ひととせがさね 3






みとせ 




《初夏 藤堂平助》

「今日はみなさんお揃いなんですね」         
人数分のお茶を置きながら、千鶴が言った。 庭の若葉を梅雨の合間の日差しが照らし、部屋にいるのはもったいないくらいの気持ちのいい朝だ。
「暇なんだよ。非番なんだがこんな朝っぱらからすることもねえし」と新八。
「千鶴ちゃんも時間あんなら一緒に茶を飲んでったらどうだ」
「千鶴ちゃんのお茶は持ってきて無いみたいですよ。僕は午後から巡察ですけどね」と総司。
「そんなん淹れてくればいいじゃん。千鶴も一緒に飲もうぜ。俺も巡察は午後からなんだ」と平助が来い来いと手を振った。
「俺は土方さん待ち、だな。文書を届けなきゃならねえ。斎藤は夜番あけだろ?寝なくていいのか」
「そうだな……茶をいただいたら寝よう。そういえば、千鶴」
斎藤の声に千鶴はお盆から目を離した。
「はい?」
「勝手場の上にある棚に紙包みが置いてなかっただろうか」
「はい、そういえば」
 斎藤はうなずくと立ち上がる。
「近藤さんから皆で食べるようにと預かったせんべいだ。いい機会だから持って来よう」
 千鶴は慌てて立ち上がる。
「あのっ私自分のお茶を淹れるついでに持ってきます。斎藤さん夜番開けなんですから休んでてください」
 そう言って千鶴がとっとっとっと走り去った後、一番お盆の近くにいた総司がお茶を皆に配った。
「はい、これは……左之さんのかな。これが新八さんで、平助に斎藤君、……でこれが僕だね」
 左之は受け取るとふっと笑った。
「俺のは白湯、新八のが濃いめで熱め、平助が薄くて熱め、斎藤は普通で総司はぬるめ」
 各人の好みを完璧に反映したお茶に、皆も自分の湯呑を見る。
「……すっかりなじんだよなあ」
 新八がしみじみと言った。平助がうなずいた。
「そうだよな。新八っつぁんも左之さんもよく千鶴のところで茶あ飲んでるよな」
 左之が笑う。
「そうだな。ちょっと時間があると千鶴んとこでつぶしてんな。そういうお前だってよく団子買ってきて食ってるじゃねえか」
 平助も笑った。
「千鶴が喜ぶからさあ。一君だってなにかと親切に教えてるし、総司は……」
 言いかけて平助は首をひねった。総司が片眉をあげる。
「何? 僕だって千鶴ちゃんとよく遊んであげてるよ」
 新八が突っ込んだ。「お前のは、千鶴ちゃん『で』お前が遊んでんだろーが! やりすぎると嫌われるぞ」
総司はにやりと笑った。
「別に気にしないですけど」
 その時、「きゃーー!」という悲鳴が勝手場から聞こえてきた。皆が顔を合わせる。
「何かあったのか」
 斎藤が脇に置いてあった大小を手に取ると、皆も立ち上がった。
「誰かっ!沖田さん!」
 聞こえてきた千鶴の悲鳴に、皆はまた顔を見合わせた。総司が肩をすくめる。
「ご指名みたいですね」
そして先頭を切って勝手場へと向かった。
 なんでだ……
 なんで総司?
 あいつがなぜ
