LOVE
STORY
『すぐ帰って来るよ』
しかし薫は帰ってこなかった。
京について一か月は頻繁に千鶴のもとに薫からの文が届いていたが、『羅刹』や『変若水』が綱道の失踪にかかわっているらしいということを文で知らせてきた以降、薫からの文はぱったり途絶えてしまった。
毎日毎日、文が来ないか薫の姿が見えるのではないかと家の前に何度も出て、京へつながる方向を見続けていた千鶴は、ある日決意した。
実の両親、そして育ての父親、双子の兄……
次々と家族が居なくなっていく状態に、千鶴はもう待つのはやめようと思ったのだ。
自分も京で父と兄を探す。女の一人旅は危険なのはわかっているし、京でのつてはほとんどない。でもこのままここでずっと待っているのはもう嫌だ。
千鶴は伸ばしていた髪を肩の長さでばったり切り、体型も少年のように隠して男装をして京に入った。
しかし、すぐに新選組に掴まってしまい捜索らし捜索は結局できず……
――たが、それも今日までだ。
「沖田さん、こんな感じでどうでしょう?」
千鶴は、動きやすいように袴を短めに履いて草履ではなくわらじにして、小太刀を差した姿でくるりと回って見せた。
今日は初めての巡察同行なのだ。
本当はただの居候だとしても新選組と一緒に歩くと言うことは町の人は新選組の一員だと思って千鶴を見るに違いない。
千鶴があまりにも場違いな恰好をして新選組が変な風に思われてしまったら申し訳ないと、千鶴はあれこれ考えてできるかぎり男っぽく動きやすく装ってみた。
夜番の総司は、部屋で寝転がったままかわら版を眺めていたが、千鶴の問いかけにチラリと彼女を見る。
「あーいいんじゃない」
「沖田さん!ちゃんとみてください!草鞋って変でしょうか?草履を履いた方が武士らしいですか?」
「武士らしいって、君武士じゃないじゃない」
「そうですけど、新選組の一員と見られるわけですから……」
「君なんてどうせおまけなんだから、別にどんな格好でも誰も気にしないよ。まあせいぜいがんばって」
総司はめんどくさそうにゴロンと寝返りを打って千鶴に背を向けてしまう。
うきうきとしている千鶴を見るだけでも面白くないのに、出かける服装について意見など求められても真剣に考えてあげる気になどとてもなれない。
総司が、あからまさまに『話しかけるな』の態度をとっているにもかかわらず、初めての巡察で少し緊張している千鶴は気づかず寝転んでいる総司を膝をついて覗き込んだ。
「沖田さん!」
「わっ」
急に至近距離で顔を突き出されて、総司は驚き肘をついて半身を起こした。千鶴は目をきらきらさせながら続ける。
「沖田さん、私昨日の夜夢を見たんです」
「ふ〜ん」
興味なさ気な総司には構わず、千鶴は思い出しながら口を開いた。
「薫の夢でした。あ、薫っていうのは私の双子の兄なんですけど。小さいころ一時期離れて暮らしてたんですが、それ以外の時期は一緒に暮らしてて……。環境が似てるので一番気持ちがわかるっていうか近い存在なんです。双子だから時々同じこと思ったり同じような出来事があったりして、偶然なのかもしれないんですけど他の人とは違う絆みたいなのを感じることがあって」
千鶴にしては珍しく憑かれたように話してくるのに、総司は少し驚いた。
こんな風に自分の考えていることや過去を『聞いて欲しい』と言ってくることなどなかったから。
「うん、それで?」
「それで、昨日の夜ははじめて私が薫を探しに出かけられる日の前の夜で、そんな時に薫の夢を見たのはきっと何かの吉兆なんじゃないかって」
勢い込んでそう言った後、総司がしばらく沈黙したまま緑の瞳で千鶴を見ているので、千鶴はハッと我に返った。
そして、のしかかるようになっていた自分の体に気づき、急いで元に戻す。
自分の話ばかりを総司の興味など考えずに押し付けるように話してしまって、総司が気を悪くしたり千鶴の事を変に思っていないか急に気になりだしてくる。
気詰まりなほど沈黙が長く続き千鶴が謝ろうかと思った時、総司が口を開いた。
「あのさ、君、その話他の誰かにした?」
「え?薫と同調することがあるっていうことですか?」
「いや、それじゃなくて……薫ってやつの話とか昨日そいつの夢を見たとか…そのへん」
総司の質問の意図がわからなくて千鶴は首をかしげた。
「いえ、こんなつまらない話は他の皆様にお話するような内容じゃないですし……」
