【マクドナルドで夕食を 4】







風間はしばらくして庭の先の林から帰ってきた。が、夕飯はいらないと言われてしまった。
千鶴は、買ったばかりの『初めて洋食』という本を読んで、今日はハンバーグのデミグラスソース煮にしようとタネをすでに作っていたのに。
しかし、それも風間の希望ならばしょうがない。
千鶴は自分の夕飯はあっさりお茶漬けですませて、そのあとずっと夜遅くまでキッチンをいろいろ調べた。

分かったのは、このキッチンはとても道具が豊富なこと。
フライパンだけで、鉄製からステンレス、テフロン加工のもの、大きさも小さいのからおおきいのまであるし、圧力鍋も二種類ある。調味料は粒の胡椒はもちろん岩塩や沖縄の塩、ハーブソルトにビネガーも様々な種類があった。それにタイムやローレルなどのハーブも各種きちんと分類されて保管されている。
以前の料理人は相当こだわりのあった人物なのだろうと千鶴は思った。これでは千鶴の作った料理など腹の足し程度で、たいしておいしいとは思わないだろう。
そしてキッチンの棚に、様々な料理の本が立ち並んでいるのを発見する。
どれも綺麗な状態だったが、買ったばかりで一度も開けていないと言う風ではなく、使い込んだようなページの癖や、たまに汚れがついていたりした。
千鶴はその中でも初心者向けと思われるものを取り出し、キッチンの片隅にあるキッチンテーブルでじっくりと読むことにした。風間の好きな料理や味付けを知ることができるかもしれない。
料理の本を読むのははじめてだったが、意外に楽しい。自分でもつくれそうなもの、汚れがついていたり分量の書き込みがあったりで風間が好きなメニューなのがわかるものがあれば、ノートにページ数と料理名をメモっていく。

夜がすっかり更けて来たころ、キッチンの入口付近にふっと気配を感じて、千鶴は読んでいた料理本から顔をあげた。
そこにいたのは風間だった。
昼と同じく、白いシャツにジーンズ姿でふらりとキッチンに入ってくる。
千鶴のいる作業台には目もくれず、キッチンの奥へと入っていく風間に、千鶴はどうしようかと戸惑った。

風間さん、私が居ることに気づいていないんだ。どうしよう……このままここに存在を知らせないままいるのは、なんだか盗み見してるみたいで悪いよね。でもいきなり話しかけるのもなんだし、そもそも何を話しかければ……