残された皆の顔には同じ思いが浮かんでいた。
 スラリという鞘走りの音の直後に、島田は自分の首筋にヒヤリとした冷たいものが当たるのを感じた。
「手を離した方がいいよ」
 静かな声は一番組組長のものだ。島田は片手だけ支えていた上棚から離した。ここは慎重に説明せねば一息で人生が終わってしまうが、両手を離すと支えている棚が雪村君の頭の上を直撃してしまう。
「沖田さん、自分です。島田です。隠密行動の途中で勝手場で棚板が外れて雪村君の上に落ちそうなのを見つけたので……」
「え?」
 そのあとすぐにバタバタと数人の音がして、島田の首は無事繋がった。首筋にあてられた微動だにしない刃先があれほど冷たいとは。
 要は下働きの男の振りをしていた島田が、千鶴の上から覆いかぶさるようにして棚板が落ちるのを支えてくれたらしい。が、あまりにも巨漢でひげもはやし堂に入っていたため、暴漢と勘違いした千鶴が悲鳴を上げてしまったということだった。
「すいません! ほんとうにすいません!」と千鶴は汗をかきながら島田と、駆けつけた幹部たちにぺこぺこ謝っていた。
 皆でやれやれと再び元の部屋に戻る途中。平助は、隣をたまたま歩いていた総司に話しかけた。
「なんで総司が呼ばれんの?」
「は? 何の話?」
 平助は、前を新八と笑いながら歩いている千鶴の横顔を指さしながらもう一度言った。
「さっきさ、助けを呼ぶとき総司の名前を呼んだじゃん」
 平助の認識では総司はいつも千鶴をからかったりいじめたりしていて、ああいう場面で呼ばれるような立場ではないと思っていたのだが。
 一緒にいるのも……一君とかとの方が多いよなあ。新八っあんがさっき言ってたみたいに、総司ってどっちかっていうとやりすぎて嫌われる方だよな?
 首をかしげている平助に、総司はいわゆるドヤ顔の笑顔で返した。
「平助、内心面白くないんでしょ、自分だって千鶴ちゃんと仲良いのにって」
「っちげーよ!」
 あっはっはっは! と笑いながら立ち去る総司。平助は蹴りを入れながらも半分図星ではあった。総司が去った後に後ろから左之が平助に声をかける。
「……結構仲良いんだよなあ、あいつら。俺も不思議なんだけどよ」
「でもさ、総司、別に千鶴にやさしいとかないじゃん?」
「千鶴にしてみりゃそうだろうけどよ、総司の方はめずらしくねえか? 近藤さん以外であそこまで何かとちょっかいかけるような相手っていねえだろ、あいつ」
言われてみれば……と平助は、新たに千鶴に話しかけて笑っている総司を見た。
 総司は千鶴を気に入ってるんだろうけど、でも助けを呼ぶ場面で総司を呼んだのは千鶴の方だしなあ。千鶴は別に特別総司にだけ…ってのは……うーん???
「あんのかな?」
 さらに首を傾げた平助。隣で左之も腕を組んだ。
「ある……のかもなあ……?」
「よくわかんねえけど……」
 平助は口をへの字にした。
「とりあえず、総司のいい気になった顔は気に入らねえ!」

