【マクドナルドで夕食を 10】
「海外の市場で動きはあったか」
風間は屋敷の中にある執務室の扉を開けて、中にいた天霧にそう聞いた。
今日の朝は特別早く海外の市場の動きを確認する必要があったため、執務室に来たのは風間だけだ。千鶴はあと3時間後ぐらいに朝食を食べてから来るだろう。天霧は当然風間よりも早く来ていた。
ところがいつもこういうときは淡々と市場の様子を伝えるだけの天霧が、今日は返事がない。
天霧の机にあるパソコンが静かに音をたてているし、彼の机の上からは淹れたてのコーヒーの匂いがするから、天霧は当然そこにいるはずだと風間はもう一度声をかけた。
「天霧?」
返ってきた返事は、大きなため息とともに、何か紙を持ち上げたような音。
どうしたのかと風間がどっかりと自分の椅子に座ると、それとは逆に今度は天霧が立ち上がる音がした。
「どうした、具合でも悪いのか」
天霧がこちらを見ているのを感じる。風間は椅子の背にもたれてそちらの方へ顔を向けた。
しばらくした後、天霧の低い静かな声が聞こえてきた。
「……こんなものが届いていました」
声と同時にガサリという紙の音。
「なんだ?」
「中身は鈴鹿学園の財政状況とM&Aをした場合のリスクについての報告書です。それとこちらは……雪村千鶴の生き別れの兄、薫の情報のようですね」
「……」
言葉の端々にあからさまに感じる天霧からの批判を無視して、風間は人差し指で自分の顎をなぞった。
「ふん…名前は薫というのか。なんと書いてある」
「風間、これをどうするつもりですか」
風間は肩をすくめる。
「どうするも何もないだろう。これまで何度もやってきたことだ。まず情報を集め少しでも有利になるような策を考える」
「それは仕事の場合でしょう」
「同じだ」
即答した風間に、天霧は顔をしかめた。「風間……」と諌めようとした天霧の言葉は、風間にさえぎられる。
「同じだ。欲しいものを手にするのに一番簡単で手っ取り早く効果が高い。対象の弱点を補う提案をし、対象の望むものを与え、逃げ道を塞ぐ」
「……」
「違うのは、企業買収とは違い対象にそれをあからさまに告げなくてもいいことだ。お前がこのやり方に不満なのはわかったが、千鶴に言わなければこんなことは彼女にとってしていないのと同じだろう?俺は言うつもりはないし言うにしても上手く言う。心配することはない」
まったく意見を聞く気がない風間に、天霧は再び溜息をつく。
「……金ですべてが買えるわけではありませんよ」
「ほとんどすべては買える」
「あなたがこれまで欲してきたものが、金で買えるものだったというだけです」
天霧の言葉に、風間は深く椅子にもたれて微笑んだ。
「今回も同じだ。少し時間はかかるかもしれんがな。……お前が手に持っている物を読み上げろ」
「眠れないんですか?」
小さな声だったが、静かな夜の庭でははっきり聞こえた。辺りから聞こえてくるのはかすかな波の音だけ。
振り返っても目が見えないのだから意味がないのだが、風間は長年の習慣で座っていたベンチから声をする方へと顔を向けた。
「千鶴か」
地面を踏む音から、千鶴が近づいてきて傍に立ったのを感じる。
「明日手術ですよ?早く寝ておかないと」
千鶴の言葉には答えずに、風間は今度は空を見上げる。
「星を見ていた」
「星?」
見えないのに?という千鶴の様子に、風間はうっすらと微笑む。
「目が見えなくなってからしばらくは、見えていたころの記憶で外の世界を想像して『見て』いた。あそこにあの置物が置いてあって、あっちには窓があって…というようにな。だから物のの場所を動かされると、覚えている世界を壊されるようで不快だった」
千鶴は、この屋敷に来た当初のことを思い出して小さくなり「すいません……」と謝る。
