【今度いつ会える? 10】









 

 

 ファミレスの一番奥まったボックス席で、千鶴と婚約者は向き合っていた。
もう無理だから結婚をとりやめて別れて欲しい、という千鶴に対して、婚約者は相変わらず、それはマリッジブルーで一時の気の迷いだと言う。式や入籍はとりあえずやめて、もう一度ゆっくり考え直すようにと。逆に、千鶴の不安に気づいて支えてあげられなかったことに申し訳ないとまで……。
確かに彼から見たらそう見えるのかもしれない。彼の眼に映る千鶴は、控えめで世間の常識を外れたことは決してしなくて、初心で、恋愛に疎くて……。そんな女性が、いきなり運命の恋におちた、と言っても信じにくいだろう。だって、千鶴でさえそう思っていたのだから。恋愛に夢中になる友達のことを、人種が違うんだと心の底から納得していた。炎のように燃え尽きるような恋をする人もいれば、ろうそくのように静かにゆっくりと恋をする人もいる。自分たちは後者なんだと…いや自分は後者なんだと思っていた。

 しかしそれは違っていたのだ。総司と出会ってはじめて千鶴は自分の中にある嵐を知った。婚約者の彼はまだ自分の中で嵐を巻き起こしてくれる人に出会っていないのだ。自分の中に嵐があることすら知らないだろう。そんな人にどう説明してもわかってもらえないのかもしれない。

いつまでも平行線をたどる話に、とうとう総司を呼ぼうということになってしまった。一応あらましは話していたので、準備はしていてくれているとは思うが、いったいどうなるのか……。三人で話し合うなんて、自分のしでかした不始末を目の前に突き付けられるようで千鶴は神経が持つか不安だった。しかしこれは総司のためでもある。いつまでもだらだらと話し合いを続けるよりは、荒療治でも会わせてしまった方がいいのかもしれない。会えば、総司を見る自分の瞳の隠しきれない思いに、婚約者も気が付くだろう。自分に対する態度と全然違う、と……。

 千鶴は婚約者の前で携帯を開き、ためらいがちに総司の携帯の番号を呼び出して通話ボタンを押した。
なかなか出てくれず長く続くコールに千鶴が不安になったとき、はい、という声が電話の向こうから聞こえてきた。
「……総司さん?」
『……総司の携帯だけど?』
意外にも聞こえてきた声は総司の声ではなかった。一瞬かけ間違えたかと思ったが、この声は聞き覚えがある……。
「……へ、平助……くん……?」
『……あんた、あれだろ?総司を振り回してる……。なんでそんなに馴れ馴れしく俺の名前呼ぶのかわかんねーけど。』
夢の中での平助と違って、電話の向こうから聞こえてくる声はとげとげしく冷たい。総司の側から見れば、何も知らなければ千鶴に反感を持つのは当然かもしれないが、夢とのギャップに千鶴はひるんで声がつまった。
『……なんか用?またウソであいつをだますつもりで電話してんの?』
「そんな……。そんなつもりは…。総司さんは……?」
『……それに答える前に聞きたいんだけど、あんた婚約者とは別れたの?』
「……今、その話をしてて……」
『要は別れてないんだろ?まただらだらと続けるんだろ?あいつもう限界なんだよ。今日だって病院に運ばたってのにあんたからの電話ばっか気にして……。しょうがなく俺が左之さんの店に置きっぱなしになってた携帯取りに来てんだけどさ。あいつのことちょっとでも思ってくれてんならもう連絡しないでやってくれよ。』

 後半の言葉は千鶴の耳には入ってこなかった。

 ……総司が倒れた……。

そう聞いた瞬間に、これまで見ていなかった夢の景色……前世の記憶が一気によみがえった。激しく咳き込む背中。手のひらの血。下がらない熱……。
自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。

「倒れた……。どうして……?今、総司さんはどこにいるんですか!?病院は……!?」
『だからあんたが来ると余計ひどくなるからさ。ちゃんと別れてから来てやってよ。』
「平助君……!お願い……!ちゃんと……ちゃんと別れるから、病院を教えて!?」
思わず立ち上がった瞬間に、目の前にあったアイスティのグラスが倒れた。しかし千鶴はそれにも気づいていないように空を見つめながら必死に頼んだ。
そんな千鶴を、向かい側で婚約者が驚いたように見ている。
沈黙を続ける平助に、千鶴は携帯を耳から離して婚約者に向き直った。
「私……私、ほんとにあなたには申し訳ないことをしたと思ってます。だけど、だけど総司さんが好きなんです。勘違いやマリッジブルーとかじゃなくて……。どういったらわかってもらえるかわからないんですけど、あなたの事は人として好意は持っていたんですが、恋ではありませんでした。それがわからなくてずるずるつきあってしまっていて本当にごめんなさい。でも、私もわからなかったんです。総司さんに会って初めて……初めて『恋』という気持ちを知って……。だからあなたとは結婚できないんです……!」
ごめんなさい!と言って頭を下げる千鶴を、婚約者は茫然として見ていた。

