LOVE
STORY
「……どうですか?」
「おお、これは近藤さん。ちょうど今朝目が覚めましたよ」
松本はやってきた近藤に礼をすると、千鶴が寝ている奥の間を見た。
あれから二日。
薫が総司に斬り殺されそれを見ていた千鶴が倒れたと聞いた近藤は、意識のない千鶴をそのまま屯所に運ぶのはまずいだろうと判断し、松本良順へ了解をとったうえでそこに運び込んだ。意識を戻した千鶴が、自分の兄を殺した男たちの集団に対してどういう反応をするかわからなかったためだ。
そしてこれは千鶴のためでももちろんあるが、総司の為でもあった。
二人が仲がいいのは前々から知っていたし、それが最近は想い合っている風に変化してきているのも気づいている。
隊命とはいえ好いている女子の兄を女子の願いも聞かずに目の前で斬り殺した総司は、千鶴に恨まれていると恐れているだろうと近藤は思っていた。そして意識を戻した千鶴が、感情のままに新選組を――総司を責めるようなことを言ってしまうのではないかと。
総司をそんなつらい立場に追い込んだのも新選組の、ひいては近藤のせいであり、千鶴をこんな可哀そうな目にあわせてしまったのも近藤のせい。近藤は、局長である自分がすべての責任を負うつもりだった。
布団の上に横たわってぼんやりしていた千鶴は、近藤が入ってくると驚いて起き上ろうとした。
「いや、そのままで、そのままで」
近藤がそう制したが、千鶴は「どこも怪我をしていませんし病気でもありませんので」と布団から降りて正座をした。
「……体の具合はどうかね」
「はい、大丈夫です。ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
千鶴は深々と頭を下げる。
「いや、こちらこそ酷な目にあわせてしまって申し訳ない」
「いいえ、私が自分で連れて行って欲しいとお願いしたんです。それなのに取り乱してしまって……」
そこまで言って、千鶴は溢れてくる涙に言葉を止めた。近藤の前で泣くのは失礼だと必死に我慢する。近藤はそんな千鶴を痛ましそうに見た。
「……総司は…総司については、やはり恨んでいるんだろうね。だが、あいつにあんなことするように命じた最終的な責任は私にある。総司に代わって君に謝りに来たんだよ。本当に申し訳ないことをした」
今度は近藤が深々と頭を下げる。千鶴は慌てた。
「こ、近藤さん…!頭をお上げください。そんな…そんな謝らないでください。あの時ああするのは正しいことだったと私も思っています。沖田さんを恨んだりしていません。悪いのは……」
そこまで言って千鶴の瞳からはとうとう涙が零れ落ちた。あとからあとから頬を伝う涙をぬぐおうともせず、千鶴は続ける。
「悪いのは、薫と父です。自分たちの一族の再興のために一体何人の人間を犠牲にするつもりなのか想像するだけで恐ろしくなります。父は長州でまた研究を続けるでしょうが、あそこにあった研究資料は全て破棄できたので少しでも邪魔ができたんじゃないかとほっとしています。沖田さんは……沖田さんには、隊命なのにあんな邪魔するようなことをいってしまって……私の方こそ謝りたいんです」
頭ではすべて口にした通り理解している。理解しているのだが、薫といつからか道が分かれてしまっていたこと、そしてそれに千鶴が気づくのが遅く兄を助けることができなかったことが、絶え間なく後悔として千鶴を襲う。
綱道は自ら変若水の研究を選んだというし、そもそも千鶴をひきとったのも雪村家の再興を望んでいたからと、昔チラリと耳にしたこともあり、もとから道は別れていたのだろう。
でも薫は。
薫は南雲でつらい経験をしたと聞いた。詳しい話は教えてくれなかったが、多分それが今回綱道に賛同した理由だったのだろう。あんなふうに斬り殺されてしまうようになる前に、もっと薫といろいろ話せばよかった。江戸にいるときももちろん、京へも一緒に行ければよかった。
綱道の計画など実現するとは思えない。長州がたとえ天下をとったとしても北の鬼に領地をくれる保証などいったいどこにあるのだろう?人間に滅ぼされた雪村が、また人間を信頼するというのか。
綱道と薫と、三人でもっと早く話をすることができたら。
そんな千鶴自身の後悔を、総司にぶつけてしまった。
