【Something Blue 3−2】
『青は藍より出でて藍より青し』『Blue
Rose』の続編です。前作を読まないと話がわからないと思います(スイマセン……)。
内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
千鶴はその小さな町の小さなスーパーで、オレンジを買った。迷った末に鮭おにぎりとお茶も買う。もう少し先に行ったところにあるさびれた花屋で、白と黄色とピンクの菊を買う。お線香とライターは初日に買ってすでにカバンに入っている。
千鶴は山に向かってゆっくりと歩き出した。
この小さな町は、夜も早いし外食する場所も少なくて不便だが、体力が極端に落ちている千鶴には少しでも目的地に近くないと歩いていくことができなかった。この場所にたどり着いてから二日の間、毎日朝このスーパーで朝ごはんと昼ごはんを買い、あの花屋で菊を買い、ゆっくりと休み休み千鶴は山を登っていた。見慣れぬ人間がいることに慣れていないのだろう、町の人たちが千鶴をもの珍しげに見る。
千鶴は自分がよそ者だからじろじろと見られるのだと思っていたが、実は千鶴のはかなげな雰囲気、今にも空気に溶けてしまいそうな透明感に皆は見惚れていた。
真っ白な透明感のある肌、艶のある黒髪、スッと伸びた背筋に優しげな眼差し……。もともと可愛らしい千鶴ではあったが、20歳を過ぎ、人を愛して、前世のつらい出来事を乗り越えた記憶も戻った今の彼女は、見る者の目を奪う魅力があった。
そんなことにまったく気が付いていない千鶴は、菊の花束を抱えながら残暑の厳しい田舎の道をゆっくりと歩き出した。
過去を思い出した千鶴は、最初はかなり混乱していた。とにかく雪村の里へ行かなくては、という強迫観念のような思いに突き動かされ、夜東京駅に行き最終の新幹線で仙台へと向かった。あれだけつらかったつわりは、気を張っていたせいか移動中は吐くこともなかった。仙台でもう夜の10時を過ぎていたうえ雪村の里の場所も正確にはわからなかったため、千鶴はとりあえずその夜は仙台のビジネスホテルで宿をとった。昼間の疲れが一気に出たせいか、風呂もそこそこに千鶴はまるで気絶するように眠りについた。
その夢の中で……。
千鶴は前世の体験をもう一度していた。前世ではほとんど覚えていなかった、子どもの時の雪村の里での暮らしや襲撃を受けたときの映像も現れた。
誰かを愛したいのに愛すことのできない子供時代。そんな孤独な生活を変えたのは、新選組と出会ってからのことだった。夢の中の自分は、なぜあの人はあんなに輝いているのだろうと不思議に思いながら、訳の分からないまま、それが恋とも気づかないまま総司に惹かれていっていた。夢の中で追体験をする恋は、今の千鶴にとっても本当に魅力的だった。強い意志と残酷な行動、裏腹に甘えんぼな可愛さと思いがけない優しさ……。総司のすべてに夢の中の千鶴は我知らず夢中にされていた。現代とは違って情報もなく、経験もなく、知り合いや友達も極端に少なかった前世の自分。その分総司に向かう思いは深く熱かった。全身全霊で総司を求めていた感情が、今もまだ千鶴の胸の中に残っている。
傍にいたくて、傍にいて欲しくてあの時代のうねりの中を必死で彼について行った。もともと当時の千鶴には総司以外には何もなくて、彼の傍にいること以上に大事なことは何一つなかったのだ。
きっとその時の想いが、記憶がなかった現世でもどこかにあって、だから総司が一人でアメリカに行くと言った時にあれほどショックだったのだろう。ようやく自分の道を見つけた総司はキラキラしていて。だから行かないでくれ、などと言うつもりは千鶴には全くなかった。それよりも、あと一年ある自分の大学と、就職のための試験準備と、就職活動と……すべてを投げ出しても着いていきたいと千鶴は願ったのだ。
まるで女の自分からプロポーズをしてしまったような行為だったと、千鶴は思い出して恥ずかしさのあまり赤くなる。
けれども総司は許してくれなかった。経済的な面なら、アメリカで何か簡単な仕事を見つけて自分の分は自分で……、と千鶴が言いつのると、そういう問題じゃないんだよ、と総司は言った。
その時は、総司の新しい生活の邪魔に自分がなってしまうのか、と考え寂しく思いながらあきらめたのだが、過去を思い出し前世の総司の想いの深さを知った今では、総司が『そういう問題じゃない』と言った意味もわかる。
きっと総司は、千鶴にとって一番いい人生を考えてくれていたのだ。
昔も今も。
前世で総司が『君が本当に望むことをかなえてあげたい』と言ってくれたことを、千鶴は思い出した。
今はそれはきっと千鶴の大学の卒業と就職で。
千鶴は過去の物から様々なことを調べることができる学芸員になりたいと、必要講義をとったり試験準備をしたりしていた。総司はそれを知っていたから、きっとそう言ってくれたのだろう。
前世で一人になったときと違い、今は総司は傍にいないけれど、この空の下に確かにいてくれている。
携帯はおいてきてしまったけど、電話をかければすぐに出てくれる。
二年の間傍にいることができないとしても、二人には見えないくらい長い未来があるのだ。
なんて幸せなんだろう。