と、言いかけて千鶴はハッとする。
「あっ…!ち、違います。沖田さんならつまらないことを話していいとかそう言う訳じゃなくてですね……!」
「なんで?僕に話していいよ」
「……は?」
総司のことを気安く見ていると怒られるかと思ったのだが、逆に機嫌がよさそうな彼に千鶴はキョトンとした。
「話の内容も別につまらなくなんかなかったよ」
「……」
そう言いながら千鶴を見る総司の瞳は、緑色が優しくきらめいて優しげで、千鶴はドキンとして赤くなった。まるで自分のわがままを『よしよし』と受け入れてもらえたような甘やかしてもらったような。
「あ、あの……」
「千鶴ちゃん、かわいいね」
照れもなく微笑みながらさらりと言われ、千鶴はさらに赤くなる。どんどんどんどん頭に血が上り顔が熱くなるのが分かり、千鶴はとりあえず立ち上がった。何か言ってここを立ち去ろうと思うのだが何を言えばいいのかわからない。
「じゃ、じゃあ……」
言われ慣れていないことを言われ慣れていない人から言われて、千鶴はほとんどパニックだった。そんな千鶴を総司はにやにやと笑いながら観察している。ぎこちない笑顔を浮かべて真っ赤な顔のまま曖昧な会釈をして千鶴は廊下に出て歩き出したのだが、背中にはずっと総司の視線を感じていたのだった。
巡察はとても楽しかった。
いや、楽しかったと言うとアレだがとても充実していた。 道の脇のお店の人や、茶屋の人たちに綱道と薫の人相風体を聞いて歩く。十番組の列から遅れないように急いで。
たいていは『覚えてないなあ』『どうかしらねえ…』という返答だったが、皆『何かわかったら教えてやるよ』と優しかった。新選組がバックについているのだから当然なのかもしれないが。
一般の人は新選組を見て眉根をよせたり顔をそむける人が多かったが、店を構えている者たちは不逞浪士まがいの迷惑な客から守ってもらったことがあるのか好意的だ。
屯所に入り報告を終え、皆が解散したあと左之が千鶴の頭をポンとたたいて「おつかれさん」と言った。
「いえ、私こそ同行させていただいてありがとうございました。ご迷惑をおかけしてなかったですか?」
「大丈夫だったぜ。あんまり情報なかったみてえだな」
「まだ初日ですから。これから地道にがんばりたいです」
前向きな千鶴に、左之も微笑む。
「そうだな。次は誰の巡察についていくんだ?総司のか?」
「沖田さんは今は夜番なので多分別の方にまたお願いして同行させていただくことになると思います。土方さんに聞けばいいんでしょうか……」
千鶴が首をかしげると、左之もつられて首をかしげた。
「そうかもな。……しかし総司の隊には土方さん、あんま同行させたくねえだろうな」
「?どうしてですか?」
千鶴の面倒を見る様に総司に命じたのは土方だ。巡察に同行するというのも『面倒をみる』内に入るだろうし、別に問題はないと思うのだが。
千鶴の疑問に、左之は苦笑した。
「いや、別にとりたてて問題があるってわけじゃねえんだが……新選組一番組組長沖田総司ってのは、まあ新選組の顔だからなあ。その名に恥じないほど人を斬ってるし腕試しをしたい奴や名をあげたい奴はもちろん不逞浪士たちの的でもあるからな、あいつは。まあ自分でも自覚して的になりながらも返り討ちできる腕も度胸もあるからあいつ自身は問題ねえだろうし一番組もそれを見越して精鋭ばかり集めてるんだが、一般人のお前を連れ歩くには少々物騒じゃねえかとな、ちょっと思わないでもねえな」
左之の言葉に、千鶴は以前脱走者を斬った総司に近藤が言った言葉を思い出した。
『お前は少し命を軽く考えすぎるぞ。相手も命ももちろんそうだが自分の命もだ。こんなことを続けていれば、お前は人の恨みをたくさん買い命を狙われるようになる……』
近藤が言っていたのは何も将来の根拠のない不安ではなかったのかと千鶴は驚いた。もうすでに現実になっているのだ。それを少しでも抑えるために近藤も土方も総司を叱っていたのか。
千鶴の様子には気づかず左之は続ける。
「あいつ自身も、迷いもなく斬り殺すだろ。まあ新選組一番組組長には必要なことではあるんだが、もうちょっとこう……人を殺す重みというか葛藤とか、そういうのがあればまだいいんだがな。お前が同行している巡察の最中でも、斬り合いにもつれ込む確率が他の組長よりは高いと土方さんは踏んでると思うぜ」