 

《秋 原田左之助》

ジャッジャッという乾いた、どこか心地いい音を聞きながら左之は高い空を見上げていた。
「あーいーい天気だなあー」
「今日はあったかいですよね」
 ジャッっとひときわ大きな音で植え込みの下から大量の枯葉を掻きだしながら、千鶴が答える。そのまま竹ぼうきを持って反対側の大きなブナの木の下へ行き、新たな枯葉をはく。
 左之はそんな千鶴の姿を、屯所の縁側にすわりながらぼんやりと眺めていた。チビでガリのイメージしかなかったが、こうやってみるとそれなりに背も伸びたなあ。柳腰とまではいかねえが十分娘らしくなってんじゃねえか?そういえばあいついくつだ?
「おい、千鶴」
「はい?」
「おまえ、いくになった」
 唐突な質問に、千鶴は一瞬首をかしげたが「十八です」と答える。
 十八か……おいおいもう普通は嫁に行ってる年じゃねえか。左之は急に罪悪感のようなものに襲われた。何も左之一人が千鶴を閉じ込めているわけではないのだが、花の盛りをこんな男所帯に閉じ込められて、男のふりをさせられて、あまりにも哀れだ。女らしい装いも、女らしい楽しみも趣味も、ここでは何もできないだろうに。
「おまえ……」
 このままでいいのか? 何かしたことはないか? できないことはわかっているのに、左之は思わず言いかけて、そして驚いた。千鶴の顔がパッと晴れやかな笑顔になったからだ。
「?」
 左之が千鶴の視線を追うと、庭の向こうから背の高い男がやってくるのが見えた。「ありゃあ……」左之が目を凝らす。総司か? そして千鶴を見る。
 ああ……
 そうか、とさとるものがあった。頬がほんのり染まっているのは秋先の空気が冷たいからだけじゃない。目がうるんでいるように見えるのも左之の気のせいではないだろう。
「千鶴ちゃん、そういうのなんていうか知ってる?」
 来るなり総司は千鶴の脚元の散らばった枯葉を指さした。そして千鶴の答えを待たずに言う。
「徒労っていうんだよ。はいてもはいても落ちてくるのによくやるね」
 そういって左之の横に座る。千鶴はむくれて、それでも落ち葉掃きを続けていた。
「左之さん、休憩ですか?」
 のんきな顔で話しかけてくる総司を、左之はまじまじと眺めた。
「? なんですか? 何かついてます?」
 総司は怪訝な顔をする。
「……いや、お前いつのまに……というか、どうしておまえなんだ?」
「何の話ですか?」
「……」
 左之はさらにまじまじと総司を見た。こいつ、気づいていねえのか? いつもいやに鋭いくせに……いや、まさかなあ。
「千鶴だよ、お前が来た途端嬉しそうにしやがって。お前に惚れてるんじゃねえのか?」
 総司はハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。そして笑う。
「嫌だなあ左之さん、何言ってるんですか。あの子が嬉しそうにしたのはコレですよ」
 総司はそういうと、懐から何かをガサガサっと取り出した。そして立ち上がる。
「千鶴ちゃん! ほら、せっかくそれだけ集めたんだから、これで有効利用でもしたら?」
 大きなサツマイモを持ちながら、総司は千鶴のそばに行った。ふくれていた千鶴は、近づいてきた総司を見て再び嬉しそうな笑顔になる。そして懐にあるサツマイモを見てさらに嬉しそうな表情になった。枯葉を山にしながら総司が左之に振り向き、『ね?』というような表情をして見せる。左之は苦笑いをしながら同意をするように手を振った。
 ありゃあマジで気づいてねえんだな……まあおれも気づいたのは今日ようやくだから千鶴の奴がうまく隠してるのかもしれねえが。
 しかし、季節は巡る。桜が咲いて若葉が芽吹き、入道雲に紅葉に淡雪。毎年同じで毎年違う。ガキだと思っていた総司がいっちょまえの『男』に、同じく哀れなガキだと思っていた千鶴もちゃんと『女』になるのだ。
 いや、総司はまだガキのままか。と左之はほほ笑んだ。
 
庭では二人が、強い風にあおられて一斉に宙を舞う枯葉を見上げて楽しそうに笑っていた。

 

