LOVE STORY  




第九話 




「千鶴ちゃん、今日は僕の巡察についてくる?」
 朝食を終えて膳を片付けているときに、総司が千鶴に言った。
後ろから来ていた土方が千鶴の代わりに答える。
「千鶴は今日は斎藤の組と一緒に行ってもらう」
 新選組の巡察は、たいてい二つの組が同時に別々のルートで市中を回る。今日は斎藤が組長の三番組と総司が組長の一番組の巡察だった。だから千鶴はどちらに同行してもいいとは思うのだが。
まあでも土方が言うなら別に異議を唱える必要もない。千鶴は頷いた。
「はい、わかりました」
そしてちょうど隣に来ていた斎藤に会釈をする。
「よろしくお願いします」
斎藤は千鶴を見て軽く頷き、膳を片付けるとそのまま部屋を出て行った。総司が土方に聞く。
「……なんか僕には千鶴ちゃんを連れての巡察はできないって思われてるみたいだって思うのは僕の気のせいですか?」
土方は総司の文句をさらりと流して膳を片付けた。
「気のせいだ」
「そうかなあ。じゃあ千鶴ちゃんが巡察に同行するようになってもう二月ほどたつのにいまだに一番組への同行がないのは偶然ですか?」
嫌に絡んでくる総司に、土方は彼の顔を見る。
「偶然もあるが……お前はやりすぎるからな」
反論しようとした総司を手のひらをあげて抑えて、土方は続けた。
「まあ待て。それが悪いとは言っちゃあいねえよ。お前のやり方は新選組としちゃあある意味正しいからな。血も涙もなくはむかう敵を切り捨てる新選組一番組組長。お前はそれでいいんだよ。ただ情報を集めるために同行している千鶴とは目的が違う。わかるだろう?」
「僕は武闘派で、千鶴ちゃんの同行は情報収集や治安維持派にまかせるってことですか?」
「まあ、そういうことだ」
そう言って土方は部屋を出て行ってしまった。
後に残された千鶴は、隣の総司におずおずと「すいません」と謝る。総司は肩をすくめた。
「別に君が悪いわけじゃないし、君にどうしても同行してほしいわけじゃないしいいんだけどね」
総司はそう言って、千鶴をおいて部屋を出ていく。
 そして一人で廊下を歩きながら総司は自分がなぜあんなに土方に絡んだのかを考えていた。
千鶴の同行は、正直気にかけないといけないことが増えるだけで面倒以外の何物でもないと、以前までの自分なら逆に同行させないでくれと逆に土方に頼みそうなものなのに。
千鶴が他の組に同行して巡察していると何か落ち着かないのはなぜだろう?千鶴が勝手な行動をして組に迷惑をかけていないかとか、あの子はドジだから転んだりしてるんじゃないかとか。                   
巡察中に斬りあいをしているとか、抵抗する不逞浪士を捕縛したとかの情報を聞くと、千鶴が巻き込まれているのではと考えてしまい、正直面倒で疲れる。
 離れて『どうしているか』と心配しているくらいなら、目の届くところに居て自分が守った方が楽だと思うのだ。
いや、総司が守るのは面倒でできればしたくないのは確かなのだが、目の届かないところに千鶴がいると心配してしまうのは、土方から『面倒をみるように』と言われてからの習性のようでもうどうしようもないのだ。
自分の巡察に同行して守るのも面倒、他の組の巡察に同行して心配しているのも面倒。となると……
「あの子は屯所に居てじっとしてるのが一番、なんだよね」
そして総司が帰ってくると、いつも笑顔で怪我もなく元気にむかえてくれるのがいい。
 総司のこの思考は、実は世の男どもが好きな女子や妻に求めるのと同じものなのだが、当然のことながら総司は全く気付いていなかった。
「こんなに責任もって面倒みてるとか……僕は実は面倒見がいい性質だったんだな~」
などと独り言を言いながら巡察の準備にむかったのだった。

 

