千鶴ちゃんの七つのリスト
結局、ハンモックの組み立てと設置まで沖田がやってくれた。
千鶴は必死に断ったのだがハンモックの段ボールの外に書いてある説明書を読んでみたら、二人以上で組み立ててくださいと書いてあったのだ。
「家に家族とかいるの?」
沖田にそう聞かれて、双子の兄がいるんで……と言いかけて、千鶴は黙った。そうか、もう薫はいないんだっけ。
一瞬寂しそうな顔をしてしまったのかもしれない。沖田は何も言わないで千鶴の頭をポンポンと軽くたたくと、玄関の扉をあけて中に入っていってしまった。
家まで運んでもらうときはあんなに恩着せがましいことを言ったのに……
優しいな、と千鶴は小さく微笑む。
そういえば沖田にはいつもからかわれるけれど、嫌な気持ちになることは一度もなかったっけ。今日だって、単なる同僚のために午後いっぱい時間を使ってくれているのだ。
また今度何かお礼をさせてもらおう。食事券とか……ネクタイとか?
千鶴が片づけをしているうちに、沖田はハンモックの箱をあけ組み立てを始めてくれていた。
組み立ては結構大変で、組みあがった時には空は暗くなっていた。リビングの掃き出し窓の横に設置したハンモックに、早速沖田が乗ってみる。
「あ、これいいね。揺れてるのがなんかリラックスできる」
沖田は気に入ったのか出来上がったハンモックに横たわってゆらゆら揺れている。千鶴は段ボールや包み紙などを片付けた。
「ここに寝ころんで窓の外とか見てると、空とか木が見れていいね」
「そうですよね! 絶対そうだと思って憧れてたんです。この家で一人になっちゃったんで、やりたかったことをやってみようって思って……」
出来上がってから沖田に独占されていて、千鶴はまだ一度もハンモックに横たわっていないが。
代わってくれないかな〜と思いながらも、重労働をさせてしまったのだしと、段ボールを片付けた後、千鶴は麦茶と家にあった豆菓子を出した。
「あ、雨降り出しちゃったな。この時間にしては暗いと思ったら……」
ハンモックに寝そべりながら空を見ていた沖田がつぶやく。つられて千鶴も窓の外を見たら、雨はまだパラパラだったが尋常じゃなく黒い雲が重く垂れこめていた。
驚いて手元にあったスマホで天気アプリを見る。そういえば週末の天気予報はチェックをしてなかったっけ。
「……大雨……」
「爆弾低気圧だって。なんでちゃんと天気予報見ておかなかったのかなー、千鶴ちゃんは。何もわざわざこんな日にしなくても」
日時の指定は沖田さんがしたんですよ、という言葉を飲み込む。
「JRも運休だって。タクシーもつかまらないだろうし、当然だけど泊まらせてね。これだけ部屋があれば大丈夫でしょ」
さらっと言われて千鶴は改めてハンモックにまだ寝ころんでいる沖田を横目で見た。
さすがにあの重いハンモックを運んでもらって組み立てもしてもらった沖田を、この雨の中帰すわけにはいかない。いかないけれど、単なる会社の同僚を一人暮らしの家にこんなに気軽に泊めてしまっていいものだろうか。部屋はたくさんあるけれど……
さらにこんな話をしているうちに、外はどんどん暗くなっていって窓ガラスをうつ雨粒の数も増えてきている。そのうえ風強くてゴウゴウという音が部屋の中まで聞こえてくるくらいなのだ。
ワンルームのマンションなどではなく一軒家で、沖田が言う通り空き部屋も布団もたくさんある。沖田は、噂によれば女性には困ってないようだし千鶴なんて襲わないだろう。
でも風呂や洗面所は共用だけど、大丈夫かな……
不安なのは、千鶴の『男嫌い』の方だ。会社では距離があるけれど同じ家に一晩といえども一緒に暮らすとなると、例の嫌悪感が出てくる可能性がある。一晩だけだし我慢するしかないけれど……
ふと千鶴は今日の昼のトーテムポールのことを思い出した。地下室で倒れて来たトーテムポールから抱きしめてかばってくれた時も、耳元で『大丈夫?』と言われた時も。
……そういえばあのコンパの時のような嫌悪感はなかったな……
なら、一時的な同居でも嫌悪感とか気持ち悪さは大丈夫かな、沖田さんには嫌悪感は感じないとか?
とここまで考えて。
千鶴はあることを思いついて固まった。
そう、千鶴のリストの七番目だ。
7.セックスを経験する。
千鶴は、沖田を凝視した。沖田はハンモックの上でまるで自宅かのようにくつろいて、豆菓子を食べながらテレビのリモコンを操作しているところだ。
沖田は自分がそんな目で見られていることには気づかず、『あ、ネットフリックス見れるんだこのテレビ。IDとパスワードあるから何かみるかなー』などと、独り言を言っている。
……これだ。
これではないだろうか。
二人きりで嫌悪感もない。そして、まあ優しいといえなくもない。いろいろ意地悪はしてくるけど、結局重いものは持ってくれるし危ないときは助けてくれた。本当に困っている時や悲しんでいる時は、沖田は優しいのだ。つまり、条件にぴったり合う。
そう思った瞬間、千鶴の口は勝手に開いてしまった。
「お、沖田さん、は……」
「ん? 何? 夕飯? 何か作ってくれるんでしょ? 僕、千鶴ちゃんに酷使されたからおなか減ったんだけど」
「夕飯は何か冷蔵庫にあるもので適当に……いえ、じゃなくて、その、沖田さんは……彼女とかいますか?」
唐突な質問に、沖田は目を丸くして千鶴を見た。
「……いないけど」
「結婚はしてませんよね?」
「……うん、まあ」
「好きな人とかは?」
「……今はいないけど……ねえ、何の質問なわけ? 泊めるのに彼女持ちじゃないと信用できないとか?」
「いえ、逆です。恋人とか奥さんがいると頼めないので……」
「何を」
ここで千鶴は沖田を見たまま沈黙した。
言っていいのだろうか。
言ったらどうなるだろう。
ひかれてこの雨の中逃げ帰ってしまう? それとも笑って流されて一生からかい倒されるだろうか。さすがに会社で言いふらしたりはしないだろうが……
いつもの千鶴ならとても言えないセリフだ。しかし今日は午後から沖田と二人っきりでかなり親密な時間を過ごしたせいて、言いやすく感じる。
多分今言わなかったら、私はこの先一生このお願いを誰にも言えない。つまり私がリストの七番目を実現したいのなら、相手は沖田さんで、やるなら今でしょ!
「お、沖田さん、お願いがあります」
多分自分の顔は真っ赤になってる。
恥ずかしかったが、何事かときょとんとしてこちらを見ている沖田の整った顔を見た。
「私と……私と、セ、セ、セックス、セックスしてくれませんか!?」
千鶴の悲鳴のような声は雨や風の音にはかき消されずに、古い一軒家に響き渡った。