千鶴が迷っているうちに、風間は冷蔵庫を開けて何かを取り出した。
なんだろう?と千鶴が少し体を傾けて見てみると、それはトマトだった。
トマトの表面を感触を確かめるように撫で、一度軽く匂いを嗅いでからそれは戻して隣の別のトマトを取り出す。
そちらはお眼鏡にかなったようで、シンク脇の作業台に置かれた。そして次に取り出したのはチーズ。モッツアレラチーズだ。袋ごと取り出して、これも作業台に置く。
目が見えないにもかかわらずその慣れた手つき、仕草を見て千鶴はピンときた。
きっと毎夜、風間はこうやって何かを食べていたのだ。
千鶴が来てから昼も夜も食べない時が何度もあり、風間がお腹は減らないのかと不思議だったが、当然減っていたのだ。夜中にキッチンで食べていたに違いない。
そして千鶴はもう一つ気づいた。
風間は料理をする人だったのだ。
フライパンや鍋は、今はさすがに使わないようだが、多分目が見えるときは使っていたのだろう。
あの本格的な材料や道具もそのためだったのだ。
そして、今目の前でさくさくとトマトを切っていく手つきを見ると、相当上手いのではないかと思う。千鶴なんて足元にもおよばないくらい。
風間は棚に手をやると確かめるように調味料の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、小さなドレッシングボウルに振り入れる。そしてビネガーとオリーブオイル。
このままでは千鶴は本当に盗み見したことになってしまう。どのタイミングで声をかけようかと千鶴が焦りだしたとき、風間の肘がビネガーの瓶にあたった。それに気づいた風間と、千鶴が駆けよって床に落ちる前に瓶を支えたのが同時だった。
「……誰だ?」
「……雪村千鶴です。すいません……もともとキッチンにいていつ声をかけようかと迷っているうちに……」
てっきり怒鳴りつけられるかと思ったのだが、意外にも風間は「フン…」と小さくうなずいただけで何も言わなかった。そして風間は、引き出しをあけ、ドレッシング用の小さな泡だて器を取り出してかき混ぜだす。
カシャカシャという泡だて器がボールにあたる音が、深夜のキッチンに響いた。
「……お料理、されるんですね」
「……」
「いつも夜にご自分で作ってらしたんですか?」
「皿を出せ」
「え?」
唐突に言われた言葉に千鶴が聞き返すと、風間は苛立ったようにすっきりとした眉間にしわを寄せて繰り返した。
「お前の後ろの食器棚から皿をだせ。白い陶器のサラダボウルだ」
「は、はい!」
千鶴が慌てて出すと、風間はスライスしたトマトとチーズをきれいに盛り、その上に先程作ったドレッシングをかけた。そして風間の脇においてあるフランスパンを切ると、ニンニクとバターを刷り込んでトースターにいれる。
しばらくしていい匂いが漂ってくると、風間はサラダとパンを皿に盛って、キッチンテーブルへと向かった。
千鶴がここにいるのは場違いだし、邪魔になるだろう。
「あの……じゃあ、おやすみなさい」
千鶴はペコリと挨拶をするとキッチンを後にする。もちろん風間からは返事もなくスルーだったが。
少しだけ知ることのできた風間の意外な一面について、千鶴はその夜ベッドにもぐりこんだ後もずっと考えていた。



次の日の朝。
千鶴はいつも通り朝食を書斎に運ぶのではなく、風間をキッチンまで連れてきた。
そして昨夜遅くからいろいろと置き直したものを見てもらう。
「フライパンは一番小さいのの取っ手にはビニールテープを一回、中くらいのには二回、大きいのには三回まきました。お鍋も同じです。フライ返しは右側のここ、菜箸は手前のここ、お玉は左側です。オリーブオイルはこの入れ物にいれました。ここにギザギザが一つある箱です。普通のサラダオイルはギザギザが二個で……」
他にもジャガイモ玉ねぎ人参を定位置に置くようにし、冷蔵庫の中におくものにもルール付けをした。千鶴本人も忘れてしまうと困るのでビニールテープを貼り、字でも書いておく。
「なくなったら私が定位置に補充します。他に必要な食材があったり、わかりにくかったりしたら言ってください」

どうでしょうか?という感じで千鶴が一通り説明し風間の顔を見ると、風間は確かめるようにフライパンの取っ手に触れたり、野菜の並びを触れて確かめていた。
そしておもむろに、包丁を手に取ると、玉ねぎを取り出し皮をむき、ざくざくと切り、なにやら調理していく。冷蔵庫から卵を取り出すと、千鶴が新しく配置を決めた場所を手探りで確認しボウルを取り出す。ボウルで卵をとき、チーズや牛乳をいれ、一番小さいフライパンをとってのビニールテープで確かめた後火にかける。温め手をかざして温度を確かめた後に流しいれ、見る見るうちにきれいなオムレツができあがった。
ほぼ同じタイミングでトースターに入れていたフランスパンが焼きあがり、鍋で作っていたオニオンスープのいい匂いが漂ってきた。
「スープ皿とオムレツをおく皿を出せ」と言われて、千鶴が慌てて用意する。
あっという間に出来上がった美味しそうな朝食を見て千鶴は目をぱちくりさせた。とても目が見えないままに作ったとは思えない。
「食器の場所も指定があればなおよかったが……まあいい。なかなかいい出来だ」
「……」
初めて褒めてくれた言葉に、千鶴は驚いて風間を見上げた。
白いシャツに深い赤のカーディガンを羽織った風間は、気のせいか嬉しそうに見える。千鶴は昨夜考えた自分のやり方が間違ってなかったと、じんわりと嬉しくなった。自分が認められたのももちろんうれしいが、風間の自由が広がって喜んでいるらしいのが一番うれしい。

