LOVE
STORY
やっぱりあの夜抱きしめて寝たんじゃないか
腕の中の千鶴の寝顔を見ながら、総司は微笑んだ。
伝わってくる体温と甘い香り、そして華奢な体はあの熱の夜の総司の夢の中のぬくもりと全く同じだった。
千鶴に真顔で「自分は一緒に寝ていない」と否定され、総司はしばらくの間あの夢の女性はなんだったのかと思い悩んでいたのだ。
夢にしてはあまりにリアルで、自分の過去の記憶なのだろうかと。
母の記憶はもうないし、姉の記憶もかなり薄れている。
だが近藤のところに預けられる前総司は母や姉と暮らしていて、貧乏武士の家だったからきっと添い寝もしてもらっていただろうと思う。あの熱を出した夜に抱きしめていた暖かいもの、優しい記憶は、過去の自分の忘れ去っていた記憶がよみがえったのかとも考えた。そうして思い出すたびに、総司の心の奥底に暖かい灯がほんのりとともるのを感じていた。
いつも空っぽで暗くて寒かった総司の真ん中の部分が、暖かい灯で照らされたように。
それをずっと灯していたいと思うのだが、それは総司の意志でなんとかできる類のものではないようで、ふとあの熱の夜を思い出したときに灯る。掴みたくてもつかめないそれを、総司はもてあそぶようにしながらも大事にしていた。
同じ部屋で暮らしている赤の他人が、同じ布団で抱き合って眠ったりすればそれはさすがに気まずいだろう。さらに熱のせいで暑かったからか総司の夜着はかなりはだけてしまっていたし、脚を絡めていた記憶もある。それが千鶴が一緒に寝たことを必死に隠そうとしていた理由だろうと、総司はプッと吹き出した。
あの大人しい千鶴が、朝起きていったいどれだけ青ざめたかを想像すると笑いが込み上げる。あのあと何度か平然とウソを言っていた千鶴の顔を思い出して、総司はクスクスと笑った。
総司の胸が動いたせいで、眠っていた千鶴が「ん…」と身動きをして、総司は笑いをとめた。
今日は彼女にとってひどい日だった。
ゆっくり寝かせてあげたい。
全ては明日、ゆっくりと考えればいい。綱道と薫、長州のことはもう総司の手を離れ新選組の問題になっている。土方と近藤がどんな決断をするのか総司にはわからない。
総司はただ、この腕の中の温もりを守り抜けばいいだけだ。
『海?薫は海を見たことがあるの?』
『……』
思わず千鶴はそう聞いてしまったが、薫がなかなか答えないのでもう返事をする気がないのかと気まずい思いで俯いた。
最初はたいした重さではないと感じた綱道からの頼まれた本数冊は十二歳の子供には重すぎたらしく、歩いて行くにつれだんだんと腕が痛くなってきて千鶴は持ち直す。その時、隣を歩いていた薫が無言で千鶴の持っていた本を取り上げ自分の荷物と一緒に持った。
『か、薫…いいよ、薫だって重いでしょ』
薫だってまだ子供の部類の年齢で、男の子だけど体格もそんなにいいわけではない。千鶴が焦ってそういうと、薫はようやく口を開いた。
『南雲の周りは海ばっかりだからな』
『……』
千鶴は少し驚いて、久しぶりに一緒に暮らすようになった双子の兄の横顔を見た。
七年ぶりに再会した兄は、昔よく笑い一緒に転げまわりケンカした懐かしい兄とは全く変わってしまっていた。父によれば養子にだされていた南雲家でつらい目にあったとのことで、『しばらくはそっとしておいてやりなさい』と千鶴は言われていた。
ほとんど笑わず口も利かない兄を、千鶴はどう扱えばいいのかわからなかった。あまり話しかけ無いように気を付けて、暮らしやすいように心掛けて、少しでも薫が過ごしやすいと思ってくれるように……
そして今日、綱道にお使いを二人で頼まれ、今はその帰り道だった。
