。
非合理的だしもどかしいが、それが常識なら従わざるを得ない。また千鶴に逃げるように帰られるのはごめんだ。
何かいいきっかけがあれば……
斎藤が考えを巡らせていると、ピンクの作業着を着た千鶴がゴミ箱を開けながら言った。
「はい。風邪でかなり勉強できなかったのでとりもどさないとって思ってるんです。あ、そう言えば…!斎藤さんにずっと言おうと思って忘れてたことがあるんです」
「なんだ?」
「あの、私が風邪を引いた時看病してくださってありがとうございました。あんな狭くて汚い家に週末の間ずっといてくださってご飯作って下さったり……本当にすいませんでした。キッチンも冷蔵庫も小さくて使いづらかったですよね、きっと。とっても助かりました。ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をする千鶴に、斎藤は首を横に振った。
「いや、たいしたことではない」
「いいえ。おかげで早く治ったんだと思います。私も何か斎藤さんが困ったことがあったら言ってくださいね!たいしたことはできませんができるだけ頑張ります」
重ねて礼を言われて、斎藤は面はゆかった。純粋に寝込んでいる彼女が心配で看病に行ったは行ったのだが、もちろん千鶴だから心配だったわけで、これが熱を出したのが平助や総司だったらあんなに熱心には看病しないだろう。と、いうことは下心があったということになる。実際その時に初めて彼女とキスをしたのだし、あまりにも善意100%のように礼を言われると居心地が悪い。
斎藤は返事を曖昧にごまかして話を終わらせようとした。
しかしその時ひらめいた。
「千鶴。そう言えば俺もお前に頼みがあった。困っている…と言っていいだろう。聞いてくれるか?」



斎藤の頼みとは、一緒に仕事のパーティに出てくれないかという物だった。
前回のような華やかな物ではないが、同じ業界のリーダー的会社が、親睦も兼ねて毎年クリスマスパーティをするらしい。アットホームなパーティで、みな恋人や奥さんをつれてくる。斎藤の会社も、社長の土方が招待されているのだが、あいにくその日は土方の都合が悪く幹部の誰かが行ってくれないかという話になった。
『女の子を連れてくってのがなー……』
『去年、俺が女友達に頼んで一緒に出たんだが変な風に誤解されちまってたいへんだったぜ。やっぱりああいうパーティに一緒にでるってことは、つまり恋人になったって誤解させちまうしな』
『でも今年は一君がいるじゃん!』
『そうだね、この中で唯一の彼女持ち。頼んだよ』
いや、待ってくれ、正式にその、彼女とは……とモゴモゴと反論した斎藤の言葉は、皆から華麗にスルーされ、『千鶴ちゃんを誘って例のパーティに斎藤が行く』という運びになってしまっていた。
しかし千鶴は勉強や学校に忙しく、斎藤の都合で振り回すようなことはしたくは無い。そのクリスマスパーティに男一人で行くと、かなりの顰蹙と空気を悪くさせてしまうが、しょうがないので斎藤は一人で行こうと思っていた。
だが……
「千鶴が勉強で大変なのはわかっている。が、頼みというよりアルバイトだと考えて欲しい。もちろんそれなりの給料は払う。どうだろうか?」
こんなパーティや祝賀会に呼ばれるのは、斎藤達は月に何度もある。
今回の件が上手くいったら、これからも千鶴にパーティの同伴のアルバイトを依頼すればいいのだ。アルバイト料として斎藤からある程度まとまった金を渡せば、千鶴の生活は楽になり今やっている深夜の掃除のアルバイトを減らすか失くすことができるだろう。
パーティ同伴など、一日、それも夜の二、三時間だけだし体調が悪ければもちろんでなくてもいい。斎藤もどうどうと彼女と時間を過ごすことができる。退屈なパーティもこれで楽しみになると言うものだ。

我ながらなかなかいいアイディアだ。

斎藤は頷いた。
もちろん、そんなことをあらかじめ千鶴に話してしまえば千鶴はまた遠慮するか「ひく」だろう。だからこれは斎藤の心の中にしまっておけばいい。結果として千鶴に、斎藤からのアルバイト料が入り彼女の生活が楽になればいいのだから。


千鶴は斎藤の提案について考えていた。
アルバイトはともかくとして、彼からの頼みごとだ。できれば了承したい。だが、ちょうど昨晩、大学とアルバイト以外の時間は全て勉強にあてようと決めたばかりだ。

……でも……斎藤さんは「アルバイト」って言ってたし、決めたのは『大学とアルバイト以外の時間は』だから、いい……かな?

もともとそう決めたときの『アルバイト』は、現在やっているビルの掃除のアルバイトの事だったが、広い意味では今回の斎藤からの依頼も『アルバイト』ではある。
千鶴は自分をそうごまかして、頷いた。そして、気づく。
「あの、でも……私、そんなパーティに行けるような恰好、持っていなくて…前の服は友達のを借りたんです」
「服?」
それは考えていなかった。斎藤にしてみれば千鶴がどんな服を着ていても気にしないが、女性としてはあまりみすぼらしい恰好をして華やかなパーティに行くのは嫌だろうと想像はつく。
「友達のを借りていたのか…」
「はい。自分でデザインして服を作っている子で、お千ちゃんって言うんです。同じアパートに住んでて学生で。そう言う関係の学校に通っていてそれの卒業制作展で使う洋服を借りたんです」
そういうことならまたその子から借りるという訳にはいかないだろう。
「そうか。だがパーティに行くための諸々については必要経費ということになるだろうから千鶴は気にしなくていい。どうやって調達すればいいのか左之辺りにでも聞いておこう」
斎藤は首をひねりながら答えた。
千鶴に似会いそうな服をどこかで買って渡せばいいのだろうか?しかし自分には女モノの洋服はどれも一緒に見える。サイズや色もあるだろうし、斎藤が選んで買うなどできそうもない。
「では、その…パーティに行く恰好については俺が何とかする。日時はクリスマスイブの夜なのだが大丈夫だろうか?」
クリスマスイブ……
その言葉に千鶴は、ほんのりと頬を染めた。
クリスマスイブを好きな人と過ごすなんて初めてだ。しかもそんな華やかなパーティで。
「はい。大丈夫です」
幸せそうに微笑む千鶴の顔を見て、斎藤は自分のアイディアが上手くいったとほっと胸をなでおろした。





BACK   NEXT



戻る