LOVE STORY  




第三話 




布団は左之がどこからか持ってきてくれた。
布団一式を千鶴に渡しながら、左之はヘンにからかうことも脅すこともなく「何かあれば言えよ」と言ってくれた。たん、と軽い音をさせてふすまが閉まると、狭い部屋に総司と二人きりだ。
「……」
よろしくお願いします、と挨拶するのも拉致され軟禁された身としてはおかしな感じがして、千鶴は黙って布団を部屋の隅へを動かす。もともと狭い部屋なのでできるだけ離してもほぼ横並びの隣合わせのようなものなのだが。
「あの……ご迷惑をおかけします……」
気まずい沈黙に耐えかねてとうとう千鶴がそう声をかけると、総司は立ち上がった。背が高い人だなとは思っていたが、狭い部屋に二人きりになると余計にそう感じる。しかし動きがどことなく優雅で威圧感は感じなかった。
「やっぱりあいつが君を殺しちゃうのを黙って見ていた方が楽だったね」
刺のある言葉に千鶴がひるむと、総司は手ぬぐいを取り出しながら彼女を見て、溜息をついた。
「綱道さんの娘っていう君の立場が何か新選組の役に立つかもしれないし、近藤さんからも頼まれたし、まあ面倒は見るよ。いたれりつくせりってわけにはいかないけど。とりあえず僕は風呂に入ってくる。君も体をふいてさっぱりしたいなら、あっちの障子から裏庭に出られるから。そこにある井戸は平隊士は来ないから水くんで、寒いかもしれないけどこの部屋の中でどうぞ。水こぼさないでよ」
「あ、ありがとうございます、あの……」
出て行こうと襖に手をかけていた総司はめんどくさそうに「何?」と振り向く。
「あの、手ぬぐいのようなものを何か貸していただけないでしょうか……」
「ああ、そっか。いきなりさらわれたから何にも持ってないんだね」
総司はそう言うと自分が肩からかけていた手ぬぐいを千鶴に放る。
「それ、あげるよ。洗濯は一応してあるから」
面倒がられると思いきや意外にあっさりと手ぬぐいを渡されて千鶴はパチパチと目を瞬いた。もっとつんけんとイヤミを言われるたり口をきいてくれなかったりするのかと思っていたのに、そのまま総司は部屋から出て行った。。

……よくわからない人だな……

千鶴は首をかしげながらも、総司が帰って来る前にと、急いで行動を開始したのだった。

 

 そうして、一か月後―

 初めは右も左もわからない屯所生活だったが、慣れるものだ。住人達についても、当初は千鶴は警戒してびくびくしていたのだがだんだんと人となりが分かり、千鶴も新選組幹部たちもお互いが慣れてきた。初めの頃は総司の部屋に軟禁状態だったのだが、千鶴が逃げ出そうとせず素直に言うことを聞いていたので徐々に監視の目も緩み、今では共同生活と言ってもいいくらいになっている。
 そして同室の相手は――相変わらずよくわからない総司だが、千鶴は表面上はうまくやっていけるようになっていた。日常会話だけのつきあいに限って言えば、総司は明るく付き合いやすい人だった。
少しだけ意地悪…というかからかうような話し方はするが、それも嫌がらせという訳ではなく千鶴の反応を見て楽しんでいるだけのようだ。
昼の明るい光の下で見る彼の瞳は、はっきりした若草色だった。笑う時や楽しんでいるときはきらきらと金色が飛びとてもきれいだ。あの夜、透明かと思う位薄い色だと思ったのは気のせいだったようだ。
髪も薄い茶色でやわらかそうで、背もすらりと高くて、千鶴がこれまで一緒に暮らした事のある父の綱道や兄の薫とは全然違う。
家族以外の若い男の人と気軽に話す機会もなかった千鶴は、未だに赤くなったり青くなったりしてしまうし、男所帯の中で女であることを隠して生活をする気疲れはあるものの、おおむね生活は快適だった。
 しかし綱道と薫の情報は、相変わらず無い。
千鶴は京の町に探しに行かせてくれないかと土方と近藤に頼んではいたが、千鶴の護衛(というより千鶴に逃げられないための見張りだろう)のための人員が避けないという理由から、延ばし延ばしになっていた。

