ひととせがさね 2




ふたとせ 




《夏 沖田総司、雪村千鶴》

庭の裏にあるひんやり涼しいお気に入りの場所で、のんびりしよう。
 総司は夏真っ盛りの午後の殺人的な日差しの中、くらくらしながらそこへ向かった。汗がべとついて気持ち悪い。
 大きな石が置いてあり、屋根と壁のせいで一日中陽があたらない。そのくせ風通しはいい。畳二畳くらいのそのスペースには、既に先客がいた。石の上でだらっと体を投げ出している黒猫はまあ、いつも夏はここでかちあうから想定内だ。もう一人は。
「君……」
 総司がつぶやくと、そのもう一人ははっとしたように振り向いた。大きな黒目がちな目は、今日は潤み目じりから幾筋も涙がつたい鼻も赤くなっている。
「お、沖田さん!」
 慌てたように目じりをごしごしこするせいで、繊細な肌は赤くなる。
「どうして泣いてるのさ。……ああ、あれ? 土方さんが前に言ってた綱道さんの目撃証言。今日、正式に間違いだったってわかったんだっけ」
「……」
唇をかみしめた千鶴の目じりには、また涙が膨れ上がった。
 子どもみたいだね、そんなことで泣くなんて。
笑いながらそう言おうとして、総司は言葉を止めた。薄い肩。小さな手。
 そっか……
 実際、彼女は子どもなのだ。
 一人で江戸から京へ来たり、新選組で軟禁されても幹部たちに自分から話しかけたり。おとなしそうに見えて言うことは言うし、意志は通す。すっかり自分や斎藤、平助たちと同じような扱いをしてきたけれど、年齢も経験も全然違うのだと、総司は泣いている千鶴を見てふいに実感した。
一人で生きてきた気丈な女子ではなく、必死になって父親を探している小さな子ども。見つかるかもと期待した分、落胆は大きく、でも皆に泣き顔を見せないように気を使ってこんなところで一人で泣いていたのだろう。
 涙をこらえて下唇をかんでいる彼女の姿に、家から出されて試衛館で涙をこらえていた自分の姿が重なる。住み慣れた家を出たのも初めてに違いない。
「……そんなにかみしめると、唇が切れちゃうよ」
総司はそういうと、千鶴へ近寄った。びくりとおびえる千鶴に言う。「目を閉じて、口を開けてごらん」
「……?」
警戒した顔で見上げる千鶴に、総司はほほ笑んだ。
「大丈夫。嫌なことはしないから、ほら」
「……」
しぶしぶ開けられた小さな口に、総司は懐からだした金平糖を一つ投げ入れた。
「!」驚いたように手を口に当て目を開く千鶴に、総司はウィンクをする。
「涙にはこれが効くでしょ」
 恥ずかしかったのか彼女の頬が紅潮するのを見ながら、総司は自分の口にも金平糖を一つ放りこんだ。

「涙にはこれが効くでしょ」
 そう言われた時、なぜか千鶴の心臓が大きく跳ねた。顔がどんどん熱くなって恥ずかしくて総司の顔が見られない。
 び、びっくりした……! いっつも意地悪言ったりからかったりばっかりなのに、急にあんな……
 カラコロと口の中で金平糖が音を立てる。甘い味が口いっぱいにひろがって、総司の笑顔と優しい声が響いて、さっきまでの暗い世界から一気に明るくてふわふわした世界に変わった気がする。
「あ、ありがとうございます……こんな高価なものを……」
「近藤さんがくれるんだよね。僕が喜んだら、それから金平糖屋の近くへ行くたびに買ってきてくれるんだ」
「近藤さんが……」
「そう。僕のことまだ小さい子供だと思ってるみたい」
もう近藤さんより背が高いのにね、とクスクスと笑う総司の顔。こんな無邪気な笑顔も、身近で千鶴は見たことがない。ぼうっと見上げていると、総司が千鶴と見た。視線があって再びドキッとする。
「君もさ……」総司はそういうと、黒猫が横たわっている大きな石に腰かけた。黒猫は慣れているのか片目を開けただけでまた眠りに入る。
「君も、今回お父さんが見つからなかったのは残念だけど、家族以外にも大事な人ができるといいね」
「家族以外にも、ですか?」
「そう。僕の近藤さんみたいにさ。その人が好きでその人の役に立ちたいって思える人。自分のことより大事に思える人。大事に思ってもらうより、誰かを大事に思う方が幸せだよ」
 また何か意地悪をされたりからかわれたりするのかと思っていたら、意外にも真っ直ぐに千鶴の目を見て総司はそう言った。
 心の奥まで入ってくるような、きれいな緑の瞳。
 ふわりと涼しい風が通り抜けて、総司の前髪を揺らす。
 総司の言った言葉の意味はよくわからなかったけれど、その時の彼の瞳の色はその後強く千鶴の頭に残り、ふとした時に思い出すように浮かんでくるようになった。
 そしてそのたびになぜか顔が赤くなってしまうことに、千鶴は首をかしげていた。

 