総司の真っ直ぐな瞳が好きだったのに、それを千鶴の余計な言葉でくもらせてしまった。
ぽろぽろと涙をこぼす千鶴の肩を近藤は優しく叩いた。
「……そうか、君の言葉は総司に伝えておくよ。今は心が混乱して疲れているだろう、ゆっくり休みなさい。これから君はもう自由なのだし、身の振り方や今後についてはぜひ相談にのらせてほしい」
暖かい近藤の言葉に、千鶴は涙を流しながら何度も頷いた。
同じころ、新選組屯所―
「どこ行くんだ、総司」
屯所の廊下から庭にある桜がきれいに咲いているのを眺めていた土方は、門を出ようとしている総司に気づいて声をかけた。
総司は立ち止まり顔だけ向けて答える。
「千鶴ちゃんを迎えに」
「……」
そのままスタスタと行ってしまいそうになる総司を、土方は慌てて止めた。
「ま、待て待て待て。あー……お前には言ってなかったが、今近藤さんが見舞いに行ってんだ。お前が行くのは近藤さんが帰ってきて千鶴の様子をを聞いてからにしろ」
土方の言葉に総司はしばらく立ち止まったが、すぐに肩をすくめて再び歩き出す。
「おい!ちょっと待てって!千鶴はお前に会いたくねえかもしれねえだろ!」
土方はしょうがなく草履を履いて玄関に降りると、総司の傍まで行った。
「隊命とはいえ実の兄貴を殺した男だ。お前とは同じ部屋で面倒見てたせいで、多分余計に顔をあわせずれえってことがあるかもしれねえ。正直、千鶴がもう新選組とはかかわり合いにならずに静かに暮らしてえって思ったとしてもそれも当然だと思うし、綱道さんがもう京にいねえ以上新選組としてもこれ以上千鶴を屯所に置いとく必要もない。近藤さんはその辺の相談にも行ってんだ。千鶴の気持ちを聞いて、今後の事とかアイツの気持ちとかいろいろ落ち着いてからおまえは行けばいいんだよ。ちゃんと近藤さんには言ってあるからよ」
気まずそうに視線を逸らしたり珍しく身振り手振りで気を使うような土方様子を、総司は面白そうに見ていた。
「……土方さんにしてはいろいろ気にしてくれてるみたいですけど、まあぶっちゃけ余計なお世話なんですよ」
「……は?」
好きな女の兄貴を殺さなくてはいけなかった総司が、さぞかしつらく後ろめたい思いをしているだろうと土方と近藤は散々心配していたのだが、それとは真逆の総司の言葉に土方は一瞬ポカンと口を開けた。
「あの子は僕の傍にいたいって言っているんで。だから今から迎えに行ってきます」
「いやいやいやいや……ちょっと待てって!」
またもや歩き出そうとする総司の袖を、土方は慌てて掴んだ。
「それは討ち入り前の話だろ?討ち入りの時の事忘れたのか?『殺さないでくれ』っていう千鶴の頼みをだな……」
「もちろん覚えてますよ。でもそんなことぐらいで前に『僕の傍に居たい』って言ったことを反故にさせるつもりなんてありませんから」
「……」
土方は再びポカンと口を開けた。
「うー……いや、総司、『そんなこと』っつってもだな、実の兄貴がだぞ……」
「……あの子の命を救ったのは僕で、救った命には責任を持てって言ったのは土方さんじゃないですか。あの子が望むか望まないかにはかかわらず、あの子は僕のものです。あの子の命も、これからの人生も」
「……」
何度ポカンと開けたかわからないくらい何度も開けた土方の顎は、すっかり緩んでしまったように再びポカンと開いた。
聞く耳持たない勝手な言い分。
傷ついただろう女子の気持ちなど考えてもいない――
言葉だけ聞くと自信過剰の傲慢な男の言葉だが、総司の瞳の色を見て土方は合点がいった。
伊達にガキの頃からつきあっていたわけではない。
いつもは余裕しゃくしゃくの緑の瞳には緊張の色が浮かんでいる。そしてこれまで土方が見たことも無い位に真剣だった。
土方は溜息をつく。
ガキだガキだと思っていても、いつの間にか大人になっているもんだと苦笑いをして。
そして、頭を少しかしげてからかうように総司を見た。
「……お前でも殺せないものができたな」
総司は瞳だけでチラリと土方を見る。
「あの子のことですか?殺せますよ」
土方は鼻で笑う。
「近藤さんが千鶴を殺せと言ったら?……お前にゃ殺せねえよ」
「殺せます。あの子を殺さなくちゃいけない事態になったら、他の誰でもなく僕が殺します」