千鶴は胸が熱くなり涙がこみ上げるのを感じた。妊娠のせいなのか、前世を思い出したせいなのか、千鶴は極端に涙もろくなっていた。少し疲れを感じて、千鶴は山道の脇の石に腰掛ける。
過去を思い出して、千鶴はかつてないほど総司を近く感じることができた。たとえ離れていても前にかんじていたような切なくなるような胸の痛みは感じない。遠くにいるのにまるですぐそばにいてくれるみたいに総司を身近に感じる。千鶴はそのまま青い空を見上げる。
総司も遠いアメリカで、同じ空を見上げているのかと思いながら……。
総司は意外にも近くで同じ空を見上げていた。
千鶴のいる駅の隣の比較的大きな駅で、インフォメーションセンターにあるこの地域のすべてのホテルと旅館に電話をかけてみたが、雪村千鶴という滞在客はいなかった。偽名を使う理由は思い当たらないし、この駅の宿ではないのかもしれない。それとも……宿をとっていないのかも……。
打つ手をなくした総司は、溜息をついて空を見上げた。
総司にはわからないが、前世での子をなした男の家にたどり着いてしまったのかもしれない。顔すらわからないその男と愛を確かめあっている千鶴を勝手に想像して、総司は身を切る様な嫉妬にさいなまされた。矢も盾もたまらず、隣の駅にいるかもしれない可能性にかけて、総司は来た電車に飛び乗った。
隣の駅は想像以上に小さかった。一軒だけある旅館のような小さなホテルのフロントには誰もいない。
チン!と呼び鈴を鳴らして、総司は誰かが出てくるのをしばらく待ったが誰も来ない。一度そのあたりを探してみてからもう一度来てみることにして、総司はフロントを離れた。
のんびりした道を歩いていくと、小さなスーパーがある。朝食も昼食も食べていないことを思い出して、総司はそのスーパーでカロリーメイトを3箱とペプシを買った。歩きながら食べていると、もう山のふもとだった。
こんなに駅から近いのなら、ちょっと山に登ってみようか……。
雪村の里はホテルをすべてあたってから行こうと思っていたが、意外にも近かった山に、総司は登ってみようと考えた。以前にはもちろんなかったアスファルトで舗装された道が山の中へと続いている。この道をまっすぐ行けばいいのか、それとも雪村の里はかなり道から外れていたから裏道とか舗装されていない登り口を探した方がいいのか……。当時と同じ目印になるようなものは何かないかと総司は考え込んだ。
変わらないものと言えば……木……は枯れちゃうし。道……はたぶんもう変わってしまってるだろうし……。川……は確か家の後ろを流れてたけど、ふもとのどこまで続いているのかわからないし……。記憶をさぐっていると、ふとひらめくものがあった。
そういえば山の中腹に結構大きな寺があったな……。
寺の住職は世襲制が多いし、檀家の問題もあるからそうそう廃業しないんじゃないだろうか……。
そう考えた総司は近くにあった鄙びた小さな花屋に飛び込んだ。
「あの……!あの山の中腹にお寺ってありませんか?」
花屋の店番である中年の女性は、見慣れぬ垢抜けた青年に目をぱちくりさせた。こんなところにくるようなタイプとは思えない華やかな存在に、ふと最近毎朝菊を買っていく女性を思い出す。彼女も寺のことを訪ねていた。そう思いながらも、彼女は特に何も言わずに寺への行き方を教えた。
「あの立派な道路をしばらく行くと、右に折れる小さな道があるから、そっちの道をずっと登っていくとお寺に着くよ。結構坂がきついけど」
「ありがとうございます」
外見にそぐわぬ礼儀正しい挨拶に、女性は好感を持った。
あの女の子を追いかけていくのかな……。
なんとなく二人は知り合いのような気がして、その女性はそう思った。
あの寺の裏に、雪村の里へと続くけもの道のような登り口があったはずだ。結構大きな石が置いてあったから、たぶんあれは変わっていない気がする。そこから登って行けば雪村の里へ行ける……!
総司は足早に坂を登った。9月の終わりとはいえ、日中の太陽は結構きつい。羽織っていたシャツを脱ぎ、総司はTシャツ一枚になった。そのままずんずん登っていくと、大きなカーブを曲がった先に寺らしきものがあり、道はそこで行き止まりになっていた。
山の中腹に張り出すように立っている寺に、昔の面影はほとんどなかった。
総司は少しがっかりしながらも前世で大好きだった場所へ、行ってみようとふと思い立つ。寺が立っている場所は変わっていないから、きっとあの場所もあのままの筈だ……。
そこはちょうど張り出した部分にあり、木が生えていないのでふもとの里を見渡すことのできる気持ちのいい場所だった。ちょうど沈む夕日が見えることもあり、寺で子供たちと剣の稽古をした後によくここに夕日を見に来たことを覚えている。
総司がそこに向かうと、何もなかったはずのその場所に、一本の大きな木が生えているのが見えた。けれどもそのほかはそのままで、ふもとの町を一望することができる。
近くまで行こうと足を進めた総司は、その木の根元から少し離れたところに誰かが立っているのに気がついた。
こちらに背中を向けて、淡いブルーのシャツドレスを着ている女性……。
千鶴だった。
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