「別にお前を責める目的で話しているのではない。……そのうち、記憶も薄れて曖昧になって、見えない前提で外界を認識するようになっていった。触れた感触や匂い、音…そう言ったもので認識しそこに視覚はなくなった」
風間の、「目が見えない生活を受け入れていく過程」を初めて聞いて、千鶴は知らない世界に驚いた。そうやって徐々に視力に頼らない生活になっていくのかと。
風間は続ける。
「そうしているうちにお前がやってきて……花がどうだの料理がどうだの猫がどうだの言いだした」
「す、すいません」
「最後まで聞け。おれはだんだん、お前の言葉を通して世界を『見る』ようになったのだ。俺の脳でどういう処理がなされたかはわからんが、お前の言葉が視覚化されて、脳内に視界が広がる。――お前の目を通して世界を見るようになった」
そう言えば同じようなことを前も言われた――あの海の見える場所で。
あの時は風間が何を言っているかよくわからなかったが、そういうことだったのかと千鶴は納得がいった。
しかし千鶴の目で世界を見るようになったとは……これは迷惑だったような気がしないでもない、と千鶴は相変わらず小さくなっていた。だが風間はからかうでもなく笑うでもなく淡々と話している。
「お前の世界は、能天気で素直で、きれいなものや笑いやうまいもの、楽しいことにあふれている。俺がいた世界とは同じとは思えないくらい違った世界だった」
「……」
そりゃあ大人で、男性で、大企業のトップで、頭がよくて……の風間と千鶴の世界はまるで違うだろう。これは遠回しのイヤミなのか、謝った方がいいのかと千鶴が思っていると、風間はぽつりとつぶやいた。
「……おまえの見ている世界は美しい」
風間の思いがけない言葉に、小さくなっていた千鶴は目を見開いた。
ポツンとつぶやいた風間の言葉は、静かな夜の空気に緩やかに溶けていく。
「お前の目から世界を見ると、汚くドロドロしたへどがでるような俺の毎日も、もしかしたらそう捨てたものではないのかもしれんと思える」
風間はそう言うと、茫然として彼を見ている千鶴の頬へと、長い指を伸ばした。その指は探るように千鶴の頬に触れ、ゆっくりと瞳へと辿る。
「……お前の目から見た俺なら、自分でも好きになれる気がする」
そっと瞼を撫でられ、千鶴は自分の息が早く浅くなるのを感じた。
「……」
風間はそのまましばらく、千鶴の反応を待つように瞼をなでていた。千鶴が抵抗しないとわかると、風間は体をかたむける。
風間の顔がゆっくりと近づき、彼の両方の親指が千鶴の唇を探る。
指で見つけたそこに風間が唇を寄せてきても、千鶴は小さく溜息をつくことしかできなかった。
二人の唇がゆっくりと合わさる。
ふっと風間のつけているコロンか風間自身の匂いなのか…少しだけ刺激的な、でも甘い匂いが香った。風間の大きな両手が千鶴の顎の辺りに添えられ、キスが深まる。
何度も何度も千鶴の感触を確かめるように、風間の唇が千鶴のそれをなぞる。そして舌が優しく千鶴の唇を割り、入ってきた。
「……あ…」
小さく漏れた千鶴の声も風間の呼吸に飲みこまれる。
星空のもと、静かな夜の空気の中で二人何度もキスを交わした。
熱いキスに千鶴の頭はだんだん朦朧としてきた。いつのまにかがっしりとした腕に抱きかかえられて、千鶴はどこまでも柔らかく風間の思うが儘になっている。風間が舌を絡めもてあそび、愛撫をする。
千鶴はもう何も考えられなかった。
抵抗しなくちゃという思いはあるものの体が動かない。そして心は、千鶴も彼に惹かれていたということをすでに受け入れてしまっていた。
抱かれる腕があたたかい。
妙に強張り硬い彼の体も、千鶴の胸のドキドキを強くするだけだ。
風間がゆっくりと唇を離すと、千鶴もぼんやりと瞼を開けた。間近に、風間の彫りの深い顔が見える。
何度も見た『王子様』。
千鶴は自分の手を伸ばすと風間の頬を柔らかくなぞった。
風間が小さく笑う。
「……我慢できなくなるぞ」
「……」
我慢……何を?
