【今度いつ会える? 6】
「千鶴ちゃん、今日お昼どうするの?」
千の言葉に、千鶴はパソコンから顔をあげた。
「あ、今日は昼休みに銀行に行こうと思ってて……」
あらかじめ考えておいた言葉で、昼は社外にいくことを伝える。千は特に何も思わなかったようで、そっか、じゃあまた明日ね、と言って自分の席に戻って行った。
待ち合わせ場所はこの前と同じ駅の入口。千鶴は12時ジャストに会社を出ると小走りでそこへ向かう。
総司はすでに来ていた。昼間に街中でちゃんとスーツを着ている総司を見て、千鶴は思わず見惚れてしまった。背の高く頭が小さく手足が長くて、筋肉質のすらっとした彼にはスーツが本当によく似合う。千鶴の会社にも若い男性社員はたくさんいるけれど、総司が一番かっこいいと思ってしまうのは惚れた欲目のせいだけではないはずだ。今日は深い光沢のある赤いネクタイをしている総司は、妙な色気もあって、千鶴はドキドキする。
総司はそんなことには全然気づいていないようで、昼休みの貴重な時間を無駄にしないために、早く行こう!と言って千鶴の手をひっぱって速足で歩きだした。週末の若者の街ではいざ知らず、月曜お昼のオフィス街で手をつなぐのは激しく目立つ。放してくれ、と言っても聞いてくれない総司に、千鶴はとにかく早く目的地につくことを願いながら赤くなった顔を下を向いて隠して小走りについていくのだった。
真新しいテナントビルの14階、奥まった場所に『近藤土方法律事務所』はあった。慣れた感じでドアを開け、受付の女性に挨拶すると、総司はそのまま千鶴を連れて中に入る。中はデスクごとにパーテーションで5つに区切られた広いフロアになっていた。相談内容やプライバシーに配慮しているのが感じられる。今は昼休みだからかだれもパーテーションの中にはいないようだった。そのフロアを横切ってつきあたりまで行くと、総司は一つのドアを軽くノックして覗き込む。
「近藤さん?いますか?」
「おお!」
「なんだ、また来やがったのか」
聞こえてきた声に、千鶴は目を見開いた。
夢で何度も聞いた近藤と土方の声だったのだ。
びっくりした顔で総司を見上げている千鶴を面白そうに眺めて、総司は彼女と一緒に部屋に入る。
「てめーの会社はよっぽど暇みてーだ……っとおっと」
総司の後ろからおずおずと顔を出した千鶴を見て、土方は悪態を続けるのを止めた。
「……なんだ?クライアントか?相談事でもあるのか?」
近藤が立ち上がり、千鶴に椅子をすすめようとする。
「いえ、近藤さん違いますよ。特に法律的なトラブルの相談に来たわけじゃないです。彼女と一緒に昼ごはんを食べる場所を貸してほしくて。会議室、空いてますよね?」
「そうだったのか。いいぞ、遠慮なく使ってくれ」
「おいおい、外にたくさんメシ屋はあんだろ。わざわざうちの事務所使うんじゃねーよ!」
近藤と土方が同時に言う。総司は当然のように土方の方を無視して、近藤に、ありがとうございます!、ときらきらの笑顔を見せて部屋の奥にあるドアへと千鶴を促した。
「一応、お礼でお二人にも買ってきましたよ。はい、これどーぞ」
昼ご飯は僕が買っておくよ、と言っていた総司は、フランス家庭料理惣菜を好きな種類好きな量取り分けて持ち帰りにしてくれるという、最近オフィス街で有名な店の惣菜をたくさん買ってきていた。そのうちのお弁当らしくパックになっているもの二つを近藤と土方の机に置く。
「彼女は雪村千鶴ちゃんです。僕の大事な人で二人きりでゆっくり昼ごはん食べたいなと思って」
総司の言葉に、そーかそーか、総司もようやくそんな人ができたか、と相好を崩している近藤と対照的に、土方は眉間にしわを寄せて胡散臭げに総司をにらんでいる。
二人の仕草が夢の中での三人の関係と全く同じで、千鶴は思わず吹き出してしまった。
そんな千鶴を近藤と土方は不思議そうに見る。
「あ、す、すいません。なんだか……仲がいいんだな、と思ったら思わず……」
なかなか笑いが止まらない千鶴に、近藤もつられて笑いながら言った。
