LOVE STORY  




第十話 




幹部部屋に集まり、今日の一番組と三番組の巡察の報告を聞いた近藤以下幹部たちは、みな一様に押し黙った。
 腕を組み言葉を発するものは一人もいない。
死者は敵方九名だけ。そのうちの六名は総司が斬り殺したものだ。捕縛者は三名。一人は屯所に連れてくる前に失血死をし、もう一人は意識不明だ。残る一人から得た情報は、彼らが長州の息がかかった流浪人や浪士達だということだった。
鉄砲を扱っていた敵方は全て逃してしまったが、彼らが長州藩士だったのだろう。そして捕まえられたり殺されたりしたのは長州から金をもらいいざと言う時のために買われていた傭兵のような扱いの男たちだった。
傭兵であるからして長州や今回の目的については金のつながりしかなく、完全なところはわからない。
新選組側の死者はおらず、けが人が数名。
 白昼堂々往来での乱戦。
これで京での新選組の評判は、血も涙もなく殺す人斬り集団として定着するだろう。それは、しかし別の面から見ると治安を乱す不逞浪士や反幕府的な行動を繰り返す他藩の不満分子に対してはこれ以上ない位の威嚇にはなったということでもある。
しかし時間にして半刻あまりの出来事で、一人であれだけの人数をさばき斬り伏せた総司の剣の腕前に対して、仲間とは言え皆複雑な思いだった。
 総司は怪我の手当てを済ませて、幹部部屋の壁に寄りかかっている。千鶴は土方と近藤の前に座っていた。
 近藤が腕を組み、唸るように言った。
「そうか…綱道さんは長州側にいるのか。雪村君の兄上も……」
千鶴は精神的なショックと肉体的な疲労から青ざめて今にも倒れそうな様子だった。しかし気丈にも背筋を伸ばしてじっと座っている。山南が誰にという訳でもなく説明した。
「羅刹を産みだす変若水の研究は、幕府からの依頼で新選組も行っていたんです。その縁で新選組も綱道さんとは面識があり、特に私はともに実験を繰り返しました。切腹しなくてはならない隊士に変若水を飲むか切腹するかを選ばせて、羅刹にしたこともあります。が、新選組の結論としては、羅刹としての戦力は使い物にならないと言うものでして、それも幕府に報告済みです」
千鶴は眼だけが異様に大きく見える青ざめた顔で、山南を見た。
「使い物にならない……ですか」
「ええ。昼間の動きがかなり鈍くなるうえに終日判断力や理性が弱まります。また末期には吸血衝動もあり、寿命も短い。戦に必要なのは上官の指令に確実に従うことで好きなように殺戮すればいいわけではありません。そう言う意味では新選組では羅刹は使いこなせないと」
土方が続きを言う。
「幕府の方も独自で研究を続けていたようだが同じ結論に達してな。変若水の研究は凍結されたんだ。だが、綱道さんは研究をつづけるべきだと主張していた。昼間の動きが鈍くなるという欠点や強力すぎて理性を吹き飛ばしてしまう副作用を弱める方法があるはずだってな」
最後は近藤が溜息と共に唸るように言った。
「……長州が金を出すと言ったのだろう。あそこは今、武士ではない民間人を戦力として戦に使おうという動きがあるらしい。訓練されていない人間を最強の戦士にするには、変若水はいい薬だ」
「そんな……!それじゃあ父は一般の人を羅刹にするために変若水を長州で研究しているのでしょうか?」
千鶴の訴えに山南は首をかしげる。
「さあ……どうでしょうか。報告によるとあなたのお兄さん―薫さんといいましたか―は、昼日中でもかなりの強さと回復力でなおかつ知性も理性も人間の時のままで羅刹化したということでした。綱道さんが行方不明になってから半年以上たちますし、長州で変若水の改良が上手くいき欠点を克服したものができたのかもしれません」
「でも…でも、吸血衝動とか寿命とかは……?」
千鶴の問いに山南は頷いた。
「羅刹の力は人間が本来持っている力を使っているだけです。『火事場の馬鹿力』というものがあるでしょう?実際はあんな単純な物ではないのですが、普段は体に負荷がかかりすぎ生命維持ができなくなると判断して脳が抑えている力を、変若水は解放するものなのです。そしてその力の源は人の血です。燃焼力の強い物質は明るく辺りをともしますがすぐに燃料を使い切って消えてしまいます。寿命の問題も吸血衝動の問題も、弱めることはできるかもしれませんが完全になくすことは難しいと思いますけどね」
土方が眉間に深く皺を寄せて言った。
「あんな化け物を量産して戦に勝ったとしても、日本はおかしくなっちまう。長州の奴らは何を考えてんだ」