《冬 斎藤一》

頼んでいた物が出来上がったと聞いて、斎藤は千鶴がいつも縫物をしている日当たりのいい部屋へと向かう。今日のように湿った寒い日でも、その部屋はよく陽がさしてあたたかい。頼んでいたのは隊務で使う敷布と旗のほつれだ。
「千鶴」
 声をかけると、千鶴は気づき、縫っていた布を横に置くと立ち上がる。
「斎藤さん、敷布ですよね」
「ああ、ありがとう。すまなかったな」
 部屋の隅には、千鶴が他の皆から頼まれ繕い終わった着物や布がおかれている。「えーっとどこに置いたかな……」千鶴が斎藤の頼まれ物を探している間、斎藤はふと畳に置かれた布に目をやった。先ほどまで千鶴が縫っていたものだ。手に取り広げてみる。
「……袢纏(はんてん)を作っているのか」
 そういえばこの布はどこかで見たことがあると思っていたが、先日の蔵の大掃除で大量に出てきた反物の一つだと斎藤は思い当たった。特に使うあてもなく積まれたままで、使いたい者は自由に使っていいとなっていたはずだ。千鶴は振り向いて斎藤が手に持っているものを見ると、ギクリとしたようだ。
「え? あ……! は、はい」
「総司のか」
「は……え! え? どっどうして……! いえ、ち、ちが……! ちがわ、ない……です、けど……どうして……」
 千鶴はなぜか真っ赤になって動揺している。なにかまずいことでも言っただろうか、と斎藤は首を傾げた。
「大きさからわかる。左之や新八には幅が短いし、平助や俺には身ごろが長い。副長は袢纏を着ないしな」
「……」
 千鶴はさらに真っ赤になってうつむいてしまった。
「あいつは冬でも薄着でよく風邪をひいている。こういった羽織るものがあれば助かるだろう」
 斎藤がうなずくと、千鶴はパッと顔を上げた。相変わらず顔は赤いままだ。どこか体の具合でも悪いのだろうか。
「あの、助かりますか? その……喜んでもらえるでしょうか」
 斎藤はさらに首を傾げた。言っている意味がよくわからない。
「喜ぶにきまっているだろう。物をもらって怒り出す人間はあまりいない」
 斎藤がそういうと、千鶴は嬉しそうにほほ笑んだ。よくわからないが、嬉しいらしい。
「それで敷布だが……」
「あ! そうでした。これですよね」
 そう言って手渡された敷布と旗は、丁寧にほつれが繕われていた。
「ああ、ありがとう、すまなかったな」
 それをもって立ち去ろうとした斎藤は、ふと足を止めた。
「その袢纏ももうほぼできているな。ついでだ、総司にもっていってやろう」
「え、ええー! いえ! そ、それは……その、別に頼まれたわけじゃなくて私が勝手に……その勝手に……渡すつもりはなくて、そんな……こ、心の準備がまだ……」
「心の準備?」
とはなんだ?
「こころ…こっころも、です。衣の準備がまだできてなくて…! つまり仕上げが! まだ! の、残ってるので!」
「なるほど」
もう出来上がっているように見えるが、まあいい。斎藤は小さくうなずくと会釈をして立ち去った。
                                
数日後、お団子買ってきたからあの子と一緒に食べようよと総司に言われ、斎藤は連れだってこの部屋にまたやってきた。
 お茶を淹れて庭に面した縁側で団子を食べる。
「おいしいですね! ありがとうございます」
「どういたしまして」
「沖田さん、甘いものが好きなんですか?」
「ん? うーん……どうだろう。僕、甘いもの好きなのかな?」
問われて斎藤は答える。
「特に好きではないだろう。というよりあんたはそもそも食に対してあまり興味がないように見えるが。酒は別として」
「そうだね、確かに一人じゃあんまり食べないなあ」
「そうなんですか?」
「うん」
「でも近藤さんから金平糖をいただいたときは嬉しそうに食べてませんでしたか?」
「それは近藤さんがくれたからでしょ」
 千鶴と総司が話している間に茶をすすっていた斎藤は、ふと部屋の隅にある布に目を止めた。見覚えがある。きちんとたたまれたそれは、千鶴が作っていた例の総司の袢纏だ。
 千鶴、総司の袢纏はできたのか
そう言おうとして斎藤は口を開けたが、総司と話している千鶴の顔を見て口を閉じた。なぜか言うのは野暮というか、言わない方がいい気がしたのだ。
 自分でもよくわからなくて、斎藤は首を傾げ、もう一口茶を飲んだ。

 

