千鶴ちゃんの七つのリスト




沖田さん編 4 



「千鶴ちゃん、ほっそ。簡単にへし折れそうだね」

ベッドの上で上半身裸の沖田に抱き寄せられながらそう言われたが、千鶴は緊張のあまりガチガチで何も聞こえていなかった。

ラブシーンにはふさわしくない不穏な言葉だが、今の沖田のムードにはぴったりだ。

あれから夕飯を食べそれぞれ風呂にも入った。

夕飯の片づけや風呂の使い方などについて会話もしたし、沖田の笑顔もでたけれど、やはり前とはどこか違う。

透明なガラスが間に一枚挟まっているようで、本当の沖田に触れていない感じがする。

こんな状態で初めての経験をちゃんとできるのか不安だが、いまさら『やっぱりやめたいです』なんて言える空気ではなくて、千鶴はどぎまぎと視線をあちこちへさまよわせた。

裸の男性とこんな近くにいたことがないし、その腕に抱かれたこともない。抱きしめられるとドキドキして、耳元に鼻を寄せて何か言われると背中がゾクゾクする、なんてことも知らなかった。

沖田の大きな手は千鶴のパジャマの下で、感触を確かめるように背中や肩、腰を撫でるように動く。千鶴はそのたびに「ひゃっ」とか「うわっ」とか色気のない声をあげてしまっていた。自分からいいだしたことなのに、千鶴はすでに激しく後悔していた。

どこか不機嫌で怖い感じの沖田も気になるし、沖田の手がこんなに大きくてさらさらしてあったかくて……気持ちいいなんてしらなかったし。触れるたびにぞわぞわと妙な感覚が体に走り、この先のことに耐えられるのか不安だ。

「ああ、でも触り心地は良いかな。すべすべしてて柔らかくて……甘い匂いがする」

風呂上りにボディクリームをしっかり塗ったかいがあった。ニベアだけど。

沖田の手が背中をすべり、ふっと胸が楽になる。ブラジャーの背中のホックを外されてしまったのだ。

「ちょっ、沖田さん、待っ……」

沖田は千鶴の言葉は無視して耳の後ろからうなじ、肩、鎖骨と鼻をこすりつけながら口づけを落としている。千鶴はぎゅっと目を閉じて、背筋を駆け上るぞくぞくした感覚に耐えていた。

「千鶴ちゃんさ、そっちから頼んできたんでしょ? もういい加減覚悟を決めたら」

という言葉と共に、沖田が千鶴のパジャマを脱がせてしまった。

必死に両腕で胸を隠している千鶴に構わず、沖田は千鶴を軽く押し、ベッドに横たわらせる。

ベッドのヘッドランプだけの灯りの下、沖田の視線が上から降り注いだ。千鶴の裸を上から下まで見下ろしている。

視線は冷たいのに目の奥は深く熱く輝き、ギラギラしたオスを感じて千鶴はゾクッとした。できるだけ小さくなって沖田の視線から自分をまもろうと身をよじる。

「……やめる? やめてもいいよ」

最後通牒のような沖田の言葉。緑の目は冷たくて、唇はうっすらとほほ笑んでいる。

 

……やめる……?

 

怖いとは思うが、やめたいとは思わなかった。

だって沖田のこんな表情は見たことがない。

人を寄せ付けない冷たい顔か、表面上の愛想のいい笑顔しか見たことがなかったけれど、今は……

多分怒っている。

笑顔を貼り付けることも忘れるくらい怒っていて……そして傷ついているように見えるのは気のせいだろうか。

他の女性達とのあれこれの話をしたときからだから、多分あれがまずかったのだろうとはわかるが、具体的に謝れるほどはわからない。仕事でも声を荒げたりすることは一切なく、いつもソフトに対応している沖田が、こんな風に感情をあらわにしているのは初めてだ。

千鶴を怖がらせたいと思っているくせに、やめてもいいよと逃げ道は残してくれている優しさに、千鶴は胸が痛くなった。

 

ごめんなさい……何か、私がひどく傷つけてしまったんですね。経験不足でわからなくてごめんなさい。

 

何に傷ついたのか、それを隠そうとして試すような態度をとって。その後ろにどんな沖田がいるのだろう。これまで明るい笑顔でかわされていたほんとうの沖田に、このまま進めば会える気がする。

怖いし恥ずかしいけれど、それよりもなによりもほんとうの沖田を知りたいと強く思うのだ。

「やめないです」

「……いいの? 嫌がってるように見えるけど」

「嫌がってるんじゃなくて……初めてなんでちょっと怖くて……」

沖田は手を伸ばして、千鶴の肩から腕、腰にかけてゆっくりと撫でおろした。千鶴の心臓が飛び出してしまいそうなくらい強く打つ。

「君には僕じゃなくてもっと優しい奴の方がいいんだと思うんだけど」

沖田の瞳の色がまた変わったような気がする。冷たい色は相変わらずだけど、少し怖がっているような……沖田さんが?