 千鶴が呉服屋の丁稚に綱道の事を聞いているときに、それは起こった。
「斎藤組長!」
隊士の緊迫した声と同時に、銃声が数発。斎藤が瞬時に状況を把握して各自に指示を出す。
「怪我をしたものはいないな!?銃は一度発砲したらしばらく発砲はない。銃声はあの長屋の裏から聞こえた。俺に四名ついてこい!残り三名はここに待機。千鶴はそこを動くな!」
「は、はい!」
距離が離れていたため返事は聞こえなかっただろうが、斎藤は千鶴を目を合わせ彼女が理解したとわかると小さくうなずいて踵を返した。そして隊士達をつれて銃声がした方へと走る。
 千鶴は呉服屋に迷惑がかかってはいけないと店からでて、斎藤が去って行った方を見ていた。往来の真ん中では新選組の残りの隊士たちが油断なく辺りを警戒している。
 千鶴のこれまでの同行では幸運なことに斬り合いや襲撃はなく、怪しい不逞浪士を捕縛する程度だった。今回のように何人かの計画的な、しかも銃を使っての襲撃ははじめてだ。高価で使うにはかなりの練習を必要とする銃を数丁も持っているということは、相手はチンピラ崩れの不逞浪士ではなく組織的な集団なのではないだろうか。

いったいどこの藩だろう……斎藤さんなら大丈夫だと思うけど…
それに、今は一番組も反対側の道で巡察しているはず。沖田さんの方は無事かな

千鶴がそう考えていると、突然後ろから口をふさがれた。と、同時に足がふわりと浮き上体を誰かに抱え込まれる。千鶴はとっさに脇に差していた小太刀を抜き、やみくもに振り回した。
「うおっ!」
「こいつ刀を持っているぞ、話とは違うではないか!」
武士言葉だ。千鶴は頭の隅でそう考えると、一歩さがって辺りを見渡した。千鶴をさらおうとしたのは目に入る限りでは三人。みな覆面をしているが服は小奇麗で袴もつけている二本差しだ。
「何者だ!」
新選組の三番組の隊士たちが駆け寄って抜刀し誰何する。しかし敵は気にせず千鶴ににじりよった。
「近寄らないでください!」
刀を構えて言う千鶴を見て、敵同士が言葉をかわす。
「どうする」
「怪我はさせるなといわれている。しょせん小太刀だ。他の隊士は斬り捨てればいいだろう」
敵のリーダー格の男がそう言うと同時に、千鶴の前で守るように剣を構えていた三番組隊士に斬りつけてきた。
「うわあああっ!」
他の二人も新選組隊士に斬りかかったことで乱戦となり、あたりは騒然となった。「きゃあああっ!」という悲鳴が入り混じり往来の人が逃げ惑う。
敵は強く、千鶴をまもっている隊士たちはバラバラに散らされ千鶴は一人になってしまった。リーダー格の男が刀を構え千鶴に近寄る。
「刀を下げろ。無駄に怪我をすることはない」
「あ、あなたは誰ですか!私が目的なんですか!?」
「何も話すなと言われているのでな。手加減はできんから峰打ちでかんべんしてもらうとしよう。少し痛いが死にはせん」
言葉と共に振り上げられた刀に、千鶴は必死に自分の小太刀をかざした。力と体格の差で受けきれるとは思わないが、あっさりと峰打ちをされるわけにはいかない。
千鶴は小太刀を構えると相手に向かって斬りかかった。反撃を予想をしていなかったのか、リーダー格の男は驚き、小太刀を受け、反射的に返す刀で千鶴に斬りつける。
「あっ…!」
男の刀は千鶴の右肩にあたり傷つけた。熱い痛みを感じ、噴き出る血を見て千鶴は青ざめる。
 小さい時からの不思議な体質のせいで、千鶴は人前で血を流すことが無いよう極力注意してきたのだ。
 千鶴の不思議な体質――それは鬼の力でもある驚異的な治癒力だった。綱道の話では、昔の鬼はこの治癒力以外に強靭な肉体や目に見えないほどの速さで走れる脚力、熊をも倒す力などいろいろ鬼としての特性を持っていたようだったが、残念ながら薫と千鶴が持っていたのはこの治癒力だけだった。
しかしちょっとした怪我でもすぐに治ってしまうため、人間の中での生活では奇異にみられないように気を遣わなくてはいけないと綱道から教えられた。そのおかげでこれまでは大丈夫だったのだが。
 千鶴が相手の男よりも自分の傷跡の方に意識が行ってしまった隙を逃さず、相手の男は一歩踏み込み刀を振りかざす。気づいた千鶴が再び小太刀で塞ごうと腕を上げたが遅かった。
もう間に合わない…!と覚悟した時。

