LOVE STORY  




第十二話 




決行は星も月もない曇りの夜だった。しかしもう春が近いため、暖かい。
 場所は京の西にある貸し家。
目的は綱道の確保と変若水研究の成果を破壊すること。
メンバーは、土方、総司、斎藤、平助。それに千鶴。
 監察方に探らせた情報によると、その貸家に常時いて綱道の研究活動を監視している人間は七人に満たないらしい。主に金で雇われた男たちで、鉄砲の扱いなども無論できないし統制もとれていない。外からの敵襲に備えて訓練をしているわけでも壁を高くしたりしているわけでもない。四人で充分だろうとの土方の判断だった。

「いいか、羅刹がそうそう野放しになってるとは思えねえ。いるとしたら千鶴の兄貴ぐらいだろう。だが千鶴の兄貴を倒すことが目的じゃねえ。要は綱道さんを奪い返すのと研究結果を消し去るだけだ。変にかかわりあって怪我をするのも馬鹿らしいってことを覚えて置け。二人で千鶴の兄貴を足止め、残りで綱道さん探しと研究結果の破壊だ。あとは臨機応変にやれ」
「わ、私も、研究結果の破壊ならお手伝いできます!」
小太刀に手をかけてそう言った千鶴に、土方は苦笑いをした。
「まあ、そうだな。手が空いてたらだな。それよりもお前は兄貴の脚を止める方を考えてくれ。妹が涙ながらに訴えたら兄貴の気持ちも揺れるだろう。その隙に、長州につく理由を聞いたり考え直す説得をすればいいんだ」
「は、はい!」
ピシッ!と背筋を伸ばして答えた千鶴に、後ろから総司がからかうように言った。
「責任重大だね。刀で力ずくで言うことを聞かせるよりも君の涙の方が効果があるかもしれないんだからせいぜいがんばって。でも無茶はしないようにね」
「わかりました。が、がんばります!」
 初めての討ち入り、初めての隊務に力の入りすぎている千鶴の頭を、総司はポンポンと叩く。そして道の脇の桜の木を指差した。
それは夜目でもはっきりとほころび、薄い花の色がぼんやりと夕闇の中に浮かんでいる。
「ほら、桜も咲きだしたしお花見でもしてるつもりで気楽にね。今から緊張してると疲れちゃうよ」
「はい!」
背筋を伸ばしてピシっと返事をする千鶴を見て、総司は楽しそうに笑うと、先に立って歩き出した。
 これから行くのは、父と兄に敵対するためだ。
血がつながっていないのに、小さいころから愛情深く育ててくれた父、綱道。
一時は離れ離れになったものの、いつもそばにいて泣いている千鶴をなぐさめてくれた薫。
彼らが信念があって長州についているのだとしたら、今からする千鶴の好意は裏切りだ。肉親の情よりも……
 そこまで考えて、千鶴は夜風に吹かれて前を歩く総司を見た。
これから討ち入りというようなピリピリした雰囲気などかけらもなく、まるで湯屋の帰りに夕涼みしているような気楽な様子で隣の斎藤をからかっている。
肉親よりも好きな男をとった、ということになるのだろうかと千鶴は考えた。

 傍から見たらそうかもしれないな…
でも、私は父様に羅刹なんか作り出してほしくない。薫にも羅刹になってほしくなかった。羅刹を治す薬を研究するとか、そういうのなら父様の研究にも協力したいけど。