千鶴がほっと肩の力を抜いた時、『ぐう〜〜』と千鶴のお腹がなった。
朝早く起きて何も食べずに夢中で台所の整理をしていたのだ。目の前の美味しそうな匂いに思わずお腹が反応してしまったのだろう。
「きゃっ!あ、あの……すいません!」
顔を真っ赤にして千鶴がお腹を押さえて謝る。恥しくて冷や汗がにじむ。
「…ふ……ふっはっははははは!」
その時、上から笑い声が聞こえてきて、千鶴は目を見開いた。
顔をあげると、風間が声を出して笑っていた。

いつも無表情だったり気難しそうだったり不機嫌な表情だったのに、笑顔だと一瞬にして印象がかわる。
パッと辺りが華やぐような魅力が溢れていて、笑い声も胸に響くような心地いいもので。

千鶴はぼんやりと見惚れてしまった。
昨日ほぼ徹夜でキッチンを改良したせいでほとんど眠れなくてお腹もペコペコだ。
しかし彼のこの笑顔は、それの対価としては千鶴にとって充分すぎるほど素敵な物だった。





夕飯は昨日千鶴が作ったハンバーグのタネを使ったミートローフだった。もちろん風間が作る。
『ハンバーグのやき加減はさすがにわからんし、ミンチは火が通っていないと大変な目に合う。お前に任せるのは危険すぎる』とのことでメニュー変更となったのだ。
ガラス製の耐熱容器にタネをいれ、ゆで卵をいれて断面を綺麗に見えるようにし、オーブンで焼く。その間にブロッコリーと人参をゆでる。そしてワインと肉汁でミートローフにかけるソースをつくり……
「今日はパンじゃないんですね」
炊き上がったご飯をかき混ぜながら千鶴が言うと、風間は答えた。
「一人ならパンにしたがな」
「……一人?」
「おまえは米の方がいいのだろう?」
千鶴は驚く。
「え?わ、私の分もあるんですか?」
風間は何でもないようにうなずいた。
「隣でぐーぐー腹を鳴らされていてはたまらん」
「…!」
今朝のことを言われて千鶴は顔を真っ赤にした。
「あ、あれは…!あの時は朝早く起きてですね……!」
風間は「わかったわかった」と言うと、「天霧も執務室にいるだろう、呼んで来い。ミートローフは二人では食べきれん」と廊下の方を指差した。

連れてこられた天霧は、キッチンテーブルに並んだ食事を見て目を見張った。
「これは……本当に風間が作ったのですか?」
風間が頷くのを確認して、天霧は瞬きをする。
「……あなたとは付き合いが長いですが、こんな趣味があったとは知りませんでした」
と言うと、静かに席に着いた。風間も座りながら言う。
「以前はこんな話をする暇も余裕もなかったからな」
千鶴は、風間と天霧のグラスにワインを注ぐと、自分も椅子に座る。

それからは、千鶴がこの館に来て初めて位の楽しい夕飯となった。
『なかなかおいしいですね』という天霧に『なかなか、は余計だ』と言い返す風間。
天霧も風間もリラックスして食事をしており、千鶴も美味しく食べる。
風間の料理は本当においしい。
そして風間の笑顔も。
滅多に見られないが、笑ってくれると千鶴の心は温かくなった。
もっともっと笑顔が見たいと思う。幸せそうな顔が見たいと。

ようやく一歩前に踏み出せた感じ。
明日からも頑張ろう

千鶴は心の中で小さくガッツポーズをとると、美味しいミートローフをほおばったのだった。 






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