《冬 土方歳三》

「迷惑をかけた」
土方がそう言って金子とともに頭を下げると、角屋の主人は慌てて両手を振った。
「いいんですよ、そんなの! お客さんには迷惑はありませんでしたし」
女将も言う。
「そうですよ。芸妓をかばって悪人を懲らしめたってんでここらの芸妓は皆きゃあきゃあ言ってます。迷惑どころかうらやましいって! しかも新選組の方はあの有名な一番組組長の沖田さんってんでねえ、もうそりゃあたいへんな騒ぎですよ」
 土方は苦笑いした。
あいつも派手な立ち回りをしやがって。屯所に戻らせてからこってり絞ったが、まあ懲りてねえだろうな。結局説教の後こうやって皆で今回の件が成功した祝いに来ちまったしなあ。
「こんな金子よりもね、これからも新選組の方にはごひいきにしてもらった方がうちも嬉しいんですよ。特に沖田さんなんてめったに遊びにいらしてくださらないから」
結構な年のはずの女将だが、さすが水商売、すねた素振りがなまめかしい。
「いやあ、総司はなあ……あんまり芸者遊びはしねえんだ、悪いな」
 残念そうな角屋の主人と女将にもう一度会釈して、土方は宴席に戻ろうと廊下に出た。二階では新選組の面々が今日の島原での捕り物と千鶴の潜入捜査の成功を祝って宴会を開いているのだ。
「ん?」
階段の向こう側を歩いている芸者を見て土方は声をかけた。
「千鶴じゃねえか? なにしてんだこんなとこで。お前は今日の宴会の主役だろう」
 振り向いたのは美しく着飾った芸者姿の千鶴だ。
娘らしい赤い華やかな着物に結い上げた髪が大人っぽい。しゃらん…というかすかな音とともに大きな簪がゆれて、土方はガラにもなくどきりとした。しかし千鶴は自分のそんな『女』としての力なぞ全く気付いていないらしく、普段通りに土方に答える。
「土方さん。あの、沖田さんが厠に行くって部屋を出てなかなか戻ってこないので体調がやっぱりあまりよくないのかなって心配になって探しに来たんです。私が手紙で沖田さんを呼び出しちゃって、あんな斬りあいになっちゃったんで……」
「ああ……」
 確かにあいつは、最近は熱がなかなかさがらなかったり変な咳をしていたりしているが、今日は朝から体調がよさそうだったな。 だが、大立ち回りをしたすぐ後だ。
「厠か。ちょっと俺が見に行って……」
 言いかけた土方の声は、きゃーっという女の黄色い笑い声にかき消された。二人は振り向く。
「あ……」
「総司じゃねえか」
 廊下の反対側で立っているのは、探し人の総司だった。狭い廊下では背の高い総司は目立つ。隣に立っている着飾った芸者が腕をからめて引き留めているようだ。
「文を出してもつれなくて、全然顔もだしてくださらないんですから、今日ぐらいは寄ってくださいな」
「いや、だからさ、今日は遊びに来たわけじゃなくて隊のみんなで来たんだよ。みんなが上で待ってるから……」
「そんなの、一言こちらに流れるって言えば大丈夫ですよ。なんならこの禿に伝言を頼みますから。ね?こっちに……」
「まあ、そういうわけにもいかないでしょ」 
 芸者が必死に誘っているにもかかわらず、総司は相変わらずのらりくらりとかわしている。
 土方は苦笑いをした。
「あーあ、あいつもつかまっちまってんなあ。あんだけ派手にやりゃあそりゃあ女はだまってねえよ。あいつもたまには息抜きしてえだろうし、先に上に戻っとくか?」
 そういって千鶴の顔をみた土方は、ぎょっとして背筋を伸ばした。千鶴から得体のしれない黒いオーラがにじみ出ている。

