LOVE STORY  




第四話 


ポツリポツリと降り出した雨の中を、千鶴と総司は会話もなく歩いていた。冬の雨は冷たくて、周りの人たちは慌てて家の中に入っていく。
 千鶴は、先ほど目の前で見た人を斬る光景と、人を斬っても平然としている総司と、血濡れの刀をむけられたことにショックを受けて黙り込んでいたのだが、総司は何も気にしていない風でのんびりと鼻歌を歌っている。
千鶴が佐々木について差し出がましいことを言ったことについてももう何も気にしていないらしく、「雨が降ってきたけど屯所まであと少しだからいいよね?」と千鶴に話しかけてきた。
「は、はい。まだそんなに本降りじゃないですし……」
千鶴がそう言うと、総司はにっこり笑って「急ごうか」と言う。
そんな様子なのに、神経の一部は千鶴に向けて逃げ出さないように注意をしているのが感じられた。
 千鶴はますます『総司』という人間がどんな人なのかわからなくなった。怖い人だと離れていればいいのか、楽しい人だと笑い合っていればいいのか。すこしは仲良くなれているのか全くなれていないのか。

 屯所の近くまで来ると、川の岸に子供たちが鈴なりになって川を見ているのに出くわした。
「どうしたの?」
総司が気楽に声をかけると、子どもたちは振り向く。
「あっ総司!」
「ネコが……!」
子どもたちと総司は知り合いの様で、口ぐちに川を指差して総司に何事かを訴える。千鶴が彼らの指差す方を見ると、川の真ん中あたりに板切れに必死に掴まって流されていく子猫が見えた。
「あのネコ?」
総司が聞くと子供たちはすごい勢いで何度も頷いた。
「いっつもここにいるクロの赤ちゃんなんだよー!」
「総司〜!」
訴えるような子供たちを見て、千鶴は何とかしてあげたいと思って川を見る。が、雨は降ってきているし凍えるような寒さだし、川は泥水のような汚い茶色で、深さのわからない川に入るには結構な覚悟が必要だ。しかしこの寒さで水の中にいつまでもいるとあのネコはすぐに死んでしまうだろう。
戸惑う千鶴を後目に、総司はさっさと自分の二本刺しを腰布から抜くと、襟足から背中に背負うようにさしなおした。そして千鶴の小太刀も取り上げる。
「え?」
驚いている千鶴を、総司は頭を傾けて考える様に眺めた。そして「いいこと考えた」というと袂から手ぬぐいを取り出し、パンと振って音を立て、千鶴の手首を握った。
「え?…え?」
戸惑う千鶴にはかまわず、総司は千鶴の両手首を合わせて白い手ぬぐいでぐっときつく縛り、その端を川べりにある手ごろな木の枝に結び付ける。
「あの……沖田さん、これは……」
「君に逃げられると困るからね」
「……」
総司はそう言うと、千鶴を置いてためらうことも無くざぶざぶと茶色く濁った川へと入って行った。こんな冷たい日に川の中に入るなんて、普通の武士なら嫌がりそうな汚れ仕事で、その上子どもの依頼でネコを助けるという内容なのに気にした風もない。
「お兄ちゃん、何してるの?」
子どもの一人が不思議そうに千鶴を見上げてそう聞いてくるのに千鶴は「うん……ちょっとね…」と赤くなりごまかすことしかできなかった。そりゃあ千鶴に逃げ出されたら困るだろうが、こんなにどうどうと犬や猫のように結び付けられると人目が痛い。
川の深さは総司の腰の下あたり程度で、総司はざぶざぶ水の中を歩いて行く。川の流れはゆっくりだが歩きにくいようで、総司は「よっ」とか「わっ」とかいいながら危なっかしい。千鶴と子どもたちはハラハラしながら総司とネコを岸から見守っていた。
総司がとうとう下流まで流れていたネコを板切れからすくいあげると、子供達は、わっと歓声をあげた。千鶴も縛られているのを忘れ思わず笑顔になって声をあげる。
「いたっ!ちょっとひっかくなって…!僕は助けてあげたんだよ?」
川の中を戻りながら、総司は手の中の子猫がひっかいたりかみついたりしてくるのに文句を言っていた。
 岸に上がって子供たちにネコを返し、ひとしきり囲まれて盛り上がった後、総司は楽しそうにニヤニヤと笑いながら千鶴の所へ戻ってくる。
「いい子で待ってた?」
「……逃げられませんから」
総司は、ははっと声を出して笑い、千鶴の後ろから抱え込む様にして枝に結んである手ぬぐいを解き始めた。背の高い総司に抱かれるような体勢になり、男性とこんなに近づくことのあまりない千鶴は、勝手にドキドキする心臓を抑えることに必死だった。
先程非情に佐々木を斬り殺した大きな手で、意外にも優しく手ぬぐいを解いていくれている。

