千鶴ちゃんの七つのリスト
はしゃいで猫を抱きあげている千鶴を、沖田は和室の入り口から立ったまま見ていた。
ふと気づくと、隣に立った斎藤も同じように千鶴を眺めている。その静かなまなざしが気になって、沖田は斎藤の横顔を見た。斎藤が沖田の視線に気づき、千鶴から視線を外す。
「エサや猫砂などしばらく同じものを使ったほうがいいのでな、いくつか雪村に渡そうと思っていたのだ。荷物が増えるから俺が持って雪村の家までおくっていくつもりだったが、お前が荷物持ちならお前に渡せばいいのだな。取りに来てくれるか」
やっぱりそう来ると思った。
世話好きで面倒見のいい斎藤のことだ。猫を飼うのに必要なあれこれを千鶴に必ず持たせるだろうと思っていたのだ。
それを誰が持つのか?
自分がそうだったように、重いものを持ってヨタヨタしている千鶴を斎藤がそのまま返すわけがない。きっと千鶴の家まで荷物をもってやるに違いない。
そうしたら当然、ゲージの設置やらこの家ならどのあたりに置いてあげると猫が安心するかやら、家に上がって面倒を見てあげることになるだろう。自分がそうだったからこの展開は間違いない。
そこからが問題なのだ。
そのあたりのやり取りで、千鶴がまた斎藤に対して『嫌悪感がない』と感じたらどうなる?
あの突拍子がない上に大胆な千鶴は、沖田との経験に味をしめて、またあの七番目のリストの提案を斎藤にするかもしれない。
それを想像した途端、沖田は脳が沸騰したようになる。
昨日の今日で別の男に提案するか? と常識では思うが、常識的な女性はそもそも単なる同僚にあんな提案はしないだろう。
セックスをしてほしいと頼まれた時のことを思い出して、沖田はまた吹き出しそうになるのをこらえた。
あんなに真っ赤な顔してどもりながら、言うことがアレなんだからなあ。
千鶴らしいと言えば千鶴らしい。
そのくせ、セックスの最中に臆せずまっすぐに沖田の目を見て、沖田の奥に触りたい自分の奥にも触ってほしい、などと大胆なことを言う。
その時の千鶴を思い出して、おきたの下腹はズクリと熱くなった。
廊下の先を行く斎藤が、「こっちだ」と沖田を手招いた。
そこはキッチンの奥にある広いパントリーだった。
隅に猫用のいろいろなグッズが置いてあり、斎藤はそのなかからいくつか選んで沖田に渡していく。
「家に慣れるまでは落ち着ける隔離された場所があった方がいい。これは昔使っていたケージだ、不要になったら捨ててくれ。それからこっちが子猫用のエサで、しばらくは獣医に行くことも多いだろうから使わなくなったキャリーケースも……」
一通り渡されたが、想像通り結構な荷物だ。猫無しでも沖田一人で抱えるのがやっとで、千鶴では重くてムリだろう。二日続けて千鶴の荷物持ちとは。しかもそれが全然苦ではないとは、いったい自分はどうしたのだろうかと沖田は自分がおかしかった。
「これで全部?」
斎藤から紙袋をいくつか渡され、沖田がエサやおやつなど小物類を入れていく。斎藤の無言の視線が背中にぶすぶすと刺さるので、とうとう沖田は聞いた。
「何?」
斎藤はしばらく何も言わず、腕組みをしたまま沖田を眺めていたが、
「雪村と付き合っているのか」
と、静かな声で訊いてきた。
やっぱり千鶴についてきてよかった。この斎藤の顔、自分の縄張りを荒らされた野良犬そのものではないか。
斎藤が千鶴を気に入っているのは以前からなんとなく感じていた。千鶴と仕事で話すときに、笑顔になっている斎藤を何度か見たことがある。斎藤が女性にあの笑顔を見せるのは、沖田が知る限り千鶴にだけだ。
今朝、千鶴が一人で斎藤の家に行くと聞いて思わず僕も行くと言ってしまったのはそのせいだ。千鶴が他の男と一対一で会うのは嫌だが、それが斎藤なら猶更危険だ。
