【冷たいぬくもり 1】
公式本編沿い沖千ルート全体を通してのお話です。死にネタとオリキャラあり。苦手な方はブラウザバックでお願いします。
屯所の中庭に面した廊下で、千鶴は空を見上げる総司につられて上を見た。
彼は後ろ手をついて座ったまま何も言わずにずっと見ているから、鳥か何かが居るのかと思って。
しかし空には何の動きもなく、相変わらずの今にも雪が降り出しそうな曇り空だった。
空気がかすかに雪の匂いがするような冬のある日。
もう京より北の地域では雪が降り出しているのだろう。
廊下ですれ違った総司が『まんじゅうをもらったからお茶を淹れてよ。一緒に食べよう』と誘ってくれて、千鶴はいそいそと二人分のお茶を淹れてきた。
最近は千鶴も屯所に慣れたし、彼らも千鶴に慣れてきてくれたようでたまにこうやって誘ってくれることがある。よく誘ってくれるのは平助や左之、新八あたりで総司が誘ってくれるのは珍しい。
だいぶ慣れてはきたもののまだたまに不意打ちできついことや突き放すようなことを言う総司の隣に、お盆に乗った二人分の湯呑とおまんじゅうを置いてさらに隣に千鶴は少し緊張しながら座っていた。
「何か見えるんですか?」
お茶を手に取るでもなくおまんじゅうをたべるでもなく空を見上げている総司に、千鶴は聞いた。
総司ははじめて千鶴が居るのに気が付いたというような顔で千鶴を見ると、不思議そうに言う。
「ううん、何もないよ。見ればわかるでしょ」
「……」
じゃあ何を見てたんですか、と千鶴は聞こうとしてやめた。どうせいつものようにからかわれるかけむに巻かれるようなことを言われるだけだ。
「あの、お茶。冷めちゃいますよ」
千鶴はそう言って総司の分の湯呑を持ち上げ、彼に差し出した。それを受け取ろうとした総司と当然ながら指の先が触れ合う。
「手、冷たいね」
お茶をすすりながら総司は緑色の、相変わらず何を考えているのかわからない瞳で千鶴を見た。
「そうですか?昔からずっとこうなのでよくわからないです」
「自分では冷たくないの?」
千鶴は言われて、自分の両手をこすり合わせた。
「冷たいというか…痛いような感じです。でももうこれがふつうなので別になんとも……」
「ふうん」
もう興味を失くしたように、総司はそう言うとお茶をおいておまんじゅうを一つ掴む。千鶴も話は終わったのかと思い、どんな味かとワクワクしながら茶色のおまんじゅうに手を伸ばした。
「手が冷たい人って心も冷たいって言うよね」
……来た。
千鶴はおまんじゅうを一口食べてからそう思った。
総司はこういうことを言うのだ。千鶴はしかしある程度総司のこういう態度には耐性ができていた。最初の頃は、自分は嫌われているのか目障りなのか、総司の視界に入らないようにした方が良いのか、などと思い悩んだのだが、今はある程度わかる。
総司には悪意はない。
悪意はないのだが、ただなんというか……人に緊張や圧迫を加えて相手の反応を見るのを楽しむようなところがあるのだ。
悪意がないと思うその証拠は、相手が本当に怒りだすようなことまでは言わないことだ。つまり彼は相手のことや置かれてる状況をかなり客観的に見ているのだろう。その上でチクリと刺激を与える。相手が適当に流せないような、対処を考えなくてはいけないような、でも本気で怒りだしたりはしないような刺激を。
残念なことに最近は千鶴が、総司のその趣味のもっぱらの的になっていた。だからある程度の対処の仕方はわかるのだ。ここでごまかしたりイイコのふりをしたり遠慮をしたりしてはいけない。
「逆じゃないですか?手が冷たい人は心があったかいっていうのは聞いたことがありますけど」
「そうかなあ」