「ち、ちづ……」
 千鶴の大きな瞳がじっとみている視線の先は、いちゃついている(ようにみえる)総司と芸者だ。これは説明を受けなくてもヤバい場面だと土方にはわかった。
 ど、どういうことだ? 千鶴とあいつは相愛だったのか? いつの間に? っていうか、総司! おまえやばいぞ!
 土方は、こういう場所で遊ぶ男の習いとして、総司が新選組の体面をたもちつつ空気も悪くさせずにやんわりと断っているのがわかる。が、千鶴にはわからないだろう。総司が芸者とイチャイチャしているように見えるに違いない。
「総司!」
 土方は思わず大声で叫んだ。廊下の先にいた総司は、顔をあげてこちらを見た。そして土方と千鶴が立っているのに気が付くと、絡みついていた芸者に軽く手を振ってこちらにやってくる。
 土方に呼ばれて総司が『助かった』という顔をしたのに土方は気が付いたが、今隣にいるこの状態の千鶴にはわかっていないだろう。いつもは静かで控えめな千鶴だからこそ、余計に恐ろしい。土方はのんきに笑ってこっちに来る総司にいらだった。
 もう少し後ろめたそうな顔でもしろってんだよ!
「何やってんだお前! 今日の宴会は千鶴の潜入捜査の成功のお祝いだろうが。主役を楽しませるのがお前の役目だろ!」
 必要以上に厳しい言い方をしてしまったが、総司には当然ながら土方の考えなど知る由もなく、驚いたように瞬きをした。
「え? ああ……ごめんね、千鶴ちゃん。あの芸者につかまっちゃってさ」
「……いえ、別に……」
 ふっと目をそらした千鶴が怖い。土方はハラハラした。
と同時に、二人の関係にもなんとなく察しがつく。そして、意味もなく総司にいらだった。
 人の気配や機微には敏いが、自分のこととなると、しかも色恋となるとてんで駄目だな、こいつは。ったく! 今だってもっと何か……もっと何か気の利いたこと言えねえのか、てめえは!
 という土方のイライラした視線に気づいたのか、総司はもう一度千鶴を見た。
「ん? 何か怒ってる? せっかくのかわいい恰好が台無しだよ?」
そう言って、総司はつんと千鶴の頬をついた。
「……怒ってなんか、いません」
 相変わらず視線は逸らしたままだが、千鶴の頬がほんのりと染まるのを土方は見た。ほっと安堵の溜息をついて、「部屋に戻るか」と土方は二人に声をかける。機嫌がなおったのか、千鶴は土方を見てにっこりとほほ笑んだ。きれいに化粧をした女姿のその笑顔は、土方でも一瞬ぽうっとなるほどだ。しかし総司は「馬子にも衣装ってこのことだったんだね〜」などとまたまた土方をハラハラさせるような発言をして千鶴をからかいながら、宴会をしている部屋にへと歩いていった。
 土方が、二階にある自分たちの宴会の部屋へ行こうと角屋の狭い階段を昇っていると、後ろから総司と千鶴の会話が聞こえてきた。
「……沖田さん、さっきの芸者さん、いいんですか?」
 女ならではの裏に一含みありそうな問い。まだまだ子供だと思っていた千鶴が、いつの間にかすっかり『女』になっていることに、土方は内心驚いていた。まあ、土方が知っている本物の『女』達から見れば、まだまだかわいいものではあるが。
 しかし、総司は何も気づいていないようで「ん?」と一段上に上っていた千鶴を見上げている。
「いいよ別に。今日は君が主役なんでしょ」
「沖田さんだって主役です。あちらがいいなら行った方がいいと思います」
 いつもの千鶴らしくない言い方に、総司は目をぱちくりさせている。土方は一番先に階段をのぼりながら、ハラハラしていた。話を変えなくては。何も気づいていない総司に、今の千鶴は危険すぎる。
「ああー…ゴホン。それにしても千鶴! 今回はお手柄だったな!」
 少しカラ元気のような声になったか、と思いつつも土方は明るく言った。
「……私は何もしてないです。沖田さんに文を書いただけで……。一番のお手柄は沖田さんじゃないでしょうか」
「ああ、そういえば」
総司はふと思い出したように、千鶴を見る。
「なんで僕に文を出したの?」
「え?」
「なんで?」
なんでっておめえ、そんなことぐれえわかんだろ!
 心の奥で叫びながら、土方は自分達の部屋のふすまを開けようとしてためらった。何か、今、いいところのような気がする。このまま自然な形であいつらを二人きりにできればいいんだが、このふすまを開けちまえば、一気になかから出来上がったやつらの声がかかって終えだろう。そうだ! 俺がこのまま厠に行くってのはどうだ?
 土方はふすまにかけていた手を外した。
「おれあ、ちょっと厠に……」