沖田自身も千鶴のことは好意を持っていた自覚はある。他の女性たちの媚びるような態度とは違い、どこまでもフラットに接してくれるのが楽だし、からかった時の反応もおもしろいし、恥ずかしそうな顔はかわいくて胸がキュンキュンする。庇護欲がかきたてられるかと思えばそれだけではなく、彼女の想定外の言動が突拍子も無かったり潔かったりして面白くて、千鶴とのおしゃべり目的で電子申請ですむ事務処理もわざわざ千鶴の席まで渡しに行くくらいには好きだった。
「……付き合って……はいないかな」
「今日は何故ついて来た?」
「昨日、千鶴ちゃんちに泊ったから、その流れで」
ピシッと空気に電流が走ったようになった。斎藤の顔がこわばっている。
「付き合っていないのに泊ったのか」
「まあね」
斎藤は冷たい目で沖田を見ると、そのままパントリーを出ていった。
ああ、誤解されたかな、と思うものの、訂正する気はさらさらなかった。すべて本当のことだし。
絡んでくる派手目の女性社員達を相手にする気もなかったので、適当にあしらっていたら女グセの悪い男だという噂を立てられてしまった。沖田をめぐっての女性同士のマウント合戦で、あることないことを噂されているのは知っている。
彼女を作らず、その場限りで女を食い散らかしているだらしのない男。
訂正するのも面倒で、寄ってくる女性も減るかと思い放置していた噂だが、斎藤はどう思っているのだろう。いちいち誰と付き合ったかどうしてわかれたかなんか報告してないから、千鶴のことも遊びで手を出したと思っているのかもしれない。
そこまで考えて、沖田は猫缶を持つ手をふと止めた。
「遊びで手を出した……」
というのは違和感がある。
千鶴の提案に乗ってあげただけだ。千鶴も望んだことだし、誰も悲しむことでもない。今日だって、このまま猫グッズを千鶴の家まで持って行ってあげて、場合によってはゲージの設置とかも一緒にやってあげるかもしれないが、それで帰るのだ。
「あした仕事だし」
そう。千鶴の家には沖田の着替えやスーツもないし、千鶴の念願だったセックスはもうしてあげたのだから沖田は必要ない。あのリストの沖田担当の項目は、沖田の目の前でもう用済みとばかりに斜線を引かれてしまったのだし、これでミッションコンプリートだ。
でも何か胸の奥がもやもやする。嫌な感じのもやもやではない。甘く痛く切ない感じの……
切り立った崖の淵で下を覗き込んでいるような恐怖と興奮を感じる。ここから飛び降りたらもう元の自分には戻れない。でもきっと素晴らしいものが手に入る。ものすごく甘くて全身蕩けてしまいそうな何か。きっと辛くて苦しい思いも味わうことになるけど、抗うのは難しいほど魅力的な何か。飛び込みたくないのに飛び込みたい。飛び込まずにはいられない。
「まったく……面倒なことになりそうだなって思ったんだけどね」
しかし自分の心の中のどこを探しても、後戻りはする気はなかった。
昨日の体験で、千鶴に沖田の奥の深いところを触られて握られてしまったのだ。
『……沖田さんの奥を知りたいって思ったので、やめたくないです』
そう言った時の千鶴の瞳がまっすぐと沖田の心に刺さり、まだ抜けていない。
沖田は昨夜の出来事を思い出していた。
「……でも理性がキレた沖田さんは見てみたいです」
震えながらそう言われて、沖田はグラリと体が傾いたように感じた。
頭が沸騰して声が出せない。全身から汗が噴き出し、沖田はごくりと唾を飲んだ。下半身の熱が全身に広がり、沖田自身の体も震えているように感じる。
「千鶴ちゃん……ほんとに初めて?」
