君の名は  1






「ただいま〜」
千鶴がリビングに入っていくと、テレビを見ていた父の綱道が「お帰り」と振り向いた。
そしてまじまじと千鶴の顔を見る。
 千鶴は少しだけ赤くなって、切ったばかりの自分の髪を触った。
「切りすぎたかな?肩くらいって言ったのにちょっと短くなっちゃって……」
 長さは確かに肩までなのだが、全体的にかなりすいてあり印象としては長めのショートカットだ。
 綱道は千鶴の言葉に首を軽く横に振った。
「いや、さっぱりしていいと思うよ。前は伸びすぎてたからな。ただなんというか……」
そう言いかけた時に、トントントンと階段を降りてくる音がして、薫がリビングに顔をだした。
「父さん、何か飲み物……」
薫の顔と千鶴の顔を見比べて、綱道はうなずく。
「そうだな。薫みたいだって言おうとしたんだよ。薫は伸びすぎで、千鶴は逆に少し短めにさっぱりしたから同じ髪型みたいだ」
 綱道にそう言われて、千鶴と薫は顔を見合わせた。
ふたりは双子で、男女だからもちろん一卵双生児ではない。だからそっくりではないのだが、やはりそこは血縁。同じ年齢同じ環境で過ごしてきたかなり近い血縁のせいかとても似ていた。どちらがどちらかわからなくなる、などということはないのだが、後ろ姿とか横顔、肌や髪の質に指先や体のサイズが似ているのだ。年齢的にも十七歳で、まだきっぱりと男体型、女体型に別れる前だ。その上二人ともどちらかというと痩せぎすでほっそりしているため、余計性別不詳で似て見えた。
 似てると言われて薫は「そうか?」と興味なさそうに肩をすくめ、冷蔵庫からポカリスエットを取り出すとごくごくと飲んだ。
「薫、調子はどうなの?」
「熱は上がったり下がったり。しんどいのはだいぶ取れたけど」
 薫が熱で寝込んだのは四日前。病院ではインフルエンザと診断されていた。
綱道が言う。
「もうあと二、三日は安静にしておかないといかんな」
綱道の言葉に、千鶴は壁にかかっているカレンダーを見た。
「でも、薫。明日は薫の高校の学園祭の一般開放の日じゃないの?」
 薫が通っているのは有数の進学校である薄桜学園だ。もとは男子校だったが今は女子も入学しており、共学だ。昔からの伝統校のため学園祭はかなり大規模で本格的にやる。人手も多く必要だろう。
 文武両道を謳っているためいろんな方面で活躍している生徒が多く、特に男子スポーツ系の部活の躍進が目覚ましい。一般に開放する学園祭には近隣の高校から女子生徒が押し寄せる恒例行事になっていた。
 千鶴の通う島原女子校のみんなも明日の一般開放は絶対行くと意気込んでいたし、千鶴も友人の千と一緒に明日は薄桜学園祭に行く約束をしている。
薫はおかゆを食べながら顔をしかめる。
「あー……そうだった。俺は明日、駅前でビラ配りをしなくちゃいけないだった……」
「ビラ配り?」
「そう。駅にいる一般の人向けに学園祭のチラシを配る役。ちょうど駅前の広場でフリマがある日だからそこの客を学園祭に呼び込むんだってさ。風紀委員から俺一人と、文教委員から一人だしてふたりで朝九時から夕方の五時までチラシ配布と学園に来る人への道案内をしないといけない」
「でもそのインフルエンザだし、その熱じゃ無理じゃない?」
「……」
もう一口ポカリを飲んで、薫は千鶴を見た。
「……お前、前に俺が貸した電子辞書壊したよな」
唐突に言われて、薫が食べ終えた一人鍋を片付けていた千鶴は面食らった。
「う、うん……ジュースこぼしちゃって……謝ったよね?バイトして返すからちょっと待ってって」
「バイトは見つかったのか?」
千鶴は首を横に振った。
「ううん、条件があわなかったり不採用だったりで、まだ……」
薫はそれを聞くと、「よし」と言って立ち上がった。
「明日、お前が代わりに行けよ」
土鍋とコップの乗ったお盆を下げようとしていた千鶴は、薫の言葉に首をかしげた。
「え?」
「電子辞書壊したのはそれでチャラにしてやるから、明日、お前が駅前でビラを配っといて」
「私が?」
薫の意図がわからず、千鶴の首はさらに深く傾く。「私が行っても他校の生徒に自分の学園祭のビラ配りなんてさせてもらえないと思うけど……」
島原女子校の生徒が薄桜学園の学園祭のビラを配ってもいいのだろうか?
 千鶴の言葉に、薫はめんどくさそうに答えた。
「だから俺のふりをして行けっていってるんだよ。風紀委員から代表で一人出すことになってるんだ。欠席したら迷惑がかかる」
薫の提案に、千鶴は目を見開く。
「え、えええ!?私が薫のふりをしてビラを配るの?そんなの無理に決まってるよ!男のふりをするってことでしょ?いくら身長が同じくらいだからって制服のサイズだってあわないし……」
「大丈夫だよ。明日は黒いシャツに黒いズボンとなんか変なエプロンでビラを配るって決まってるから制服じゃない。さっき父さんが言ったみたいに、髪型も似てるし背格好も似てる。学園外でパッと見じゃ俺じゃないなんてわからないさ。それに配るのも学校じゃないから俺の顔を知ってる学園の生徒は一緒に配る文教委員のやつだけだ」
「その人が薫のことを知ってるなら、薫じゃないって絶対バレちゃうよ!本来なら欠席だったのに私が不正をして出席扱いになってたなんて、バレたら問題になるんじゃないの?」
昔風の校風の薄桜学園は出席日数や集団の中での規律にとても厳しいのだ。それをこんな形でごまかしたなんてバレたら停学になってしまってもおかしくない。
薫は鼻の頭にしわを寄せた。
「文教委員のやつは……バレても大丈夫だよ」
「大丈夫って……そんなの、そんなこと言われても安心できないよ。私のせいでなにか問題が起きるくらいなら素直に風紀委員の皆さんに謝って代わりの人を頼んで休んだ方が……」
「じゃあ電子辞書を今すぐ返せよ」
「そんな…!そんな、横暴だよ!」
「どこが。もともとは貸してもらったものを壊して返してきたお前が悪いんだろ。いいから明日バイトだと思って一日ビラ配ってこいよ。文教委員のやつにはバレても問題にならないから。いいな?」

