【Blue Rose 1−1】
『青は藍より出でて藍より青し』の続編です。前作を読まないと話がわからないと思います(スイマセン……)。
作者は剣道、その他について未経験者です。内容については信用せずフィクションとしてお楽しみください。
パァンッという乾いた竹刀の音とともに、自分の竹刀が手を離れて空を飛んでいくのが見えた。
僕はそれを信じられない思いで茫然と見つめる。目を見開いたまま、たった今自分の竹刀を吹っ飛ばした相手を見る。今日入部した薄桜学園高校の剣道部で、初めて会った奴だ。
少し長い黒い髪と静かな瞳、細見の体に無表情な顔。剣道部初日の練習が終わったとき、ヤってみない?と誘ったのは僕からだった。練習をちらちらと見ていると、剣筋が安定していてきれいで相当強そうだったから。どこまでやるのか見てみたいと思ったんだ。正直僕は強くて。誘ったものの負けるなんて欠片も思っていなかった。だけど結果はあっという間に僕が負けた。手を抜いたわけじゃない。油断はしてたかもしれないけど結構本気だった。
さらに腹が立つのは、茫然としてる僕にそいつは背を向ける前にこうつぶやいたんだ。
「この程度か……」
僕はばちっと目をあけた。
目の前には見たこともない黄色い布の天井……天井?違う。これはテントだ。そう。今日は全国大会優勝のお祝いに千鶴ちゃんも一緒にみんなで来たキャンプの朝だった。
ってことはさっきのは夢か……。
僕は隣のシェラフで眠っているさっきの夢の登場人物、一君を見た。眠りについたときと寸分たがわないまっすぐな姿勢でまるでミノムシみたいに静かに眠ってる。その隣でシェラフをぐっちゃぐちゃにしてよだれたらしていびきかいてる平助とはえらい違いだ。僕は夢の内容を思い出してむかむかしながらテントから出て、靴のかかとをつぶして足をいれた。
外はまだ朝が早いみたいで光が薄い。さすが山の中、真夏なのに空気はさわやかで肌寒くて気持ちよかった。僕はシェラフの横に投げて置いてあった黒いパーカーを羽織って顔でも洗おうと欠伸をしながら水場へと向かう。隣には一人用のテント。千鶴ちゃんはまだ眠ってるのかな。いたずらでもしに入ってみようかな、と思ったけどその向こうにある左之さんと新八さんのテントから聞こえてくるうるさいいびきに、げんなりしてやめた。千鶴ちゃんと楽しいことをするのに、あんなBGMはごめんだ。
それにしても、あの頃の夢をみるなんて久しぶりだな。あの時はほんとにくやしくてくやしくて。何回もあの試合の時の夢を見たもんだけど。
僕は一君に負けたときの夢について考えた。
中学の頃の僕は、何かしなくてはいけないこと、したいと思っていたはずのことがあるのはわかるのに、それがなんなのか、どうやったらそれを知ることができるのかわからないくて目の前の気晴らしで気を紛らわせてた。はやく道を決めて進まないとそこまでたどり着けないのはわかっているのに、どうしてもその道が見つからなくて、何にも考えてないようなのんきな奴らがうっとおしくて毎日イライラしてた。気晴らしのほとんどは、自分から動かなくても向こうから勝手にやってきてくれるモノ。
ケンカとセックス
どっちもアドレナリンが出て気持ちいいし終わった後はすっきりする。僕は何もしなくても楽しませに来てくれるその二つを素直に受け入れて、日々楽しんでた。幸運なことに剣道も勉強もそれほど必死にやらなくても人並み以上。要領もよくて、はっきりいって人生舐めてた僕は、一君のあのひと振りでふっとんだんだ。もともとの才能がある上に日々努力を積み重ねる一君に勝つために、僕はケンカで無駄な時間を使うのはやめてとにかく強くなるために一生懸命だった。そんな僕に、平助も寄ってくるようになって一くんと一緒につるむようになって。ケンカをしようとするとぎゃあぎゃあ言う仲間も(別にいらなかったけど)できた。
そう考えると、悪い習慣だったケンカを止めさせたのは一君と平助。
もう一つの悪い習慣を止めさせたのは……。
視界の端に柔らかに光る空気が見えたような気がして、僕は立ち止まって右奥、川に向かう林の方に視線を向けた。
そこに見えるのは華奢なウエストにすんなりした足、黒いさらさらの髪をかすかに揺らしてこちらに背中を向けて立っている千鶴ちゃんだった。薄いピンクのロングTシャツ一枚にグレーのレギンスの千鶴ちゃんは少し寒そうだ。
僕は尻尾を振って千鶴ちゃんに近寄って、黒い自分のパーカーを彼女の肩にかけてあげた。
「もう起きてたの?早いね」
千鶴ちゃんはびっくりしたように振り返って、話しかけたのが僕だとわかると嬉しそうににっこり笑う。その顔がまたかわいくて……。ああ、たまんないな、もう。
「沖田先輩、おはようございます。ね、あれ、見てください」