少し高台にあるその寺から書を受け取り、長い石段をおりようとした二人は、目の前にうっすらと夕日のオレンジがかった、でも鮮やかな青空が広がっていることに気が付いた。
高い位置から見渡すそれは圧倒的な広さで、視界のほとんどが空に覆い尽くされている。
思わず小さな声をあげた千鶴の横で、薫が『海みたいだ』とつぶやいたのだ。千鶴はこれまで薫に気を使っていたことを忘れて思わず普通に「海を見たことがあるのか」聞き返してしまった。
そして薫からのその答えの中に、千鶴も綱道も触れようとしなかった『南雲』の名前が出てきたので千鶴は驚いた。
どう返事すればいいのかと千鶴が黙っていると、さらに驚いたことに薫の方から千鶴に話しかけてきた。
『お前だって雪村の里から江戸に来るまでに海を見ただろう?』
『多分……。でももう覚えてないから』
『ふーん』
薫はそのまま、千鶴の分の本も持ったままスタスタと歩き出した。せっかく薫が話しかけてくれたのにもう話が終わってしまったのを、千鶴は残念に思った。もうすこし自分が気の利いた話題を出せればいいのにと思いながら薫の後ろをついて行く。
しばらく歩くと、薫が再び口を開いた。
『夏になったら海に行けばいいじゃないか。江戸にだって海はあるんだろう?』
『……そういえばそうだね』
江の島詣でとか話はいろいろ聞くのに全くそんなこと考えたことも無かった千鶴は、素直に驚いて、そしてそんな自分に笑った。それを見ていた薫も『そうだよ』と小さく笑う。
あ……笑った
薫の笑顔は、千鶴の記憶の五歳の時の兄のままだった。それを見て千鶴は今度は幸せな気分の微笑みが浮かぶ。
『……何にやにやしてんだよ、気持ち悪い』
薫のきつい言葉ももはや気にならない。千鶴は『ふふっ』と薫に笑いかけると、そのまま体も軽く踊るように歩いた。薫も、すこし照れくさそうな顔をして歩く。
『まあ、泣き顔よりはいいか』
独り言のようにつぶやいた薫の言葉は、千鶴には聞こえなかった。
その後は再び何の会話もなかったけれど、沈黙は二人にとって心地よいものだった。
次の日の午後、土方の部屋で千鶴を加えた幹部会が再び開かれた。
一番初めに土方が言ったのは、昨夜千鶴達が退室した後の決定についてだった。
「新選組として表だって動く理由はねえが、長州が羅刹の力を持って幕府に対抗してくるのは阻止しなくちゃならねえ。変若水の改良が進んだり大量に作り出せるようになってからじゃ遅い。今のうちに叩いておかねえとならない、わかるな」
千鶴が頷くと、土方は続けた。
「昨日斎藤達を襲った輩の隠れ家を吐かせた。京の西にあるでかい貸し家を長州が借切って金で雇った奴らを飼ってるらしい。変若水の実験もそこでやっているという情報もある。新選組の名をだすといろいろやっかいなことになるから、少数精鋭での闇討ちでその家を襲う。目的は綱道さんの奪還と変若水研究のこれまでの成果を消すことだ。千鶴には悪いが、そこにお前の兄貴が立ちはだかるとしたら倒さなくちゃならねえ」
「……」
「できれば無傷で捕縛できればとは思うが、羅刹相手に手加減できる余裕はこっちにもねえだろう。薫以外の羅刹もあの家にいるかもしれねえしな」
「……はい、わかります」
千鶴が俯いてそういうと、近藤が申し訳なさそうに千鶴に言った。
「それで君の処遇なのだがな……さんざんトシとも話しあったんだが、全てのカタがつくまではこれまでどおりここに居てもらえないだろうか」
「……」
「人質とか、何かあったときに君を利用するとか、そう言ったことは一切するつもりはないのだ。だが、今君を解放して君が長州の綱道さんのところに身を寄せたとしたら、新選組が討ち入る先に君がいることになる。屋内の乱戦になるだろうし長州のやつらや金で雇われた者たちが君をどうするかわからん。君が男で武士ならば、志や主君によって敵味方に分かれようとも正々堂々と戦うことができるのだが、こちらの事情に巻き込まれてしまった普通の女子だ。できれば戦いの場にいてほしくないと思っているんだ」