 きらめくように現れたもう一つ別の刃が、敵の刀を弾き返した。
キィィン!と金属と金属が激しくぶつかり合う音がしたが、千鶴の小太刀にはなんの衝撃もない。
驚いた千鶴の目の前には、見慣れた広い背中――総司だった。
刀で相手の刀をうけながら、総司は千鶴を振り返り微笑んだ。
「よくがんばったね」
「沖田さん……!」
「僕の後ろから出ないようにね」
総司はそう言うと、敵に視線を移して一息に押し返した。そしてバランスが崩れた相手を一太刀で斬り伏せる。
「きゃあああ!」という悲鳴が道の両脇の女たちからあがり、生々しい血の匂いが立ち込める。
総司は倒れた敵をまたいで、その向こうで剣を構えている敵二人に向かった。
「なっ何者だ!!」
敵の一人が総司に向かってそう叫ぶ。遅れて千鶴のまわりに集まってきた三番組の隊士が逆に聞き返した。
「お前たちこそ何者だ!先程の銃声の奴らとグルなのか!目的は……」
言葉の途中で、総司の鋭い突きが敵の胸をつらぬく。唖然とした三番組の隊士の言葉は宙に浮いたままになった。敵と三番組隊士が驚きのあまり一瞬動きを止めている間に、総司は滑らかな動きでもう一人の敵に斬りかかった。
「待て総司!捕縛して理由を……!」
長屋の裏からかけよった斎藤が総司に気づき止める間もなく、総司はばっさりと斬りつけた。
断末魔の叫び声とともに敵の男の胸の辺りから血が派手に飛び散る。
驚きのあまり目を見開いていた千鶴には、血を浴びながらも平然と立っている総司一人が妙に景色から浮き立って見えた。透明かと見まごうほどの薄い緑の瞳。造りもののように感情のない表情。
昼日中に起こった血なまぐさい異様な光景に、辺りは一瞬飲まれたように静まり返る。

 その光景を反対側の茶屋の桟敷で見ていた青年がいた。
このあたりでは珍しい洋装姿で、茶屋の皆が安全なところから表の騒ぎを見ている中でその青年一人が落ち着いて席に座ったままお茶を飲んでいる。
敵を斬り伏せ仁王立ちしている総司をチラリと見て、その青年は舌打ちをした。そして千鶴達が立っている呉服屋の横にむけて手を軽く上げて何事か合図をした。
直後に往来に響く銃声。               
三番組の隊士二人が叫び声をあげて倒れる。
一番組の隊士たちが合流し、組長の指示のもとてきぱきと動き出した。
怪我した隊士たちは屯所へと運ばれ、残りの隊士たちは斎藤の指示のもと銃声がした方へと向かう。
総司は刀を振って血を落とし斎藤の後を追おうとした。しかしその時、呉服屋の横で何かがキラリと太陽の光を反射して光ったのに気が付いた。壁に隠れる様にひざまずいて銃を構えている一人の男。銃口の狙いの先は……
「千鶴ちゃん!」
総司の後をついて行こうとしていた千鶴は、いきなり総司に抱え込む様に押し倒された。
「きゃあ!」
思わずあげた千鶴の叫び声をかき消すように、再び乾いた銃声が響き渡る。
「沖田さん!」
地面にしりもちをついた状態で、千鶴は覆いかぶさっている総司を見た。総司は痛そうに顔を歪めている。総司の左腕からはじわじわとどす黒い血が滲み始めていた。
「大丈夫、かすっただけ……」
そう言いかけた総司に、黒い影が襲いかかった。
「ぐっ!」
地面に倒れている千鶴を庇った体勢で、総司は体をひねるとかろうじて刀を抜いてそれを受けた。傷が痛むのか苦しそうな表情だ。総司の下から襲ってきた影を見上げた千鶴は、その影の顔を見て目を見開く。
 黒いマントの洋装、背はそれほど高くなく少年のようで女性のような繊細な顔立ち……