「殺せねえよ」
「殺せます。……殺した後僕も死ぬかもしれませんけど」
ふざけた口調なのに緑の瞳の色は真剣だった。
土方は思わずのまれてしまい、言葉がでない。
土方はしばらく沈黙してゴホンと咳払いをし、「気を付けて行って来い」と総司に言った。
そのまま屯所の門を出ていく総司の背中を、土方はいつまでも見送っていたのだった。
「千鶴ちゃんを迎えに来ました」と総司が松本の長屋の引き戸を開けると、中にいた松本が驚いたように総司を見た。
「君が来たのか。いや、それは……」
松本は事情を知っているのだろう、気にするように奥の障子が締められた部屋を見て、総司に少し待つようにというそぶりをする。
「いえ、できればすぐに連れて帰りたいんですけど」
総司がそう言った時、慌てたように音を立てて障子があいた。
「沖田さん……!」
中から出てきたのはすっかり身支度を終えたいつもの袴姿の千鶴だった。緊張したように立ち尽くし、大きな黒い瞳を見開いて食い入るように総司を見つめる。
総司はいつものように軽く頭をかしげて、手を千鶴の方へと伸ばす。
「ほら、帰るよ」
総司の言葉を聞いて、千鶴の瞳にみるみるうちに涙が盛り上がった。
傍で見ていた松本が、どうすればいいのかと焦りながら総司と千鶴を見比べる。倒れた原因を作った総司がいきなり病み上がりに現れたのは千鶴にとって刺激が強すぎたか、とりあえず一旦総司は屯所に帰らせて後日違う隊士に迎えに……と考えた松本は、千鶴がととととっと総司に駆け寄ったのを見て目を見開いた。そして総司がそれを当然かのように腕を広げて待ち、その中に千鶴が飛び込むのを見てさらに驚く。
「沖田さん、沖田さん……!ごめんなさい。私…」
「ほら、もういいから泣き止んで。僕も謝らないと」
「いいえ、沖田さんは何も悪くないんです。お仕事なのに私があんなことを言ったせいでつらい思いをさせてしまって、本当にごめんなさい」
「その辺はもう覚悟ができてることだからいいんだよ」
抱きしめながら子供をあやすように千鶴を甘やかしている総司を見て、松本はわけがわからなかった。
先日来た近藤からも、『雪村君は総司を恨んでいるかもしれない』と聞いていたのだ。なのに今目の前の光景は一体何なのだろう。
……まあ、普通に考えればすぐにわかるが。
そういうことか。これは知らなかったな
それならここでの一番のお邪魔虫は松本ということになる。一応ここは松本の家なのだがしばらく二人きりにしてやろうと、松本はこっそりと狭い長屋から外に出て散歩に出かけた。
腕の中で泣いている千鶴の涙がきれいで、総司はそっとそこに口づけをした。
「……」
驚いたように泣きぬれた黒い瞳を見開いた千鶴と視線を合わせて、総司はにっこりと微笑む。そして反対側の涙にも唇を寄せた。
目じり、瞼、頬……何度も何度も落とされる総司の優しい唇に、千鶴は瞳を閉じて力を抜く。
そうして総司の唇が最後に落とされたところは、千鶴の唇だった。少し塩辛い、柔らかい唇を、総司は探るようにゆっくりと味わう。総司の袖を掴んでいる千鶴の指が小さく震える。しかし総司はやめなかった。
暫くの後、ゆっくりと唇を離して、総司は千鶴のおでこと自分のおでこをあわせる。
千鶴の頬は真っ赤で視線をあわせられないようで、そんな様子がとてもかわいいと総司は心の底から思った。
総司はもう一度、ぎゅっと千鶴を抱きしめる。
「……たくさんのものを失くしたね」
「でも、沖田さんがいます」
千鶴の即答に、総司の唇に笑みが浮かぶ。
「君が失くしたものは僕が埋めてあげる。君の事、必ず守るよ、だから君は僕の傍に居て」
千鶴は総司の胸に顔をうずめて着物をギュッと掴む。
総司は千鶴の髪に顔をうずめて呟いた。
「君が好きだ」
「……」
抱きしめられたまま千鶴が返事をしないので、総司は体を少し離して彼女の顔を覗き込んだ。
「なんで何も返事をしないの」
千鶴の幸せそうな顔を見て、総司はふくれっつらになる。ここは千鶴の方も自分の気持ちをうちあけてくれる場面ではないだろうか。
千鶴は、ふふっと小さく笑って口を開いた。
「すごく……嬉しくて幸せなんです。沖田さんに好きなものが増えたって。しかもそれが私だなんて」
