千鶴ちゃんの七つのリスト




沖田さん編 1 



まずはハンモックの方……沖田さんに連絡してみよう!

 

 

急いで自分の席に戻り沖田の内線にかけてみた。

朝一だったせいかワンコールででてくれる。

『はい、沖田です』

艶やかな声が耳元で聞こえてきて、千鶴の肩はびくっとはねた。どこか笑みを含んだようなからかうような甘い声。そう言えば沖田さんと電話で話したことは無かったかも。

「あの、経理の雪村です。突然すいません」

『ああ、千鶴ちゃん。どうしたの? 僕の出張旅費申請、何か間違ってた?』

最初は名前すら憶えてくれなくて冷たい視線に震えあがっていたのに、いつの間にか『雪村さん』と呼んでくれるようになり、今や下の名前で呼ばれるほどになった。なぜ警戒心を解いてくれたのかはわからないけど、距離を取られていた野良猫を根気強く餌付けし、家猫になってくれたような達成感ではある。

「いえ、すいません、仕事じゃなくてあの、ハンモック……」

緊張のあまり頭がぐるぐるして、思わず欲しいものだけを先に行ってしまった。当然ながら電話口の沖田は『は? 何?』といぶかし気だ。

「あの、掲示板にあった沖田さんの張り紙を見たんです。あの中でハンモックが欲しいなと思いまして」

『あ、あ〜……あれか。確かにハンモックあったかも。……そっか、今から掲示板のとこにこれる?』

 

行ってみると沖田はもう先についていて、背の高い体をかがめてボスターに何やら書き込んでいた。

見ると、『ハンモック』と書いてある字に横線を引き消している。なるほど、確かにバッティングしてしまうと面倒だ。

沖田は千鶴に気づくと、ペンの蓋を閉めながら体を起こした。

これから客先に行くのか、ちゃんとジャケットを着て足元にカバンも置いてある。

いつものオフィス用の腕まくりをしてネクタイを少しだけ緩めたYシャツ姿も素敵だが、こうやってビシッとスーツを着ていると、かっこよすぎてひるんでしまう。

「これ、簡易なやつじゃなくて結構ごついヤツなんだけど大丈夫? キャンプに持っていくとかそういう用途じゃないよ」

沖田が腕を伸ばして、ポスターのハンモックの字を指さした。

ふわりと香水の匂いがして、千鶴は何故か赤くなる。背の高い沖田と並ぶと、千鶴の目線はちょうど沖田のピンクに青の水玉ネクタイの結び目で、千鶴は赤くなった顔がバレないようにそれをじっと見た。

「はい、家のリビングにずっと置いておこうと思っているので大丈夫です」

リビングの窓のすぐ横に置こうと思っているのだ。大きな掃き出し窓があり、夏は網戸にしてささやかな庭の緑をみながら麦茶を飲んだり、冬はあったかくして寝ころんで雪を見ながらホットココアをハンモックに揺られながら飲む……なんて素敵なんだろう。お腹の上にあの黒いネコチャンが寝てくれていれば、もう彼氏もいらないし結婚もしなくていい。

「そ。じゃあ土曜日ね。これ、実家の物置を整理してでてきた不用品だから、実家にまで取りに来てほしいんだけど」

そうして教えてくれた沖田の実家に、土曜日の二時に現地集合でお邪魔することなった。

 

スマホの地図アプリをみながら教えてもらった住所に向かい、表札を確かめてかなり豪華な洋風のお屋敷のベルを鳴らす。

「あ、来たね」

Tシャツにジーンズ姿の沖田が玄関をあけて顔をのぞかせた。私服を見るのは初めてだ。

黒の革紐のネックレスの先端についている小さな金色の飾りが、きらりと光った。

スーツ姿はかなり映えて見栄えがするが、こんなラフな私服でも目立つのはスタイルがいいからだろうか。

「おじゃまします……」

腕で開けたままにしてくれている横を通る時に、会社の時と同じいい匂いがした。ドアを支えてくれている腕ががっしりして太くて、手がごつごつと大きい。

態度や見た目はサラッとしているのに、パーツは全て男っぽい……というか色っぽいのだ。

滴るような色気にあてられて、千鶴の顔が赤くなってしまう。会社の女子社員達が蜜に吸い寄せられるちょうちょみたいになるのも、これだけかっこよくて色っぽければ無理もない。

