【ねこのきもち 2】

ラブコレ2014inSummerの無配ペーパーです。
 




「ちーづるちゃん」

呼びかける声に、千鶴は畳んでいた手ぬぐいから顔を上げた。
梅雨の合間の晴れの日で、昼下がりの日差しはもう夏かと思うくらいまぶしい。

「沖田さん。休憩ですか?」
「うん」
沖田はそういうと、当然のように千鶴の膝の上にあった乾いた洗濯物を手でポイッと放ると、膝に頭をのせた。
「お、沖田さん……」
いつのころからかこのようになつかれて、雑用をしている千鶴のそばで邪魔をしたりくつろいだりするようになった沖田。最初のころはその冷たい緑の瞳が怖くて、きついことを言われるのがつらくて、どちらかというと苦手な人だったのだが。
いつからこうなったんだっけ?
千鶴は仕方なく、体をよじって脇で洗濯物を畳みながら考えた。
一番最初に彼をまじまじと見たのは……
確か屯所に連れてこられて部屋にずっと軟禁されていた時だった、と思う。彼が見張りの最中に眠り込んでしまって、それを近くでまじまじと見たっけ。太陽の光で茶色の髪がやわらかそうだなーって思って、彫りが深くてまつ毛がながいなーって思って、で、昔江戸にいた時に時々家にくる猫に似てるって思ったんだっけ。
自分の近くでくつろいでくれている事にドキドキして、起こさないように気を付けているうちに私も寝ちゃって。

千鶴は、今は自分の膝の上で自由にくつろいでいる茶色の頭を見た。
最初はびっくりしたけど、沖田は当然のように千鶴が座っているとひざまくらをしてくるし、千鶴が困っていてもお構いなしで好き勝手しているので、次第に千鶴も好きなようにすることにした。そう、まるで近くにいながらもそれぞれ好きなように過ごしている猫のように。
正直なところ、今でも彼が何を考えているのかはよくわからない。怖くないかと言われれれば、怖いときもある。
でも、怖さの種類が少し変わった。
前は、殺されることが怖かった。沖田が一番千鶴のことを邪魔だと明言していたし。
でも今は、拒絶されることが怖い。
山南の事件の時に『君には関係ない』と言われた時の痛いような辛いような思いは、今も引きずっている。関係ないのだしあまりかかわらない方がいいのかと思えば、こうやってなついてくるし。
今は、どこまで近づいて言いのか計りながら、彼との距離をさぐっている……という感じだろうか。

沖田は膝の上で上向きになると、千鶴を見上げた。
「なんでいつもこの部屋にいるの?」
間近で見上げられた瞳がきれいで、千鶴はドキドキした。
「なんでって……なんとなくです」
千鶴がいるこの部屋は、集会部屋の隣にある小さな部屋だった。畳二畳分の広さしかない。
別にここしか入室禁止だと言われているわけではないし、自分の部屋でも隣の集会部屋でも、ほかの部屋でもどこでもいいのだ。今日みたいに洗濯物を畳んだり、頼まれた繕いものをしたり、何か作業をするときは千鶴はたいていここでする。それがなぜかと聞かれると『なんとなく』としか答えようがない。
千鶴の答えに沖田は笑った。
「それは答えじゃないなあ〜」
「でもほんとに特に理由はなくて。何となく落ち着くっていうか」
千鶴がそういうと、沖田は『楽しいことを聞いた』というように目をきらめかせた。「そうなんだ」
その目の輝きが気になって「なんですか?」と千鶴が聞くと、沖田は「別になにもないよ」と答えをはぐらかせて、また横を向いて目をつぶってしまった。

「沖田さん、今日はもうお仕事は終わりなんですか?」
遠くの洗濯物を引き寄せながら千鶴が言うと、沖田は目をつぶったままうなずいた。
「うん……あ、そうだ。刀の手入れをしようかな。ここにもってきてもいい?」
勝手にひざまくらにしてきたくせにここで刀の手入れをしてもいいかと聞いてくるなんて、と千鶴は小さく笑った。
「何?だめ?」
「いいえ。どうぞ」
沖田の刀の手入れは何度も見ている。大きな指で丁寧に大切に扱われている刀を見ると、彼の別の一面をのぞき見しているようでドキドキする。刀に集中している沖田を見るのも新鮮で、千鶴は好きだった。
猫で言うと、いつもはぷにぷにさせてもらっている肉球に、突然鋭い爪が出てくるようなものだろうか。それを見て初めて、そうか、猫はたんに膝の上でかわいがられるためだけの愛らしい生き物ではなかったんだっけと気づく。
どこまで自分に気を許してくれてるのかはわからないけれど、その爪を千鶴にたてることはないだろうと思えるだけの信頼関係はある、と思いたいけど。