「なかなか明るい娘さんで、いいではないか。なんだか雪村君とは初めて会った気がしないな」
土方も頬を緩めて言う。
「ま、なんで総司なんかとと心底思うが、仲良くやってくれ」
余計なお世話ですよ、と言う総司に引っ張られて千鶴は隣の小さな会議室へと入って行ったのだった。
火曜日も同じように昼を一緒に食べて、夕方仕事を抜けてきた総司と仕事帰りの千鶴でちょっとだけお茶をして。
水曜は夜を一緒に食べた。あんまりムードがあるとダメだね、とからかうように総司は言い、食べに行ったお店は最近噂の行列のできるラーメン屋さんだった。そういうラーメン屋に初めて行った千鶴は、店のまわりをぐるっと取り囲む様にできている行列に目を丸くする。
「平助が好きでね、ラーメン。いろいろ新しい店を開拓して情報教えてくれるんだよ。ここは結構おすすめなんだって」
慣れた感じで行列の一番後ろにつく総司の隣に千鶴も立つ。
「……それで、どうするんですか?」
「……待つんだよ。順番が来るまで」
「順番……って…!すごい並んでますよ!?」
夜が明けるんじゃないですか?という千鶴に総司は吹き出す。
「これくらいの行列の長さだと……20分くらいかな。メニューはラーメンしかないし、食べたらみんなすぐでるから回転ははやいんだよ」
は〜…そうなんですか〜…、と言いながら千鶴は自分の知らない世界がまだまだあるんだなぁ、と妙な感想を持った。
初めて食べた有名店のラーメンは、これまでミスド飲茶のラーメンくらいしか知らなかった千鶴には衝撃的だった。
「お、おいしい……!」
真っ白なトロリとしたスープに細いそうめんのような麺。最初総司がラーメン食べに行こっか、と言った時は、なんでわざわざラーメン?中華料理屋さんじゃないの?と思っていたのだが、これは夕飯にしてもいいくらい食べごたえがある。
「気に入った?」
夢中で食べてる千鶴を楽しそうに眺めながら総司は言う。コクコクと目をキラキラさせてうなずく千鶴に総司は続けた。
「足りなかったらおかわりできるんだよ。あ、すいませーん!僕替え玉一つ!」
後半はカウンターに向かって言った総司に、はいよ!と威勢のいい声が帰ってきて、しばらくすると店員が麺だけを小さなざるに入れて持ってくる。画期的なシステムを初めて知った千鶴は唖然として、替え玉を食べだした総司を見つめていたのだった。
木曜の夜、今度は大衆的な居酒屋で炭火で焼いてくれる焼き鳥を食べながら、総司はカウンターの隣に座っている千鶴に聞いた。
「明日残業なくなったんだ。夜会えるかな?」
それまで笑顔でしゃべっていた千鶴は、その言葉にふっと気まずそうな表情になる。
「あの……。明日、……帰って来るので、できれば……」
はっきりとは言いにくいのか語尾をぼかしていたが、明後日の土曜日朝から結婚式場で打ち合わせをする、というのなら金曜日の明日に例の婚約者がマニラから帰って来るのだろう。
「……ふーん…。空港に迎えにでも行くの?」
総司に言われて気が付いた。そうだ、普通婚約者なら空港まで行くのかもしれない。と、いうよりこれだけ長期間離れていたのが総司だったら、千鶴は絶対会うのが待ちきれなくて空港まで迎えに行くだろう。そして少しでも会えなかった時を埋めたいと思う。
それを考えると自分の冷たい態度に何も疑問を持たない婚約者に対して申し訳ないと思うと同時に、総司に教えてもらったこの感情を切なく思った。
誰かを思って眠れない夜も、愛しい人のぬくもりを味わいながら眠る夜も、どちらもとても甘くて……。
あのまま結婚するのは本当に大きな間違いだったと改めて千鶴は思ったのだった。
自分の考えに耽っていた千鶴は、返事を待っている総司に気が付いた。
「いえ、空港には行きません。明日は会う予定はないんですが……。なんとなく……」
千鶴がそう言った後、総司はゴホッと咳き込んだ。痰が絡んだような嫌な咳に、千鶴が心配そうに大丈夫ですか?と聞く。それに無造作にうなずいて総司は言った。
