【今度いつ会える? 4】
「ねぇ、平助。左之さんの店の電話番号知ってる?」
会社の昼休み、デスクでパンを咥えながらパソコンを見ていた総司が、食事を終えて戻ってきた平助に聞く。
おお、ちょっと待って……、と言いながら携帯を操作して左之の店の電話番号を出してやる平助。明るい黄色のネクタイはかなり緩められて首からぶら下がりYシャツの袖は腕まくりされている。
「携帯の方に電話すればいいじゃん」
「したけどでないんだよね。この時間ならもう店にいるだろうし。明日空いてるか聞きたくてさ……」
平助が示した携帯の画面を見ながら総司は自分の携帯の電話帳に登録した。
「左之さんの店、行くの?いいなぁ、俺も行こっかな」
左之の店は、ワインをはじめ、各種アルコールが充実しているイタリアンレストランで、雰囲気のいい大人の隠れ家的な店だった。昔からの知り合いだった総司達は、社会人になってから何度も通っている。
「だ〜め。僕デートだから。平助絶対こないでよ。雰囲気ぶち壊しになりそうだからさ」
「なんだ、デートか。じゃあ別に……って、ぇええっっ!?でーとぉ!?」
平助の素っ頓狂な声に、後ろを通りかかった斎藤が眉間にしわを寄せて静かな声で言う。
「うるさいぞ、平助。昼休みとはいえ社内で大声を出すな」
「だっだって……!総司、彼女できたの?っつーかおまえ彼女つくんないんじゃなかったの!?」
社会人になってから合コンの相手や社内の女の子たちからどんなにアプローチをうけても、決してつきあおうとはしなかった総司がデートをする、と聞いて斎藤も足を止めた。
「どういう気まぐれだ」
「やだなぁ、斎藤君まで。別に彼女を作らないって決めてたわけじゃないし」
「なんだか探していたのだろう?運命の女とやらを」
へ?という顔で見てくる平助に、斎藤は以前総司からそういう話を聞いた、と説明した。
「見つけた、というわけか?」
斎藤の問いかけに、総司はにんまりと笑う。
「うん、見つけた」
「ええ〜!?じゃあやっぱり彼女ができたんか!裏切りものぉ〜!」
わめく平助に、総司は視線をそらして苦笑いをした。
「……彼女、って訳じゃないんだよね……。ちょっとワケありでさ」
「どういうことだ?」
斎藤の静かな言葉に総司は沈黙した。
わざわざ言うことではないが、特に隠しておくことでもない。それに隠しておくと自分との関係が世間に認められないものであることを自分で認めているようで嫌だった。
「婚約してるんだって、僕の運命の人」
驚きのあまり平助と斎藤は沈黙した。
「……どういうことだよ。お前……じゃあ……」
「昨日会ったばかりでね。婚約は……たぶん解消してくれるつもりだと思う」
椅子に浅く腰かけて脚を投げ出し、床を見つめがら言う総司を、斎藤と平助は見つめた。
そういえば……気づかなかったが総司のYシャツとスーツは、昨日と同じじゃないか……?ネクタイも同じブルーだ。
昨日会ったばかりで……、運命の人で……、昨日と同じ服、とくれば昨日何があったのか想像はつく。
何も言えないでいる二人を後目に、総司は左之の店に携帯で電話をかけていた。
「あ、左之さん?ごめんね、お昼の忙しいときに。うん、明日の夜、どう?そっかよかった。うん、そう。うーん……まかせるよ。え?どんな相手と?……オンナノコだよ。かわいい。そう、僕の大事な人。いい?ありがとう。じゃあ……7時ごろ行くね。じゃ」
電話をきった総司に、斎藤が言った。
「本気のようだな。いつまで続くか見ものだが」
大学の時からの付き合いの三人は、まだ女の子とつきあっていた学生時代の総司がどの女の子とも長続きしないのを知っていた。総司はちらり、と斎藤を見て、パソコン画面に目を移す。
「大丈夫。今度は、終わりのない恋が始まるんだ」
幸せそうな、満足そうなほほえみを浮かべる総司に、二人は黙って顔を見合わせた。
待ち合わせは18時半。場所は二人の会社(本社ビルの立ち並ぶオフィス街だからあり得ないことではないのだが、同じ駅だった。)の最寄駅。
千鶴は待ち合わせの場所で、総司からのメールを開けて確認した。時間は18時20分。一日半ぶりに会う総司に、千鶴は胸のドキドキがおさまらなかった。こうしていつもの駅の帰りの風景を眺めていると、一昨日のことがすべて夢のような気がする。
待っているのは婚約者のあの人で、総司さんはやっぱり夢の中だけの人で……。