自分から言い出した癖に『どうでもいいけどね』と言わんばかりのその態度に、千鶴はさらに続けた。
「じゃあ沖田さんの手はどうなんですか?」
「僕?僕はあったかいよ。ホラ」
そう言って総司は右手を差出し、千鶴の右手を握った。
千鶴は思わず目を見張る。
ほんとだ……あったかい……
温かく乾いていて千鶴の手がすっぽりと入ってしまうような大きな手。何故だかとても安心する。
じんわりと総司の手の熱が千鶴の指先に伝わって、千鶴の手もあたたまってくるのを感じて心地いい。
「あったかいです……。沖田さんの手は冷たいっていうイメージでした」
「なんで?僕の心が冷たいからって言いたいの?」
手を握ったまま総司が悪戯っぽく首をかしげて聞いてきた。楽しんでいるような口調にきらめく緑の瞳。
千鶴はなんだか恥ずかしくなって手をひこうとする。しかし総司はぎゅっとにぎって離さなかった。
「あっためてあげるよ。お茶を淹れてきてくれたお礼。ほら、そっちの手も貸して」
総司はそう言うと、千鶴の両手をあわさせて、その上から自分の大きな手で包むようにした。冷気に触れていた千鶴の手の甲が総司の暖かい掌に包まれて、千鶴は思わずほっと息をつきたくなるくらいの気持ちよさを感じる。
「……沖田さんの手が冷たくなっちゃわないですか?」
遠慮しなくてはと思いながらも、指先にまで暖かい血が巡るような感覚が心地よくて千鶴は手を握られたまま総司にそう聞いた。
「ぜんぜん。っていうかなんでこんなに冷たくなるの。そっちの方が不思議なんだけど」
「そうなんでしょうか……ずっとこんななのでみなさんこうなのかと思っていました」
しばらく総司はそのまま千鶴の手を温めていてくれた。二人であまりしゃべらずに手を握り合ってじっとしている姿は、もし他の隊士に見られていたらあらぬ誤解を受けたかもしれない。しかし幸いにも誰も通らないまま、千鶴の手は充分にあったまったのだった。
それからは、何かの機会のたびに総司は『手は冷たくない?』と千鶴に聞くようになった。
忙しいときはもちろんそんなことは聞いてこないが、非番の時や隊務の空き時間などの暇なときに気まぐれに千鶴の手を暖めてくれる。
どうしてわざわざ暖めてくれるのかと、手を握られながら千鶴が聞いたことがある。その時の総司の返事は彼の生い立ちにまつわるものだった。総司自身も子供の頃に水仕事を冷たい中やらされた経験があるらしく、それを千鶴が水仕事をしているのを見ると思い出すらしい。
それを聞いて千鶴は総司の知らない面をまた新たに知ったような気がした。
前に屯所でネコを大騒ぎして捕まえたときも、総司の知らなかった素直な一面を見て驚いたが、今回もだ。
意地悪で冷たくて何を考えているのかわからない怖い人。と言うのは変わらないが、今はそれに『意外に素直で』『意外に優しい』というのも加わった。
それと『笑顔がかわいい』と言うのも実は加わっている。
総司の手は本当に暖かくて、いつもなら遠慮して暖めてもらうなどというずうずうしいことはしない千鶴も抗えないほどの魅力だった。それに手を暖めてくれている間の総司との会話も、今では千鶴の楽しみになってしまっている。何気ない世間話だが、何故だかうきうきして楽しい。雪が降りそうな冷たく灰色の世界で、そこだけ鮮やかな色が溢れている春のような。
だから総司が手を差し伸べてくれる時は、千鶴はいつもありがたくも甘えて、暖めてもらうようになっていた。
そんなある日。
屯所の表門の辺りが急に騒がしくなり、一番組が斬り合いをしたという声が奥にいた千鶴のところにまで聞こえてきた。
他の隊士の目がある関係から千鶴は表にはあまりいくなと土方から言われているため、千鶴は奥の幹部の皆で食事を食べる広間のあたりから表の様子をうかがう。