 そんなある日。朝飯の後、千鶴と総司は近藤の部屋に行くように言われた。
何か話があるのかと近藤の部屋に入ると、そこには山南と近藤、土方が既に座っている。
「何事ですか?」
総司が座り、その横に千鶴がちょこんと座ると、待ちかねていたように土方が切り出した。
「佐々木が見つかった」
「あの脱走した?」
総司が言うと、山南もうなずく。
「観察方が、京のはずれの佐々木の実家にかくまわれているのを見つけてくれましてね」
総司は軽い感じでうなずくと、脇に置いていた刀をとりあげ立ち上がった。
「わかりましたよ。じゃあ行ってきます」
「殺すなよ。屯所に連れ帰って来るんだ」
土方がそう言うと、総司は肩をすくめる。
「努力しますよ」
そう言ってスタスタと出てい行く総司を見て、千鶴は中腰になった。出ていく総司と目の前の土方達と見比べて「あの、あの……」と自分はどうすればいいのかと焦る。    これまで何度か、屯所内での総司の隊務の手伝いはしたことがある。書を書く手伝いとか探し物とか、そんな程度だが。しかし屯所外での総司の隊務には、千鶴は同行はしていなかった。けれども今、ここに呼ばれたということはこの隊務には千鶴の役割もあるのだろうか?
 土方は自分の脇に置いてあった刀を千鶴に渡した。
「これ……?」
「以前預かっていたお前の小太刀だ。これを持ってお前も総司と行け」
「え?」
千鶴はとまどった。その佐々木と言う人は何か綱道にゆかりのある人なのだろうか?脱走者の捕物に千鶴がついていって何かの役に立つとは思えないが……
おずおずと小太刀を受け取ると、今度は近藤が千鶴を見て言った。
「別に君は何をする必要もないんだ。総司は……なんというか暴走する性質でな。君が居れば少しは抑えるだろう」
お目付け役というわけか。あの総司が千鶴の存在一つで行動を左右するとは思えないが。
 千鶴は最初の夜の、羅刹を一刺しで殺した総司や頬に血を付けたまま平然と道を歩いていた彼を思い出す。
あの後、屯所の外では何回か斬り合いがあり総司も参加していたようだが屯所の中はいたって平和で、千鶴もあの後はあんな総司は見たことはなかった。しかし総司自体はもちろん変わっていないのだから、今日の隊務での総司はもしかしたらあの夜のような総司なのかもしれない。
少し怖いが、しかし外に出られるのは嬉しい。同行するのがあの総司とはいえ、隙があればもしかしたら逃げ出すことができるかもしれない。
 千鶴は近藤達に挨拶して小太刀を持つと、急いで総司の後を追いかけた。そして考える。
 京に来てみて千鶴が綱道と薫の行方についてわかったこと。
綱道が、薫の文にあったとおり幕府の実験に携わっていたこと。しかしそれなら同じ幕府側の新選組にも行方が分からないと言うのはおかしい。幕府側ではないどこかにさらわれたのか、それとももうすでに幕府側に殺されていまったのか。後者だとしたら土方は『綱道の行方を捜している』とは言わないだろう。多分綱道は幕府とは別の勢力にさらわれたのではないだろうか。薫はそれを探っているはずなのだから、綱道の行方が分かれば薫についてもわかるかもしれない。