「そんなことより僕は千鶴ちゃんの腕の刀傷がきれいさっぱり治ってる方が気になるんですけどね」
ふいに口をはさんだ総司に、皆の視線が集まる。
総司は壁によりかかりながら天井を見上げて言う。
「確かに斬られた跡はあるんです。着物の袖も破れて血がついていました。それなのにその下の肌はなんの怪我もない。そして後ろめたそうな顔をして決して口を開こうとしない千鶴ちゃん。……これはなんでなのか知りたくないですか?」
総司の話した内容に、土方は目の前の千鶴に視線を移した。
「ほんとうか?」
「……」
答えない千鶴に総司が再び聞く。
「襲ってきた奴らの中には君の兄さんもいたし、きみはもしかしてあいつらとグルだったりして?新選組の内情を調べるために最初の夜にわざと捕まったとか?」
「ちっ違います!」
思わぬ間者容疑をかけられて、千鶴は慌てた。しかし総司は追及をやめない。
「違うの?でも君のその傷の治り方はあの羅刹を思い出させるんだけど。そうなると君が京に来てすぐに僕たちに捕まったとか、綱道さんを探しているとかも怪しくなるよね」
「そんな……!そんなことないです!嘘なんて言っていません!」
「でも僕たちに言ってないこともあるんじゃないの?その腕の傷の治り方とか。どうして言えないの。僕達をそんなに信用してないわけ?」
明らかにムッとしている総司に、隣にいた左之や新八がまあまあとなだめる。
 あの総司の口ぶりは、『僕達をそんなに信用してないのか』というよりは『僕を』だな、と思いながら土方は千鶴を見た。
「……どうなんだ?俺たちに話してないことがあるなら話してみろ」
皆の視線が自分に集まり、千鶴はとまどった。その中でも特に、総司の冷たい緑の視線がつらい。
特に新選組に隠していたわけではなく、この体質を隠すのは小さいころからの習慣だったからなのだが。そしてこの体質の説明をするのなら、自分のこと……鬼であることも説明しなくてはならない。
千鶴はゴクンとつばを飲み込むと、考えを組み立てながらゆっくりと話し始めた。