何でもいい。今この時が素敵で気持ちよくて……
千鶴の指が風間の唇をなぞると、風間はもう一度キスをしてきた。今度は指で探るのではなく千鶴の頬へキスをしそこから唇を探る。
千鶴は彼のシャツをつかみ、引き寄せられるままにぴたりと体を合わせた。
「ん……」
今度の風間のキスは激しかった。深く深く、熱く、生々しいキスが続く。いつの間にか千鶴の口からは、キスの合間に甘い吐息が漏れていた。
「これ以上はきついな」
千鶴を抱きしめて、彼女の背中を大きな手て愛撫するように撫でながら風間が唇を離してそう言った。キスは止めたものの千鶴を味わわずにはおれないように、彼の唇は千鶴の顎の線をなぞり耳をなめ、うなじをたどる。
「これ以上……」
千鶴がぼんやりとつぶやく。
「そうだ。お前の事を抱くのは目が見えてからだ。……お前が見たい」
「……」
千鶴はしばやくぼんやりと風間の言葉を考えていたが、ようやくその意味が脳に到達するとパチッと目を見開いて彼から体を離した。
「抱く?」
驚く千鶴に風間は小さく笑う。
「俺のものになれ」
初めてのキスと雰囲気にぼんやりしていた千鶴は、しばらくその意味がよくわからなかった。
働かない頭を必死に動かして考えて……それでも、やっぱりよくわからない。
男性とつきあったこともなく、今のがファーストキスである千鶴の知識は、中学生で止まっているのだ。
彼のものになる…というのは、要はその……一夜を共にするとかそういう意味でいいのだろうか?
つまりここは、単なるカラダの関係になろうと言うことを言われたのか?
だが、風間ほどの男性なら体だけの関係だとしても、女優やらモデルやら引手あまただろう。おせちもいいけどカレーもねってことでちょっと千鶴をつまみ食いしたいということなのだろうか。
……ということはここは怒るところであっている?
しかしその前に聞いたいろいろな言葉はとても美しくて、風間の心が伝わってきて、何故か涙が出そうな位胸が痛くなる物だった。そんなあとに体だけの関係を提案するだろうか?
もしかしたら、今のは風間なりの愛の告白というか……つきあおうかというような、その…交際の始まりを求める言葉だったかもしれないし。
しかし交際といっても、それはそれで問題が山積みだ。まずこの雇用主と使用人の関係でのそういう交際はだめだろう。ケジメがなくなるしいい仕事が出来なくなる可能性が高い。しかしこの仕事が終わった後につきあいだすとして、カザマグループ総裁と、一介の保健の先生とがどうやってつきあうのだろう?普通の社会人のように仕事帰りにデートとか……
そ、想像できない……
千鶴は、名前も知らないようなすごいスポーツカーで鈴鹿学園に乗りつけて、強引に千鶴を夜の食事につれていく風間と自分を想像してそのあまりのアンバランスさに冷や汗をたらした。
千鶴だって生活が落ち着いたら、素敵な男性を付き合いあいたいと思っていた。仕事帰りにちょっとおしゃれなところに食事に行ったり、週末のお泊りや、連休の近場への温泉旅行とか……
しかしそれを風間と、と想像すると途端にコメディのようになってしまう。
風間がその辺の食事で満足するとは思えないし、週末は……あるのだろうか?仕事ばかりをしているイメージだ。なんとか旅行に行くことになったとしても温泉旅行なんてものより海外リゾートの方が似合う。
わずか2秒程度で、全ての可能性について現実的に考えた千鶴は、それまでの星空の下のロマンチックなムードがすっかりと消え去ってしまっていた。
「えーと……」
答あぐねている千鶴に、風間は眉根をしかめ不機嫌になる。
「まさかとは思うが嫌なのか」
最初のころは、風間の眉間に一本皺が寄っただけでびくびくしていた千鶴だったが、今では何本皺が寄ろうが平気だ。これも成長と言えるのかどうかわからないが。
「嫌って言うか……どういう意味なんでしょうか?」
風間の眉間のしわが深くなる。
「お前が俺のものになる、という意味だ。極めて単純明快だと思うが」
