LOVE STORY  




第二話 


『ちづる?』
薫が奥庭の繁みをかき分けて覗くと、案の定小さな千鶴がうずくまっていた。薫は周りに誰もいないのを確認してから自分も繁みの中に入る。
 そこは暖かい陽だまりで、外からは低木が繁っているようにしか見えないのだが、実は繁みの奥にはぽっかりと隙間が空いていた。大人一人がぎりぎりしゃがめるくらいのスペースだが、五歳の子供二人にとってはちょうどいい広さで、二人はいつもここに宝物を隠したり叱られて泣くときはここに来たりしていたのだ。
 薫が、うずくまっている千鶴の隣にしゃがんで顔を覗き込むと、想像通り彼女は泣いていた。ポロポロと大粒の涙があとからあとから大きな瞳から零れ落ちている。
『……聞いたの?』
薫が聞くと、千鶴はコクンとうなずいた。
『父様と母様が死んじゃってかおるとふたりきりになったのに、かおるも……』
薫と千鶴の両親である北の鬼の頭領夫婦が人間に殺された後、残された二人の子供の養育については各地の鬼たちが口を出してきた。散々もめた後決まったのは、薫は南雲家へ養子に、千鶴は綱道の養子になることだった。
薫の出立は明日。
千鶴はまた独りぼっちになってしまう。
父と母が居なくなってしまった時もつらくてつらくてたまらなかったのに、その上薫まで。生まれたときからずっと一緒にいた薫と別々になるなどと、千鶴にとってはまるで半身をもがれるようだった。
『かおるはなんで泣かないの?』
『泣いてもしょうがないだろ』
それでも泣き止まない千鶴に、薫は溜息をついた。
『ちづるは一人じゃないよ。ほら昔爺様がまだ生きてた頃言ってただろ?人も鬼も、死んだ後も何かに姿を変えて家族を傍で見守ってるって。北の鬼は何に姿を変えるか覚えてる?』
千鶴はひっくとしゃくりをあげながらも顔をあげて、思い出すように頭をかしげた。
『……白い鳥?』
『そう、ほら上見てみろよ』
薫はたまたま上に白い鳥がとまってるのを見て千鶴の気をそらせればと思って言ったのだが、思った通り千鶴は泣くのを忘れてポカンと口を開けて後ろの木の枝を見上げた。
『と、とり…!かおる!白い鳥がいっぴきとまってる!』
鳥は『いちわ』だろ、といつものとおり訂正して、薫はにっこりと微笑んだ。
『ちづるがちゃんといいこでいるか父様が見に来てくれたんだよ』
『あれは母様だとおもう』
大真面目な顔で訂正する千鶴に、薫は『まあどっちでもいいけどさ』と言うと、もう一度千鶴の顔を覗き込んだ。
『な?母様がちゃんとそばにいてくれるんだからちづるは一人じゃないんだよ』
これで泣き止むかと思ったのだが、千鶴は『父様は?』と再び頭をかしげた。
『父様はなんできてくれないのかな?』
『……父様は…』
なんとごまかそうかと薫が視線を泳がせたとき、バサッという羽音とともにもう一羽、白い鳥が木の枝に舞い降りた。
『あ…!』
千鶴は無邪気に喜んでいたが、これには薫も驚いた。口から出まかせだがかなりの信ぴょう性を持たせることもできたし。
『今はまだこどもだから大人の言うことを聞かないといけないけど、大きくなったら千鶴に会いにくるよ。それで父様たちとくらした北の土地に戻ってまた一緒にくらそう』
 自分勝手な人間たち。自分勝手な鬼たち。
人を、鬼を、世間を冷静に見る性質の薫にとっては千鶴以外のすべては憎むべき対象だった。薫たちの希望など聞く気もなく、大人たちそれぞれの都合のいいように双子の運命をあやつろうとする傲慢な奴ら。

南雲に行っても誰にも心を許したりしない。
いつか必ず見返してやる。

薫の決心になど気づかずに、千鶴は薫に聞いた。
『じゃあ、南雲に行っちゃったら薫も白い鳥になってちづるに会いに来てくれる?』
『いや、俺は生きてるから鳥にはなれないと……』
『じゃあてんとうむしでいいよ』
千鶴がそういうと、妙に大人びた双子の兄は一瞬キョトンとして。
そして次の瞬間笑い出した。
両親が死んでから初めての、心からの笑顔。それを見た千鶴も、なぜか楽しくなって笑う。

二人の笑い声は冬の午後の陽だまりに優しく溶けた。

 

 

 