 それは千鶴の嘘偽りのない気持ちで、今回の討ち入りの背景にある幕府側と長州側の権力争いには関係ない。
それがたまたま好きな男の目的と合致していただけだ。

例えば、私が長州側だったら沖田さんはどうするんだろう

 そう考えて、千鶴は自分で自分に苦笑いをした。
考えるまでもない。少しの間だけ面倒を見ていた軟禁者の命など、総司にとって近藤や新選組より重い筈があるわけないではないか。
きっとなんのためらいもなく一刀のもとに斬り伏せられて終りだろう。
総司が言うことを聞くのは近藤だけだ。
 そこまで考えて、千鶴は首を横に振った。
いや違う。近藤の言うことも総司は聞かない。その証拠に、近藤が望んでいた『人を殺さないように』という願いも総司は退けていた。人を殺すことが結果的に近藤のためになることを見抜いて、近藤の願いもきかなかった。
 誰にも飼いならせない野生の獣。
総司の緑の瞳は、そんな獣にぴったりだ。生きるために敵を殺し、迷うことなど一切ない。
 でも千鶴はそんな総司を冷たいとは思わなかった。
昨夜、千鶴が混乱していたのを抱きしめて寝かせてくれた、総司の暖かい腕を覚えている。
時々千鶴がぼんやりとうつつに身動きをすると、まるで子供にするようにポンポンと背中を叩き『大丈夫だよ』と言ってくれる総司の声が聞こえた。朝、起きたときはいつもの自分の布団に一人で寝ていたから、総司がいつまで抱いていてくれたのかはわからないけれど。
 真っ直ぐに自分の志に従って生きている総司は綺麗だと思う。
 総司と同じ未来を見て一緒に歩いて行ける可能性は低いけれど、傍に居られる今を大事にしようと千鶴は前を歩く総司を見ながら思った。
 男の人を好きになったのは初めてで、生き方も存在も全てあんなにきれいな人に会ったのも初めてだ。
ふわふわするような熱いような痛いような切ないこの気持ちは、苦しいけれど心地いい。
 哀しい結末になるとしても、この気持ちを味わえたことだけは後悔したくないと千鶴は思った。