千鶴は自分のストライブ柄のオーバーブラウスに黒のスリムジーンズを見下ろした。背が高くないから見栄えがあるとは言い難いが、清潔感もあるし動きやすい。別に合コンというわけではないのだから、これで十分だろう。

「あの……休日にすいません。ご家族に挨拶させてください」

持ってきた手土産を持ち上げてそう聞くと、「ああ、する?」と沖田に広いリビングに通された。そこには、きれいな女性が座ってテレビのチャンネルと変えている。

「僕の姉。今回の大掃除の発起人で断捨離の達人」

笑顔で立ち上がってこっちに来てくれた沖田の姉に、千鶴はぺこりと頭を下げた。

「は、はじめまして。あのこれ、和菓子がお好きだといいんですが」

近所で美味しいと評判の和菓子屋さんの豆大福だ。この家やお姉さんの様子からするとケーキのほうが良かったのかも。

「あら嬉しい。わざわざありがとう。休日なのにこんなところまでごめんなさいね」

沖田の姉はにっこりと笑って受け取っとってくれた。千鶴はほっとする。

「じゃあ、ブツの受け渡しに行こうか」

入口で待っていた沖田に連れていかれた先は、地下室だった。

庭に出て大きな家をぐるっと後ろに回ると、下へ降りる薄暗い階段がある。明かりをつけてくれた沖田の後ろについて降りていき、重そうな扉を開けると、かなり広いコンクリート打ちっぱなしの部屋だった。

千鶴はきょろきょろとあたりを見た。整理したとは言っていたけれど、物があふれるほど詰まっている。

何が入っているのかわからない段ボールや健康器具らしきもの、積み上げられたタイヤがあちこちに散らばっていて、千鶴の身長ほどありそうな大きなツボや何故か沖田の背より高いトーテムポール。

「ハンモックだよね、えーっとハンモックはどこだっけ……ああ、これこれ」

沖田が奥から引っ張り出すのを手伝おうと千鶴も前にでたとき、横にあったトーテムポールにぶつかってしまった。ゆらりと倒れて来たそれはかなり重量がありそうで、千鶴は衝撃を覚悟してぎゅっと目をつぶる。しかし衝撃は来ず、代わりに背中から抱きしめられるような感触。

「……あぶないなあ」

おそるおそる目を開けると、後ろから沖田が手を伸ばしてトーテムポールを支えてくれていた。

「怪我は? あたってないよね?」

「は、はい。沖田さんのおかげで……」

沖田は左手で千鶴の肩をだいたまま、右手でトーテムポールを押して元の位置に戻す。千鶴は沖田の体にすっぽりと覆われ、これはいわゆるバックハグだ。千鶴は目を白黒させた。

 

だ、抱きかかえられてる……っ!

 

広い肩、がっしりした腕、引き締まった腰が密着している。

女の子と抱き合ったことは何度もあるが、全然違う。とにかく固い。そして体温が高い。

「大丈夫? これ壊れたら罰として千鶴ちゃんにトーテムポールの代わりに一晩立っててもらうからね」

耳元で沖田が話すと、吐息が耳にかかる。どうやってトーテムポールの代わりになればいいんだろう……と思いながらも、耳元で聞こえる彼の声は、体の奥をくすぐられるような色っぽさだ。

「あ、ありがとうございます。すいません」

謝って離れると、沖田は何も気にしてないらしくまたハンモックの取り出しにとりかかった。抱き寄せられてうろたえていたのは千鶴だけだったらしい。

「これこれ、持てるかな」

よいしょっと奥から取り出されたハンモックは、細長い段ボールに入っていて、千鶴の身長と同じくらいの高さだった。持てるようにナイロンの紐がかかっているものの、かなり大きい。それに重そうだ。

