【夏と海と冒険と 12】
那覇空港のロビーにある大きな水槽で、総司は無表情のナポレオンフィッシュと見つめ合いながら、平助と斎藤の文句を聞いていた。
「ほら!千鶴チェックインすませちまったぜ!このままでいいのかよ?内地に帰っちゃうんんだぞ!?」
「千鶴もお前の言葉を待っているように思えるがな」
「ほら!総司。一君にまでこんなこと言われたらおしまいだぜ!」
サラウンドで聞こえてくる文句に、総司は水槽を背にして振り向いた。
「あー!もう!うるさいうるさいうるさい!ちゃんと考えてるからほっといてくれる?」
イラッとしたようにそう言う総司に、平助は腰に手をあて首をかしげた。
「じゃあ、ほら行けよ!おれらここにいるからさ。千鶴こっちに来たぜ」
三人が見ると、千鶴は荷物をあずけて機内持ち込みの手荷物だけ持ってこちらに歩いてくるところだった。
最初に沖縄に来たときと違い、涼しそうなブルーのインド綿のロングスカートにきゃしゃな体が映えるびったりとしたオフホワイトのTシャツを着て、女性らしいミュールをはいている。
髪を緩やかになびかせながら少し微笑んでこちらに歩いてくる千鶴に、総司は柄にもなく緊張で唾を飲みこんだ。
「…行くよ。言われなくても」
総司はそう言うと、斎藤と平助を置いて一人で千鶴の方へと歩き出した。
台風が来たとき、例のホテルでサガリバナを一緒に見に行こうと話したが、決定的な約束まではしていなかった。
その後も、事件の後処理や仕事で二人きりでゆっくり話す時間がほとんどないまま、今日千鶴の帰る日になってしまったのだ。
いや、違う。
平助たちがいらいらするのもわかる。
総司があまり積極的にでるのをためらっているうちに時間がすぎてしまった。
彼女が総司に嫌悪感は持っていないだろうとは思うが、サガリバナの時も総司が強引にでたせいで仕方なく『一緒に行きましょう』と言わせた気がしないでもない。
実は迷惑に思われていたら。
だって彼女は東京の一等地に自分のマンションを持ち、有名大学で研究をしているような女の子だ。こんな沖縄で無職すれすれの仕事をしているような男が何か言ってどうにかなるものだろうか。
ひと夏のアバンチュールとか思われてたらどうしよう……
総司の不安はこれにつきる。
しかし平助の言うとおり、このままでいいわけはないのだ。
総司が近づくと千鶴は脚を緩めてにっこりと微笑んだ。その笑顔がとてもリラックスしてかわいくて、総司の胸は高鳴る。
「……手続き、すんだ?」
「はい。空港まで送っていただいて…ありがとうございました」
「いや、別にそんなことは……」
「……」
「……」
会話が続かず、気まずい沈黙が流れる。二人の後ろでは平助と斎藤が、見て見ぬふりをして水槽の中の魚について話していた。
「……あのさ」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
「……」
総司と千鶴の会話(会話とは言えないが)がなかなか続かない。
千鶴は小さく溜息とつくと、心持しょんぼりしたような表情で言った。
「じゃあ……あの、斎藤さん、平助君も。ありがとうございました」
話しかけられた二人は、溜息をつきながら総司と千鶴のところに行った。斎藤が言う。
「いや、こちらこそありがとう」
「ノートパソコンと会計ソフト、すいませんでした。あ、あと『ドキドキ号』も。後金とは別に弁償させてもらいますので」
「いや、それはいいと言っただろう」
「いいえ、私が事件に巻き込んでしまったせいで、大事なものを失くしてしまったんですからできるだけのことはさせてください」
平助が頭を掻きながら言った。
「そりゃーすげえありがたいけど……大丈夫なのか?」
「はい。祖父の遺産がまだあるので……」
そこに、千鶴が乗る飛行機の搭乗が始まったとのアナウンスが流れる。
「あ……じゃあ、私……」
本当に短い間だったのに、とても密度が濃い日々だったせいで、千鶴も別れがたいようだった。搭乗ゲートを見て、平助たちをもう一度見る。
「あの……本当に、いろいろありがとうございました」
深々とお辞儀をする千鶴に、斎藤と平助が「元気でな」「また遊びに来いよ!」と声をかける。
千鶴は斎藤と平助に笑顔で答えて、総司を見た。
「あの……沖田さん、も……いろいろとお世話になりました」
「ああー…うん、いやこっちこそ」
見上げてくる千鶴の訴えるような瞳を見て、総司は心の中で必死に言葉を探していた。
何を言えばいいのか?