「か、薫…!?」

 千鶴の驚きの声に、薫の気が一瞬そがれた。その隙を見逃さず総司が刀を返し体をずらして薫をはねのける。そして素早く千鶴の前に庇うように立ち上がると油断なく相手を見つめた。
薫は大きく総司達から距離をとると、視線は総司から外さず千鶴に言った。
「久しぶりだね、千鶴。元気そうでよかった」
「薫……」
間違えなく薫の声だった。皮肉っぽい話し方も以前とかわらない。
千鶴が茫然と立ち上がるると、下段に構えた総司が口を開いた。
「こいつが薫?君の夢にまでみた優しい兄さんにはとても見えないけど?」
いったいなにがどうなっているのかわからず、千鶴は混乱して薫を見た。なぜ今薫が急にあらわれたのか。しかも新選組に斬りかかる敵として。タイミング的に鉄砲で襲ってきたり千鶴をさらおうとした武士たちとグルとしか見えないが、幕府に請われて京に行った綱道の後を追ったはずの薫が、何故幕府側の新選組に斬りかかってくるのだろう?しかも千鶴が現れても薫は特に驚いていないようだった。ということは千鶴をさらおうとしたのも薫なのだろうか?
呉服屋の横にいた銃兵は、既に立ち去ったようでそれ以降の銃声はきこえない。
しかし裏では、再び銃声が何発かと、剣戟の音が聞こえてきた。それとともに「ぐああっ」「やられた!」というような声も。
新選組が押されているのか、それとも敵の声なのか。新選組のほとんどは裏へ行ってしまい、ここには怪我をしてうごけない隊士と総司に切り捨てられた敵の死体しかない。
どこから現れたのか、再び覆面をした新たな敵が四人いつの間にか薫と総司、そして千鶴を取り囲んでいた。
総司はちらりとその覆面の男たちを見て、次に薫を見る。
「薫…!どういうこと?どうして……」
混乱した千鶴の言葉に薫はうっすらと笑った。
「かわいい妹を迎えに来たんだよ。新選組一番組組長沖田総司。いつもいつも千鶴の傍でお守ごくろうさま。もう兄である俺が千鶴を引き取るからお前はお役御免だ。これまでありがとう」
「何を言っているかわからないな」
総司の唇はうっすらと楽しそうに孤を描いたが、緑の瞳は透明に近いほど色が薄くなり鋭く光る。
「親族が現れたんだ、大人しく妹は返してほしいね」
「刀を抜いたりしないで屯所に来てそう申しでるならともかく、こんな頼みかたじゃ断られて当然なんじゃないの。っていうか君は綱道さんの居場所はわかってるのかな?この子を返してほしいのなら綱道さんが来るのが筋じゃないの」
薫はまるで総司の隙を探すかのように、じりじりと横に動く。総司はそれを冷徹な瞳で油断なく見ている。
「俺は今綱道と行動をともにしているよ。あとは千鶴さえ戻れば元通り一家仲良く暮らせるってわけなんだけどね」
薫はそう言うと、相変わらず立ち尽くしている千鶴をチラリと見た。
「千鶴?そういうわけだからこっちにおいで」
「薫……」
千鶴は目を見開いたまま、睨み合っている総司と薫を見た。じっとりと汗が額に浮かぶのを感じる。
薫は父、綱道と一緒にいるのか。探していた二人がようやく見つかったのだから、千鶴としてはこれでいい筈なのだが……だが、何故こんな風に新選組を襲ったのか。総司の言うとおり普通に名乗り出れば……
「普通に名乗り出られなかったってことは、今君たちは幕府の敵方にいると思っていいのかな?」
総司がそう聞くと、薫の瞳は嘲るような色を帯びた。
「どうとでも。お前には関係ない。千鶴、こっちにおいで」
薫の言葉に、覆面をしている武士たちがじりっと千鶴に近寄ろうとした。その瞬間、総司がくるりと体を反転させ、千鶴に手を伸ばそうとしていた一番近くにいた覆面の武士を切り捨てる。あまりの素早さに皆動くことが出来ず、斬り捨てられた武士も一言も発せずに吹き出した血とともに地面に倒れた。