……なんでこんなに胸がドキドキするんだろう。沖田さん、聞こえないよね……顔も耳もなんだかすごく熱くて……

「ほら、こっち向いて」
総司はそう言うと、 にっこりと微笑む。
悪戯っぽい若草色の瞳に楽しそうな光が踊り、華やかな顔の作りと相まってぱっとあたりを明るくする。
 その笑顔に、千鶴の胸の奥でこれまで存在すら知らなかった何かが柔らかく蠢いた。
総司は腕の中の千鶴をくるりと自分の方に向けさせ、手首の縛られていた跡を見つけると「痛かった?」と聞いて長い指でこすってくれた。
勝手に赤くなる頬を見られないように「大丈夫です…」と言って俯いた千鶴の視界に、総司の濡れて汚れた着物がはいる。
「早く着替えないと風邪ひいちゃいます……」
千鶴がそう言うと、総司は他人事のように軽くうなずいた。
「そうだね、屯所まで急ごうか」

 最初に会った時に見た血まみれの総司の冷たい瞳。
今日の脱走者に対するあっけにとられるほどの非情さ。千鶴をつきはなすような言葉と態度。
そして今の子供とネコに対する優しさ。

これまで千鶴の知っているどんな男性とも違う総司に、千鶴はますますわからなくなる。

……どんな人なんだろう……

 千鶴は、目の前にある総司の伏せた長い睫をきれいだと見つめながら、そんなことを考えていた。

 

 