次の日は、沖田は手土産におまんじゅうを持ってきてくれた。
千鶴の好きなお店の、好きなタイプのおまんじゅうだ。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして」
お茶を淹れて一緒に食べながら、沖田はにやにやと千鶴を見ていた。
「なんですか?」
あんこでもついているのかと千鶴が聞く。
「いや、きみってこの饅頭好きだよね」
「そうですね。この種類のが食べやすいしあんこと皮の量がちょうどいいと思うんです」
「ふーん。最初は……なんだっけ?なんか咲いてた花をもってきたんだったかな?次は結い紐、次は……」
「手ぬぐいをいただきました。沖田さんからは、そういえばいろいろいただいちゃってますね」
「いや、どれも別に僕ももらったり拾ったりしたものだからいいんだけど、饅頭が一番反応が良かったな」
「……」
感謝の少ない食いしん坊と言われているのかと、千鶴は顔をあからめて饅頭がのっていた皿を見た。確かにほぼ8割が千鶴が食べてしまったが。
「すいません。ぱくぱく食べちゃって……」
「そうじゃなくてさ、君って猫みたいだよね」
「え?」
「やっぱり餌付けが一番効くんだなあ……」
勝手に一人で納得して、沖田は最後の饅頭をひょいと千鶴の口に突っ込んだ。
「んっ…!ん……ね、ねこみたいなのは沖田さんかと思ってましたけど」
「僕?僕は人間だよ?」
「……私だってそうです」
「でも、ほら狭いとこ好きだし、よくうとうとしてるし、餌付けが効果あるし……野良とまではいわないけど、新選組に強引に拾われてきたのになんのかんの言ってちゃっかり居心地よさそうに生活してるしさ。猫は人につかずに家につくっていうけど君もそうなのかなあ」
ごくんと、沖田に突っ込まれた饅頭を飲み込んで千鶴は首を傾げた。
「私なんかより沖田さんの方がよっぽど猫みたいだと思いますけど」
「僕は違うでしょ。やっぱり猫は君だよ。家につくっていうより組についたのかな。新選組」
沖田はそういうとくすくすと笑った。そして食べ終えた千鶴の膝に頭を乗せて、またごろんと横になる。
「ほら、こういうところが猫みたいですよ。のどをゴロゴロ鳴らしてる猫」
千鶴の言葉に沖田は一瞬キョトンとして、そして楽しそうに笑った。

「総司!どこだ、そーうーじー!!」
遠くから近づいてくる土方の声に、沖田は舌打ちをした。「うるさいのが来たな」
同時に廊下の角から土方が顔を出す。そしてひざまくらをしている千鶴、してもらっている沖田、、何かを食べ終えたらしい皿、飲みかけの茶を見ると、顔をしかめた。
「……総司、次の巡察について近藤さんが呼んでる。ちょっと来い」
「はーい」
総司は素直に立ち上がると、千鶴をふりむいて「じゃあね」と言ったあと、相変わらず難しい顔をしている土方の方へ行った。
土方の、苦虫を噛み潰したような顔が気になりつつ千鶴は皿と湯呑を片付けた。




千鶴には聞こえないところまで歩いていくと、土方は足を止めた。
「……総司」
「なんですか?」
先を行こうとした沖田は振り向いた。
「そのー……なんだ、ああいうことはよくやるのか?」
「ああいうこと?」
首を傾げた沖田に、土方は自覚がないのかこのバカは、と思った。
「ひざまくらだよ。夫婦でもねぇのにふつうはやらねえだろ」
「ひざまくらっていうか……じゃあ、まくらもない固い床の上に頭おいてろってことですか?」
「だから!」
あまりの鈍さに土方は思わず声を荒げ、慌ててまたひそめる。
「……だから、お前はたんに本物の枕の代わりのつもりでも、相手は年頃の娘だ。ああいうことを頻繁にやってりゃー変なことにもなるだろ」
「変なことって何ですか?」
「……」
土方は腕をくんで、にこにこと前で笑っている総司をにらんだ。わかってるくせに空っとぼけやがって。じゃあこっちにもそれなりの言い方がある。土方は考えを巡らせた。あくまでも色恋について否定するつもりなら……