でもその変化が千鶴の心を決めた。ごくりと唾を飲み込んでから意を決して口を開く。

「……いつも、からかったり意地悪でよくわからなかった沖田さんの奥に、今ならさわれそうだから……」

沖田の目を見てはっきりそう言うと、沖田は動きを止めてじっと千鶴を見た。

「沖田さんの奥を知りたいって思ったので、やめたくないです」

 

そうか、私は沖田さんの奥を知りたかったんだ。

 

千鶴は目を瞬いた。

私なんかじゃ入れないってあきらめてただけで、ほんとはずっと……

 

嫌悪感を感じなかったのも当然だ。沖田のことを好きだったのだ。

いつも目が勝手に追ってしまっていた。

どこにいても沖田の艶やかな声は耳に入ってきた。

どんな人混みの中でも、沖田だけはすぐに見つけられた。

これは恋だったのた。

沖田は千鶴の言葉に不意を打たれたようで、一瞬顎を引いて目を瞬いた。そして千鶴の心の奥底までのぞき込むように目を細めて千鶴を見ている。

千鶴は不思議な気持ちで沖田を見上げた。今はもう怖くない。それより、好きな人に触れてもらえて深く知り合えることが嬉しい。

千鶴は胸を隠していた腕を解いた。沖田の視線が胸へと動くのを見て、恥ずかしい気持ちと同時に優越感も感じる。

もっと見てほしい。もっと欲しいって思ってほしい。

その手を沖田の方に伸ばす。

「沖田さん……」

沖田の目は今はもう冷たくなかった。警戒するような瞳。だけど瞳の奥が強く光って千鶴をとらえて離さない。

あの瞳の奥の熱く輝く光。あれは千鶴を見て輝いているのだ。

女として求められているのだと思うと、体の奥から何か得体のしれない熱いものが飛び出してきそうな気がする。

千鶴はその思いのまま、見下ろしている沖田に両手を伸ばした。沖田は表情を変えないままむき出しになった千鶴の胸を食い入るように見ている。そして差し伸べられた千鶴の腕につられるように体を倒してきてくれた。千鶴は腕を沖田の首に絡ませて引き寄せる。

千鶴の柔らかな胸と沖田の硬い胸が合わさった。

熱い……それに硬い。

初めてなのに、何故か体が動く。沖田を抱きしめたい。沖田の肌を直に感じたい。

「沖田さん……抱きしめてください」

びくりと沖田の体が震え、次の瞬間千鶴は痛いくらいに強く抱きしめられた。合わさった胸から強く打つ心臓の音が聞こえるが、沖田のものか自分のものかわからない。沖田の広い背中はしっとりと汗で濡れていた。

「……千鶴ちゃん……わかってて煽ってる?」

「……私……わからないです。沖田さんに抱きしめてほしいってことしか……」

「あー……あんまりそう言う事言わないでくれるかな。初めてなんでしょ?」

「ごめんなさい」

千鶴はしゅんとした。男性のことをよくわかっていないせいで、なにか良くないことをしてしまったらしい。

しかし沖田は小さく笑った。

「いや、怒ってるわけじゃなくてさ……初めてなのに理性がキレた男にガツガツされるのは嫌でしょ」

「わからないです。でも……理性がキレた沖田さんは見てみたいです」

千鶴の体の奥が震える。

これは怖いわけじゃない。緊張とこれから起こることに対する興奮。

触れ合っている沖田の肌がこんなに熱いと知ったのも、心の奥がこんなに震えるのも、沖田の苦しそうな顔も。

全部初めての経験だ。

千鶴がそう言うと、沖田は体を起こして千鶴の顔を見た。

「千鶴ちゃん……ほんとに初めて?」

「初めてです。……沖田さんが初めての人で……よかった」

千鶴の顔が自然と笑顔になった。

自分の気持ちに気づいてよかった。人を好きになることができて、それが沖田で、幸せだ。

そうか好きな人とならどんな体の接触でも嫌悪感なんて感じないんだ。合コンの人も学生の時の人も、千鶴は全然好きじゃなかった。

こんな単純な話だったなんて。

千鶴は目の前の沖田の顔を幸せな気持ちで見た。苦しそうにきれいな眉がゆがんで、目の下がうっすら上気しているのが色っぽい。整った鼻筋にすっきりした頬から顎のライン。そこを伝って沖田の汗が千鶴の白い胸に落ちた。

「沖田さんも……沖田さんにも、私の奥に触れてほしい。多分、沖田さんしか届かないところ……」

千鶴は人差し指でそのラインをそっとなぞる。沖田の目が細められた。

「……どうなっても知らないよ」

沖田さんとなら、どうなっても構わないです。

言おうとしたその言葉は沖田の唇に飲み込まれた。

 

 

 

 

 


沖田さん編 5へ続く



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