 それなら、新選組にお世話になっていた方が父様の情報は入りやすいのかな……

新選組から逃げ出したとしても、右も左もわからず知り合いもいない京の町で一人でうろうろするだけだ。それよりは人数も多く組織的に動いている新選組に身を寄せていた方が良いのかもしれない。それなら、今、近藤たちからたのまれた『脱走者を隊に連れ帰る』という仕事を一生懸命こなした方が良い。
 千鶴は支度を終えて屯所から出ようとしていた総司に追いつくと、近藤達に千鶴が指示されたことを伝える。
案の定総司は顔を露骨にしかめた。
「ええ?面倒を見るってそこまで入ってるとは思わなかったなあ。近藤さんの命令なら仕方がないけど……君なんかいてもなんの役にも立たないと思うけどね。まあいいや、迷惑かけないように大人しくしてなよ」
「はい」
今逃げ出すのはとりあえずやめることにして、千鶴は素直に頷いた。総司が本当に暴走したとして、いったいどうすればいいのかと考えながら、千鶴は大股で歩く総司の後を小走りで追いかけたのだった。
 脱走者をどうやって捕まえるのかと思っていたら、意外にも総司はまっすぐにその家の玄関口へと立った。小間物問屋らしきその家の玄関口に立つとすぐに丁稚がやってきて用件を聞く。隊服を着ていなかった総司が「新選組です」と告げ、脱走者の息子さんに会いたいと告げると丁稚は青ざめた。
「へ、へえ……。ではこちらで少しお待ちを……」
入口にある上り口に座布団を二枚置かれて、千鶴と総司はとりあえずそこに座った。暖かいお茶も出してもらい、千鶴はほっと湯呑に口をつけて冷えた体を暖める。総司は何か別の所に意識を集中させるようにしてしばらく黙り込んでいたが、剣を持ってすっと立ち上がった。そしてそのまま無言で玄関口から出て行ってしまった。
千鶴はあわてて湯呑を置いて総司の後を追いかける。総司は刀の柄に手をかけたまま大股で屋敷の裏側へと歩いて行く。勝手に入ってしまっていいのかと千鶴が気にしつつもついて行くと、屋敷の裏にある蔵のそのさらに裏から小さな声が聞こえてきた。
「早く!早く逃げてください!」
「わかった!父上と母上にはよろしく伝えてくれ!」
その声が聞こえてきた途端、総司は走り出した。
 今の声は脱走者の佐々木という人の声ではないだろうか。まさかまた逃げ出そうというのか。千鶴も、置いて行かれないように慌てて総司の後を追いかける。
蔵の後ろにある、葉がすっかり落ちた雑木林の奥で、ちらちらと紺色の着物が見える。総司がそれを追いかけ声をかけた。
「佐々木さん!沖田ですよ。逃げられないんで止まってください」
千鶴のところからも、佐々木と呼ばれる年上の男性が怯えたように立ち止まるのが見えた。
総司は、枯れた下草を踏みながら脚を緩めゆっくりと近寄っていく。
「新選組の隊規では脱走は切腹ですよ。わかってますよね?」
「友達に誘われて入隊しただけなんだ!しかしその友達も……!」
「殺されてしまいましたね。それで怖くなったんですか?」
妙に丁寧な総司の言葉に、千鶴は彼の顔を見た。総司は刀に手もかけておらず、うっすらとほほえみを浮かべている。そんな総司を見て、近藤が心配していたような『暴走』はなさそうだと千鶴は思った。
佐々木はガバッと土下座をした。青ざめた必死の顔で総司を見る。
「頼む!見逃してくれ!俺が新選組に居たのはたったの半月だ。給金もまだもらっていないし入隊自体なかったことにしてもらえないだろうか…!」
総司は足を止めて溜息をついた。
「しょうがないですねえ…。そんな様子じゃあ隊に連れ戻しても一人で切腹なんてできそうにないですし……」
総司の言いように、まさか見逃してあげるのかと千鶴が驚いて彼を見た瞬間、総司がすらりと剣を抜いた。
「屯所で僕が始末するのとここで僕が始末するのと、結局は同じことになると思うんで」
「ひっ…!」
佐々木が驚いて後ずさりするのと、千鶴が「沖田さん!」と叫ぶのが同時だった。
「ダメです、沖田さん!土方さんは生きたまま連れて帰るようにと……」
「うるさいなあ」
そう言いながらちらりと千鶴と見た総司の瞳を見て、千鶴は立ちすくんだ。
 凍えそうな程冷たい瞳。虹彩の色はあの夜のように透明に近い薄い色になっており、何の感情も表れていない。