東京に帰っても連絡が欲しい。
時間があれば、自分が東京の千鶴に会いに行ってもいいし、千鶴も休みになったら来てほしい。
サガリバナも見に行きたいし、またダイビングも一緒にして……
高校生のように『つきあってください』とでも言えばいいのだろうか。
今の二人の関係では、この辺りの言葉が妥当なような気がするが、しかし総司が望んでいるのはそう言うあいまいな関係ではないのだ。
上の言葉を言って千鶴からOKをもらったとして。
東京と沖縄での遠距離恋愛。
我慢できなくなるのは目に見えている。
飛行機で千鶴が那覇空港を飛びだった瞬間から、ストーカーのようにメールと電話で連絡をとりまくるだろう。
今日何があって誰としゃべって、その中で男は何人で、千鶴はどう思ったのか、気になりすぎてイライラして、沖縄での生活が成り立たなくなるのが我ながらわかりすぎるくらいわかるのだ。
夜は触れたいのに触れられないのが寂しくて切なくて、スカイプや電話にはりついてる廃人になるのが今から見えている。
そしてそんな総司をうっとおしいと千鶴が思っているのではないかと疑心暗鬼になり、連絡もなく東京へ行き、男と話している千鶴を目撃して………
そこまで妄想が広がり、総司は自分に溜息をついた。
自分には遠距離恋愛は無理だ。
特にこんなに……不安になるくらい好きになってしまった相手だと、多分狂ってしまうだろう。
だが今の段階で彼女に言えるのは、遠距離になっても連絡を取り合いたいこと。もしうまく行けば彼氏彼女として。
しかしそうなれば総司がつらくなるのは目に見えていて、そして思考がループしてしまうのだ。
「じゃあ、……行きますね」
心なしか寂しそうな目で総司を見て、千鶴は手荷物を持ち直した。
最後にもう一度総司を見る。
その瞳は、明らかに総司からの言葉を――特別な言葉を待ち望んでいる瞳だ。
「……うん。…その、元気で」
総司が内心の動揺を隠してそう言うと、千鶴の瞳は暗く陰った。彼女が最初に総司を見て、苦手だと思ったことは総司にはわかっていた。見た目と態度で、自分が軽い……女性にも軽い男だと思われやすいと言うこともわかっている。
あのサガリバナの誘いも、単なる社交辞令として誤解をされたのかと思うと、総司は焦った。
だが、何を言えばいいのかわからない。
千鶴は、傷ついた表情を隠して無理に笑顔を作り、軽く会釈をすると皆に背を向けて手荷物チェックのゲートへと向かう。
「あ……」
思わず呼び止めようとした総司の言葉は、再びせかすような搭乗のアナウンスにかき消され、千鶴の耳には届かなかった。
隣で、盛大な溜息と苛立たしげな舌打ちが聞こえる。
「〜〜分かった分かった!わかってるってば!」
総司はそう言うと、考えがまとまらないままとりあえず大股で千鶴の後を追いかけた。
何を言えば。
どういえば。
焦れば焦るほど頭が真っ白になる。
「千鶴ちゃん!」
総司が呼び止めると、千鶴はハッとしたように振り向いた。
大きな瞳をさらに見開いて総司を見上げる。その瞳は少し潤んでおり、まるで総司達に背を向けた後に泣いていたようで……
……くそっ…!