「この阿呆!」
怒鳴る土方。隣に座っている近藤も眉間にしわを寄せて苦々しい顔をしている。
 濡れた服を着替えて土方と近藤に報告に来た総司は、佐々木を連れ戻しても結局屯所で殺すことになるのだから…と説明したが、土方は舌打ちをして総司の言葉を一蹴した。
「脱走した奴ぁ切腹だってのを皆の目の前でまざまざと見せつけることに意味があんだよ!勇気がなくて結局斬れず無様な醜態をさらしたり、血が飛び散ったり。そう言うのを見て脱走なんて考えることも止めて隊がしまるんだ。お前がやったのはなんの意味もねえ『殺し』だよ!」
吐き捨てる様に言う土方を、まあまあと宥めながらも近藤も総司をたしなめた。
「まったく意味がないわけではないが、だがなあ総司。トシの言うことにも一理ある。それに前々から言っていたがお前は少し命を軽く考えすぎるぞ。相手も命ももちろんそうだが自分の命もだ。こんなことを続けていれば、お前は人の恨みをたくさん買い、命を狙われるようになる」
「……僕の目的は新選組の前に立ちふさがる敵を倒すことです。自分の命が狙われるようになるから必要な殺しをためらうとかそっちの方がおかしいように思うんですけど」
土方がいらいらと割って入る。
「だから今回のは『必要な殺し』じゃねえって言ってんだろ!もういい!出てって頭冷やしてこい!」
後ろに座っていた千鶴は、悔しそうに顔をゆがませて立ち上がる総司を見て戸惑った。
 『暴走しないように』と千鶴をつけたのに役割を果たせなかった後ろめたさもある。総司の後について行った方が良いのだろうか。それともここに残って千鶴もお叱りを受けた方が?しかし、あの時あの総司の冷たい瞳の前で千鶴はあれ以上何も言えなかった。言っていたら、総司が自分で言っていた通り、千鶴は総司に斬られていただろう。
どうすればいいかと千鶴が土方と近藤を見ると、二人は腕を組んで困ったような顔をしていた。
そして近藤が千鶴に言う。
「悪かったな、驚かせてしまって。総司は……総司と我々は総司が子供の頃からの付き合いでな。どうしても叱り方も家族のような遠慮のないものになってしまうんだ」
土方は腕を組んで近藤を見た。
「やっぱりあいつは江戸に帰した方がいいんじゃねえか。総司があんなふうになるのはミツさんだって望んじゃいねえだろ」
「それはそうだが、総司がここにいたがっているからなあ……」
弟を心配しているような二人の会話に、千鶴は驚いて目を瞬いた。
冷酷で非情で、壬生狼と恐れられている彼らの別の一面を見た気分だ。今千鶴の目の前にいる二人からは、総司を心配する情が確かに感じられて、千鶴はなんだか温かい気持ちになる。
やはり近藤が言っていた『暴走』は、総司に人殺しをさせたくないという意味だったのだ。
新選組として必要な仕事と総司の『暴走』……
多分千鶴が口を出すことではないのだろう。新選組の存在と、その局長と副長、一番組組長という立場と、そして幼馴染だという関係と。それらが複雑に絡み合っているのだろうだから。
それなら今、千鶴ができることといえば……
「あの、雨もひどくなってきましたし、私、沖田さん探しに行ってきます。食事もまだなので」
近藤はパッと嬉しそうな顔になった。
「おお。そうしてくれるか。……今日は何事もないかと思って君を付けたのだがこんなことになってしまい申し訳なかったな。危ない目にはあわなかったかい?」
千鶴は総司に突きつけられた血まみれの刀を思い出した。
「……いえ、大丈夫でした」
「そうか…それならよかった。……総司はもともと剣術の腕が抜群でね、京にも我々が行くならとついてきてくれた。総司のことは弟のようにも弟子のようにも思っているんだが、最近少し様子がおかしくてな」
近藤は腕を組みながら考え考え言う。
「君もここ一月ほど総司といて分かったと思うが……人を簡単に斬りすぎるのだ。志がないというか……。俺は総司には巷にいるような暗殺者や殺戮者にはなってほしくないのだ。そんな風になるにはあいつは心が優し過ぎる」
近藤の瞳は優しく思いやりにあふれ、総司のことをとても大切に思っているのが千鶴にも伝わってきた。しかし隣に座っている土方は、近藤の考えには同意していないのか何も言わないままだ。
千鶴はよくわからないながらもうなずいた。
「……沖田さんを見つけたら、近藤さんのお気持ちも沖田さんにお伝えします」
うんうん、と頷く近藤に挨拶をして、千鶴は席を立った。

