【冷たいぬくもり 2】
公式本編沿い沖千ルート全体を通してのお話です。死にネタとオリキャラあり。苦手な方はブラウザバックでお願いします。
『命が長くても短くても、僕にできることなんてほんの少ししかないんです』
少し前に聞いた彼の言葉を、千鶴は総司を見ながらぼんやりと思い出していた。
今総司は幹部の皆と楽しそうに夕飯を食べている。食欲はあまりないようだが近藤や土方が心配するので頑張って食べているようだ。
その言葉を聞いてから二月。
ときどき熱っぽいように見えるときはあったが、総じて彼はいつも通りだった。そんな毎日をすごしていると、あの時聞いてしまったあの言葉は夢だったのかと思えてくる。
しかし現実なのだ。
「ごっそーさん!」と言いながら食べ終えたものが立ち去っていく中、千鶴はのろのろと夕飯を食べる。
総司の病気の事は誰にも言わないと約束したし、言うつもりもない。でもそれでよかったのかと千鶴は日々悩んでいた。
総司の意志には反しても、近藤や土方に千鶴の聞いたことを言い、無理やりにでもいいので新選組から総司を話して療養させるという道もある。良順もそれをすすめていたし、労咳患者の治療としては療養しかないのだ。
千鶴が言わないせいで、総司の命を縮めているのではないか。いやそれどころか本来なら助かる物だったかもしれないのに手遅れになってしまっているのでは……
「千鶴ちゃん?いつまで食べてるのさ。もう片付けるよ」
千鶴の物思いは総司の突然の声で破れた。ハッとして周りを見ると、皆いなくなり総司だけが残って千鶴の顔を見ている。急いで食べようと千鶴が自分の茶碗を見ると、それはすでに空だった。
「ほら、茶碗はこっちに頂戴。君はこっちの皿を置いてきて」
今や京での一大勢力となった新選組は、食事の用意や後片付けもそれ専門の下働きがやってくれるが、幹部たちの食事は各自茶碗や皿ごとに片付けやすいように一角に集めておくのが常となっていた。茶碗は総司が、皿は千鶴がやるようにと言われて千鶴は慌てて茶碗を総司に渡す。
その時指が触れ合うと、総司はにっこりと笑った。
「相変わらず冷たいね。片付け終わったらあっためてあげるよ」
その笑顔と言葉を聞いた途端、何故か千鶴は泣きたくなった。
胸が痛くて呼吸がしづらい。
吐く息が苦い。
涙を総司に見られないように千鶴は必死に瞬きをして、総司の千鶴の皿を片付け湯呑も集める。俯いて滲む視界をごまかしながら千鶴は思った。
あの手が冷たくなる日がくるなんて考えられない。考えたくない。
あの大きな暖かな手と、節ばった長い指は千鶴にとってはずっとそこにあるものであって欲しい。
そのためには自分は何でもしよう。
総司のように命を懸ける何かは千鶴は持っていないけれど、でも今は彼の命を長らえるためには自分は何を犠牲にしても構わないと思える。
そしてこれは総司のためではないことも千鶴にはうっすらとわかっていた。
これは総司の事を思ってそうしたいと思ったわけではないのだ。
そうしたいのは千鶴のため
千鶴が失いたくないからだ。
あの手を。
皿を片付け終えた千鶴の手を、総司は無造作に取った。そしてたったまま屯所の壁に寄りかかるようにして自分の手で包み込む。
「せっかくあっためてもすぐに冷たくなっちゃうんだもんなあ」
からかうようにそう言う総司の声は、最初のころの冷たさはすっかりなくなっている。
そして手のひらからはいつのまにか慣れた温もり。
でもなぜか千鶴は頬が赤くなるのを感じた。
総司にとっては下働きの子供の手を暖めてあげているような感覚なのだろうが、千鶴はもう結婚してもおかしくない年の女子なのだ。まだ女子とは言えない年のころから新選組にお世話になっていたから総司はそんな風に見ていないのかもしれないが。