 監察方の情報では、変若水の研究室と綱道の居住室があるのは南側奥の部屋だった。
勝手場などの水場はその手前にあり、渡り廊下をはさんで反対側の棟に、常時何人かの男たちが生活している。ずっとそこに住みついている者もいれば、たまに長州藩士らしき武士が数人夜遅くまでいることもあるらしい。
 分担して持ち場を決めるよりも皆で目的を一気に果たした方が勝機があると土方はよんでいた。
 皆は門は使わずに人目の付かない場所で壁を乗り越え、次々に屋敷に入っていく。警備はあっけないほど隙だらけだった。
 渡り廊下から南側の棟に角を曲がった出会いがしらに、敵方の男と鉢合わせをした。男は新選組の侵入には全く気付いておらず手水か何かの帰り様で刀も持っていなかった。
「お……」
男の驚きの声は空気をかすかに振るわせただけで、斎藤のぬきうちの居合いによりあっけなくこと切れた。
男は後ろに倒れたが、壁に寄りかかるようにぶつかりそのままずるずると床に滑り崩れる。皆はそれを乗り越えて、無言でさらに進んだ。しかしすぐに背後から「おい、どうした」「血だ!」「斬られてるぞ!」などと複数の敵の声が聞こえてくる。
 土方達はちょうど研究室までたどり着いたところだった。綱道の居室はそのさらに奥だ。
 皆は目線を素早くかわして確認すると、廊下に平助と土方を残して残りの三人は研究室に入った。廊下の向こうからピリピリとした気配が伝わってきて、先ほどの敵の男たちが警戒しながらこちらに近づいているのがわかる。
 カチャリと音をさせて土方は鯉口をきり、平助は静かに刀を抜いて構えた。
「何者だ!」
「名を名乗れ!」
腹に響くような怒声と共に敵が土方と平助に襲い掛かってくる。研究室に入り際、千鶴がちらりと見たときは敵の数は三人だった。土方と平助なら問題なくあしらえるだろうと、千鶴は研究室の中へと足を踏み入れる。
 暗闇に慣れた目で見ると、その部屋はかなりの広さだった。
床は畳ではなく板張りで、天井もそこだけ高い。昔は納屋か蔵だったのではないかと思うようなガランとしたつくりだった。
 対面に一つだけある小さな窓の下には棚が置いてあり、数数の帳面や書付が乱雑に置かれていた。そしてその横に西洋風の高い机があり、机の上には多分研究に使っているのであろう数々のガラスの瓶が立ち並んでいた。中には何らかの液体らしきものが入っている物もある。
 斎藤がつかつかと机に歩み寄ると、腕で机の上のものを一気に払った。
さざめくようなガラスの割れる音が断続的に響き、後ろの剣戟の音と重なる。斎藤はさらに床に落ちただけでこぼれていないガラス瓶を足でけり上げ踏みつぶし、粉々にする。瓶に入っていた液体はひとつ残らずこぼれ板の間にシミを作った。
 総司は斎藤の様子を横目で見て、棚の方へと足を進める。多分この書付や書には過去の研究の結果や効果が書かれているに違いない。
「どうする?これ全部破くのは大変だし燃やしちゃうのが一番いいんだけど火種もないしね」
総司が棚を眺めながらそう言うと、机の上を壊し終えた斎藤も隣に来た。
「ふむ…墨で塗りつぶすのも面倒だな」
「あ、あの……ここに水瓶があるので、お水につけちゃうっていうのはどうでしょうか?」
邪魔にならないように端で見ていた千鶴は、部屋の隅に置いてあった大きな瓶を覗いてそう言った。総司は「へえ?それはいいかも」と踵を返して千鶴の方へ行こうとする。
 しかしその瞬間、キィン!と鋭い音がして、総司が大きく後ろへ飛びずさった。
 いつの間に抜いたのか総司は刀を構えて暗闇を見つめている。驚いた千鶴が総司の視線の先を追うとその先には闇に溶けるような黒い服、そして斜めにかざした銀色の光。
「薫!」
千鶴の悲鳴に重なるように、薫の冷たい声がした。
「そっちの薬品はどうでもいいけど、この研究結果を書きつけたものを水びたしにされるのは困るんだ」
刀を構えて向かい合う総司と薫。
 机の傍に居た斎藤も、静かな音をさせて刀を抜いた。
 三人を息をのんで見つめていた千鶴は、廊下での戦いを終えた土方と平助もこちらを向いているのに気が付いた。
「どこから現れたのかな?全然気がつかなかったよ」
総司がじりじりと間合いを詰めながら薫に聞く。
「この奥の部屋とつながる戸があるんだよ」
そう言った薫の後ろには、確かに木の小さな戸がついていた。
「その向こうは父様の部屋なの?父様はいるの?」
千鶴が思わずそう聞くと、薫は首を振った。
「残念だけど、綱道さんはすでに長州に立った後だよ。お前がこの前俺と一緒に来れば、今頃みんなで長州に行けたのにね」
土方と斎藤、平助は顔を見合わせた。それでは今日ここに来ても綱道を確保することはできないのか。
土方もじりっと薫に近づきながら言った。
「なら、研究結果だけでもおしゃかにするまでだな」
「そうはさせないよ」
不敵な薫の言葉ともに、空気が細かく振動するようなピリピリした空気が周囲を覆い始める。この感じは、以前薫が羅刹になったときのものと同じだ。はっとして千鶴が総司を見ると、総司もわかっているようで刀を構え直し油断なく薫を見た。
 薫の髪はみるみるうちに白銀色にかわり、暗闇に赤い光が二つ灯る。
「うわ…!」
平助が小さく叫ぶ。土方と斎藤も厳しい目で薫を見ていた。
「薫、やめて!」
千鶴は思わず薫に向かって叫んだ。