 総司は部屋には居なかった。
汚れた着物を洗うために井戸にいるのだろうかと、表と裏の両方の井戸を覗いてみても居ない。千鶴はしばらく考えて、まさかと思ったが蛇の目傘をさして裏の壬生寺へ向かう。
 けぶる様な雨に辺りはしっとりと濡れていて、寒さのせいか人気はほとんどない。重そうに垂れ込めた鉛色の空を見上げて千鶴は少しだけ心配になった。かなり寒くなってきているしこんな雨の中で、総司はいったいどうしているのか。濡れていたら風邪をひいてしまうのでは……
壬生寺の境内まで石段を上ると、果たしてそこには人影があった。
「おっ沖田さん…!」
総司は雨の中で一人、素振りをしていた。千鶴は驚いて駆け寄る。
「か、風邪をひきますよ!早く屯所に……!!」
蛇の目傘をさしかけようとする千鶴を、総司はうるさそうに払った。
「僕は放っておいていいから。君は屯所に戻りなよ」
「ダメです!近藤さんから頼まれてるんです。沖田さんが風邪をひいたらみなさん心配します」
「うるさいなあ……ほんとに君ってあきれるくらい馬鹿だよね」
そう言ってようやくこちらを見た総司は、前髪から滴る雨を髪をかき上げて拭った。
「生きるための本能が欠けてるっていうか。あの林であれだけ脅したのに、また傍に寄ってきてうるさく言うとかさ。ほんと呆れるね。君、自分は斬られないとでも思ってるの?」
きつい言葉に千鶴は一瞬ひるんだ。しかし千鶴より頭一つ高い身長や広い肩、がっしりした腕にもかかわらず、濡れている総司の姿は誰かに助けを求めている迷子の猫のようで、千鶴は総司の冷たい言葉を素直に聞く気にはなれなかった。
少し迷ったものの、まっすぐに総司に目を向ける。
「……あの夜、私は羅刹に殺されるところでした。沖田さんが助けて下さらなければ本当に死んでいたと思います。土方さんもおっしゃってましたが、だから……だから私の命は沖田さんのものです。沖田さんが私を斬ると言えばそれも運命だと思っています」
「……」                       総司の若葉色の瞳が見開かれ、長い茶色の睫がぱちぱちと瞬く。そして雨に濡れたままポカンと口を開けて千鶴の顔を見つめた。千鶴は総司の目を見て続ける。
「私は沖田さんが私を斬るまで沖田さんの傍に居て命を助けてくださった恩を返すつもりです。だから沖田さんがうるさがっても、沖田さんの心配をします」
千鶴はそう言うと、一歩前へ進んで総司を傘の中に入れる。背の高い総司の頭が傘につかえないように、腕を精一杯上にあげて。
 千鶴は何故こんなに必死に総司に構うのか、自分で自分がわからなかった。
土方と近藤に、総司に今日言われたことやられたことを全て話し『世話人を変えて欲しい』と言えば、総司は土方達に少し叱られて千鶴は別の人の部屋に移されて終りだろう。そうなれば総司が望む通り、千鶴はもう総司に関わることは無くなるのだ。
しかし理由はわからなかったが千鶴は総司の傍にいる理由が欲しかった。傍に居てよくわからないこの人をわかりたいと思ったのか、単に一か月近く一緒にいた愛着なのか千鶴にもわからないけれど。
 狭い傘の中に閉じ込められたような空間ができる。   その中で二人は見つめあった。
甘い雰囲気などではなく、千鶴は総司に拒否されても食い下がろうと必死に見つめ返し、総司は驚いたまま目を見開いて千鶴を見ている。
暫くの沈黙のあと、総司が静かに聞いた。
「……僕が恩なんて返さなくていいって言ったら?」
「恩を返すか返さないか、決めるのは私です」
「……人の命なんか預かる気はないよ。僕は自分のしたいことをするだけだ」
「……私もです」
「……」
二人の吐く息だけが、白く空気をゆらす。
総司はとうとう吹き出し、濡れて目にかかる前髪をかき上げて千鶴を見た。
「やっぱりあの時、君が羅刹に殺されちゃうまで黙って見てればよかったなあ」
総司の笑顔を見て、千鶴の肩からもほっと力が抜けた。今なら聞いてくれるかも、と千鶴は総司に言う。
「沖田さん……近藤さん、とても心配してらっしゃいました」
「……」
総司は木刀を構えたまま動かなかった。
「戻りましょう?これ以上心配かけちゃダメです」
総司は木刀を下げ、少し先の地面を睨むように見ている。
「……君も土方さんが正しいと思う?」
唐突に聞かれて、千鶴は「え?」と総司の顔を見た。総司は千鶴の瞳に視線をあわせてもう一度聞いた。
「脱走者は佐々木がはじめてじゃないんだ。前に脱走したヤツは斎藤君が追いかけた。かなり抵抗したみたいで出先で斬って帰ってきて……そう、僕と同じだよ。その時の土方さんは『斎藤が連れ戻せなかったんならしょうがないな』でオワリ。僕とえらい違いだと思わない?」