「ずーっとほったらかしてたここを整理しようかって始めたら、いらないものがたくさん出てきちゃってさ」

言われるがままあたりを見渡すと、確かに大小さまざまな大きさの物が詰まれている。

「そうなのよ、使ってないのも多いから捨てるのももったいないし。ほら、千鶴ちゃん、これとかどう? ランタン。いらない?」

ついてきていた沖田の姉のミツも、後ろから声をかけてきた。ミツは近くに積み上げられていた段ボールの上に乗っている小さな箱を手に取って、パッパッと上の埃を払って千鶴に差し出してきた。受け取って箱にある写真を見てみると、オシャレなランタンだ。

 

かわいい……! 欲しい。

 

ハンモックに揺られてお腹に猫を乗せながら、ランタンの光でぼんやり外を眺めながらお酒を飲んでいる自分の姿が目に浮かぶ。

「あ、欲しい? 助かる〜! 持ってって持ってって!」

パッと輝いた千鶴の表情を見て、これは不用品を押し付ける好機だとミツは喜んだ

「ちょっと姉さん、そんなに持てないって。ハンモックだけでも怪しいのに」

「あんたが運んであげればいいじゃないの。どうせそのつもりで実家に来たんでしょ?」

千鶴は慌てて会話に入った。

「い、いいえ、大丈夫です。持てます。エコバッグがあるのでランタンはそれに入れて肩から掛けて、両手でハンモックを抱えれば……」

「……」

沖田は無言で、自分が持っているハンモックの段ボールと千鶴を見比べた。

「素直に『お願いします』って言ったほうがいいと思うけどね」

とつぶやきながらも千鶴に従ってハンモックとランタンを持って地下から上がり、じゃあ持ってみなよ、と千鶴に渡した。

まずはハンモックだ。

「よいしょ!」

両手で抱えるようにするとなんとか持ちあがる。持ち上がりはするが、ハンモックの重さでよろけた。

沖田は片手で軽々と持っていたのに。

そして前が見えない。これで駅まで歩いて、電車にのって階段を降りて乗り換えてまた電車に乗るのは無理だ。ランタンどころか、千鶴が今日持ってきた財布などが入ったカバンすら持てるかどうか怪しい。

沖田は肩をすくめた。

「ほら、何か言う事あるでしょ」

本当に一人で持って帰るつもりだったのに。

沖田とはそれなりに仕事ではしゃべるが、二人きりで長時間過ごしたことはない。帰り道の四十分間、何をしゃべればいいんだろう。……いやどうせ千鶴をからかって遊ぶんだろうけど。しかしこの荷物は一人では持つことは難しい。タクシーを呼んでもいいが、この状態で呼んだらよっぽど沖田が嫌いだと言う風に見えてしまう。ここは甘えたほうがいい気がする。

「……沖田さん、あの……運んでいただくことは可能でしょうか」

「いいよ、どこまで? うちの玄関? 門? 最寄り駅?」

千鶴はうつむいた。

始まった。例の沖田のからかい癖だ。

でもせっかくの休日に重いものを持たせて往復させてしまうのだ。頭を下げるしかない。

「……家まで、お願いしてもいいですか?」

「しょうがないなあ。千鶴ちゃんのためにね。僕が。千鶴ちゃんのために。荷物持ちになってあげるよ」

にこにこと恩着せがましいことを言われて、千鶴は冷や汗がでた。

これをネタに今後仕事でも無理難題をふっかけれられるのは目に見えている。しかししょうがない。ここまで見通せなかった自分が悪いのだ。

結局、千鶴は沖田とならんでミツに見送られながら駅に向かうことになってしまった。沖田が大きなハンモックを持ち、千鶴がランタンを持つ。

「舌切り雀の強欲ばあさんみたいだね、千鶴ちゃん」

ほらきた、と千鶴は遠い目をする。しかし実際重いものを沖田に持たせてているのは事実だ。しかも沖田家の物を無料でもらっているのに。

「……すいません、ありがとうございます……」

千鶴が言えるのはこの言葉しかなく、さらに帰り道の間この言葉を何度も繰り返さなくてはいけなかった。

 

 


沖田さん編 2へ続く



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