こうやって立って手を握られていると、単に手を暖めているというよりは思い合っている男女が手をつないでいるように見える気がするのだ。
総司の広い肩が目の前にあり見上げると、彼の緑の瞳と目が合う。「ん?」というようにかすかに首をかしげる彼を見て千鶴は赤くなって俯いた。
浅黒い大きな手に包まれた自分の手がいつもより白く細く見える。
なんだか胸がドキドキしていたたまれない気分になってきた千鶴は、何と言って手を暖めるのを切り上げてもらおうかと考えていた。
指先はまだ冷たいが『もう、いいです』と言おうか。このままこうして手を握られていると千鶴の様子がおかしいのを総司に気づかれてしまう。
「あ、あの……」
千鶴がおずおずと言いかけたとき、廊下からにぎやかな声がした。
「あ、そーじ!ここかあ。左之さんたちが……」
平助が覗き込み、手を握り合って立っている総司と千鶴を見て固まった。後ろからついてきていた斎藤も部屋の中に入ってくる。
「……何をやっているのだお前たちは」
斎藤の冷静な声に平助が我に返った。
「そっそそそそそーだよ!ちょっ総司!手ぇ離せよ!」
千鶴が赤くなって引っ込めようとした手を総司は逆にギュッと握りしめた。総司の顔は見慣れたいたずらっ子の表情になっている。
「お、沖田さ…」
「別にやましいことをしてるわけじゃないんだから気にすることないよ。やましいのはそういうことを考えつくあの人達の方だから」
総司はそう言い、真っ赤な顔をして口をパクパクと開けたり閉めたりしている平助と、無表情で総司と千鶴と見ている斎藤の方を見た。
「やましいことはしていない、とそう言いたいのか」
責めるような斎藤の言葉に千鶴は身を縮めた。しかし総司は平然と言い返す。
「そうだよ。千鶴ちゃんの手が冷たいから暖めてあげてるだけ。君たちが何を勘違いしてるのか知らないけど」
「なっなんだよその言い訳!おかしいだろ?総司は手が冷たかったら誰の手でもそうやってあっためんのかよ!それを言うなら斎藤君だってほら!手ぇ冷たいぜ!」
平助が憤然として斎藤の手をとり総司の前に差し出す。
「やましいところが何もないってんなら斎藤君の手をそうやってあっためたげたらどーなんだよ!やんねーんだろ?千鶴が女の子だからそうやって……」
「うるさいなあ。それが下種の勘繰りっていうんだよ。平助は自分が女の子の手を握りたくてしょうがないからそういう発想になるんじゃないの。僕が千鶴ちゃんの手を暖めてあげるのは感謝の気持ちからだよ」
平助に言いつのられてもどこ吹く風と、総司は相変わらず千鶴の手を握りしめている。斎藤が平助に掴まれていた腕を振りほどき、相変わらず静かな声で言った。
「感謝……とは?」
総司は肩をすくめて答える。
「僕がお願いした約束を守ってくれたから」
「約束?」
平助と斎藤の声が重なる。
「約束ってなんだよ」
どうぜ適当に言ってるだけだろ、と平助が言うと総司は千鶴と目を合わせた。
「千鶴ちゃんはわかるよね?約束」
『こんな冗談みたいな話、誰にも言わないよね?』
『絶対に誰にも言わないって、約束します』
千鶴はあのときの言葉を思い出してコクンとうなずいた。総司はにっこりと微笑む。
「僕がしてあげられることなんてこれくらいしかないからね」
なんだか二人の世界の会話に、平助と斎藤は面白くない。
「なんだよ、感じ悪いな。約束ってなんなんだよ」
「よくわからないが、千鶴の顔の赤さから見てもう手も充分あったまったのではないか」
次々に口を出してくる二人に総司はめんどくさそうに言った。
「うるさいなあ、二人とも。そんなにうらやましいなら素直にそう言えばいいのに。千鶴ちゃんも頼まれたら手くらい握ってくれるんじゃないの」