「……というのが、私が父…というか養父の綱道さんから聞いた話です」
山南が千鶴の瞳を見つめながら静かに尋ねる。
「その『鬼』というのは……いったいなんなのですか?特徴が羅刹に似ていますが、変若水は『鬼』から派生した薬か何かなのでしょうか?幕府から私が聞いた話では外国から入ってきたクスリだと言う事でしたが…」
「変若水については私は何も知らないんです。鬼についても……昔からそういう種族がいたということぐらいしかわからないです。鬼にはいろんな人間とは違う能力があるそうなんですが、その一つが傷がすぐに治るという特徴で、私は小さいころからそれを隠していたのでそれで沖田さんにもつい……」
千鶴は、まだ怒っているだろうかと恐る恐る、壁に寄りかかっている総司を見る。総司は憮然とした表情をしていた。
「なんだ、じゃあ別に最初の夜わざわざ君を助けなくてもよかったんだ。その後も、今日の斬り合いの時も、君を守ろうとしていた僕が馬鹿ってことか」
「そんな!そんなことないです。鬼とはいっても息が出来なければ死にますし、血が流れ過ぎたり心臓を突かれたりすればもちろん死にます。ただ人よりちょっとしぶといだけで……。助けていただいたことには本当に感謝しています」
「……ほんと?『別に助けてもらわなくてもよかったのに』とか思ってたんじゃないの?」
「そんなことあるわけないです!いつもいつも沖田さんには守っていただいてばっかりで。本当になんてお礼を言ったらいいかわからないくらいです」
「ふうん……それならいいけど。じゃあこれからはどうすればいいのかな」
「え?これから、ですか?」
「そう。自分でなんとかする?僕に守って欲しい?」
「え…えっと……」
千鶴が赤くなって口ごもったため、幹部部屋は沈黙した。絶句している千鶴の顔と斜に構えて千鶴を楽しそうに見ている総司の顔とを、その場に言わせた皆は生暖かい表情で見る。
 なんなのだこれは。
真剣な報告会が、そこはかとなく桃色に染まりつつあるではないか。
空気を変えるために、土方は一度大きくゴホン!と咳払いをし、皆の視線が自分に集まったのを確認してから口を開いた。
「まあ、千鶴の怪我の件と鬼の件は新選組にはあまり関係がなさそうな話だし、しばらくは様子見ってことでいいかと思うが、どうだ?」
バラバラと「ああ」「いいんじゃねえか」と言う声があがり、千鶴はほっとした。そしてその瞬間、ふら…と千鶴の上体がかしぐ。
倒れはしなかったが千鶴がもう限界なのは見て取れたため、土方は額を手のひらで押さえている千鶴に言った。
「千鶴、お前はもういい。今日は部屋に行って早く寝ろ」
「でも、私の父と兄の……」
「もう報告はうけたし後は新選組としてどうするかを決めるだけだ。結果報告だけなら明日でもかまわねえだろ」
「……すいません」
自分の家族が新選組の問題になっているのだからこの場にいなくては、と思うものの確かに千鶴は限界だった。幹部部屋に居る皆に会釈をして挨拶をすると、部屋をそっと出る。
千鶴の足音が聞こえなくなった時、土方が言った。
「総司、お前ももういい。千鶴についていろ」
総司は顔をあげて土方を見る。
「……どうしてですか?」
「……いいから行け」
不満気味に総司は立ち上がり部屋を出る。その後を左之と斎藤が追いかけた。
「おい、総司」
「左之さん。斎藤君も。何?」
廊下で総司を呼び止めた左之は、声を潜めて真剣な顔で言った。
「千鶴に気を付けてろ。家族が新選組の敵方だってわかったんだ。微妙な立場になるぞ」
総司は顔をしかめる。
「どういう意味ですか?あの子が屯所を逃げ出すとでも?そんなに疑ってるんなら部屋に戻したりしないで牢に閉じ込めればよかったじゃないですか。いや、変に期待をもたせたりしないでいっそ殺しちゃうとか」
口ではそうは言いながらも、綱道が長州側についたと分かった途端これまで親しく付き合ってきた千鶴を罪人扱いするのかと、総司は不満を隠さなかった。左之が舌打ちをする。
「馬鹿か!そうしたくないから土方さんはお前に千鶴についてろって命じたんだろう」
左之の言った意味がよくわからず、総司は「え?」と聞き返す。斎藤が説明をした。
「千鶴が逃げ出すそぶりを見せたり疑われるような行動をしたら、殺さざるを得なくなる。だがお前が見張っていればそんなことにはならんだろう」
「……なるほどね。わかりましたよ」
はいはい、と返事をして総司は踵を返し自分の部屋へと向かった。
 総司の背中を見送りながら左之が呟く。
「あいつも難しい立場になっちまったな……」
斎藤は頷いた。
「前から戦いの場では強かったが、今日の総司の斬り合いでの様子を見ていろいろわかったことがある」
左之は、斎藤を見た。しかしいつもの無表情でよくわからない。
「わかったって?総司のことか?それとも千鶴のことか?」
「両方だろう?二人は想い合っているのだろう。本人たちは気づいているかどうかはわからないが」
ひゅう、と左之は口笛を吹いた。見るからに朴念仁の斎藤にもわかるのかと。左之の口笛と表情で言いたいことがわかったのか、斎藤は続けた。
「どんな修羅場でもどんなにいい加減に見えても、総司はいつも綿密に計算をして戦いを進めている。しかし今日はその冷静さが全くなく、『キレている』という言葉がぴったりだった。千鶴に危害を加えるものは全て殺すという単純明快な意志が総司からは読み取れた。というか、その意思しか読み取れなかった。千鶴も兄と総司の戦いだったにもかかわらず、総司の心配ばかりしていたしな」
左之は、意外にも正確に二人の関係を読み取っていた斎藤に小さく微笑んだ。
「千鶴も難しい立場になっちまったな」
同情するような左之の言葉に、斎藤は淡々と答えた。
「なるようにしかならんだろう」

 