《冬 永倉新八》

カランと乾いた音がして木刀が地面の上に転がった。
「あーもうやめた」
「なんだあ、総司。降参か?」
 木刀を構えたままの新八がにやりと笑う。新八の方も息があがっている。
「降参ですよ、キリがない」
ドサッと屯所の縁側に寝転んで、総司は腕で汗をぬぐった。
 もうそろそろ梅のつぼみも膨らみ始めてはいるもののまだ寒さはきびしい。しかし一刻以上打ち合いをしてきた総司の額には汗がしたたっていた。
「新八さんは強いなあ」
 総司は、一人でまだ素振りを始めた新八を呆れて見ながら言った。
「やっぱり好きだからですかね?」
新八は素振りをやめると、首にかけていた手ぬぐいで汗をぬぐいながら総司の隣に座った。
「まあー、暇があれば剣のことを考えてるしなあ、面白いだろ? 終わりがなくて。お前は好きじゃないのか?」
総司はどんよりと曇っている冬の空を眺めながら答えた。
「僕は……そうですね、得意だとは思うけど、好きではない、気がしますね。新八さんを見てると特に」
「……へえー?…」
 好きじゃねえのにあの神がかった強さは異常だぞ……
 新八は奇妙なものを見るような眼で総司を見た。好きでもない剣があそこまで強くなるには、生まれ持っての才能だけではなくとてつもない努力……意志の力が必要だったに違いない。
「……楽しくねえのか?」
 修行でもあるまいし、じゃあなんでこいつはここまで必死になって剣を振ってんだ。
 総司はあっさりと答えた。
「楽しくないですよ。でも僕ができるのはこれしかないんです」
「これしかないって……武家の生まれってやつか?」
「そうじゃないですよ、いやだなあ」
 総司は笑った。
 じゃあなんでだ? と聞こうとして新八は思い当たった。
のんびりと空を眺めている総司の横顔を見る。
 近藤さんか……ガキの頃から世話になってたらしいしな。恩人ってやつか。こいつにとっては近藤さんが親なのかもしれねえなあ。認めてもらって恩返しして……親孝行みたいなもんか。実の家族からは口減らしのために追い出されたって話だし、近藤さんがこいつにとっての唯一のよりどころってやつなんだろうな。
 だがそれじゃあ総司自身の気持ちはどうなんだ? 近藤さんの役に立って期待に応えて……それはそれでいいけどよ、こいつ自身のやりたいことはねえのか?
「じゃあ、お前が好きなのはなんなんだ?やってて楽しいのは?」
新八は思わずそう聞いてしまった。あまり人のことに踏み込まない新八からの意外な質問に、総司は新八を見る。
「楽しいことか……」
「沖田さん! 永倉さん!」
さわやかな声がして、廊下の曲がり角から千鶴が姿を現した。
「おー千鶴ちゃん、どうした?」
「干し柿をいただいたんです。お茶も淹れたので、一休みいかがですか?」
 お茶を飲みながら総司がふと思いついたように千鶴に聞いた。
「千鶴ちゃんは何をやってる時が楽しい?」
 さっきの話の続きか、と新八は総司と千鶴を見た。千鶴は干し柿を一つつまむ。
「楽しい時……ですか?」
 そして目をくるりと回してしばらく考える。
「……私、小さいときから父と一緒に食事をしたことがあまりなかったんです」
 膝の上で干し柿をもてあそびながら、千鶴は恥ずかしそうに言った。
「近所のおかみさんがご飯を作りに来てくれてたので、困ることはなかったんですけど……。父は患者さんを診たり、お武家さまに呼ばれたりしていて忙しかったので、私はいつも一人で食べてました」
そしてにっこりとほほ笑んで新八と総司を見る。
「だから、ここにお世話になるようになって、みなさんで一緒に朝ごはんや夜ご飯を食べるのがとても楽しいです。こうやってちょっとしたものを一緒に『おいしいね』って食べれるのが、すごく……楽しいです。変ですか?」
 千鶴の育ってきた環境を初めて聞いて、総司と新八は顔を見合わせた。医者の娘だし、住んでいたのも町方だし、苦労知らずのお嬢様かと思いきや……。家族が少なくしかも男親では、小さな子どもにはさみしいことも多かったに違いない。
 総司が言った。
「うん、わかるよ、それ。変なんかじゃないよ。僕も子どもの時いつも一人だったから。あのころ一緒に食べれてたらよかったね。そしたら千鶴ちゃんもさみしくなかったでしょ?」
そう言って総司が顔を覗き込むと、なぜか千鶴は真っ赤になっている。新八は、以前土方から聞いた総司の子どものころの話を思い出した。
 総司のやつ、確かまだガキの頃から下働きをさせられて道場の兄弟子からは折檻まがいのことされてたって話だったな。メシなんて当然いつも一人で冷や飯だっただろうし、そんなものでも食べさせてもらえるだけでありがてえって感じだったんだろうなあ……
 多摩で総司が、江戸で千鶴が。
あの時それぞれ一人で食事をしていた二人が、いまここでこうして一緒に話しながら食べていられる。
 千鶴ちゃんが新選組に来たいきさつを思うと単純によかったとは言えねえけどよ……
新八は、目の前でお茶を飲み干し柿を食べている総司と千鶴を見た。
 でも、よかったよな、二人とも。
新八はそう思うとうなずいてお茶をすすった。総司が言った冗談に千鶴が声を出して笑っている。それを見ながら新八も笑顔になった。
 楽しそうじゃねえか。
新八はもう一度うなずくと、お茶を飲みほした。

 

 

3へ続く


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