小さな声で僕の耳元でささやくように言う千鶴ちゃん。彼女の吐息が耳にかかるのに少しドキドキなんてして、僕は彼女の指差す方を見た。そこにはスズメよりちょっと大きいくらいの茶色いムクムクした小鳥が数羽、朝の光の中で川の浅瀬で水浴びをしていた。
「ね、かわいいでしょう?」
きらきらした瞳で千鶴ちゃんは小鳥たちを見てる。小鳥なんかより君の方が全然かわいいよ、なんてベタなことは思ってもいいません。でもほんとに可愛くてこんな千鶴ちゃんを独り占めできてる僕はとっても幸せ。
「あれ見てください。あの、ちょっと小柄な小鳥。あのコまだ子供なのかとっても水浴びが下手で……」
千鶴ちゃんが言ってる傍から、その小柄な鳥は足を滑らせて水の中に背中から落ちてわたわたしてる。焦って水から出ようとしてさらに前のめりに転んだりして。その様子が面白くて、僕も思わず千鶴ちゃんと一緒になって笑った。
「平助みたいだね、あの動き。それにさ、あの鳥の向こう、あの黒っぽいやつ。あいつなんか新八さんそっくり」
その黒っぽい大柄な鳥は、盛大に羽をバタバタさせて水浴びをしている。そのせいでまわりにいる奴らに水が飛び散ってみんな迷惑そうなのに、そいつは全然気にしてない。その様子を見て千鶴ちゃんも、ほ、ほんとですね…、と笑いをこらえてる。
「じゃ、じゃあ、こっち側のあの鳥は斎藤先輩っぽくないですか?」
そいつはまわりの鳥たちの騒ぎを少しも気にせずに、悠然と水を飲んでいた。
「いえてる。それであの向こうで女の子の毛づくろいばっかりしてるあの鳥は左之さんだね」
ひとしきり二人で笑った後、千鶴ちゃんが聞いた。
「沖田先輩はどれですか?」
「僕?僕は……」
そう言って僕は千鶴ちゃんの手をそっと握って二人の目のあたりまで持ち上げた。
「ここで千鶴ちゃんと手をつないでるよ」
隙あれば千鶴ちゃんに触れる手段を考えている僕は、我ながらすごいと思う。千鶴ちゃんは真っ赤になってる。その顔が可愛くてキスをしたくなるけど、ゆっくり進めるって言った手前、あまりがっつくのもどうかと思い、僕は我慢した。
おいおい、ありゃいったい誰だ?
テントから出てきた左之は、林の中でくすくす笑い合っている二人を見つけて口をあんぐり開けた。
一人はすぐわかる。雪村千鶴ちゃん。このキャンプに来たのは女の子一人だけだから。
もう一人…あれは、総司?
いつも人を小ばかにしたような嘲笑するようなほほえみをうかべている総司が、千鶴の前で素直に心から楽しそうに笑っている姿に左之は唖然とした。
総司が変わった、というのは近藤からも土方からも聞いていた。しかも変えたのは千鶴、という女の子だとも。しかし昨日初めて千鶴を紹介されて、左之は正直拍子抜けした。あの総司を夢中にさせるくらいなのだから、きっとナイスバディで野性的なかんじの小悪魔な女の子だと思っていたから。千鶴は華奢ですぐ言いなりになりそうで、おとなしそうで、総司がてこずっている、というのが信じられなかった。
総司なら一呑みでいけるんじゃねーの。
そんな風に思っていた第一印象は、しばらく千鶴と話すうちに180度変わった。おとなしそうな外見とは裏腹に芯が強い。勢いや周りの空気に流されないで自分の頭で考えて答えを出す。相手の瞳をまっすぐに見て話す姿勢も好感が持てる。そして何よりも誠実だった。自分や自分の失敗にも誠実に対応しようとするし、他人に対してもそうだ。こちらも思わず姿勢を正して、自分の汚いところを見せないようにしたくなる清廉さと揺れない強さが、彼女にはあった。けれども厳しいというわけではない。優しく受け入れてくれるようなムードがあり、知らず知らずのうちに甘えてしまう。彼女のまとっている空気が心地よくて、そばにいくと思わず深呼吸したくなるようなそんな雰囲気を持った少女だった。
ありゃ、手ぇだせねぇな……。
一も平助も彼女を大事にしているのがわかる。彼女は総司のことを意識はしているようだが、みんなに優しいので実際のところ左之からみても彼女が総司のことをどう思っているのかはっきりとはわからなかった。そんな彼女の態度に総司が焦れているのもわかって、左之は思わず笑ってしまった。
穢れて、爛れた女関係しかなかった総司が、あんな純粋な恋愛ができるなんて嬉しい驚きだ。いつも総司は何かを探してイライラしているようだったが、ようやく見つけたのだろう。もうあいつは大丈夫だ。一もいるし平助もいる。それに何より、千鶴がいる。すぐに道をはずしがちな総司をきっと引っ張って戻してくれるだろう。
今、二人に目をやると、くすくす笑った後千鶴がふっと顔を赤らめた。よく見ると総司が千鶴の手を握っている。その総司の方も照れたような嬉しそうな顔をしていた。そのまま二人で林の奥に歩いていくのを見て、左之は総司がよからぬことをしかけるのではないかとあわてて後を追って伸びあがって二人を探した。左之の予想とは反対に、二人は手をつないだまま川べりをゆっくり散歩しているだけだった。時折川岸で水浴びをしている小鳥たちを指差して、くすくす笑いあっている。