 青ざめた顔、人目も気にせず立ち上がって涙をこぼして頭をさげて……。こんな取り乱した千鶴を見るのは初めてだった。千鶴はいつもキチンとしていて、場をわきまえていて、決して感情を表に出すことはなかった。
それになりより、心が既にもうここにはないことが彼には嫌という程わかった。電話口の話では、千鶴の好きな男が倒れて病院に運ばれ、その男の関係者が携帯をとり、ふらふらと二人の男の間を彷徨っているような女に運ばれた病院名は教えないと言っているのだろう。そんな女性像と千鶴はかけ離れている。それなのに敢えてそんな立場に自ら飛び込む……。なんと言われようとかまわないくらい、その男が好きなのだろう。


「……指輪、置いてっていいよ」

 婚約者の言葉に、千鶴は顔をあげた。
「そんなの持ってても困るだろ。始末についてまた相談されてもこまるし」
目を見開いて自分を見ている千鶴に、彼は言う。
「正直言ってしばらくは会いたくないから。もう行っていいよ」

 「それって……。あ、…でも式場のキャンセルとか……お金の……」
「結納金でなんとかなると思うから。招待状とかそういうのは捨てといて。親戚にはお互いから話すってことで」
顔を背けて淡々という彼に、千鶴はなんと言ったらいいのかわからずたちつくした。
「あ、ありがとうございます……!ごめんなさい……。本当にごめんなさい…!」
「もういいから早く行ったら?ここで泣かれたり謝られたりする方がキツイし。携帯の相手にも今の聞こえてるんじゃないの」

 千鶴はうつむいてバックをとり、最後に頭を下げた。

「……結局、君には最初から最後まで手が届かなかったな……」
彼の言葉に、千鶴は顔をあげた。涙で視界が滲むが、泣いていいのは自分ではない。謝罪もお礼もどちらも彼にとっては失礼だろう。
「……でも、私は……いい思い出ばかりでした。こんな終わり方で、一番……傷つけたくない人をこんなに傷つけてしまいましたけど……。でもそれまでは……」
千鶴の言葉に、彼はかすかに苦笑いをして、もう行って、と小さく言った。

 

 店の外にでて、つなぎっぱなしだった携帯電話であらためて総司の入院している病院を聞くと、平助は今度は教えてくれた。
『変な風に疑って悪かった。』
変わらずまっすぐで素直で人柄のいい平助に、千鶴は少しほっとする。けれども総司の体調が心配だ。タクシーをつかまえて病院名を告げた。

 


 「左之さん、総司は?」
総司の病室の外の廊下に立っていた左之に、平助は駆け寄った。
「おお、平助。さっきまでまたうわ言みてぇに、携帯…電話……千鶴……ってつぶやいてたぜ。今は薬が効いたみてぇで寝ちまったけどよ。着信あったか?」
左之の言葉に、平助は少し後ろめたそうな顔をした。先ほどの電話での千鶴とのやりとりを左之にかいつまんで話す。左之は呆れた。
「ったく……!おめぇはよ!人の恋愛に首つっこみやがって……!」
「いや、反省してるって!でも一言言ってやりたくて、思わず出ちまったんだよ。そしたらあんな展開になっちまって……」
「まぁ、結果としてはよかったんじゃねぇか?別れて、こっちに向かってんだろ?あいつにとっては何よりの薬だな」
左之がそう言った時に、平助の後ろから小柄な女性が小走りに駆け寄ってくるのが見える。
「……千鶴ちゃん……だよな?」
「あ、……左之さん」
その隣にいるのは……、夢と全く変わりのない平助だった。
「平助君……」
初めて会った千鶴に、平助はポカンと口を開けている。総司を翻弄している、というイメージの女性と真逆な千鶴に、驚いていた。…と、いうかこういうタイプを総司が選んだのにもびっくりだ。左之と土方が絶賛してたのもわかる。
そんな平助には構わずに、千鶴は不安そうに左之に聞いた。
「あの……総司さん、どんな感じなんでしょうか……?病名は……?」
「あー……大丈夫だよ。なんとか、っていう菌が、気管支とか肺にまで入っちまって……まぁ風邪のひどいのだな。でも抗生物質がえらい効く病気らしくてよ。薬飲んだらみるみる熱が下がっちまった。今は薬で寝てるよ。ったく無理しすぎなんだよ、あいつは」
左之の言葉にほっとして思わず涙ぐんだ千鶴を、左之と平助は優しい目で見た。
「俺ら、帰るからさ。傍にいてやってよ。総司それが一番嬉しいと思うから」
平助が言う。千鶴は、微笑みながらうなずいた。