 土方がそう言いかけたのと同時に、中からふすまが開いて近藤が顔を出した。
「お! そこにいたのか、総司! 雪村君! 主役二人がいなけりゃもりあがらんだろう。ほら、さっさとあがれ! ほれ、トシも」
全く間が悪い……と思いながら、土方があきらめて中に入ろうとした。そのとき、さらに間が悪いことに先ほど一階で総司に絡みついていた芸者が階段をあがってきたではないか。
「あら、沖田さん」
近藤が目ざとく芸者の様子に気づく。
「おや、総司の馴染みかい? よければうちの宴会に来るかね? 今日はにぎやかにぱーっとやりたくてな。金は弾むぞ」
「まあ、うれしい!」
 あちゃ〜……という土方には気づかず、近藤は芸者を連れ、総司も呼んで部屋の中に入って行ってしまった。
「ほら、酌をしてもらえ。お前専属でいいぞ! 総司も今日はがんばったからなあ!」
「近藤さん、僕には馴染みなんていませんよ」
「何! それはいかんぞ。こういう店になじみがいなけりゃ遊びにこれんだろうが」
「別に遊びに何てこないから、別に……」
「もっと来てくださいよお〜! あたしの旦那さんになってもらえたらとーっても大事にします!」
「いい話じゃないか! どうだ総司、お前新選組から給金をもらっても全く使ってないだろう……」
 残されたのは千鶴と土方。
どうフォローしようかと土方が言葉を探していると、千鶴はそのまま何も言わずに部屋へ入って行ってしまった。
 そこからは散々だった。
 土方が見たところ、たぶん気づいている者は左之と平助。
斎藤はいつもの無表情、新八はいつものバカ騒ぎで、千鶴の様子に気づいているのかどうかわからない。
気づいていないのは、近藤、そして総司。
明らかに暗い顔で、土方の盃に酒を注ごうとした千鶴に、土方は囁いた。
「……いいのか。俺が言って変えてやってもいいんだぞ」
総司の酌と土方の酌を、だ。
千鶴は一瞬驚いた顔をしたが、土方の表情に真剣な思いやりを見て静かに首を横に振った。
「沖田さんも……楽しそうですし」
土方は舌打ちをした。
「あいつは近藤さんと飲めんならなんでも楽しいんだよ」
千鶴は、近藤と何事かを話して珍しく素直に笑い声をあげている総司を見た。
「楽しいなら……沖田さんが楽しいなら、よかったです」
そう言って、うつむいて寂し気にほほ笑む千鶴。
 土方はいじらしさに胸がつまった。反対側に座っていた左之と平助にもこの会話が聞こえてしまったようで、二人ともこみ上げる感情をこらえながら、平助はぎゅっと下唇をかみ、左之はぐいっと杯を空ける。
そんな四人をしり目に、近藤の言った冗談に例の芸者がきゃーっと嬌声をあげて笑う。千鶴のほほ笑んだ唇が小さく震えるのを見て、土方はがまんならんと声をあげた。
「おい、総司! いい加減にしろ!」
 土方の怒号に、宴会場は一瞬静まり返った。総司と近藤がキョトンとして土方を見ている。
「どうしたんですか? 土方さん」
「なんだ? トシ」
まったくわかっていない二人に、今度は脇から援護射撃だ。
「土方さんの言うとおりだよ、総司! おまえ気遣いなさすぎ!」
平助に、左之も続く。
「俺もそう思うぜ。千鶴の前で他の芸者といちゃいちゃするとか、男としてなってねえだろ」
「はあ?」
酔いが回ってきているのか、トロンとした緑の瞳を見開いて、総司は首を傾げる。隣の近藤は、千鶴の顔と総司、そして総司の隣の芸者をそれぞれ見比べて、何事か気づいたようだ。
「ははあ……なるほど……」
そしてもう一度総司を見て、うんうんとうなずく。
「なるほどなるほど。それは俺が気づかなくて悪かった!ほら、総司も謝れ」
「ええ? なんで僕が千鶴ちゃんにあやまるんですか?」
訳が分からない様子の総司に、近藤は強引にかぶせた。
「いいんだよ。とにかく、ほら!」
「そうだよ総司、千鶴に謝れって」
「それが最低限の誠意だな」
斎藤は静かに酒を飲み続け、新八は「え? え? 何? 何が起きてんの?」とキョロキョロしている。
いつまでたっても謝らない総司に、土方が代わりに千鶴に詫びた。
「すまねえな。あいつはまだガキでよ」
千鶴は、真っ赤になってうつむいていた。土方の声に顔をあげると、小さく首を横に振る。「い、いいんです、そんな……」
「なんで僕が悪者になってるわけ? 君を庇って悪者を倒したのは僕だよね?」
 総司がぶちぶちと愚痴っているのはその後は放置で、皆で千鶴を慰めながら酒を飲んだ。

 

4へ続く


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