総司は、自分にたいして舌打ちをすると、千鶴の腕を掴んで引寄せた。
「な、何でしょうか……?」
「……」
縋る様な千鶴の瞳を見て、しかし総司には何も言葉が浮かんでこない。
ああ、もういいや
もう、めんどくさい。
総司はこちらを見上げている桜色の唇を見て、そして長身をかがめるとそこに自分の唇を押し付けた。
「……っあ…」
千鶴の小さな叫び声が聞こえたが、総司はそれを飲みこんだ。
強引に引き寄せられて、これまで見たこともない位濃い緑色の瞳で見つめられて。
薄い茶色の前髪の向こう側には怒っているような真剣な表情に、搭乗を急ぐようにという空港のアナウンス。
千鶴の頭は混乱した。
そしてさらに、ふわりといい匂いがしたかと思うと、視界が遮られがっしりとした腕に抱き寄せられ、千鶴はキスをされていた。
唇に柔らかいものがあたっている。
強引な仕草だったにもかかわらず、その唇は探るように優しく動く。
千鶴の腕を掴んでいる大きな手は少し汗ばんでいて、千鶴を抱き寄せている体も緊張しているように硬くて。
かすかに震える唇が、優しく千鶴を探る。
初めてのキスに、ここがどこで今が何をしなくてはいけない時かを千鶴は忘れた。
「東京の……」
ようやく唇を離した総司が、そう言った。
ぼんやりしていた千鶴は、総司が何を言ったのかわからず「えっ?」と聞きなおす。
総司は真面目な顔でもう一度言った。
「東京の君のマンション、売りなよ」
「……東京の……」
「そう。それで沖縄で家を借りよう。いや、買ってもいいけど」
「沖縄で家を……私がですか?」
「そう。東京を引き払ってこっちにおいでよ。仕事は『きらきら青い海』で雇ってあげるからさ。そして僕と一緒に住もう」
千鶴ははポカンと口を開けて総司を見た。
総司は少し目じりを赤くしているが、至極真面目な顔で千鶴を見ている。
「毎日書類見たり難しいこと考えているより、海で泳いで夕日観たりしてのんびり暮らした方が楽しいと思う。僕もそばにいるし」
いつのまにか傍に来ていた平助が、唖然としている千鶴と、いきなり空港のど真ん中でキスしだした男女に驚いている周りの観客と、そんなことに全然かまっていない総司とを交互に見て慌てたように言った。
「お、おまえ……ちょっと飛びすぎ。もうちょっと段階踏んで……」
「平助は黙っててよ。僕は千鶴ちゃんに言ってるんだから」
総司は平助と斎藤には目もくれずにキッパリとそう言う。
平助と斎藤は、恐る恐る千鶴の方を見た。
千鶴は大きな瞳を見開いて総司を見ていたが、しばらくすると花がほころぶように柔らかく嬉しそうに微笑んだ。
「……楽しそうです、とっても」
平助と斎藤はほっとして、今度は総司を見る。総司は一見余裕そうにニヤリと笑って頷いた。
「でしょ?楽しいよ、絶対」
「……仕事もお世話してくださるんですか?」
「あー……まあ斎藤君に相談しないといけないけど、多分うちで雇ってあげれると思うよ、ね?」
総司が斎藤を見て聞く。斎藤はよくわからないながらも頷いた。
「あ、ああ……まあ相談は必要だが……」
「じゃあ、まずは掃除からですね」
きっぱりとそう言い切った千鶴に、皆はキョトンとした。
「……掃除?」
感動のラブシーンか甘い言葉が千鶴の口からきけるのではと期待していた総司は、意外な言葉に目を瞬く。
千鶴はうなずく。
「そうです。飲み残しのコーヒーやテイクアウトの食べた後、ソファのほつれに床の汚れ、整理されていない紙類。全部掃除しましょう」
「……」
「そして宣伝です。『きらきら青い海』はどこのショップ情報誌にものっていなくて私も口コミで聞いてやっとたどり着いたんです。いっぱい宣伝をしないと」
「……それは…東京を引き払ってこっちに来てくれるってことでいいの?」
総司が探るようにそう聞くと、千鶴は頷いた。
微笑んでいるが目には涙が浮かんでいる。
「ホント?住むところは僕もコミなんだけどそれもいいってこと?」
とうとう千鶴は笑い出す。そして総司に自分から飛びつくようにして抱きついた。
「もちろんです!」
プルルルルルと電話がなった。
「はい、『きらきら青い海』です〜。はあ、はあ……あーその日は他の予約が一杯で……はい、そうなんです。ええ、また機会があったらよろしく〜」
総司はあきらかに気のない返事をして固定電話を切った。