「名前は」
「……」
「目的は何だ。どうしてあの部屋にいた」
「……」

 まるでちんぴらのようなガラの悪い男たち―新選組組長の中でも幹部ばかりらしい―に囲まれて、千鶴は蝋燭の明かりだけの薄暗い部屋の中で座らされていた。
真ん前には先ほど『背を向ければ斬る』と言った人が座り、千鶴を鋭い目で観察している。土方という名のその人は、驚くほど整った顔だが総司をと同じく冷たい瞳をしていた。
「……女相手に拷問はしたくねえんだがな。何もしゃべらねえとなったらそれも考えるぞ」
土方の脅すような言葉に、千鶴はパッと顔をあげて彼を見た。それと同時に後ろと横から驚きの声があがる。
「女!?」「こいつが?」
「新八、平助、静かにしろ。仕草を見ていればわかるだろう」
斎藤という、あの実験室に二番目に現れた黒ずくめの男性が静かな声でたしなめた。千鶴は着物のののど元をかき寄せる様にして彼を見る。緑の瞳の『総司』にしかばれていないと思っていたのに。彼が他の二人に言ったのかと思ったが、どうやら千鶴の男装は他の二人にもばれていたらしい。斎藤は千鶴とあった視線をふいっとそらして土方を見る。
「副長、いかがなさいますか」
赤い髪をした左之と言う男性が、首筋をかきながら言った。
「何か変だとは思ったがな……なるほど、女だったってことか。こりゃ少しやっかいだな。吐かないなら閉じ込めておくのはどうだ?」
「ふむ……総司はどう思う」
土方が尋ねると、総司は肩をすくめた。
「拷問とか監禁するよりも、口封じするなら殺しちゃうのが一番だと思いますけどね。この子があそこにいた理由がわかったところで僕たちに大した影響はないでしょう?」
 あからさまな言葉に千鶴は息をのんだ。       
医者の娘として平々凡々の毎日を暮してきた千鶴には、『殺す』という言葉そのものが禍々しく思えるのに、総司はそれをまるで今日の夕飯のおかずのような気やすさで口にしていた。あきらかにこれまでとは違う世界の雰囲気に、千鶴はごくりと唾を飲む。
 その時襖をあけて誰かが入ってきた。
「総司!殺すと言うことを軽々しく言うなといつも言っているだろう。俺たちは志のために人を殺めることもあるが、決して人を殺すことが目的なわけではないのだと」
腹に響くようなよく通る声。口調が陽性で、そのおかげで部屋の雰囲気がぱっと変わる。総司も素直に「はい、近藤さん。すいませんでした」と謝っているのを見て、千鶴は目を見開いた。
その人は大股で部屋に入ってくると、千鶴の正面、土方の横に座る。表情はこれまでこの部屋にいた誰とも異なる笑顔だ。それも上辺の笑顔ではなく人好きする心からの。
「君にも事情はあると思う。できるかぎり悪いようにはしないから話してみてくれないか」
太陽と北風の逸話ではないが、暖かな笑顔で顔を覗き込む様に近藤からそう言われ、これまで恐怖で凝り固まっていた千鶴の心は少しだけ解けた。
千鶴の表情がほっとしたものになり瞳が潤みだしたのを見て、部屋にいた男たちも驚いた顔をする。これまでの堅い表情とは違い近藤を見る今の千鶴の表情はとても女子らしかった。男相手と同じように脅すのは女子相手には悪手だったかと土方は反省する。
 千鶴は、近藤を見て、そして膝の上の自分の手を見て、周りのむさくるしい男たちを怯えたように見て、そしてまた近藤を見た。柔らかそうな下唇を噛んで、しばらくして考えてから口を開く。
「私の名前は、雪村千鶴と申します。江戸から父と兄を探しに京に来ました」
声も震えているかと思いきや、千鶴の声ははっきりと大きく響いた。意外に芯は強く肝がすわっているようだな、と土方は思う。
「……雪村?」
山南が聞き返す。頷く千鶴を見て、山南と近藤は視線を交わせた。近藤が千鶴に尋ねる。
「君の父上はもしかして雪村綱道氏ではないのかい?」
「そうです。父を御存じなのでしょうか?」
 薫からの文には綱道は新選組にも協力しているようだと書いてあった。近藤が知っていてもおかしくはない。
そしてやはり、千鶴が思った通り新選組と綱道は協力関係にあったということを近藤が千鶴に説明した。綱道が一年程前に行方不明になったため新選組でも探していると。
「あの、兄については何かご存じないでしょうか?半年ほど前に父を捜しに京に来て、同じように消息がわからなくなってしまったんですが」
「お兄さんか。名前は?」
「薫といいます」
その部屋にいる男たちはみな組長で、新選組が集めた情報なら全て知っている立場の者たちだったが薫のことは知らないようだった。
「……そう…ですか……」