千鶴がぼんやりとそんなことを考えていると、人ごみの向こうに頭一つ高い長身のシルエットが見えた。どんな遠くでもきっと自分はすぐに彼だとわかる。総司はまっすぐに千鶴の方へとやってきて、彼女に気が付いて微笑んだ。
「待たせちゃった?」
なんだか恥ずかしくて千鶴は顔を赤くして俯いたまま首を振った。実際たいして待ってはいない。
行こっか、と言って当然のように手を差し出してくる総司に、千鶴は困った顔をした。
それに気づいて総司は苦笑いをする。
「そっか、いい子でいるって約束したっけ」
そのまま千鶴を促すように顔を傾けて歩き出す総司に、千鶴は少し残念なような、ほっとしたような気持ちで着いて行った。
総司の昔からの知り合いの店、というその店は、ビルの8Fに入っていてとても居心地のよさそうな落ち着いた外観だった。悪戯っぽく微笑みながら入口のドアを開けてくれる総司に、いぶかしげな視線を向けて千鶴は薄暗く雰囲気のいい店の中に入って行く。
「おお!総司!」
カウンターのなかから艶のある聞き覚えのある声がして、千鶴は驚いてそちらを見た。
カウンターの中で、白いアイロンの効いたシャツにワインレッドのギャルソン風のエプロンをして黒いズポンを履いているオーナーらしき男性は……。
「……さ、左之さん……」
夢の中で千鶴を何かと気にかけてくれた兄のように優しくて頼りになる、左之、という存在とまったくの同一人物がそこにいた。
茫然とつぶやく千鶴を面白そうに眺めて、総司は左之に応えている。
「左之さん、紹介するよ。この子が昨日電話で話した僕の大事な女の子、雪村千鶴ちゃん。千鶴ちゃん、知ってると思うけどこっちが左之さんだよ」
カウンターから出て総司の傍まで来た左之は、総司の言葉に訝しげな顔をする。
「ん?どっかで会ったことあったか?」
「は、はじめまして……」
「そうだよな。初めてだよな?こんなかわいい子会ってたら俺がもらってたしな」
冗談のように言う左之に、総司が二人をべりっと引きはがした。
「ダメだよ、左之さん。彼女は僕のだからね」
「わかったわかった。お前が初めて女の子連れて店に来たんだ、あきらめてやるよ。じゃ、ゆっくりしてってくれ」
後半は千鶴の瞳を優しく見て、そう言いながら左之はカウンターの奥に戻って行った。
総司に案内された席は、夜景がきれいに見える奥まった場所にある場所だった。周りに観葉植物やらワインセラーやらがあるせいで個室ではないが隔離されたようなプライベートな空間になっている。
だされた食事はコースになっていてとてもおいしかった。
ワインもお酒にあまり強くない千鶴が飲みやすいものを出してくれたおかげで、美味しく飲めた。
窓から見える夜景は夜が深まるごとに美しく輝きを増し、テーブルの上のキャンドルが柔らかく光って二人を包む。
二人は現在の関係にかかわるきわどい話はせずに、これまでの千鶴の生活や総司の生活についてお互いに報告しあった。
千鶴はずっと女子高だったこと。
総司と斎藤と平助は大学から一緒になったこと、左之の他に土方や近藤とも仲がいいこと……。
お互いの前世での記憶も、覚えていることと覚えていない事があり、総司が都合が悪いところばかり忘れていることを千鶴が軽く怒ったり、逆に総司が大事に覚えていたことを千鶴が忘れていたりで大いに盛り上がったのだった。
それにしても左之が自分で店を構えての水商売、というのは本当にぴったりだ。アニキのようにみんなに気をくばり、いろいろとやってあげることが好きだった彼は、外見の色っぽさも加えて似合いの職業選択だと思う。
総司から聞いた、土方と近藤が二人で法律事務所を開いている、というのもあまりにも似合いすぎていて千鶴は笑ってしまった。あの二人は誰かに使われるような性分ではないし、左之のように八方うまくまとめるような交渉も似合わない。昔は刀だったものを六法全書に持ち替えて、きっと現代でも自分の信念をつらぬくために戦っているのだろう。
メインディッシュの牛肉とトマトの赤ワイン煮を食べた後、すっかりリラックスして食事を楽しんでいた千鶴は、総司を見てくすっと笑って机に身を乗り出し、手をのばした。
「ついてますよ」
過去の話をしたせいだからだろうか、夫婦の時のように千鶴は総司の口の横についたかすかなソースのあとを人差し指でそっとぬぐった。
総司の緑の瞳がキラリと光り、色に深みが増したのを見て、千鶴は自分の仕草が親密すぎたことに気が付き、赤くなって手をひく。
総司はそんな千鶴の指をさっとつかみ、千鶴の瞳を見つめながら彼女の指についたソースを自分の口でそっと舐め取った。