左之は、やれやれと溜息をついて踵を返した。
朝っぱらから甘酸っぱいもん見ちまったな…。
にやにや笑いながら、左之は盛大ないびきをかいている新八を起こしに自分たちのテントへ向かうのだった。
まったくやってられないよ。
僕はそうぼやいて武道館の裏のベンチに竹刀を立てかけて、ごろっと横になった。何がって明日が高2の夏休みの最後の日だってこと。結局夏休みの間一度も千鶴ちゃんと二人でデートできなかった。
全国大会で優勝した僕と、かなりいいところまで行った一君と平助がいるうちの剣道部には、練習試合やら出稽古やらの申し出が殺到した。さらに近藤さんの道場の方にも雑誌の取材やら協会の記者やらがやってきて毎日何かの予定が入ってたんだ。断ってもよかったんだけど近藤さんが本当に自分のことみたいに嬉しそうに僕のことを自慢しているのを見ると何も言えなくて。というより僕も近藤さんが喜んでくれたのが嬉しかったんだ。それで片っ端からオファーを受けてたらそれだけで夏休みが終わってた。
もちろん夏祭りや花火は行ったよ。……みんなで。あらかじめ予定をたてると不安になっちゃう千鶴ちゃんだから、当日に誘おうとするとたいてい平助辺りがもう誘ってるんだ。それで結局じゃあみんなで行くかってなってしまう。イベントものはそういうわけだからもうあきらめて土日狙いで誘おうと思ってたら、土日はたいてい道場の方で出稽古やら取材やら……。確かにゆっくりすすめる、とはいったけど、これはゆっくりすぎだよね?焦らないって言ってたけどイライラはするよ、そりゃ。まだコーコーセーですから。今日も、例のごとく練習試合。でもトリの僕の出番は最後の大将戦だけでそれまでは他の奴らの試合を見てるだけなんだって。ほんとに、まったくやってられない。
僕がベンチでふて寝していると、おずおずとした声が聞こえてきた。
「あの……先輩…」
目を開けると一年の小林君だった。僕は心の底から溜息をついた。ここは千鶴ちゃんが迎えに来る場面でしょう。しかもなんで小林君?千鶴ちゃんに振られていい気味だけどまだ千鶴ちゃんのことを目で追ってるし、明日からの新学期は毎日千鶴ちゃんと同じクラスでいられる特権もある。
僕が返事もしないでいると、小林君が続けた。
「あの……斎藤先輩が戻ってくるようにと……」
「出番はまだまだ先でしょ」
「はぁ……そうなんですが……」
立ち去ろうとしない小林君に、しょうがなく僕が起き上ると向こうから誰かがやってくるのが目に入った。道着を来たその男は見たことが無くて、たぶん今日練習試合の相手高校の剣道部員が迷い込んだんだろう。そいつは僕を見て驚いた顔をした。
「沖田か……。全国大会で優勝なんて出世したもんだな。てっきり今頃は警察のごやっかいになってると思ってたのに」
初対面じゃなさそうで、しかもかなり毒のある言葉に僕は目を細めた。
「どこかで会ったっけ?」
その男は僕の言葉にむっとした。
「中学大会で何度も対戦した」
ああ、それは覚えてないな……。はっきりいって中学の時の試合の相手なんて誰ひとり覚えていない。たいした奴はいなかったから。一君は高校で転校してきたみたいでそのころはこのあたりにはいなかったんだ。
「それで、今日もまた僕に負けに来たわけ?」
僕が言うとそいつの顔は怒りで真っ赤になった。その茹蛸みたいな顔が面白くてぼくはにやにやと笑う。その時また知らない奴らが3人向こうからやってきた。たぶんこいつを探しに来たんだろう、見つけると駆け寄ってきた。
僕たちの間に流れる剣呑なムードに後から来た奴らも何事かと色めき立って僕を見た。となりで小林君があわあわしてるのを感じたけど僕は素知らぬそぶりで続ける。
「物好きだよね。わざわざ負けに来るなんて。まぁ自分が弱いんだからしょうがないか」
そう言って立ち上がり、僕は小林君の言うことに従って武道館に戻ろうと竹刀をもって歩き出した。このままここにいるとまずいことになりそうだし。
我ながら大人になったなぁなんて思ってると、すれ違いざまにそいつが足をつきだしてひっかけてきた。僕はひょいっと避けて、そいつの仲間が止めているのを聞きながらまた歩き出す。
「やめとけよ。沖田が強いのなんて剣道だけだよ。放っておけって」
その言葉に僕は足を止めた。
後ろについてきた小林君が何か僕に言っているのが聞こえたけど僕はかまわずそいつらに向き直った。
「じゃあ、棒は無しでやろうか?」
そう言って僕は竹刀を肩越しに放り投げた。
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