千鶴を見つめてくれていた楽しそうな緑の瞳。
それが凍えるような色になるのを千鶴も知っていた。
時々触れる暖かい手が、人と斬った血で血まみれになっていたのも見たことがある。
そうだ…
明るくて楽しくてちょっと意地悪な沖田さんだけじゃない沖田さんを、私は知っていたのに。
総司の存在が大きくなってしまっている今の千鶴には、近藤や土方の心配がとてもよくわかった。今総司が立ってこちらを見て微笑んでいる場所はとても狭くてもろい場所でしかなくて、いつそこから転がり落ちてしまうかわからない。
周囲からの危険はもちろん総司自身の危険も、両方が彼を脅かしている。
「……沖田さんは、どうして迷わないんでしょうか?」
千鶴がそうつぶやくと、左之はガシガシと頭とかいて「ん〜〜」と考えた。
「あいつとは京に来る前からのつきあいなんだが、なんていうか……俺の印象だが必死に自分の居場所を探してるみてえなとこがあるな」
「自分の居場所…ですか?」
左之は頷いた。
「ああ。それが近藤さんで、近藤さんが総司を役に立つと思ってくれている限りは捨てられないと思ってるみてえな?」
「捨てるって……近藤さんが沖田さんをですか?そんな…!そんな近藤さんは沖田さんのことを役に立つとか立たないとかそんな風に見てないと思いますけど…!」
千鶴が真剣に抗議するように左之に訴えると、左之は慌てたように両手をあげて千鶴を抑えた。
「いや、俺だってそう思ってるぜ?だけど、総司のヤローがどっかでそう思ってるってことだよ。そんで今近藤さんの目標は新選組をでかくして幕府を助けるってことだろ?そのために総司は自分の剣の腕で役に立って自分の居場所を作ろうとしてるんだと思うぜ」
新選組の前に立ちはだかる敵を斬る――
自分の居場所をつくるため、忠実にそれを実行している総司を想像して、千鶴は泣き出したくなった。
『好きだから』『役に立ちたいから』。
総司の口から何度も聞いた、近藤への思い。その言葉にはもちろん嘘はないけれど、裏返しに自分の居場所をつくるという意味があったのだ。
近藤が以前話してくれた、一人ぼっちの小さな男の子が目に浮かぶ。
家族から離されて寂しくつらい思いをして。風邪を治すのも、そしてきっと怪我をしても、子供の頃の総司は誰の助けも借りず一人で治さなくてはいけなかったのだろう。まるで姿を隠して傷を自分で癒す野生の獣のように。
そんな誰にも慣れない野生の獣が、ただ一人大好きになった人。その人に褒めて欲しくて必死な男の子。
その人のために人を斬る。
近藤は逆に、総司に人を殺してほしくないと思っているというのに。
涙で潤んだ千鶴の瞳を、左之は見つめた。
彼女の大きな瞳に浮かんでいるのは、総司の姿だ。同じ部屋で暮らし、日々顔を見合わせていれば情も通うだろう。
総司はわかりにくい男だが、だからこそ女が魅かれるのもわからないでもない。
左之は、この不安定な立場の千鶴の幸せを密かに祈った。そして彼女の存在は総司にとっても救いになるかもとも思う。
左之は総司の生い立ちを、知っている限り千鶴に話した。母親と死に別れ、家の困窮により小さいころに近藤の道場に預けられ、そこで兄弟子たちにリンチまがいの稽古をつけられ……
もっと悲惨な生い立ちを持っている人もたくさんいるだろう。しかし幼い総司にはその経験で充分で、そこで自分の居場所を見つけること以外すべてを捨てることを選んだのだ。いや、もともと持っていない物を捨てることもできないのかもしれない。唯一与えられた近藤からの暖かい手だけを守ろうとしているのかも……
幼いころの総司を思い、千鶴の瞳からは涙があふれた。
千鶴がそんな涙を流すことを総司は望んでいないのはわかっているのだが。
泣き出した千鶴を見て、左之はやっぱりと思う。何とも思っていない男のために、女子がそんなに切なそうに涙を流すことはないだろう。
そして左之は、気分を変える様に明るく言った。
「だからよ。総司の『近藤さん』がああいう人でよかったんじゃねえか?ほら、近藤さんが総司を利用することだけしか考えない人間だった場合もあるんだぜ?それに、あの人の優しさとか真っ直ぐな所とか、心をあずけるのに値する人物だと俺も思うし総司が近藤さんについて行くのは間違いじゃねえと思う。まあ、総司の心は総司の中にはなくて、近藤さんが『心』ってわけだな」