「沖田さん、電話の応対は『はい、誠がモットー、どんなご要望にもお答えするマリンスポーツ専門店の『きらきら青い海』です』ですよ。それに確かに平助君のダイビング講習の予定は入っていますが、沖田さんは何の予定もないです。どうして断ったんですか?着信履歴でもう一度電話をしなおしてください」
千鶴の声に、総司はきちんと隅々まで片付いたオフィスの椅子から立ち上がり伸びをした。
部屋の隅には気持ちのいいガジュマルの観葉植物。前はゴミで見えなかった机も、今はきれいに片づけられ上にはパンフレットがきちんとおかれている。
「だってもう夕方の六時だよ?業務は終了じゃないの、社長さん」
千鶴は総司の言葉に頬を少しだけ染めた。
「その呼び方は止めてくださいって言ったじゃないですか」
斎藤が千鶴のデスクの横に立ち、書類を渡した。
「ケジメは大事だ。千鶴は我社のオーナーであり尚且つ社長でもある。社長と呼んでなにもおかしいことはない」
「斎藤さんまで……」
カランと軽快な鐘の音がして、平助がオフィスに入ってきた。
「今日の講習終り〜!千鶴が取ってきてくれたこの仕事、楽だし定期収入になるし宣伝にもなるし、かなりいいぜ!」
千鶴はにっこりと微笑んで斎藤からの書類と受け取り、平助を見る。
「そうですか、よかったです。やっぱりうちの会社は営業力が弱いんですよね。だから……」
「はい、そこまで」
総司はそう言うと、千鶴が手に持っている書類を上から取り上げた。
「もう業務時間は終了。千鶴ちゃん、帰ろう」
書類を『未決』の箱に入れ、総司はそう言うと千鶴の肘を持って立たせた。
「業務時間が終わったら、君は僕の彼女だからね」
いつもの光景にすっかり慣れている斎藤と平助は、特にスルーで自分たちの帰り支度を始める。
「沖田さん、待ってください。あとこれだけ……」
「だーめ。今日は海洋博公園で花火があるんだから、今から行かないと。カチャ―シーもやるみたいだから一緒にやろう」
千鶴は総司に促され立ち上がりながら聞く。
「カチャ―シー?ってなんですか?」
「あれ?知らないの?じゃあ教えてあげるよ。僕もあんまりうまくないけど楽しいよ」
「あの、戸締りを……」
千鶴の最後の抵抗も、斎藤にあっさりと受け流された。
「俺がしておこう。大丈夫だ」
「ほら、ね?行こう行こう。途中で軽く何か食べていこっか。ソーミンチャンプルーとか」
「あの…じゃあ、すいません。よろしくお願いします」
そう言って出ていく千鶴の手は、総司にすでに握られている。
まだ明るい外に出て、千鶴は総司を軽く睨んだ。
「もう!沖田さん強引です」
総司は片眉をあげて、千鶴をからかうように見る。
「こうでもしないと仕事人間の君は自ら仕事を作ってずっと仕事しちゃうでしょ。沖縄に来たのは仕事するためじゃないよ」
総司の楽しそうな笑顔に、千鶴もついつい笑い出してしまった。
「そうですね、人生を楽しむために来たんでした」
千鶴の答えに、総司は不満げに口をとがらす。
「違うでしょ。君は僕の彼女になるために沖縄に来たの」
新しく買った『ドキドキ2号』の横に駐車してある総司の車のドアをあけながら、千鶴は総司を見上げた。
すぐそこには夕日に照らされてきらきらと輝く茶色の髪。
幸せそうに微笑む甘い緑の瞳。
「……そうでした」
千鶴はそう言うと、爪先を伸ばして背伸びをし、総司の唇にそっと自分の唇を寄せた。
出かける予定も特に時間を気にする必要もない。
総司は千鶴の腰に腕をまわすと引寄せ、差し出された甘い果実を心行くまで味わう。
気持ちのいい夕方の風が海を渡り、ゆるやかに千鶴と総司の髪を揺らす。
二人はシルエットになるまでゆっくりと穏やかな時間を楽しんでいたのだった。
【ここまで読んでいただいた皆さま、まことにありがとうございます。
我々『きらきら青い海』の事業内容についておわかりいただけたでしょうか。
弊社は初心者から上級者まで、ダイビングを初め、数々のアウトドアスポーツのツアーをお得な価格で実施しています。
沖縄にいらした際はぜひぜひ!お立ち寄りください。
なお、その際『この話を読んだ』と言ってくだされば、ツアー料金25%OFF!
到着の飛行機を教えていただければ、『ドキドキ2号』にて那覇空港までお迎えにあがります。
この夏のバカンスは、沖縄に。そしてぜひ弊社『きらきら青い海』のダイビングツアーをご利用ください。
スタッフ一同、心よりお待ちしております】
【終】
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