 


 次の日の日曜日。千鶴は、千に『一緒に薄桜学園の学園祭に行けなくなってしまった』と謝りの電話を入れた。学園祭の客ではなくスタッフとしての参加になってしまったのだ。誰にも内緒で。
 薄桜学園の学園祭は季節はずれの冬にやる。今日はかなりの寒さだが、天気は良く青空だった。
 学祭委員から支給されたシンプルな黒のシャツは薫から借りて、ズボンも薫の制服の黒のズボン。もともと胸もあまりないし、腰も細い。薫もそうなので、悲しい事実だが問題は全くなかった。薫の言っていた『変なエプロン』は、焦げ茶色の長い丈のギャルソンエプロンで、腰周りと脚がすっぽり隠れている。そして黒のダウンを着てエプロンをすれば体型からはますますわからないだろう。
「私、じゃなくて、俺。それから薄桜学園二年A組。出席番号二十六番……」
 駅に向かって歩きながら、千鶴は薫の個人情報を何度も繰り返して忘れないようにする。だけどこのあたりを完璧にして薫になりきったとしても無駄のような気もする。
だって一緒にチラシを配る予定だという文教委員。薫に聞いたところ、彼は……
千鶴は昨夜の薫との会話を思い出した。

『……時々家に電話をかけてくるヤツいるだろ?男で』
『え?薫の携帯じゃなくて家の電話にってこと?』
『そう。明日一緒にチラシを配る文教委員のやつはそいつで、そいつは……その…バレンタインでチョコ渡してきたり変な手紙を送ってきたりするやつなんだよ』
『あ……』
視線をそらせて吐き捨てるように言う薫の顔には、嫌悪が溢れていた。それを見て千鶴はいくつの出来事に思い当たる。
 薫には熱心なストーカーがいて、それは実は同じ学園の男子校生なのだ。薫が携帯の番号を教えていないせいで連絡網を調べて家の電話にちょくちょく電話をかけてくる。千鶴も何度かその電話に出たことがあるが、決して薫に回すなと厳命されているので、いつも薫は外出中ですと言って断っているのだ。バレンタインにチョコをもらってきた時も、女の子から?と千鶴がワクワクしながら薫に聞くと、薫はゴミ箱に投げ捨てしまった。同じくラブレターらしきものがゴミ箱に入っているのを何度か見たことがある。チョコのメッセージカードもラブレターの字も同じ筆跡で、どう見ても女子の字ではない。
 それでなんとなく、千鶴と綱道は、薫が男から熱烈にラブコールを受けていることを悟ったのだった。
『……もしかして、その人?』
千鶴が聞くと、薫の眉間のシワはさらに深まった。
『……学園祭の役割分担を決める全体会議で、俺が決まったとたんにそいつが立候補してきやがった』
『でも、そんなに薫のことを好きな……』
じろりと薫に睨まれて、千鶴は『ごめん』と謝り言い直す。
『その、そんな人なら絶対私が薫じゃないってわかるよね?』
『……そいつとは話したことはほとんどないし避けまくってるから近くに来たこともない。学年も違うし部活も委員会も違うから、多分入れ替わってもわからないんじゃないかと……思う』
 好きな相手が違う人間と入れ替わっていて気づかないなんてことあるのだろうか?千鶴は首をかしげる。
 好きなら目が勝手に追ってしまうしその人のことならなんでも知りたいと思うだろうからちょっとした変化でもすぐに気づくのではないだろうか。それともそれは女子特有の好きになり方なのか?
 薫も確信がないようで、付け加えた。
『たとえわかってもあいつは何もしないよ。学校に言いつけたりお前にしつこく聞いたりしたら俺に嫌われると思うだろうし。何してももう嫌ってるけど』