「どうして?父様の後を追って京に行った薫がどうして羅刹なんかになったの?父様はどうして変若水の研究を続けているの?長州の人に脅されたんでしょう?」
薫は爛々と暗闇の中でも光る紅い瞳で千鶴に一瞬視線を送り、冷たく微笑んだ。
「脅されてないよ。幕府が変若水の研究を打ち切ると決めたとき、長州に話を持って行って資金援助を頼んだのは綱道さんの方からだ」
「!」
土方をはじめ皆が息をのんだ。薫は続ける。
「お前たちが大事に守っている俺の妹は、お前たちよりもはるかに強い種族だと知ってるのか?」
「……ああ」
土方が答える。総司も頷いた。
薫はそれを見て再び口を開いた。
「俺と千鶴は北の鬼の頭領の最後の直系だ。そして鬼の力を敵方に渡したくないという人間たちの勝手な都合で滅ぼされた。綱道さんの目的は雪村家の再興で、俺はそれに賛同したんだよ。俺と綱道さんは長州に優秀な兵隊を増産させる薬を提供する。幕府を滅ぼし長州が天下をとることができた暁には、長州は雪村家再興のための資金援助と土地の確保を約束してくれた」
あまりの話の内容に千鶴は唖然とした。では、鬼の……雪村家の再興のために変若水をつくり人間をバケモノにするというのか。
「そんな……どうしてそんなこと……!自分たちのために人間を羅刹にするっていうの?勝手すぎるよ、薫!」
「弱い奴は虐げられて当然なんだ!」
千鶴の追及に薫が鋭く答えた。吐き捨てるような薫の叫び声に、空気が一瞬静まる。
「……弱い奴は虐げられる。滅ぼされた雪村の里も、南雲家に引き取られた俺も弱くてどちらも虐げられた。虐げられるのが嫌なら強くなるしかない!羅刹になる人間も弱い奴らさ。その証拠に長州の上級武士たちは変若水なんて飲みもしない。結局はそこでも弱い奴らが虐げられてるだけなんだよ。それなら俺はそいつらをせいぜい利用して強い立場になるだけだ」
幕府と長州という人間の戦い。過去に人間の戦いに巻き込まれて滅ぼされた綱道と薫は、今度は逆に人間の戦いを利用して自分たちの利益をとろうというつもりらしかった。
「君さ、自分が羅刹になっちゃってるなら虐げるも何ももう残りの人生は少ないんじゃないの」
総司がそう聞くと、薫はフッと笑う。
「お前たちが知っている粗悪な変若水と俺が飲んだ変若水を一緒にしないでくれ。俺が飲んだのは最新の改良型で、昼も活動できるし羅刹への変化も自分でコントロールできる。人格の崩壊の要因となっていた因子もほぼとりのぞくことができた。変若水は劇的な回復力と力、俊敏さのみを与えることができる神の薬に進化してるんだよ!」
「どこが神の薬だ。きいたところによりゃあ羅刹の時のお前と総司と同等だったそうじゃねえか。総司は人間だぜ」
土方が嘲るように言うと、薫は総司を見て微笑んだ。
「俺は鬼とは言っても体は普通の人間ぐらいの強さしかないからね。傷は早く治るけれど。お前と同じくらいの強さのヤツがそうそうそこらにいるわけじゃないだろう?もしそうなら新選組一番組組長の名が泣くね。……そうだな、千鶴が望むならお前を仲間に入れてやってもいいよ、沖田総司。変若水を飲まないでその強さなら、変若水を飲んだ後は多分日本で最強になれるんじゃないか?僕らの王国にお前を住まわせてやってもいい」
総司は薫の誘いを一笑に付した。
「僕は行かないよ。……絶対に行かない」
 総司はその言葉と共に勢いよく床を蹴り薫に斬りかかった。薫も予期していたように刀でそれを受ける。激しい剣戟の音が部屋に響き渡った。土方達も総司の援護をしようとするが、動きが速く激し過ぎるせいで薫だけを攻撃することができない。
 土方は平助に、棚にある書を斎藤と一緒に始末するように指示をすると、自分は廊下と部屋の間に立ち部屋の中と外の情勢に目を光らせた。
バサバサと音をさせて、斎藤と平助が書を水瓶に次から次へと放り込んでいく。その横で千鶴は、総司と薫の激しい戦いを見つめていた。
 最初はほぼ対等だった戦いも、だんだん剣の扱いの旨さや技巧の多さから総司が優勢になっていく。薫は、激しい総司の攻めに対して防戦一方になってきていた。そして、総司の鋭い突きをかろうじて薫がかわしたとき、均衡が崩れる。
 薫がバランスを崩したところを見逃さず、総司の剣が振り下ろされた。薫は自分の剣で受けたが、受けきれず金属音とともに薫の刀が飛ばされる。                     
総司が間をおかず刀を振り上げ、丸腰の薫へ振り下ろそうとしたとき―
「殺さないで!」
悲鳴のような千鶴の声が響いた。
総司の動きがピタリと止まる。
「沖田さん…!殺さないで…!」
総司の表情は変わらなかったが、切っ先は動かない。それを見た薫が、飛ばされた自分の刀の方へ手をのばした。
「斎藤!千鶴に見せるな!黙らせろ!」
土方が千鶴の近くにいた斎藤に指示した。斎藤はすぐに持っていた書を離し、千鶴と総司達の前に立ちふさがるように立つ。そして「すまない」と言うと、手のひらで千鶴の口を押えた。
土方が総司に怒鳴る。
「総司!やれ!副長命令だ!」
 総司の緑の瞳に暗い影が走ったのはほんの一瞬で、次の瞬間総司の剣は綺麗な孤を描いて薫の胸を切り裂いた。   

    
 

第十三話 へつづく 




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