総司は千鶴の前に立つと、刀を構えて薫たちを順番に見る。
「この子は僕のだよ」             
総司の言葉に驚いて千鶴が目の前の総司の横顔を見るのと、薫が冷笑するのとが同時だった。
「はっ!バカな事を。千鶴は俺の妹だ。新選組なんてどこの馬の骨だかわからないような男の物なんかじゃないね」
「この子の命は僕が助けた。あの夜、僕が助けなかったらこの子はあの場で死んでたよ。その時どこかしらないけど幕府の敵方とのんびりしていたお兄さんには口を出す資格なんてないと思うけど?」
「お、沖田さん……」
 千鶴には総司がなぜこんな事を言うのかわからなかった。
薫に渡さずに守ってくれているのを嬉しいと思う反面、総司に迷惑をかけているともきにかかる。
自分は薫の方に行った方がいいのか、このまま新選組に居た方が良いのか、千鶴は本当にわからなくなった。
綱道が幕府の敵方にいるということが分かった今、新選組にとって千鶴がいることのメリットはもう特に何もない。千鶴を人質にして綱道をおびき寄せるぐらいだろうか。しかし簡単におびき寄せて綱道だけを掴まえるわけにはいかないだろうし、幕府の敵方の組織と全面戦争になってしまう。それは京の治安を守ることを第一の使命としている新選組にとっては本意ではないだろう。しかしここで、この状況で薫についていくのは……
「野良犬のくせに妹に惚れたとでもいいたいのかな」
薫が嘲るように言う。
「どうとでも」
総司は先程薫から言われた言葉をそのまま返し、平然とそれを受け流した。薫が不敵に笑う。
「返さないつもり?それならこっちもこっちで考えがあるよ。そろそろあっちの陽動作戦も終わりみたいだし……」
薫はそう言うと、静かになりつつある呉服屋の裏を見て、再び総司を見た。
「おまえに勝てるかな?」
薫はそう言うと、何かに意識を集中させるように全身をこわばらせた。                    
薫の周りの空気が振動するように動き、ピリピリとした波動が総司達にも伝わってくる。
何事かと見ている二人の前で、薫の髪はみるみるうちに白銀色に変化した。
「……!!」
千鶴が息をのむ。薫の瞳は爛々と赤くかがやき、空気を震わせるような力みなぎるオーラが薫をつつむ。
「……悪魔に魂を売り渡したってことか」
総司が呆れたように呟いた途端、人間離れした跳躍で薫が再び飛びかかってきた。耳をふさぎたくなるような激しい剣と剣がぶつかり合う音。
総司は薫の剣を正面から受け、薫の力を利用して体をひねると千鶴を抱いて横に飛びのいた。背中を呉服屋の壁にして千鶴を庇うように前に立つ。
覆面の敵が三人。そして羅刹の薫が一人。
総司は左にいる覆面の男に斬りかかると、その男を残り二人の方に押した。驚き体勢を崩した覆面の男たちのうち左側にいた二人をあっという間に斬り伏せる。あまりの速さに薫も動く間もなかったようだった。
「ふぅん……馬鹿みたいに強いって本当だね、沖田」
薫は他人事のようにそう言うと、残り一人になってしまった覆面に向かって「君は千鶴をさらうことだけ考えてくれればいいから」というと、再び総司に斬りかかった。
キン!キィン!という激しい音が何度も交わされる。覆面の男は千鶴をさらおうと隙をうかがうものの、総司が千鶴の前から動かないため近寄ることができない。
ガッ!という音と共に二人の動きが止まり、力と力のつばぜり合いになる。
「……薬の力を使ってさえ僕と対等とか、弱いって哀れだね」
総司が挑発する。
「負けたときにみじめだからあんまり大口をたたかない方がいいんじゃないのか」