「お前、斎藤がこっそり猫に餌をやっているのを知ってるか?」
突然とんだ話に、沖田は目を瞬いた。
「……知ってますよ。本人はばれてないつもりみたいですけど、夜中に裏の門のあたりから鳴き声が聞こえてくるし斎藤君が夕飯の残りとかこそこそ集めてるのをたまに見るし」
沖田の回答に土方はうなずいた。
「おまえ、あれを見てどう思う」
沖田は庭の方を見て、髪をかき上げた。
「どう思うって……別に何も」
「斎藤にとって猫に飯をやることはたいしたことではなかったとしても、猫にしてみりゃ違うってことだよ。……おれの言いたいことはわかるな?」
土方の説教に、沖田は肩をすくめた。
「大丈夫ですよ。斎藤君は最初は気まぐれだったかもしれないですけど、たぶん今はあの猫のこと、かわいくてかわいくて仕方なくなってると思いますよ」
能天気な沖田の答えに土方は舌打ちをした。
「だからだなー。斎藤のはたとえであって……」
「わかってますって。僕のもたとえですよ」
「わかってねえだろ!お前もたとえって………え?お前も……」

土方の言葉の途中で、大きな足音とともに近藤がぬっと角から顔を出した。
「ここか。トシと総司の声が聞こえてきたからそうかと思ったが」
「近藤さん!」
「呼び出してすまないな、実は相談があってな。トシ、俺の部屋でいいか?」
去っていく近藤と沖田に、「お、おお」と返事をして、土方は今の沖田の返事の意味を考えながら二人の後について歩き出した。







山道を撤退する旧幕府軍の中に、土方の姿を発見した夜。
近藤との別れの時の話を聞いて土方にうっぷんをぶちまけた後、沖田は少し先で待っている千鶴のところへ行こうと土方に別れを告げた。
「総司」
月は厚い雲に隠れて真っ暗な中、暗闇から呼び止められて、沖田は立ち止まる。
闇から溶けるように現れたのは斎藤だった。
「斎藤君……久しぶりだね、千鶴ちゃん、前にいるよ」
沖田が呼ぼうとすると斎藤が止めた。
「いや、会わない方がいい。お前たちは早く行け。残党狩りが追ってきているらしい」
「うん。斎藤君も元気で」
思えば長い間をともに戦ってきたなと、珍しく沖田の胸にも感傷のようなものが込みあげた。
冷静沈着、何事にも動じない無表情なこの古くからの友人もそうだったようで、静かな瞳で沖田を見る。
「……千鶴と行くのだな」
沖田はうなずく。
もう会うこともないだろう。沖田はふと思いついて口を開いた。
「そういえば斎藤君、あの猫どうしたの?」
「猫?」
この血なまぐさい戦場で何の話かというように斎藤は不審そうに眉をひそめた。
「屯所で餌やってたでしょ、こっそり」
「ああ……」
斎藤の顔がふっと笑顔になる。
「お前たちにはばれていたらしいな。副長にも同じことを前に聞かれた。あの猫は、近所の者に預けた。面倒を見てもらえるように少々の金とともにな。京は結局戦では焼けなかったしこのままいけばたぶん今も平和に暮らしているだろう」
懐かしそうな表情の斎藤に、沖田は言った。
「斎藤君はそれでよかったの?」
斎藤は再びほほ笑む。
「どうしろというのだ、連れてくればよかったと?猫など連れて戦にはいけんだろう。猫にとっても慣れ親しんだ場所でかわいがられて生きた方がこんな戦場を連れまわされるよりも幸せだ」
風が強くなり、熱い雲の隙間からうっすらと月の光が差し込み、斎藤の横顔を照らす。沖田は彼をまっすぐに見ながら言った。

「僕は連れてきたよ、ずっと。これからも連れていくし、傍にいて僕の手で守る。それが『猫』にとって幸せかどうかはわからないけど」

斎藤はすぐに、沖田が何の話をしているのかわかったようだ。
「そうか」
そういうと、斎藤は千鶴が待っている方向を静かに見た。

「達者で暮らせ」
「うん。ありがとう」

『斎藤君もね』などというきれいごとは言わなかった。
土方も斎藤も、生き延びることは考えていないだろう。

僕もあの『猫』がそばにいなかったら、そうしていただろうけど



どちらがよかったのか今となってはもうどうでもいいことだ。

沖田は千鶴に向かって足早に歩き出した。







【終】
 
 

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