どこまでも優しい誠実な近藤の言葉に、千鶴は胸が暖かくなるのを感じた。
土方の言葉も近藤の説明もどちらも納得できる千鶴には、近藤の情のある言葉に反論する意味もない。これだけの期間新選組にお世話になって情が移ったということもあるかもしれないが、それを差し引いても千鶴には長州がやろうとしていることは気が狂っているとしか思えなかった。そしてそれに父と兄が加担しているなど、悪夢のようだ。
真っ直ぐな近藤の言葉に、千鶴も真っ直ぐに答えなければならない。
それが受け入れられるかどうかは別にして、今の千鶴の考えを言わなくては。
千鶴は考えをまとめるためにしばらく沈黙したあと、静かに口を開いた。
「私は、父があんな……人が化け物になってしまうような薬を作るのは止めて欲しいと思っています。その薬の目的が戦のためだけならなおさらです。だから……だから私は決して新選組から逃げたりはしませんし邪魔にならないようにします。…しますので、その討ち入りに私も連れて行っていただけないでしょうか?父や兄が、何を思って変若水の研究をしたり長州に協力しているのかを知りたいんです。皆さんが父や兄を殺すかもしれないことはわかってます。でも……でも家族なのでそう思ってしまうのかもしれないんですが、理由を聞けばきっと誤解だってわかるんじゃないかって。話してお願いすれば、変若水の研究や長州に味方するのも止めてくれるかもしれないって思うんです」
千鶴はそう言うと、両手を畳について頭を下げた。
「お願いです!そんな話ができるような状況にならないかもしれないっていうこともちゃんと覚悟しています。でも、もしも話すことが出来たら……!そしたら理由を聞いて、変若水の研究をやめてみんなで江戸か北へ行こうって説得するので……お願いします!」
必死な千鶴の声に、土方と近藤は顔を見合わせた。綱道たちが長州に身を寄せた理由は、正確な所は近藤達にもわからない。潤沢な資金を与えられて変若水の研究がしたくて自ら行ったのかもしれないし、何かをたてに脅されて仕方なく行ったのかもしれない。
山南も苦虫をかみつぶしたような顔をして千鶴を見ている。左之や平助、斎藤達はあきらかに千鶴に同情的だった。
討ち入りに連れて行くのは千鶴にとっては危険ではあるが、みすみす何もせずに父と兄を死ぬ状況に追い込み放置しておくことは心情的に心残りなのはよくわかる。本人に覚悟ができてるというのなら連れて行ってやればいいんじゃないのか。それに上手く説得できれば綱道も兄の薫も無傷で手に入れることができるし長州にダメージを与えることもできる。
頭を下げたままじっと近藤の言葉を待っている千鶴に、近藤は困惑したように声をかけた。
「とにかく……とにかく頭をあげてくれないか。私は、雪村君は巡察に同行しているし斬り合いの場にいたこともあって勝手もわかっているだろうから、君ががそこまで言うのなら討ち入りの時に連れて行ってもいいのではないかと思うが……トシ、どうだ?」
父と兄を思う千鶴の心に既に涙を浮かべている近藤の顔を見て、土方は溜息をついて腕を組んだ。
「どうだも何も……あんたはもう了解してんだろ?」
「いいのか!ありがとう!トシ!」
「あ、ありがとうござます!!」
ふたたび頭を下げてお礼を言った千鶴を土方はさえぎった。
「ただし!こちらの指示にはしたがってもらうぞ、いいな!?」
「はい!!」
その後は、皆がよかったなあと千鶴の肩を叩いたり頭を撫でたり。
すっかりほのぼのとした雰囲気になったのだった。