暗い顔で俯いた千鶴を見て、近藤と土方は何かを相談する。そして近藤が千鶴に提案をした。
「綱道氏の娘さんならあそこの化け物や実験についてある程度は知っているんだろう?その上今夜は容保公の牢屋敷を見てさらにそこに化け物がいることまで知ってしまった。あそこで君が見たことは、幕府が必死に隠そうとしていることで、なおかつ現在幕府に敵対している各藩が知りたいと思っていることなんだ。そのため、君が今、京の町で自由になれば各所から君の情報目当てに君が襲われてしまうかもしれない。我々としては、申し訳ないが君の安全のためにも君をここから出すわけにはいかんのだ」
「……」
「この屯所内での君の身の安全は保障する。だから申し訳ないがしばらくはここから出ずに暮らしてほしい」
近藤が告げた言葉に、千鶴を含め部屋の皆が驚いた。山南が一番に言う。
「屯所は女子禁制ですよ。日々命の危険にさらされている若い男の集団のなかにこんな女子を置くことは問題以外の何物でもないように思いますが」
土方が苦虫をかみつぶしたような顔で答えた。
「山南さんの言うとおりだ。だからこいつには男装は続けてもらってここでは男で通してもらう」
左之が質問をする。
「部屋はどうすんだ?風呂は?厠は?」
「風呂は残念だが諦めてもらう。使われていない井戸が裏庭にあるからそれでなんとかしてもらうしかねえな。厠も裏庭の幹部専用のを使えばいいだろう。部屋は……」
土方はそう言うと、皆の顔を見渡した。屯所には今空き部屋がないのだ。誰かと誰かを同室の三人部屋にして一部屋空けてもいいが事情を知らない平隊士が不満や疑問を持つ可能性が高い。そうなると誰かと同室しかないのだが……
土方はちらりと千鶴を見た。
 華奢な肩や細い腰、やわらかそうな頬は女子そのものだ。肌も抜けるように白いし艶やかでたっぷりとした黒髪はさらさらで、これに惑わされず寝食を共にできるような男は……
「総司」
土方の問いかけに、興味なさそうにぼんやりしていた総司は顔をあげた。
「お前の部屋で寝かせろ。食事はここにいる俺たち皆でとればいい。その他面倒を見てやれ」
「僕はどこで寝ればいいんですか?」
「同じ部屋だよ」
土方の言葉に部屋の皆はポカンと口を開けた。千鶴もギョッとして大きく目を開けて総司を見る。
近藤が困ったように総司と土方を見て言った。
「それは……どうかと思うぞ、トシ。総司ももう大人だ。いくらなんでも一緒の部屋じゃあ雪村君が嫌だろう」
「しょうがねえんだよ、近藤さん。部屋をこいつのためだけに一部屋空けるとなると人目を引く。他の奴らは皆相部屋で総司はたまたま一人部屋だ。ちょうどいいじゃねえか」
「それもそうだが……おれもトシも一人部屋だぞ」
近藤がそう言うと土方は困ったように頭をかいた。
「近藤さん、女に関してはあんたは甘すぎて信用ならねえんだ。俺は、四六時中女がそばをうろついてるなんざごめんだ。総司は島原にもいかねえし浮いた噂もまったくねえ。大丈夫だろ」
そう言って近藤をなだめると、土方は今度は総司を見る。
「手ぇだすださねえについてはお前は大丈夫だと思うが、それ以外についてはきちんと面倒を見てやれ。怪我をさせるな」
総司は盛大に顔をしかめる。
「えー?勘弁してくださいよ。なんで僕が?」
「お前があの屋敷でこいつの命を助けたんだ。助けた命については責任を持て」
苦しいこじつけだが土方はそう言うと、「もう遅い、とっとと寝ろ」と話し合いの終了を告げた。反論して千鶴の面倒から逃げようとしていた総司は、わらわらと立ち上がり部屋を出ていく皆を見て溜息をついた。そしてあいかわらず腕を組んで座っている土方を睨む。
「恨みますよ」
土方はうるさそうに手で払うと千鶴に言う。
「そういうわけだから、こいつと一緒に部屋に行け。足りない物や不都合なことがあればこいつに言えばいい。こいつが使えないようだったら今夜この部屋にいた誰にでも相談しろ」
「は、はい……」
総司も嫌そうだったが、千鶴の方は選択の余地はない。逃げることもできないしここにいる以上従わざるを得ないのだ。しょうがなく千鶴は立ち上がり、出ていく皆に続いて襖から廊下へ出る。
 しぶしぶ立ち上がり後に続いた総司に、土方が視線を合わせずに小さく言った。
「……逃がすなよ」
総司は黙ったまま土方を見、隣の近藤も同意しているのを確認すると、頷いてそのまま廊下へと出て行った。


  

第三話 へつづく 




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