薫が言い返す。総司はニヤリと笑うと、薫の脚を払った。「くっ…!」と薫が呻いた瞬間に、総司は突きを繰り出した。一段目、二段目は薫は避けたものの、三段目の最後の突きが薫の肩をとらえる。
「!!」
血が噴き出て、薫は一瞬痛そうな顔をしたもののすぐに体勢を立て直した。
「薫……!」
千鶴が口を手で覆い青ざめる。
薫はそんな千鶴の顔を一瞥して、覆面に合図をした。   
「残念だけど時間だ」                
薫の言葉を聞いた覆面はじりじりと後ずさりをし、総司とかなり距離をとった後にくるりと踵を返して走り去る。薫はそれを見届けた後、千鶴を見て「またね」と言うと、二、三度弾みをつけて後ろに大きく跳躍をして消えた。
 そうして薫の姿が見えなくなってから、総司はようやく刀をおろした。
 ほぼ同時に呉服屋の裏から一番組と三番組が捕縛した者たちを引きずるようにして出てくる。
皆は表に出てくると、総司の周りを呆れたように見渡した。
総司の周りは死体と血が溢れていた。
 死体は全部で六体。全て総司が斬ったものだ。飛び散った血は、道の反対側まで達している。店や家の中に避難していた人たちは、皆一様に青ざめた恐怖に満ちた顔で総司を見ていた。
 三番組の隊士達が、「これを一人で……」「すげえな…」「人間業じゃねえ」とざわざわとささやいている。
千鶴が茫然としたままそんな光景を見ていると、総司が振り向いた。
「大丈夫?君、斬られてたでしょ」
そう聞いた顔はまったくの平静で、まるで屯所のいつもの部屋で千鶴がつまずいたのを助けてくれたような気軽さだった。
しかし総司の頬には血が飛び散り、隊服も血染めと言っていい位汚れている。
「……私は…だ、大丈夫です。あの、沖田さんこそ鉄砲が……」
千鶴が総司の左腕に手を伸ばす。そこは薫が現れる直前に総司が撃たれたところだ。総司は「ああ」と初めて気が付いたように左腕をあげた。そして傷を見せる。
「かすっただけ。大丈夫だよ」
そう言ってにっこり微笑んだ総司の顔はとても優しげで、千鶴は先ほどの彼の鬼神のような殺戮との対比に何故か震えた。
「どうして私をかばったりなんか……」
新選組の剣なのに。そうつぶやいた千鶴に、総司はしばらく考えた後肩をすくめて軽く言った。
「さあね。僕にもよくわからないけど、でも次はちゃんと殺さないと」
 長州側で、羅刹で、襲ってきて……
そんな薫を総司が『殺す』というのは当然のことだ。薫だって迷いなく総司を殺しにかかっていたからあたりまえだ。
それはわかっているのに、千鶴は総司の言葉にびくりと体を震わせた。
 薫が殺されるなんて考えたくもない。
でも総司が殺されるなんて考えただけで胸が痛くなる。
薫が無事で千鶴に会いに来てくれたのは嬉しかった。
でも、総司が千鶴を手放さないでいてくれて、それがとても嬉しかった。
 どちらもつらく、どちらも嬉しい。

「っいた…!」
後始末を手伝おうをした総司が、左腕の傷に顔をしかめた。
「沖田さん!」
千鶴は総司に駆け寄ると、懐から手ぬぐいをだして総司の腕をギュッと縛った。血の量はたいしたことはない。かすったというのは本当だったのだと、千鶴はほっとする。
屯所に帰ったらまず傷口をきれいにして消毒して、清潔な布でしばって包帯を巻いて……

全てはそれから考えようと千鶴は思った。
今は混乱していたよくわからない。
自分がどうしたいのかも。
どうするべきなのかも。

    
 

第十話 へつづく 




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