千鶴は総司の視線に胸の奥が熱くなり、動けなかった。総司はそのまま千鶴の手のひらにそっと唇を押し付ける。そしてゆっくりと瞼を閉じた総司は、千鶴の手を自分の頬へと移動させて、囁くように言った。
「……体の具合はどう?どこか痛くない?」
総司が何のことを言っているのか察して、千鶴は赤くなった。総司の頬にふれている自分の手のひらが熱くなる。
「……痛い…ですけど、普通の事だと……思うので……」
総司は瞼をあげて千鶴を見る。瞳は深い緑色に変化していて、あの夜の瞳を思い出させた。
「ほい、おまたせ。デザートだ。サービスでケーキと果物両方にしたぞ〜」
左之の登場に、急いで二人は手を離した。しかしすっかり雰囲気が変わり、二人とも黙りがちになりながらデザートを食べる。ぽつり、ぽつりと会話はするものの心は別にあり、妙な緊張感が漂う。最後に総司のコーヒーと千鶴の紅茶を飲むと、総司は出よう、と言って席を立った。今度は千鶴の手を強引に握って。
左之にお礼を言い、カードで支払いを済ませた総司は、千鶴の手をつかんだまま足早に店を出た。エレベーターの方に行くと思いきや、総司は反対側にある階段の方へ向かう。最上階である8Fからさらに屋上へと向かう階段。ほとんど人のこないそこの踊り場まで千鶴を引っ張ってくると、総司は何も言わずに千鶴を引き寄せ唇を寄せた。
拒むべきなのはわかっている。
こんなところで二人っきりになるべきでないのも。
彼に抱きしめられたままでいるべきでないことだって。
そんな理由をすべてなぎ倒してしまうほど、総司の唇は熱かった。そして千鶴も、頭ではわかっている『べき』論も心の前では無力だった。
気持ちをぶつけるような深いキスに、千鶴は必死で応える。追いかけて絡みついてくる総司の舌に、自分からも絡めて。
言葉に出せないすべての想いを込めて千鶴はキスを返した。
切なさににじんだ涙を、総司がキスでぬぐう。
折れそうなほど強く抱きしめてくる総司の腕に、彼の想いの強さが表れているような気がして、千鶴の胸は震えた。
このままどこかに連れ去って欲しい……。ずっとずっとこのまま二人で……。
唇を離し、総司は千鶴の首筋に顔をうずめて荒い息を整えようとしていた。千鶴も総司のYシャツの胸に顔をうずめて火照りを覚まそうとする。
どれくらいそうしていたのだろうか。ようやく落ち着いてきたころ、まだ抱き合ったまま総司は呟くように言った。
「……今度いつ会える?」
「……」
「……明日は?」
千鶴は胸が痛かったが、必死に自分に言い聞かせて、首を横に振った。
「……何か用があるの?」
千鶴はまた首を横に振る。
「いい子にできない僕が心配?」
総司の自嘲気味の言葉に、千鶴はまた首を横に振った。
「……私が自分を信用できないんです……」
『ちゃんとする』と言ったのはつい一昨日のこと。もう今、請われるまま総司の胸に自分から飛び込んでしまっている。一緒にいる時間が長ければ長いほど千鶴の心は走り出してしまう。平日ならまだ勤務時間という制限があるが、制限のない明日、土日は自分がどうなってしまうか容易に想像できて、千鶴は怖かった。
「……確かに僕も自分を信用できないかな……」
総司は溜息をつきながら千鶴の頭に自分の顎をのせた。
「手をつなぐとき、抱き寄せたとき、……キスしたときに君が悲しそうな顔をするのを見るのは僕も嫌だよ」
「……ごめんなさい……」
「もっと薄情な子になってほしいって思うのが、僕の身勝手な本音だけど、でも、君は君だし。僕はそういう君が好きなんだし」
でも、電話とメールはしてもいい?と甘えるように言う総司に、千鶴はほほえみながらうなずいた。
「じゃあ、次に会えるのは、来週だね?月曜日はちょっと仕事で夜は駄目なんだけど、昼はどう?」
仕事である程度自由に外に出られる総司は、昼に千鶴の会社の近くで彼女と落ち合うのは可能だった。しかし、婚約のことは社内には秘密にしているとは言っても千鶴の会社の人に総司と二人で昼食を食べている所を見られるのはあまり……いいこととは思えない。千鶴がそう言うと、総司はにっこりと笑った。
「大丈夫!近藤さんたちの事務所、あの辺なんだよ。空いてる部屋いっぱいあるからそこで何か買ってきて食べよう」
悪戯っぽく微笑む総司に千鶴も思わず笑ってしまった。夢の中での登場人物と会えるなんて信じられないが、とても楽しみだ。彼らが前世を覚えていないのが残念だけれど、ぜひ会ってみたい。
千鶴は嬉しそうに微笑みながらうなずいたのだった。