【Something
Blue 2−1】
『青は藍より出でて藍より青し』『Blue
Rose』の続編です。前作を読まないと話がわからないと思います(スイマセン……)。
内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
さすがに少し早すぎただろうか……。
一は千鶴の一人暮らしのマンションのドアの前でただずんでいた。夏の終わりの朝は早くて、六時半の今はもう空はだんだんと明るくなってきていた。
昨日散々千に脅かされて、一は心配で心配でたまらなかった。夜中一人でいるときにつらい記憶を思い出してしまったら?風呂にでも入ろうとして衰弱している千鶴が立ち上がれなくなってそのまま溺れてしまったら?心配だから泊まると言ったのに、千鶴に帰されてしまった。総司がいない今、千鶴の面倒を見るのは自分しかいないという責任感から、一は昨夜眠れなかった。
ベッドで眠っているかもしれないし、寝姿を自分に見られるのはさすがに嫌だろうと考え、一はドアの前で千鶴の携帯に電話をかけた。
……でない……。
しかもワンルームマンションの薄い扉の向こうから、千鶴の携帯の呼び出し音が鳴り響いている。これだけうるさく鳴っていて眠っているとは考えにくい。
一はゴクリとつばをのんで、携帯を閉じると千鶴の部屋のノブを思わずまわした。まさか開くとは思っていなかったが、ノブはカチャリ、と静かな音がして回る。
一の背中を嫌な汗がつたった。
痛いくらいに強く打つ心臓の音を聞きながら、一は千鶴の家へと足を踏み込んだ。
「……千鶴……?」
部屋は電気がつけっぱなしで、いつもきれいに片付けられている千鶴の部屋にしては物が乱雑にちらばっている。しかし物取りが荒らした、という感じではない。一は焦って部屋を見渡す。と、机の上に紙が一枚置いてあるのが目に入った。携帯が重しとして置いてある。一は恐る恐る手をのばしてその紙を手にとった。
『突然ごめんなさい。必ず帰ってきますので心配しないでください。 千鶴』
一は青ざめた。
千鶴がいなくなった……。
体調が悪くて倒れているのではない。……ということは前世の記憶がらみなのだろうか……。それだとしてもあの体調でいったいどこに……。出先で倒れてしまうかもしれない。最悪の場合お腹の子も……。
そこまで考えて一は勢いよく立ち上がった。
は、は、は、ははははやく探さなくては…………!
駈け出そうとしたとき、紙を押さえていた千鶴の携帯が鳴る。
千鶴からかもしれない!
よく考えればわざわざ携帯を置いて行った千鶴が、自分の携帯に電話をするわけはないのだが、一は思わず携帯をとりあげ、よく考えもせず通話ボタンを押した。
『も、もしもし…!』
千鶴の携帯から聞こえてくる声に、ボストンにいる総司は眉根をよせた。最近全然連絡がとれない千鶴を心配して、この時間なら絶対いるだろうと日本時間の朝7時前にわざわざ電話してみたら……。
「……一君?なんでそんな朝早くに千鶴ちゃんの携帯にでるのかな?今どこにいるわけ?」
座っていた大学のカフェテリアの椅子にもたれかかって、総司は足を組む。
『……千鶴のマンションだ。』
一の答えに総司は組んだ脚をほどいて体を前に乗り出した。
「……どういうこと?千鶴ちゃんは?」
一はかつてないほど焦っていた。
総司には千鶴のことは知られてはいけない。そもそも妊娠のことも前世の事も何も話していないのにいきなり失踪したことを話すわけにはいかない。
千鶴が妊娠したという知らせは、総司は喜ぶだろう。でもそれはやはりかわいい彼女が頬を染めながら報告するもので、男の無表情な声で聴かせるような内容ではないように思う。しかも自分は……なんというか愛想がなく華やかさに欠ける。いや、そんなことより今は千鶴が居なくなってしまった方が重大で……。でもどちらも話すことはできない。
どうごまかせばいいのか……。こんな朝早くから少し外に出かけている、というのは不自然だろう。(こんなに朝早く自分が千鶴の家にいて千鶴の携帯にでていることの方が不自然だとは、焦っている一は気づいていない。)トイレ……はすぐでてきてしまうから……。そうだ…!