 千鶴がぼんやりとしたまま押し入れから布団を下そうとしていたら、後ろから手が伸びで布団を持ち上げてくれた。
千鶴が振り向くと総司が立っていた。
総司はそのまま布団を下すと、畳の上に敷く。
「枕は?」
言われるがままに千鶴が枕と掛布団を渡すと、総司はそれをきちんと敷いてくれた。そして総司の布団もいつものように敷く。
「ありがとうございます」
千鶴は我ながら疲れすぎて心をどこかに置いてきてしまったようだった。目の前で起こっていることは理解できるし総司の言葉も聞こえるのだが、感情が動かない。
「灯りを消すよ」
総司がそう言うと、千鶴はあいかわらずぼんやりとうなずいた。
ふっと部屋が暗闇に包まれると、千鶴の肩の力も抜ける。「おやすみなさい」と言って千鶴は布団に入った。総司も布団に横になった気配がしたが、眠るのかどうかはわからない。
 疲れ切っていたにもかかわらず、頭のどこかが妙に冴えていて千鶴は眠れなかった。様々なことが頭を渦巻くが、順序だてて考えることができない。にもかかわらず『これからどうするのか』『薫は羅刹になってしまったのだから寿命が短くなってしまっているのか』『父も薫も変若水についてどう思っているのか』などと答えを出さなくてはいけない重要な問題が次々と頭に浮かぶ。それがまるで千鶴を責めているように目の前に現れて、押しつぶされてしまわないように千鶴はぎゅっと目をつぶった。
「眠れないの?」
唐突に聞こえた声に、千鶴の頭の中の葛藤はパチンと弾けた。ふう…と溜息をつきながら、千鶴は寝返りを打ち、起き上る。
「沖田さん……ごめんなさい」
衣擦れの音がして、総司も起き上ったのが分かった。
「別に謝らなくてもいいよ。今日はいろんなことがあったから……いろいろ考えて眠れないのもわかるし」
「……」
今夜は新月なのか、蝋燭を消した後の部屋には、か細い星明りしかなかった。だがそれが表情を隠してくれるため却って心安く、千鶴は安心する。
総司は寝てはいなかったようで、柱にもたれて座っていた。体は千鶴の方を向いているが、視線は外して庭の方を見つめている。
「……薫のところに行きたい?」
ふいの問いかけだったが、千鶴は驚かなかった。総司も、新選組も、薫も、……そして千鶴も知りたい答えなのだ。
ずっとこの問いの答えをだすためだけにいろいろ考えていた気がする。だが千鶴は静かに首を横に振った。
「わからないです……」
 本当にわからない。綱道は幕府の仕事で京に行くと言っていたから、行方不明になったと聞いた時は敵方にさらわれて拉致されているのかもとは思った。しかしまさか自らの意志で敵方へ行っているとは想像もしなかった。
 そして薫も、綱道の傍にいるなどと、さらに想像していなかったことだ。綱道は研究一筋のところがあるから、変若水の研究資金をだしてくれるのならと長州に行くのは考えられなくもない。だが、薫が長州に身を寄せるとは思ってもみなかった。綱道が行ったから薫も、などそこまで綱道に対する親愛の情はないはずなのに。
 でも、じゃあ薫が長州に身を寄せた理由がわかり、それが千鶴も納得するものであったとしたら。
そしたら自分はどうするのだろう、と千鶴は考えた。もしも新選組が千鶴を解放して、自由だと言ってくれたとしたら……
そもそも千鶴は綱道を見つけるためだけに新選組においてもらっていたのだから、綱道が見つかった後もここにいるのはおかしいのだ。戦えるわけでもないし特殊技能があるわけでもない。新選組と志をともにしているわけでもない。
 千鶴がそれでもここに居たいと思うただ一つの理由――

 それは沖田さんだ……

自分の心の奥の奥を覗くと、そこには沖田の傍に居たいとわがままを言っている千鶴がいた。
「私は、新選組の隊士ではないですしご迷惑ばかりをかけています。父の居所を探すためという理由で新選組においていただいていたんですが、その理由がなくなったので、ここからは出るべきなのかなって……」
 羅刹を作り出している父と兄。幕府に反抗している長州。
どちらも千鶴からしてみれば敵地で、新選組から出るということがそちらに行くと言う意味にはならない。薫のところに行くかどうかはわからないが、とりあえず新選組にいつまでも居続けることはできないだろうと千鶴は思った。
「『べき』とかそういうのは後で考えればいいからさ、君は薫の傍に居たいの?それともこのままここに居たいの?」
総司の問いかけに、千鶴はゆっくりと総司を見た。
星明りは暗くて、総司の表情は影になって見えない。

「……ここに居たいです」

 ポツンとつぶやいた千鶴の声は、思ったより大きく部屋の中に響いた。
 幕府と長州、異国と日本、羅刹と人間。
何が悪くてどういう志を持っていきるべきかなんて千鶴にはわからない。
わかっているのは、ここに居たいということだけ。
総司の傍に。
「でも、無理ですよね」
自らを茶化すように笑った千鶴は、総司が不意に立ち上がったのに気が付いて言葉を止めた。
総司はそのまま一歩で千鶴に近づくと、彼女の傍に座る。
「沖田さん……?」
そして総司は、不安そうに見上げている千鶴をそっと抱きしめた。
「お、沖田さ……!」
慌てて総司の腕の中から出ようとした千鶴に、総司は「しーっ」とささやいた。
「大丈夫。……今日は疲れたよね。こうやって抱いていてあげるから。眠らなくてもいいから目を閉じて僕によりかかってなよ。体と心が楽になると思うよ」
「……」
総司の心地いい声が千鶴の顔を押し当てている彼の胸から響くように聞こえてきて、千鶴は顔を赤らめた。総司の暖かい体温で、冷たくしびれるようになっていた指先や足先が温まっていくように感じる。
「……あったかいです……」
「そう?」
「重くないですか?」
「全然」
会話ともいえない呟きを交わしているうちに、千鶴の瞼はゆっくりと閉じていく。
 重たげに、頬に影をつくる千鶴の睫を見つめながら、総司は千鶴を抱きしめていた。

    
 

第十一話 へつづく 




戻る