千鶴の言葉に総司は瞬きをした。
「……僕に好きなものが増えると嬉しいの?君が?」
千鶴は頬を染めながらうなずく。
「嬉しいです。もっともっとたくさん好きなものが増えて欲しいです。その方が沖田さん、きっと幸せだと思うから」
総司は千鶴の頬に両手を添えて、彼女の顔を自分に向けさせた。そして大きな黒い瞳を覗き込む。
「僕は好きなものは君だけでいい。君と……あとは種類は違うけど近藤さんだけで。そして君の好きなものは僕だけでいい」
「……」
若草色の明るい虹彩が深い深緑の色へと変わるのを、千鶴は魅入られたように見ていた。
「君には、僕以外好きなものはいらない」
千鶴が催眠術にかかったようにかすかに頷くのを確認して、総司はもう一度彼女に唇を合わせる。
深く、深く、千鶴の奥の奥までも入り込もうとする総司の舌と彼自身を、千鶴は優しく受け止めた。
松本に挨拶をして、総司と千鶴の二人だけで屯所へ帰る。
千鶴は少し前を歩く総司をチラリと見上げた。
先ほどまで目の前にいたむき出しの総司は嘘だったように、今、総司は柔らかな風に吹かれて涼しい顔をしている。
総司の唇から零れ落ちた熱い言葉。何度もふさがれた千鶴の唇。頬に、瞼に、首筋に、あらゆるところに触れた総司の長い指。
千鶴は思い出して、頬を染めながら自分の唇を指でなぞった。
糸の切れたからくり人形のようにくしゃりと床に横たわっている薫の最後の姿を、千鶴はぼんやりと覚えていた。
そしてこちらに背を向けたまま立っている総司の背中も。
下げた刀からは血がしたたっていた。
千鶴は斎藤に抱き上げられるのを感じながら、その総司の背中から目が離せなかった。
何か言いたかったけれど急速に白い膜のようなものが覆いかぶさってきて、千鶴は口をかすかに開くことしかできなかったのを覚えている。
あの時総司は何を考えていたんだろう、と千鶴は総司の横を歩きながら思う。
千鶴はあの時、『全て終わった』と思った。
薫を探しに来たことも、新選組との縁も、総司との全ても。
松本良順の家で横になっているときも、もう総司とは会えないのだと、その喪失感のみが千鶴の心を占めていた。だから近藤が松本良順の家に見舞いに来てくれた時に『やっぱり』と思ったのだ。
総司は来ないのだろうと。
だから総司が来てくれて、そのうえ『帰るよ』と千鶴を呼んだ時にとても驚いたし、嬉しかった。
きゃー!と楽しそうな子どもの笑い声に、千鶴はふと顔を上げて声がした方を見た。往来の反対側、桜が美しく咲いている下を男の子と女の子が手をつないで走っていくのが見える。
兄妹かな……
二人の姿が薫と自分の子供の頃の姿に重なる。
千鶴の脚は自然と止まり、目が子どもたちを追った。
薫の死は、きっといつまでも千鶴の中に暗い影を落とすけれど、しかし薫の選んだ道は決して千鶴の生き方とは相いれないものだった。こういう形でないにしてもあのままだったらきっと同じような結末をむかえただろうと思える。
一緒に生まれた半身を憎むことなんてできなくて、傍に居ないことを寂しく思うけれど……
でも今こうして総司の隣を、同じ方向を見て歩けることがとても幸せだとも思う。
総司が薫との事を何も千鶴に言うつもりがないのなら、千鶴も話すつもりはなかった。お互いの思いはお互いの胸にしまっておけばいいのだろう。
「千鶴ちゃん?」
立ち止まった千鶴に気づいた総司が、すこし先で振り返り千鶴を呼んだ。
泣いてばかりいたら、きっと薫がまた心配するだろう。
後悔と罪悪感と胸の痛みをかかえたまま、ちゃんと笑顔で総司についてこうと、千鶴は「はい」と返事をして総司の隣へと歩き出した。
二人で歩いて行く総司と千鶴の後ろで、今度は先ほどの小さな兄妹が立ち止まった。
兄の方が空を見上げている。すこし霞みがかった柔らかい春の青空。
妹が「どうしたの、早く行こうよ」と兄をせかすと、兄は高い位置にある桜の枝を指差した。
「鳥が飛んで来たよ、ほら」
妹も、兄が指を差した方向を見上げる。
「あ、ほんとう!……白い鳥ね」
終
2013年2月14日
掲載誌:LOVE STORY
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