「なっ…!そういうことではない!!」
「ちげーよ!」
慌てて否定する平助と斎藤、真っ赤になって総司に手を握られたまま小さくなっている千鶴。
総司は「図星かあ」とつぶやいて相変わらず千鶴の手を握りしめていたのだった。
しばらくうとうとしていたのか、総司は隣に滑り込んできた冷たい空気に目が覚めた。
寝返りを打ち柔らかな体を抱きしめる。総司の夜着にくぐもった千鶴の声が、胸の辺りから聞こえてくる。
「起こしちゃいましたか?」
「ちょっと寝てたかな。千鶴が来るまで起きてようと思ってたんだけどね」
「先に寝ててくださいって言ったのに」
「だってほら、あっためてあげないと」
総司はそう言うと布団の中で千鶴の手を探し両手で握った。足も動かして千鶴のひんやりとした爪先を自分の足で温めてあげる。
この冷たい雪村の里では、千鶴の手足はいつも冷え切ってしまっているのだ。
「総司さんが冷えちゃいますよ」
そういいつつも千鶴は暖かくて気持ちよさそうにすりよってくる。
「いいんだよ、これは僕の……」
「感謝の気持ち、ですか?」
いつもの会話にいつもの答え。千鶴は笑みを含んだ声でそう言い総司を見上げた。総司は千鶴のおでこにちゅっと口づけをして「そうそう」
と言い、彼女の髪に鼻をうずめる。
千鶴はくすぐったそうに笑った。
「いったい今はなんの感謝なんですか」
「うーん……僕のお嫁さんになってくれた感謝、かな?」
総司の言葉に千鶴はまたクスクスと笑った。
千鶴は笑ったが、総司は本気で感謝の気持ちだった。
総司は千鶴の手を温めると、総司の熱が千鶴へと伝わる。
でもそれだけではないのだ。
総司の罪も穢れも汚れも苦しみも浴びた血も、全て千鶴へと伝わり千鶴の中へと流れ込んで行ってるように思う。
最初のころはそんなことは思わずに、ただ自分の子供の頃の思い出と重ねて冷たい彼女の指を暖めてあげようかというほんの気まぐれだったのだが。
手に触れていると言葉をかわすよりもその人のことが伝わってくる気がする。
彼女の真白な心を知るようになって、総司は自分の汚れが彼女へと伝わってしまうのではないかと無意識に思うようになっていった。無防備な彼女を総司が汚してしまっているのではないかと。
結核に侵され近藤の剣でしかなく自分の事しか考えていない総司の事を、何故千鶴はそんなに心配してくれるのか。
あの夜、近藤が撃たれた夜。千鶴かなせ自分の命をかけてまで総司が暴走するのをとめようとしたのか。
総司にはわからなかった。
だが薫にはめられた時に、彼女を守るために体が勝手に動いていた。自分の命のこととか近藤の事とかあの瞬間は全く考えずに体が動いていたのだ。
人とのつながりと言うのはそういうことなのかもしれない、と総司は思うようになった。
頭で考えて一番いい道を選ぶのではなく、理由もなく理不尽な、でも自分の心が欲する道を行く。
自分の命をかけてもいいと思える存在が二つもできたことは、総司の中で何かを変えた。近藤のことはどちらかというと総司が追いかけていたもので、近藤の暖かさを総司に分けて欲しいと思う感情だったが、千鶴との事は違う。彼女には自分の暖かさをわけてあげたい。
それと同時に、総司の醜さを彼女は浄化してくれるのだ。
弾傷からくる熱と労咳の熱に何日もうなされていた江戸での日々。
気が付くといつも彼女が自分の枕元に居て、総司の額に触れたり手を握ったりしてくれていた。
ぼんやりとした思考の中で、総司は彼女のひんやりした手が自分の中にまで入ってくるのを感じていた。
総司の奥の奥。
氷のように固まった冷たい核に彼女はそっと触れて、それを彼女の冷たいぬくもりが温めてくれる。
彼女の黒く大きな瞳は心配そうに総司を見つめる。その目は総司のすべてを見ていて、隠していたものも全て見透かしてしまう。