「その……よく、恋愛小説とかで表現されるみたいな、その……体の関係みたいな感じですか?」
千鶴がそう言うと、風間は面白そうな顔になり片眉をあげた。
「……それも入るな」
「それも、ってことは、他にもあるんですか?その……つきあうってことでしょうか?恋人?仕事帰りにデートしたり?」
「それはない」
即答で返され、今度は千鶴は眉をあげる。
「じゃあ、私は愛人契約みたいなのを提案されてるんですか?」
風間は千鶴から体を離し、腕を組んでベンチの背もたれへ寄りかかった。
「めんどうな奴だな。言葉の定義からはいらなくてはならんのか」
「風間さんが何を望んでるのか具体的に言って下さらないと、返事なんてできません」
失礼な!というように千鶴がムッとしてそう言うと、風間は手をあげて千鶴を抑えるような仕草をした。
「わかったわかった。まったくお前は物おじしないと言うか気が強いと言うか……まあいい、そう言うところも気に入っている。……俺の提案は言葉通りだ」
風間はそう言うと、再び千鶴へ向き直る。
「俺のものになれ。体ももちろん心もだ。他の男は見るな。話すな。別の仕事をするなどもってのほかだ。いつも俺の傍に居て、出張にもついてこい。お前の生活は俺の為だけに存在するのだ。その代わり、お前が欲しいもの、したいことはなんでもかなえてやろう」
風間の提案は千鶴にとっては非現実的すぎて、聞いた瞬間思わず笑い出しそうになってしまった。
しかし、星明りの下の風間の表情は怖いくらい真剣で、冗談で言っているわけではないことはすぐにわかる。
『お前が欲しいもの、したいことはなんでもかなえてやろう』なんて、他の人が言ったらそれこそ笑話だが、日本を代表する大企業であるカザマグループの筆頭株主でもありトップでもある風間が言うと妙に現実味があり逆に怖い。
「あの……本気……ですよ、ね?」
「当然だ」
千鶴はどう考えればいいのかわからなくて、沈黙した。
体だけの関係、もしくは彼氏彼女の関係……それぐらいしか思い浮かばなかったのだが、風間の提案と比べるとどちらも子供だましのような軽い関係に思えてくる。
「わ、私……その、多分、風間さんに惹かれてるんだと思います」
千鶴の言葉に風間が一番に思ったのは、『意外に楽におちたな』ということだった。
もう少し手ごわい抵抗があるかと思ったが。
だが、手札を残したまま勝負に勝てるのならそれに越したことはない。
「では、視力が回復したら俺の部屋へ移ってこい。服やいろいろ必要な物があればカードを渡すから買えばいい。視力が戻ったら俺はしばらく仕事に集中しなくてはならん。東京にもう一つマンションがあるからそちらに移るうことになるな。お前も………」
「ちょ、ちょっと待ってください。ちょっと待って!あの、私は、風間さんに惹かれているので、できればいきなりそんなどっぷりした関係ではなく彼氏彼女的な感じから徐々にすすめたいんですが……」
「……彼氏彼女とは?」
「それぞれ仕事して、別な所に住んで、仕事が終わったら一緒にご飯を食べたり、休日は時間つくってデートしたりメールしたり、旅行したり……そうやってどんな人かよく知ってから、その、お互いの準備ができたら、か、体の関係になって、温泉に行ったりして…ていう段階をふんでゆっくりおつきあいをしていきたいんですけど…」
風間は呆れて溜息をつく。
「その最初の段階は、お互いを知るために必要な段階だろう?それはもうこの屋敷でほとんど似たようなことをやっているではないか」
「でも、それは『そういう関係』としてどんな人かを知ったわけじゃないじゃないですか」
「俺はお前が『どんな人』か知ったうえで、あの条件で欲しいと思ったから提案をしたのだ」
「あの条件とか欲しいとか……物を買うみたいな言い方は止めてください!……風間さんはそうかもしれないですけど、私はそう言う風にあまり見ていなかったんでゆっくり進めたいんです」