「沖田さんの『心』……」
「そう。まえにあいつ、脱走した佐々木を斬って近藤さんに叱られたろ?あれから総司、人を斬ってねえんだよな。捕物が何回かあったけど、全部怪我させて捕縛して終り」
「……」
涙にぬれた目で千鶴が驚いたように左之を見上げると、左之は「な?」と笑った。
「近藤さんに叱られたのがこたえてんだよ。近藤さんは総司に『新選組のためにどんどん人を殺せ』なんて絶対に言わねえ。だから千鶴も安心してていいってことだ」
ポンポンと頭を優しく叩かれて、千鶴は何度も頷いた。
左之の「わかってるって」という雰囲気に、総司の事を涙を流して話してしまった自分を振り返り恥ずかしくなる。
だけど……よかった。
沖田さんに近藤さんがいて。
千鶴にはよくわからない総司、見せてくれない総司のことを近藤は理解しているのだろう。そしてそれを受け止める懐の深さもある。
二人の道が分かれることはないだろう、と考えて千鶴はふと前に近藤が言っていた言葉を思い出した。
『いつかは自分の守るべきものを見つけ、自分の道を歩いて行かなくてはいかんのだ。その時の指針となるような『心』を、俺は総司の中に育てられなかったのではないかと思うとな』
例え別々の道になるとしても、沖田さんが近藤さんから離れることはないだろうから……
大丈夫、だよね。
少しだけ不安に思いながら、千鶴はそう自分に言い聞かせる。
「ほら、だからもう涙ふけって。誰かに見られたら俺が泣かせてると誤解されちまうだろうが」
左之が、大きな指で千鶴の頬の涙をぬぐう。目じり、頬…とぬぐっているうちに「ああ、めんどくせ」と言うと、左之は千鶴の頭を抱き寄せ、自分の胸へと押し付けた。そしてぐりぐりと千鶴の頭を動かす。
「ほら、一度に拭えたろ?」
「さ、左之さん…!」
真っ赤になって左之の腕の中から抜け出そうとする千鶴を、左之はまたぎゅむっと抱きしめた。
「ほら、仕上げだ。顔見せてみろ」
くいっと顎に指をかけ上を向けられた千鶴の顔を、左之はたしかめるようにじっくりと見る。
「ん、涙はなくなったな。かわりに真っ赤になってるけどな」
からかうようにニヤリと笑いながらそう言われて、千鶴は顎から左之の指を外して後ずさった。
「さ、左之さんがいきなりあんなことするから……」
「なんだ?総司と一緒の部屋に暮らしてるわりに男に免疫がないんだな」
「なっ……!お、沖田さんとはそんなこと、し、ししたことなんてないですから!」
見る見るゆでタコのように真っ赤になっていく千鶴の顔を見て、左之は楽しそうに笑い出した。
「左之さん!」
怒る千鶴に笑う左之。そんな二人の間に冷たい声が割って入った。
「楽しそうだね」
廊下に立って柱に寄りかかり、こちらを見ているのは総司だった。
「沖田さん!」
「総司か」
総司の『居場所』の話を聞かれてしまったかと、左之と千鶴はひやりとして顔を見合わせた。
「いつからそこに?」
「左之さんたちが抱き合ってる頃から」
千鶴はほっと息をついた。それならその前に話していた内容は聞かれていないはずだ。
隣の左之も同じことを思ったのか、安心したように笑って千鶴の頭をポンとたたいた。
それを見た総司の眉間にしわが寄る。
「たった一度の巡察でそんなに仲良くなるなんてね。巡察じゃなくて逢引きでもしてきたのかな?」
「あっ逢引き!?いいえ!普通に巡察を……」
飛び上がって否定する千鶴の肩を、左之は抱いて引き寄せた。楽しそうに笑いながら総司を見る。
「なんだ?やきもちか?」
総司がスッと目を細める。
明らかに本気で機嫌を悪くした総司に、千鶴はひやりとした。いつもの総司なら笑いやからかいでかわすような左之の言葉なのに。
「いいえ?じゃあ僕はお邪魔みたいなので」
冷たい声でそういうと、総司は寄りかかっていた柱から離れて歩いて行ってしまった。
「さ、左之さん、私……」
「あーあ、機嫌とらねえとありゃたいへだな」
「そんな……!」
おたおたしている千鶴の背を、左之はとんと押した。
「ほら、追いかけてご機嫌取ってこい」
「は、はい!」
慌てて総司の後を追いかける千鶴。
途中の廊下で総司に追いつき、冷たくされながらも一生懸命話しかけている千鶴と、つんつんしながらも歩調を合わせて一緒に歩いて行く総司を、左之はにやにやと笑いながら見ていたのだった。