千鶴は、もし薫が風邪をひかなかったら、と想像してみた。
自分を狙っている同性に始終じろじろ見られながら、一日二人きりでチラシ配りとか、薫は発狂してしまうのではないだろうか。もしかしたらそれが嫌で体が拒否反応を示し、熱を出したのかもしれない。まあ、熱はインフルエンザのせいなのだが。
 電子辞書の件もあるし、薫の助けになるんだし……
ほんの少し、入れ替わりなどという悪事に加担することによる良心の痛みはあるが、薫も千鶴もハッピーになるのだし、と千鶴は自分に言い聞かせ、明日駅前へ薫のふりをして行くことにしたのだった。

 

 

同じ日の朝――

「総司!!!てめええええ!いいかげんにしろ!」
土方の怒鳴り声が、一般公開日を迎えて浮き立っている薄桜学園職員室の中に響いた。
 土方はふるふると震える手で、ぐしゃっと丸めた紙を握りしめている。
「なんでそんなに怒るんですか。うちの学園の名物イケメン教師をさらに売り出してあげようっていう思いやりなのに」
土方の怒りなどどこ吹く風で総司は暇そうに自分の指を見ている。
「どこが思いやりだ!俺のプライベートの写真をだなあ!勝手にプリントして剣道部部員に今日配らせるよう指示してたそうじゃねえか!悪ふざけもたいがいにしろ!しかもこりゃあ盗み撮りだろ!」
「盗み撮りなんかじゃないですよ、オフショットって言ってください。結構いい顔してるのを集めてあげたつもりなのになあ」
土方に握られていたA4の紙には、寝起きの土方、考え事をしている土方、テレビを見て笑っている土方、机で眠り込んでいる土方……様々な土方の日常の写真が印刷されていた。
「てめー全然反省してねえな……!」
土方はへらへらと笑っている総司をどうしてやろうかと睨みつける。
 そのとき、職員室にプロレス部の大柄な男子生徒がのっそりと入ってきた。
「土方先生、自分、今日駅前のビラ配りなんでチラシをもらいに来ました」
「ん?ああ、そうだったな……そうか!よし!」
土方は何かをひらめいたようにきらりと目を光らすと、となりの机に置いてあった大きなダンボールを持ち上げて、プロレス部の男子生徒ではなく、総司へと渡した。
「わっ!なんですか、これ。重っ」
「先生、チラシは自分が……」
驚く総司とプロレス部の男子生徒に、土方は言った。
「今日一日仕事を交代だ。総司、お前が駅前に行ってビラを配ってこい!朝から晩まで立ちっぱなしで労働の尊さを勉強して来るんだよ!」
土方の言葉に、総司はすかさず不満を口にした。
「ええ!?なに言ってんですか、この寒空に一日駅前で立ちっぱなしなんて勘弁してくださいよ。それに僕は今日は、全国大会優勝の剣道部部長として学園の式典に……」
「こいつだってプロレス部で全国大会優勝してんだよ。そういう名誉職はお前みてえな不真面目なやつよりこいつのほうが合ってんだろ」
土方はそう言うと、唖然としている男子生徒の肩をポンポンと叩いた。
「ま、そういうわけだから。お前は制服着てのんびり朝一の式典にでるだけでいいぜ。あとは学園祭を楽しんでろ」
「いえ、自分は駅前でチラシ配りをしたいんですが」
そう主張するプロレス部の男子生徒を、土方は「わかったわかった。ほんとにお前は真面目だな。ちゃんと内申にはそこんとこ考慮してやるからよ。今日はチラシは総司にやらせとけ、な?」
強引にそう仕事を割り振ると、土方は黒いシャツとギャルソンエプロンを総司に投げた。