 

 

 広い病室は空きベッドが他に2つあるものの、寝ているのは総司だけだった。病室の端に置いてある椅子を総司の枕元に持ってきて、千鶴はそっと座った。
病院の白い袷のようなパジャマを着て、総司はよく眠っている。ほんの少しやつれたようで、肌もカサカサしているし顔色も悪い。でも……。
千鶴はそっと総司の手を握る。


 でも、暖かい……。


彼を失うことにならなくて、ほんとうによかった。平助の電話で総司が倒れたと聞いた途端、初めて前世での彼との別れを思いだした。身を斬られるような日々を。

 ……もう、ずっとそばにいますから……。

総司も前世では心残りだったに違いない。その思いがあったからこそ現世で必死に千鶴を探してくれていたのだろう。千鶴の瞳に涙が浮かぶ。

 ……苦しませて、ごめんなさい……。

千鶴はずっとそのまま、総司の穏やかな寝顔を見つめていたのだった。

 


 ゆっくりと深い眠りから覚醒する。
悪夢も見ずに、近頃珍しいくらいよく眠った気がする。総司はぼんやりと目を開けた。視界に入ってきたのは、こちらを優しい顔で見つめている千鶴だった。
「……あれ……?」
総司は思わずそう言って、あたりを見渡した。そこは見たことのない無機質な部屋で、既に薄暗くなっている。
「……千鶴……。ここは……。僕は……?」
そして突然思い出す。勢いよく起き上って千鶴に向き合った。
「そうだ……!例の、話し合いは……?」
「……大丈夫ですよ。全部……終わりました。総司さんは昨日の夜倒れて病院に運ばれたんです」
「終わったって……」
目を見開いたまま茫然としている総司に、千鶴はゆっくりと全部話した。
手をつないで、瞳をみつめて、この時間をじっくりと楽しみながら。

 「じゃあ……君は……」
「はい……!晴れてフリーになりました!」
にっこりと晴れ晴れとした顔で千鶴は言った。総司も嬉しそうに微笑む。
「フリーじゃないでしょ。僕の彼女なんだから」
総司の言葉に、千鶴は一瞬キョトンとして……。そして頬を赤らめて花が開くようにフワリと笑った。総司はその笑顔に引き寄せられるように千鶴に体を寄せる。頬にやさしくキスをして耳たぶを優しくかんで、肩を抱く。
「……で、僕はいつ病院出れるの?」
「ん……。くすぐったいです。起きたらいつでも退院していいそうですよ」


「……今度いつ会える?……って、もう聞かなくてもいいんだよね。僕んち?君んち?」
聞いた総司が千鶴の唇を塞いだせいで、千鶴は答えられなかった。一度優しく触れ、もう一度、もう一度、と何度も優しくくすぐるように口づける。
「……でも、明日会社で……」
「僕はさすがに休むよ。病院に運ばれたって言えば特に問題ないし。平助も一君も知ってるし。君は?」
挑む様に目をきらめかせて言う総司に、千鶴は苦笑いをした。

 ああ、ほんとに……。彼は嵐みたい。静かだった私の生活をかき乱して、ルールなんて失くしてしまう……。

でも、それが楽しい。初めてする悪戯にドキドキする子供の様に、千鶴はわくわくしていた。
「……もう一度……、総司さんがキスしてくれれば、きっと風邪がうつって会社を休まなくちゃいけなくなる気がします」
千鶴の返事に、総司は軽く口笛を吹いてから声を出して笑った。
「……言うねぇ、千鶴も。じゃあご期待に沿えるようにがんばらないとね」

総司がゆっくりと唇を寄せると、千鶴は微笑みながら瞼を閉じたのだった。


 





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