千鶴は赤くなりながらも自分の気持ちを訴えた。なんだか買収の条件を話し合っているような気がしないでもないが。しかし風間はきっぱりと答えた。
「俺の条件は先ほど言った。あれがすべてだ。あれ以上でもあれ以下でも認めん」
風間の傲慢な態度に、千鶴は唖然とする。
「認めん…って……」
そうだ、風間と話しながら何かおかしいと思っていた違和感。
千鶴はふいに理解した。
「……風間さん、私のこと、好きなんでしょうか……?」
ふいに真剣になった千鶴の口調に、風間は一瞬固まった。しかしすぐに元の調子で答える。
「それはたいした問題ではない」
風間の返事に、千鶴は驚くと同時にやっぱり……と妙に納得した。
だからこそこんな会話になったのだ。
「……私にとってはたいした問題です。好きだから、傍に居たいって思うしできるだけ風間さんが喜ぶようにしたいって思うのに……」
「なら、俺の提案を受ければいい。そうすれば俺は喜ぶぞ」
デリカシーのかけらもない風間の返事に、千鶴な顔をしかめた。その拍子になぜか涙まで滲み視界がゆがむ。
「自分は私の全部が欲しいって言うくせに、自分のものは何も差し出さないんですか?」
責めるような千鶴の言葉に、風間は意味が分からないと言うように顔を少し傾けた。
「先ほど俺が提供できるものについては言ったつもりだったが」
「提供って……」
「お前が欲しいものはなんでも買ってやる。したいことがあるならできるように取り計らってやろう。言っていただろう?生き別れの兄を探したいと」
心無い言葉が次々と千鶴の胸をさす。急に空気が苦くなったように感じて、千鶴は苦労して息を飲みこんだ。
「……私が欲しいのはそういうのではないです」
「俺が提供できるのは『そういうの』だな」
「……」
千鶴は唇を噛んで俯いた。話せば話すほど傷つきつらくなる。知りたくなかった風間を見せつけられる。
千鶴は滲む涙を指で払って立ち上がった。さっきまで星の下でキスをしていたのが夢のようだ。
「……もう寝ます。風間さんも明日の手術のために早く寝てください」
「断るということか?」
座ったままこちらを見上げる風間の顔を、千鶴はじっと見つめた。
こんな近くで見つめられるのもこれが最後かもしれない。
綺麗に鼻筋の通った高い鼻。すっきしとしているけど意志の強そうな顎。切れ長の瞳は、視力が戻ったらまた人を魅了する強い力を宿すに違いない。
もう二度と会いたくない、顔も見たくない、とはどうしても思えない。
二人で過ごした日々は苦労の連続だったが、その分彼の心の奥の塊にまで触れることができたような気がする。
俺様で傲慢なのに、公平で誠実。言い方はぶっきらぼうだが優しい。
そして多分、自分では気づいていないけれど、相当な臆病者で傷つきやすい孤独な人。
与える愛情はたっぷりあるのに。
そうでなければ祖父との思い出を大事になどしないだろう。
そんなところに惹かれて、傍に居て、もっと知りたいと思ったのに。
でも傍にいればいるほど、多分千鶴は傷つく。
二人で同じ道を生きていくことは無理なのか。それなら思い出の中の彼は、素敵な思い出のままで終わりたい。
「風間さんが『提供』してくださるものでは、私は満足できないんです」
キッパリとした千鶴の返答に、風間は表情を変えなかった。
それがまた千鶴の心を傷つける。
手に入れば嬉しいが入らなくても別に哀しくもない。彼にとって自分がその程度の存在だったのかと思うとつらい。
でもそれも、彼の目が見えるようになるまでだ。
「……診察の結果で、手術をすればほぼ視力は戻ると言われたと天霧さんから聞いています。視力が戻れは生活補助はいらないと思うので……辞めさせていただきますね」
そう言って風間に背を向けて、千鶴は屋敷の中へと入って行った。
風間は呼び止めず、そのままベンチに座っていた。
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