「マニラにいたらなんとも思わないけど、同じ街にいたら後ろめたい?」
ビールを飲み干して、皮肉っぽく言う総司に千鶴は赤くなって俯いた。
「土曜日は、式場に行く前に話そうと思ってます。だから……」
つっかえつっかえ言う千鶴に、総司は真顔になって向き直った。
「……ってことは明後日の午前中で全部かたがつくってこと?式場には行かないの?」
「もう結納をすませてしまっているので、親戚関係とか……お金の話とか……。午前中ですべて終わるということはないと思いますけど、でも私の想いは彼に伝えます。これ以上……進めることはできないって。そうしたら二人で式場に行く必要もないですし」
総司は千鶴の白くて細い、すんなりとした指をぎゅっと握った。そして千鶴の眼を覗き込む。
「お金のこととか親戚への説明とか……、僕にも手伝わせてほしい。一人で背負わないで、僕にも背負わせて。それと土曜日、話が終わったら連絡くれる?」
綺麗な若葉色にきらめく総司の瞳をまっすぐに見返しながら、千鶴はそっとうなずいた。
土曜日の朝、なんだか家にいる気分ではなくて、総司は携帯を持ってマンションを出た。駅まで歩いて行こうとしたら、むせるように咳こんだ。立ち止まってしばらく発作のような咳を繰り返す。おさまってから前をふと見たら、平助と斎藤が歩いていた。ここは会社の借り上げマンションのため、総司の他、平助や斎藤も別の部屋に住んでいるのだ。
「どこ行くの?」
「あれ?総司」
「駅の近くのホテルの朝バイキングのチケットをもらったのでな」
「男二人で朝バイキング?」
からかうように言う総司に、平助が頬を膨らませる。
「なんだよ、お前だって運命の子はどうしたんだよ」
「彼女はちょっと今日大事な用があるんだ。僕もバイキング一緒に行ってもいい?」
「……男三人で朝バイキングもいいものだな」
何故だか少しさみしそうな総司に、斎藤が優しく言った。
テーブルのすぐ気づくところに置いてある総司の携帯を指差しながら、平助が聞く。
「連絡くんの?」
バイキングだというのに大してよそわれていない皿をつつきながら、総司はうなずいた。
「多分、今頃……別れ話してくれてるんじゃないかな」
ケホケホと湿った咳をした後、まるで祈るように言う総司に、平助は黙り込んだ。
「……おまえさ、あんまのめりこむなよ。なんか……心配だよ、最近のお前見てると……」
総司は両手で髪をかき上げて溜息をついた。
「僕だってできるんならそうしたいんだけど。……でも今日で終わるよ、多分…」
「よし、このソーセージをやろう」
斎藤が総司の皿に、ソーセージを置くのを見て平助が驚く。
「すげぇ!一君が食糧をわけあたえるなんて!」
「いくらでも取ってこれるからな」
「「一君……」」
わいわい騒ぎながら朝食を食べて、総司はマンションに戻るという二人と駅で別れた。総司は一人で千鶴達の予約した結婚式場がある大きな街へと電車で向かう。
婚約者との話し合いが終わった千鶴から、電話があった時すぐに駆けつけられるように。
電車のドアに寄りかかりながら総司は流れて行く景色を眺めていた。すべてが終わり、自分だけの物になった千鶴を抱きしめることができる時を思いながら……。
大きな街の駅についたのは10時30分過ぎ。式場との打ち合わせは11時からだと言っていたから、今頃ちょうど話し合っている最中だろう。総司は駅前の大きな本屋で時間をつぶすことにした。横断歩道を渡っていると、交差点の斜め向こう側に見覚えのある背中を見たような気がして、総司は立ち止まる。
まさか、こんな人が多くて大きな街で偶然会うなんてことは……と思いながらも目を凝らす。
淡いピンクのオーバーブラウスにグレーのボックススカートをはいたその背中は……千鶴だった。
隣には背の高い……総司と同じくらいの背の高さの男が歩いている。
二人は笑いながら歩いていた。とても別れ話をしてきたばかりだとは思えない。
二人はそのまま、駅前にある大きな結婚式場に入って行った。