千鶴は屯所での斎藤を思い浮かべた。最初は冷たい人かと思っていたが細々と心配したり手助けしてくれたり……意外に世話好きな三番組組長。剣の腕は総司と肩を並べるほどで冷静沈着。
その斎藤が『生きて連れ戻せなかった』と言えば、なるほど千鶴でもそれならしょうがないと思ってしまう。逆に総司の場合は……まだひと月しか一緒にいないが、面倒だったのかとか殺したかったのかとか……あっさり判断を下して斬ってしまったのではないかと考えてしまうのだ。
 実際あの場にいて、確かにあの佐々木と言う人は連れ戻す道中もなんやかやと面倒をかけそうで、屯所に戻ってきても結局は総司が斬ることになっただろうと思う。
だがあの場面を見ていない土方が、総司を責めるのも仕方がないように思えて……
「……わからないです。あの人が逃げたこととか命乞いをしたこととか、私は実際に見ているので、沖田さんが隊のためにならないことをしたとは思いません。だけど土方さんはそれを見ていないので……」
「斎藤君の時だって土方さんは見ていない。だけど斎藤君の言葉を信じたんだ」
「それは…昔から一緒にいた気安さとかそういうのがあって沖田さんには言いやすいとか……」
千鶴が必死になって考えて答えると、沖田は一言で言い捨てた。
「違うね。土方さんは……近藤さんも、危険な汚れ仕事を僕にやらせたくないんだよ」
斎藤君には頼りにして頼む癖に……と悔しそうに言う総司を見ながら、千鶴は不思議に思った。
「それだけ沖田さんを大事に思ってらっしゃるってことじゃないんでしょうか?」
「僕はもう子供じゃない。新選組の……近藤さんの剣になりたいしなれると思ってる。違う?」
「……」
 初めて知った総司の心の中に、千鶴は驚いた。そして同時に――変な言い方だが感動もしたのだ。ひらりひらりと軽く舞うような総司の中に、こんなにしっかりとした筋があったなんて。それを素直に真っ直ぐに行動に移しているなんて。
「……近藤さんのために、人を斬る……」
千鶴がつぶやくと総司は頷いた。
「僕は正直幕府とか薩長とかどうでもいいんだ。その人達が僕に何かしてくれたことなんて一度もないからね。でも近藤さんが幕府のために新選組を強くしたいと思っているのは知ってる。それなら僕ができることは新選組のためにならない人間を斬ることだよね」
総司の言うことはわかるし筋が通っている。しかし千鶴には土方と近藤の総司に対する思いもわかった。
「……沖田さんは人を斬ることについて何も思わないんですか?」
「思わない」
きっぱりと総司は即答した。
「新選組の為に、命令があればたとえ仲間でも僕は斬るよ。近藤さんを――新選組を大きくするためには必要なことだ。それは土方さんもわかってる。僕が新選組のためにできることは人を斬ることだけで、そして僕はそれがとても上手くできるんだから近藤さんも土方さんも、僕を上手く使うべきなんだよ。過去の感傷なんかにとらわれていないでさ。僕は覚悟なんてとっくに決まってる」
 総司の答えは感動するくらいすっきりとしていた。組織を大きくするためには人を斬り恨みを買う必要があるという覚悟を、総司はすでに持っていた。近藤や土方ももちろん覚悟はあるが、総司に対しては弟的存在に対する愛情からその覚悟も揺らいでしまうのだろう。
 千鶴は総司の整った横顔を見上げる。
雨粒が彼の柔らかそうな髪から滴り、すっきりした頬を伝い顎から落ちる。滴る水滴でさえも、彼の強い意志を飾る宝石の様だ。
「僕が人を斬ると近藤さんが悲しむのは知ってるよ。近藤さんが僕にはきれいな心とか志があると思ってくれているのもね。でも僕は正直他の人の命とか武士としての志なんてどうでもいいんだ。好きなのは近藤さんだけで、その近藤さんのために僕が出来ることは人を殺して新選組を大きくすること。近藤さんは悲しむかもしれないけど、僕にはそれしかできないんだよ」
千鶴に話しているのではなく、自分自身の心の奥を覗き込んでいるような総司に、千鶴はもう何も言えなかった。
この世で好きなのは近藤さんだけ――
その好きな人の望む自分にはなれないという哀しさが、総司の瞳にはありありと見える。
それでも、総司に好きなものがあってよかったと、何故か千鶴はそれがとても嬉しかった。
きっとそれがあるから総司は今まで生きてこられて、それがこれからも総司の救いになるのだろう。
 総司の生き方が間違っているのか、近藤達の心配の方が過保護なのか、千鶴にはよくわからない。それでも今目の前にいる総司は、とても素直でまっすぐで、『きれいな心』を持っていると千鶴は思った。
人を何人斬ろうとも、決して汚れない『きれいな心』を――



 

第五話 へつづく 




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