「フ……」
『今お風呂に入ってる、とか言わないでよ。』
言おうとした言葉を総司に先に言われてしまった。何故風呂に入っていると言ってはいけないのか、動揺している一にはよくわからなかったがダメと言われたならしょうがない。
「……では、風呂に入っているとは言わないでおく」
一の言葉に、総司の眉間のしわが深くなる。
「……どういうことさ。風呂にほんとに入ってるの?それを部屋で待ってる一君っていったいどーゆー状態なワケ?一君、昨日泊まったの?千鶴ちゃんをだしてよ」
『……泊まってはいない。泊まらせてくれと頼んだが断られた。千鶴は……出せない。すまない、総司。』
ブチッ。
いきなり耳元で切られた電話を、総司は携帯を耳から離して茫然と見つめた。すぐにもう一度かけなおすと、電源が切られている、と言われてつながらなくなっていた。
総司は椅子から立ち上がる。
早い夕飯として食べていたサンドイッチとコーヒーをゴミ箱に捨てて、総司はうろうろと歩き回った。
どういうことだ?……って……普通に考えれば、そういうこと?ここ3日間千鶴ちゃんとも一君とも連絡がとれなくて、ようやくとれたら朝早く千鶴ちゃんの家に一君がいて、謝られて……。
総司は茫然と立ちすくんだ。
まさか、そんな……。一君と千鶴ちゃんが……?
一方日本の一は、千鶴の携帯の電源を切り、自分の携帯で千に電話をしていた。自分一人ではもう限界だ。次の手を間違えたらとんでもないことになりそうで、女心のわからない自分ではかなりの不安がある。
『……はい。』
「鈴鹿先輩?斎藤です。千鶴がいなくなりました」
唐突な一の言葉に千が息を呑んだのが伝わってきた。
『……ちょっと待って。当直明けだから9時に引き継げば帰れるの。今どこ?千鶴ちゃんのうち?病院出たらすぐ行くから、それまで斎藤君はあたりを探してて!』
病院から来た千と一は、心あたりをすべて探した。
大学、総司の前住んでいた家のあたり、千鶴の実家、薫の家、平助の家……。
千鶴はどこにもいなかった。二人はとりあえず千鶴の家にもう一度帰る。時刻はお昼を過ぎていた。
「何か家の中に手掛かりがないかしら……」
「家の中は一通り探したが……」
部屋の中で周りを見渡す。
「そうだ……!携帯!置いて行ったのよね?着歴は?発信履歴でもメールでも……」
「……勝手に見てもいいものだろうか…!」
「この期に及んで何をいってるのよ!斎藤君が気にするのなら同性の私が見るわ」
千は携帯の電源を入れる。その途端待っていたかのように携帯が鳴りだした。千はびっくりして表示をみると総司からだった。非情にも千はぶちっと通話終了ボタンを押す。
「今の優先順位は沖田君を安心させることより千鶴ちゃんの身の安全よ!」
そう宣言して、千鶴の携帯を操作する。着歴、発歴、メールともに、総司、一、平助、薫……等々の特に目ぼしいものはなく、手かがりは途絶えた。冷静に考えてみればあの状況で千鶴が誰かと連絡をとることも考えにくいし、誰かからの連絡で家を出て行ったことも考えにくい。それなら携帯は持っていくだろう。つまりは千鶴は自分の意思で出て行ったのだ。いったいどこに……?
千と一は顔を見合わせて途方に暮れた。
そこに今度は一の携帯が鳴る。総司からだった。
「……はい」
脱力したまま惰性で一は電話にでた。
『!……やっとでたね……!どういうことか説明してくれる?』
総司の声に一は溜息をついた。もうこうなったら話すしかないだろう。何か大事になる前に総司には伝えておくべきだ。一はそういう意味をこめ千を見た。千も同じ思いだったらしく、視線をあわせたままうなずいた。
だけど、どう説明するのかしら……。デリケートな話だからうまく話をすすめないと余計話がこじれてしまいそう…。でも斎藤君と沖田君は長い付き合いだから大丈夫よね。
千が息をつめて一を見ると、一は冷静な表情と声で話し出した。
「……総司。落ち着いて聞いてほしい。何から話せばいいのか、俺もとまどっているのだが……」
『待って!説明の前に結論だけ聞かせて。一君と千鶴ちゃんがつきあいだした、もしくは間違いをおかした、ってことじゃないよね?』
「……つきあいだしてなどいない。間違いは……おかしたといえばおかしたが、たぶんお前が考えているようなことではない。事態は……それよりも悪い」
『……ちょっと待って……。まさか相手は平助、とか言わないでよ。』
「そういう話ではないと言ったろう。つまり……」
そう言って一は言葉に詰まった。