 一日チラシ配りなんてついてないが、適当に様子を見てさぼればいいや、と総司は気楽に考えながら駅前へと重いダンボールを持って向かっていた。一緒に配るのが誰かは知らないが、風紀委員の一人だけだと聞いている。
そいつと共謀して駅でチラシなんか配らないで即解散してもいいし、そいつが真面目なやつでサボらないなら総司だけ帰ってもいいし。
だいたい駅前に学園の人間は今日は誰も来ないのだから、チラシを配っても配らなくても誰にもわからないのだ。
「えーと、どこかな……」
黒い服に茶色のギャルソンエプロン姿を、フリーマーケットでかなりの人出の中から探す。
「ああ、いたいた」
小柄で細身の男が、駅前の掲示板の前に所在無げに立っている。
総司はそばに歩いていきながら声をかけた。「おはよう。今日一日よろしくね」
 総司の声にこちらを見た彼の顔を見て、総司は『あれ?』と思った。
 そしてその男が『こちらこそよろしくお願いします。……あの、すいません、お名前は……』と聞いてきた声と表情、仕草……全身の雰囲気のようなものを見て、総司は『やっぱり』と思った。

女の子、か。
プロレス部の文教委員が男だったから、風紀委員も男だと思い込んでたけど……

学園には数は少ないが女子もいるのだから、当然ありうる。
「沖田だよ。沖田総司」
そう答えながら、総司は結構かわいいなと思っていた。視線を感じるのか緊張した横顔にうっすらとピンクになっている頬が可愛い。まつげが黒く重そうで瞳も濡れたように黒く大きく、髪もサラサラ。

 こんな可愛い子が学園にいたなんて知らなかったな。名前は確か……

 職員室で土方から聞いた覚えがある。総司は思い出しながら言った。
「南雲……薫、ちゃんだね。よろしく」

 

 つややかな声でそう言われて、出現した男子生徒のかっこよさにポーッとなっていた千鶴は、あまりにキモさに一瞬にして我に返った。

か、薫『ちゃん』だって……!

 薫のことをすっかり女の子扱いしている。
BLに詳しい千から仕入れた知識によると、男同士の恋愛にも女役と男役がそれぞれあるそうだ。この『沖田』という男好きの男子生徒にとって、薫は女役なのだろう。薫は別に男好きでもなんでもないのに、こんな人に勝手に女の子扱いされているなんて、あれだけ嫌悪感をあからさまにするのもわかる。それに、彼は目の前にいるのが薫ではなく別の人間だと全く気づいていないようだ。
 千鶴はそれにも不信感を持った。
薫のことが好きなのではないのだろうか?一応好きな子だというのに入れ替わっているのに気づかないなんて。

 千鶴は、『よっ』と言いながら大きなダンボールを地面においているその男子生徒を見た。
一年先輩だと薫は言っていたから、今は三年生のはずの彼は、かなりひどい先入観を持っている千鶴の目から見ても格好良かった。
背が高くて頭が小さくて手足が長くて、モデルみたいだ。茶色の明るい色の髪に、同じく明るい色の緑の瞳が映えて華やかで、芸能人のようでもある。ちょっと軽そうだけど人あたりもいいし明るい。
 絶対女の子にもてるだろうに、なぜ薫なのだろうか?
特に薫は、そういう趣味のない男子だ。受け入れられないどころか嫌われて避けられているのはわかっているだろうに。それともわかっていないのだろうか?わかっていないからこそ、今こうして気安く話しかけてきたりチラシをわけたりしてるのだろうか。
自らこんな寒い駅でのチラシ配りに立候補してまで薫といっしょにいたいだなんて、見た目とは違い健気ではないか。
 千鶴は少しだけ彼が気の毒になった。

 人を好きになるのは、受け入れてもらえるからなんかじゃないよね。
きっと薫のことをほんとに好きなんだろうなあ……


 一方、総司は、思ってもいないことで千鶴の同情を買い、温かく見守られていることも知らず、今日のチラシ配りがそれほどいやではなくなっていた。一緒に配るこの風紀委員の薫という女の子は大人しそうであまり喋らないけれど、これまで総司に寄ってくる女の子は妙なハイテンションで喋りかけてくる子ばかりだったから逆に新鮮だ。顔もうつむきがちだからついついのぞきいこむような格好になるけど、それもなぜか楽しい。
「はい、これ。どーぞ」
ダンボールのなかから適当な量のチラシを千鶴に渡して、総司はニッコリと微笑んだ。

 



2へ続く

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