 人を殺すときの目だ……

千鶴は直感的にそう思った。
これまで同じ部屋で笑ったりからかわれたりしていたときの総司ではない。
総司はその瞳で千鶴を見たまま口を開いた。
「……君は利用価値があるから生かしているだけで、別に新選組の隊士でもなんでもない。長生きしたいんなら黙っていた方が良いよ」
「……」
青ざめている千鶴から視線を外して、総司は再び佐々木に向き直った。
「脱走者の佐々木さんが抵抗して斬りかかってきたせいで雪村千鶴は斬られて死にました。佐々木さんは僕がその場で殺しました」
総司はどこか楽しそうにそう言うと、刀を振り上げる。
後はあっという間だった。
驚いた佐々木が声を上げる間もなく、白い光が彼の首から真っ直ぐに振り下ろされる。
「!」
血が吹き飛び、目を見開いたままの佐々木はそのままゆっくりと前のめりに倒れる。
ドサッという音共に地面に伏した佐々木がもう二度と動かないのを確認してから、総司は千鶴の方を向いた。そして血の付いたままの刀を千鶴に突きつけた。
「……僕が土方さんや近藤さんにそう報告すれば済む話なんだよ。君さ、自分がすごく危うい立場にいることをちゃんとわかったうえで行動した方が良いよ」
「……」
血で斑にそまった白く輝く刀と、透明なほど薄くなった総司の瞳。
どちらも凍えそうな程冷たくて、千鶴は喉の奥が締まったようになって声を出せなかった。
怯えた瞳のまま固まっている千鶴を見て、総司はつまらなそうに視線を逸らし刀を下した。
懐から懐紙を出して刀の血を拭い鞘に納め、そのまま歩いて行ってしまう。
千鶴はその場に立ちすくんだまま、地面に倒れてこと切れている佐々木と、歩き去る総司と背中とを見比べた。
 このまま佐々木をここに放置していてもいいのか、暗に『殺す』と脅かされ血まみれの刀を向けられた男について行っていいのか、しかしこのまま千鶴が逃げたら、すぐに千鶴も佐々木と同じ結末になるのは目に見えている。
 千鶴はまだ震えている膝をなんとか動かして、総司の後を追った。

 これは近藤が言うところの『暴走』なのだろうか?
佐々木を殺してしまうことが?
でも総司は、佐々木を屯所に連れ帰っても結局総司が佐々木を殺すことになると言っていた。一か月新選組に居た千鶴には、その理由ももうわかる。
新選組では脱走はご法度なのだ。破った場合、例外なく追手がかかり切腹しなくてはならない。しかしちんぴらの寄せ集めのような新選組の隊士で、さらに怖気づいて脱走するような人間が己自身で切腹しきれるような精神力などあるはずもない。結局そういう隊士たちは総司達幹部が斬って殺すことになるのだ。
千鶴の見えるようなところでそんなことはしないけれど、同じ屯所に住んでいればそういうこともなんとなくわかるものだ。
 しかし今回は副長である土方の命令を総司が守らなかったことも確かだ。
 命令を守らないこと、佐々木を殺してしまう事、どちらが『暴走』なのだろう?
 わかっているのは、千鶴がそのどちらも止めることができなかったということ。そして、一月傍に居た千鶴でさえも邪魔ならば総司は簡単に殺すという事実だけだった。

    
 

第四話 へつづく 




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