まるで走ってきた後のように息が上がっている。薄暗がりの中で、千鶴の顔が白くが光っているように見えた。全身からアンテナが立ち、千鶴の匂い、吐息、体温すべてを享受しようと逆立っている感じだ。触れている裸の胸からお互いの鼓動を感じる。それはドラムロールのように強く早く打っていた。
「初めてです。……沖田さんが初めての人で……よかった。沖田さんも……沖田さんにも、私の奥に触れてほしい。多分、沖田さんしか届かないところに……」
沖田の脳が揺れた。ふんわりとしたかわいい笑顔でえげつないことを言われ、しかも本人はそれを意識していないらしい。
獰猛な欲求が腹の底から湧き上がり、沖田を飲みつくす。頭の片隅の小さな理性が、千鶴は初めてなのだから乱暴に襲い掛かるなと警告しているのだけが、かろうじて沖田の凶悪な衝動を止めていてくれた。
ふー……と腹の底から息を吐いて、口から大きく息を吸って、飲まれてしまいそうな本能を必死に逃す。自分の下半身がこれまでにないくらいに怒張して痛い。こんなものを初めての千鶴には挿れられないだろう。体を離して一度自分で抜いたほうがいいのかもしれない。しかし沖田の体は意思に反して千鶴にぴったりとくっついたままで、沖田の目も千鶴の目から離れられない。少しでも動いただけで爆発してしまいそうだ。
なのに、あろうことか千鶴は、恐怖など全く感じていないように幸せそうに小さく笑った。
その笑顔が可愛くて、沖田の胸はリアルに痛んだ。
その上千鶴は、沖田の肩に回していた片手を解き、すんなりとした人差し指で愛おしそうに沖田の頬から顎にかけてそっとなぞってきたのだ。石油の上に火花を落とすような所業だ。その感触に、沖田の腰から背筋にかけてゾクゾクとした快感が走り、視界がチカチカと点滅する。
プツンと理性の糸が切れた音がした。
「……どうなっても知らないよ」
我ながら低く甘く、脅すような声。
なのに千鶴は嬉しそうに笑った。
一回目の時は正直あまり覚えていなかった。目の前がどろどろとしたマグマのように真っ赤で、夢中になって千鶴の全身を触り、舐めた記憶しかない。
しかし千鶴からの抵抗や嫌がる様子はなかった……と思う。
自分がうわごとの様に「これは?」「どう?」「痛い?」と聞き、千鶴がそれに律儀に答えてくれていたことをなんとなく記憶している。
『もっと……』だの、『沖田さんの手、きもちいい……』だの、千鶴が言うたびにこれ以上興奮できないだろうと思っていたのがさらに高く、強く持ち上げられる。
千鶴に入った時は、一瞬意識がとんだ。こんなことも初めてだ。
しばらくして、自分の下の千鶴が苦しそうに短く息を吐いて顔をしかめているのに気づく。
「……ごめ、ん……痛いよね……」
快感のあまり言葉も満足にでない。少しでも動いたら達してしまいそうだ。いきたいのだがいきたくない。この快感をできるだけ長引かせたい。千鶴の顔が快感で歪むのも見たい。二人で甘い旋律を奏でたいのだ。しかし肩で息をして何とか絞りだした言葉は、「……大丈夫?」の一言だけだった。
千鶴がコクリと頷いたのが、朦朧とした視界の中で見えた。汗と涙でぐちゃぐちゃの顔が可愛くて愛おしくて胸がいっぱいになる。
「……奥が……沖田さんでいっぱいで……くるし……」
千鶴の細い声でそう言われると、沖田の下半身が一気に緊張したのが自分でもわかった。自分が千鶴をいっぱいに満たしているのかと思うと、興奮で狂いそうだ。
「っ……千鶴ちゃん、あんま煽んないで……」
全部をすっぽりと収め、全身の筋肉に力を込めて動きだすのを我慢する。中はまだキツイ。このまま動くと痛いだろう。