前世を思い出したこと、現在妊娠していること、前世でもしかしたら妊娠したことがあるのかもしれないこと、それは望まない妊娠かもしれなくて……、さらに千鶴は…シッソウシテ……
「……つまり、お前は避妊はしていたのか、ということだ。今も昔も」
『……は!?』
一の突拍子もない言葉にボストンの総司の驚きの声をあげるのと、日本の千が頭を抱えたのとが同時だった。
もう!と怒りながら、千は一の携帯電話をとりあげた。隣で一が、プスプス……と音を立てて耳から煙を出している。とうとう事態が一の処理能力をオーバーしてしまったようだ。壊れている一を横目で見ながら、千は携帯電話に出た。
「もしもし?」
総司は何が何だかわからなかった。千鶴の心変わりを心配していたら、そうではなくて、自分の避妊の話だと言われて……そして今度は女性の声が携帯からする。
「……どなたですか?一君は?」
『私は鈴鹿千よ。剣道部のOGの。覚えてる?この前体調の悪い千鶴ちゃんを診させてもらった縁で今ここにいるの。斎藤君は隣で耳から煙をだしてるから私が代わりに話します。』
理路整然と話す様子に、ようやく状況がわかる、と総司は安堵の溜息をついた。
そうだ、千鶴ちゃんの体調も心配だったんだ。
OGの鈴鹿先輩は、確か前世で鬼の千で、何度か話したことがある。彼女が千鶴を診てくれたのなら安心だ。
「お久しぶりです。千鶴はどうなんですか?一君の挙動が不審なのも何かそれと関係が?」
『……そうね。最初から話します。一つ目、千鶴ちゃんは妊娠してます。二つ目、千鶴ちゃんは前世のことを思い出したみたい。三つ目、千鶴ちゃんは今朝失踪してしまって今行方不明なの。そして四つ目、これは私の想像なんだけど、千鶴ちゃんは前世で一度妊……』
「ちょ……!待って待って!鈴鹿先輩、ちょっと待って!」
あまりにもとんでもないことを次々と言われて、総司は頭を押さえながら先を続けようとする千にストップをかけた。
「ちょっと待って。なんだかすごいことを次々言われたと思うんだけど……。一つ目って妊娠…!?千鶴ちゃんが?なんで僕はそれを知らないの?三日前にわかってたんですか?」
思わず自室の椅子から立ち上がり、珍しく冷や汗をかきながら総司は聞いた。
『……赤ちゃんの心音がまだ聞こえないの。週数が早いせいか、お腹の中で赤ちゃんがもう死んでしまっているせいか今の段階ではわからないのよ。あと5日間ぐらいしないと。千鶴ちゃんははっきりしないうちからあなたに迷惑をかけたくない、と言って結果がわかってからあなたに言うつもりだったみたい。』
総司は茫然とした。
千鶴ちゃんが妊娠……。
固まっている総司の耳に、携帯から千の声が聞こえてくる。
『本当に自分の子か?と聞かないのはえらいわね。身に覚えがあるんでしょ?』
……もちろん、ある。千鶴と離れてしまうつらさから、日本を発つ直前までほぼ毎日千鶴を求めていた。だけど避妊は一応毎回していた。
「僕の子以外ありえないでしょう。今思ってるのは、こうなるのならナマでしておけばよかったってことぐらいです」
先ほどまで一と千鶴の仲を疑っていた自分はすっかり忘れて、総司は言った。
「それで?千鶴ちゃんの体はどうなんですか?体調がすごく悪そうでしたけど……」
『つわりがひどくてほとんど何も食べられなくて衰弱してます。それと……二つ目になるんだけど前世を思い出しかけていたみたいで夜も夢のせいで眠れていなかったみたい」
だから彼女の体調は最悪です。と容赦なく言う千の言葉を聞きながら、総司はまたもや目を見開いたまま固まった。
千鶴ちゃんが思い出した……。
こんな時に傍に居られない自分に総司は苛立った。彼女は羽衣を見つけてしまうかもしれない……。いや、そんなことよりも、心身ともに激流にのまれているときに自分が傍にいて彼女を支えて安心させてあげたかった。自分がつらいときには、彼女はいつもそばにいてくれたのに……。もう一人で涙は流させないと彼女に約束したのに……。
「僕、これから一度日本に帰ります。今日本は昼ですよね?会社の人事と大学の教授に連絡して……明日の飛行機に乗ります」
総司の言葉に、電話の向こうから千のあわてたような言葉が聞こえてくる。
『待って待って……!まだ説明してないことがあるの!三つ目の話よ。千鶴ちゃんは今行方不明なの。置手紙があったから自分の意思で出て行ったんだとは思うんだけど。』
総司はそれを聞いて立ち尽くした。
全身から血の気が引くのがわかる。
……彼女は見つけたんだ……。
羽衣を。