総司の醜さ、冷たさ、身勝手さ、臆病な心。
多分彼女は全てを見て、全てを冷たい手で包み温めてくれるのだ。
そして彼女の冷たい手はあらゆるものを白く浄化する。
総司の穢れも汚れも、全てを。
「外、雪が降り出したみたいです」
千鶴の声で総司は考え込んでいた深みから我に返った。
「そう?ここはよく降るね」
「京よりは降りますね」
「雪って君みたいだよね」
総司の言葉に、千鶴は「え?」と再び顔をあげた。彼女の手も足も、今はすっかり暖かくなっている。
「真白で、汚いものを全て覆い尽くして綺麗にしてくれて。冷たいしさ」
「……」
千鶴はよくわからないようで首をかしげていた。総司は微笑んで千鶴の手を自分の口元にあててそっと口づけをした。
「僕が死んだら、この冷たい手はどうなっちゃうのかな」
「……」
「ずっと冷たいまま?」
『ずっと冷たいまま?』
そう聞かれて自分はなんと返事をしたのだろう、と千鶴は首をかしげた。
今はもう自分一人になってしまったが、たとえ一人分でも洗い物はでる。土間で使った椀を洗っていたとき、冷たさにしびれた手にふと去年の冬の事を思いだしたのだ。しかし自分が何と答えたのかは思い出せない。
しかし総司が儚くなってしまった今は、その答えは自然とわかる。
「ちづる〜!!!!」
バン!と勢いよく土間の戸を開けて、明るい外の光とともに元気な塊が転がり込んでできた。
千鶴は自然と笑顔になり、桶の前から立ち上がる。
「いらっしゃい。外、雪すごいでしょう?ここまで来るの、たいへんだったんじゃない?」
「全然!かあちゃんがこれを千鶴に持ってけって」
そう言って、ふもとにある寺の子が千鶴に木の桶に入ったたくさんの炭を差し出した。その子の後ろからまだちいさな妹と、さらに里の子供たち3人がわらわらとにぎやかに入ってくる。
「わあ!皆で来てくれたの?」
「うん!俺の母ちゃんが袢纏つくったから持ってけって言われて」
「おれんちはちょっとだけど野菜と柿」
一斉に差し出してくるそれらのものを千鶴は笑いながら受け取った。
「ありがとう。とっても嬉しい。お父さんとお母さんにお礼を言っておいてね。じゃあここまで持ってきてくれたお礼に柿をむくから食べていってくれる?」
「やったああ!!」
元気な笑い声が弾け、千鶴は急いで柿を剥きだした。
総司が元気なころに遊んでいた里の子どもたちだ。
総司は死ぬ前に彼らに「千鶴を頼むね」とお願いしたようで、子どもたちはいつも律儀に千鶴の様子を見に来てくれる。千鶴は知らなかったのだが、総司は子どもたちに無料で剣術を教えてあげていたようで、それに感謝した子供たちの親もなにかと一人残された千鶴を気にしてくれていた。
土間の上りに座って柿を食べている皆を見ながら千鶴が無意識に自分の冷たい手をこすりあわせていると、一番小さな女の子が千鶴の手に触れて言った。
「おててつめたいの?」
そしてちいさなえくぼのある手で千鶴の手を握ると、はあっと息をかけてくれた。
「ちいちゃん……ありがとう。あったかい」
千鶴が微笑んで礼を言うと、他の子どもたちも寄ってきて千鶴の手に触れる。
「本当だ、冷たい!」
「俺があっためてあげるよ!」
「俺も俺も!」
「おまえは膝の上に乗りたいだけだろー!」
「うるさい!その柿は俺のだぞ!」
千鶴の周りに集まった子供たちはワイワイとケンカしながらも我先にと千鶴の手を握った。
千鶴は思わず笑い出す。小さな女の子が、笑っている千鶴を見て聞いた。
「あったかい?」
千鶴は笑顔のままうなずいた。
「うん、あったかい。……とってもね」
【終】
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