自分の汗が、顎や鼻を伝いぽたぽたと千鶴の上に垂れていく。腰が蕩けそうで油断すると一度も動かないまま達してしまいそうだ。それだけは避けたい。彼女の奥深くを穿ってこすり上げて混ざり合いたい。
千鶴の体の力が徐々に抜けてくるのを確認して、沖田はそろそろと動き出した。
最初は硬くてきつかった千鶴の中も、動くたびに柔らかくなってまとわりつくように沖田を中に引き込む。千鶴の甘い声が脳に刺さるたびに腰が勝手に動いて止められない。
「ああ……だめだ、千鶴ちゃん、ごめん、もう……」
我慢ができない。初めてで苦しいのに申し訳ないと思いながらも、沖田は狂ったように何度も突いてこすり上げ、のけぞる千鶴を両腕でがっちりと抱きしめ動けないようにして、最奥で自分を解放した。
ビクビクと震える千鶴を抱きしめながら、さらに奥へと押し込めるようにこすりつける。
最後のうねりまでじっくりと味わってから、沖田はがっくりと力を抜いて千鶴の上に崩れ落ちた。全身の力が抜けて、脳に酸素も血液も行っていないのが自分でもわかる。ものすごい放出感と満足感で、空っぽだが満たされているという不思議な感覚だった。
あまりにも圧倒的だった快感にしばらく茫然としたあと、沖田は体をずらした。潰してしまっている。重かったに違いない。
「千鶴ちゃん、ごめ……」
言いかけて、千鶴がまぶたを閉じてぐったりしているのに気が付いた。一瞬焦って揺り起こそうとしたが、静かに呼吸しているのに気が付いて、ほっと肩の力を抜く。
汗まみれだし色んな液体でぐっしょりだ。
コンドームを外して後始末をすると、沖田は立ち上がってスェットのズボンだけをはいて一階に降りた。
暗いキッチンでコップに水を入れて一気に飲む。そしてシンクの淵に手をついて、大きく息を吐いた。長めの前髪が吐息で揺れる。
さっきの体験はなんだったのか。
千鶴に煽られたのは間違いない。単なるセックスでなくなったのは、千鶴のあの瞳と言葉のせいだ。
だがたとえ全く同じ言葉を他の女性から言われたとしても、あそこまでは煽られなかっただろう。
そもそも最後まで抱くつもりはなかったのだ。ちょっと脅かせば半泣きで、セックスして欲しいなどという突拍子もない提案を取り下げてくると思った。
簡単に人のうわさを信じて、沖田をいい加減な女たらしだと思い込んでいる千鶴を懲らしめたかっただけだ。
なのに。
『……いつも、からかったり意地悪でよくわからなかった沖田さんの奥に、今なら触れそうだから……』
そう言った時の千鶴の瞳は真剣で、大きな黒い瞳の奥にほんとうの千鶴が揺れていたのが見えた。弱いように見えるのに芯がとても強い女の子。突き刺すような彼女の視線と言葉に、確かに射抜かれた認識はある。ドクンと心臓が強く鳴って周りの音が聞こえなくなった。
沖田はシンクに腕をついたまま、ぶんぶんと頭を振った。
どうかしている。
あの瞳を思い出しただけで、ついさっき精を吐いた沖田の熱がまた一気に硬くなってしまった。
あれだけでは足りない。もっと触れたい。もっと注ぎ込んで千鶴の中を沖田でいっぱいにしたい。
それに、さっきの千鶴の体験はきっと痛いだけだったと思う。できるだけ気を使ったつもりだが、自分の熱情にのまれてしまった感は強い。あんなのが沖田のセックスだとは思われたくない。
それに沖田自身も自分の手で舌で、千鶴が快感に蕩けるのを見たい。涙を流して、許してほしいと、沖田が欲しいと求めてくれるのを見たいのだ。
そんな千鶴を想像しただけで、ゾクリと腰あたりに快感が走った。
沖田の方だって、千鶴のおとなしそうな顔の後ろにある本当の千鶴を見たい。今なら入れる。入ったらきっと沖田しか知らない千鶴が見れるはずだ。
恥ずかしそうに笑う、おとなしくてかわいくて突拍子もない強い千鶴が。