総司は大丈夫なのだろうか。他の隊士は?心配しながら、見えないにもかかわらず千鶴が伸びあがって表の方を見ていると、そちらから廊下を誰かが歩いてくるのが見えた。
総司だ。
「沖田さん…!」
総司はもう浅黄色の羽織は脱いでいつもの服を着ている。千鶴は急いで駆け寄った。
「あれ、千鶴ちゃん。どうしたの」
「どうしたのって…!沖田さん大丈夫だったんですか?一番組が……」
千鶴が言いかけたのを総司はめんどくさそうに手を振って遮った。
「ああ、大丈夫だよ。隊士は誰も怪我してないから」
総司の言葉に千鶴はほっとした。そして総司を見る。
「よかったです…。沖田さんも大丈夫なんですよね?」
「見ればわかるでしょ、今日の隊務は終わりだよ。あー疲れた。そうだ。手、どう?冷たい?」
暖めてあげようか?というように手を差し出した総司に、千鶴はいつものつもりで自分の手を差出し……そして途中で手を止めた。
これは……
総司の右手の親指の付け根の辺りに、赤いものがしぶきのようについていた。
飛び散った……これは血だ。
『隊士は誰も怪我してない』と先ほど総司は言った。ということは、隊士じゃない誰か…不逞浪士か誰かが斬られたのだ。
いや、総司が斬ったのかもしれない。斬られた人は怪我をしたのか……もしかしたら命をおとしたのかもしれない。
千鶴が空で手を止めて総司の手の血の跡を見ていると、総司が千鶴の視線の先を追って自分の手についているそれに気づいた。
「……」
総司は試すような瞳で千鶴を見た。少し微笑んでいるようだ。
そして手を差し出したまま言う。
「……やめる?」
血の付いた手に自分の手を重ねるのはやめる?
暖めてもらうのはやめる?
挑むような総司の緑の瞳を見て、最初に血を見たときの千鶴の驚きは収まった。代わりにムラムラと反抗心のようなものが湧き上る。
血のついた男の手など千鶴が取るはずもない――いや、取れるはずもないというような馬鹿にしたような総司の表情。
君と僕では世界が違うんだよとでもいいたげな、どこか冷たく突き放した態度。でも彼の言葉はずるく、選ぶのは千鶴だと言っている。
「やめません」
千鶴は総司の目を睨みつけるようにまっすぐ見ると、自分の手を総司の手に重ねた。
「いいの?」
そう聞いた総司の声が少し驚いたような声だったので、千鶴はしてやったりと総司を見上げた。
そして彼の表情が千鶴の想像していた表情と違うことに気づき目を見開く。
総司の緑の瞳の奥にはどこか寂しそうな――不安そうな光がちらついているように見えたのだ。
千鶴は思わず、もう一方の手で総司の血の付いたところを包むように握った。握ったからと言って血の跡はとれないのだが。でも握ることによって血の跡が総司にあたえる負の何かを消し去ることができるような気がして。
濡れた手ぬぐいがあれば血の跡なんてとってあげられるのに
しかし総司は血の跡を拭い取ることなど望んでいないだろう。近藤の剣となって人を斬り血を浴びる道を選んだ人なのだ。
ならばせめて。すこしでも血の森に迷い込んで溺れてしまうのを防げるように。千鶴の冷たい手がそれの助けになるとは思えないけれどでもせめて……。
そんなことまで具体的に考えたわけではないが、千鶴は総司の手をはさんで包む様に握りしめた。
「……それじゃあ僕があたためてあげてるっていうより君に冷やされてるみたいなんだけど」
からかうような総司の声とともに、彼のもう一方の手が千鶴の手を包んだ。
「……ありがとう」
小さく聞こえたような気がした彼の声は、静かに降り出した雪の中に吸い込まれるように消えていった。
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