ひととせがさね 13

 

むとせ


《四月 雪村千鶴》

黄色い小さな花がたくさん咲いてる木は気持ちのいい高台にあって、羅刹の毒が抜けていなかった時はよくそこで二人でお昼寝をした。
 今はその木の根元にたくさんの白い花が咲いていて、総司がそれで花冠を作って家族になろうと言ってくれたのは、その日のお昼過ぎだった。
『総司さん、大好きです』
『……愛してるよ』
 なんて甘い言葉と甘い口づけを交わして家に戻ったその後、千鶴はふと我にかえった。
 夫婦……
 同じ部屋で一緒に暮らして一緒にご飯を食べて。今までと同じだが一つ違うことがある。それは同じ布団に眠ることだ。
「……」
 千鶴は複雑な表情で勝手場の隅に立ち尽くす。
 薫との戦いの後、一年間。
総司とは部屋も分けて別々に寝ていた。どうしてかと聞かれると特に理由はないのだけれど……最初の夜に『これでようやく野宿が終わるね』と、総司が当然のように別部屋に一つだけ布団を敷いたので、そういうものかと特に考えずに受け入れた。
『何? 添い寝でもする?』とからかうように聞かれたけど、多分江戸でも何度も言われた冗談だし。
 なので、総司は特にそういうことはしなくてもいい人なんだと思って、日々を過ごしてきていた。それ以外は、時々けんかはするけど仲はいいし、抱きしめられたり手をつないだり……たまに口づけもしてたけど。
 屯所でも事あるごとに島原に行く男の人たちもいたけれど、総司はほとんどいかなかったし、多分彼はそういう人なんだろう。
 ……なら、結婚しても変わらない、んだよね、多分。
「何やってるの?」
 ふいに後ろから耳元で声をかけられて、千鶴は「きゃ、きゃああああああ!」と悲鳴と共に飛び上がった。その拍子に横に置いてあったタライが手に当たり、派手な音を立てて土間に落ちる。
 総司は顔を真っ赤にして自分を凝視している千鶴を見て、目をぱちくりさせた。「どうしたの?」と聞きながら、体をかがめて落ちたタライを拾って元あった場所に置いてくれる。
「な、な、何か御用が……」
両手で身を守るようにして後ずさる千鶴に、総司は頬をポリポリとかいた。
「いや、喉が渇いたなって……」
「あ、は、はい! すぐに持っていきますね」
「ええ? いいよ別に。水瓶から汲むだけだし、自分で…」
「いえ、私が……」
水瓶の横にある柄杓を二人で同時に取ろうとして手が触れ合う。
「あっ!」と声をあげて手を素早くひっこめた千鶴。
ああ、こんなの変に思われちゃう。顔も熱いから多分真っ赤になってるんだろうし。
 まじまじと総司に顔を覗き込まれて、千鶴はいよいよ赤くなる。
「……君、さ。もしかして……」
 気づかれた! と千鶴はギュッと目をつぶった。総司にはその気はないのに、一人で勝手に緊張して舞い上がって……恥ずかしい。
「僕が夫婦になろうって言ったから? 意識してるの?」
ズバリと指摘されて、千鶴は顔を赤くしたままうつむいた。
「……」
「……あのさあ……意識しすぎだよ。夫婦になったからっていきなり襲ったりしないって」
「そ、そうですよね。総司さんはそういうことには興味がない人だって私、わかってるのに、その、ちょっと考えちゃって。すいませんでした」
ぺこりと頭を下げて、千鶴は柄杓を持ち、湯呑に水を汲む。
「どうぞ」と水を渡された総司は、「あ、ああ、ありがとう」となぜか微妙な顔をしながら水を飲んだ。
 お水を飲んでる総司を見ながら、千鶴は深呼吸をする。変なこと考えて変な反応しちゃって恥ずかしかったな。これまで通り、でいいんだよね。
 ふう、と千鶴が肩の力を抜いた。水を飲み終わった総司がまじまじと千鶴を見て聞く。
「……あのさ、念のための確認なんだけど」
「はい」
「僕が『そういう事には興味がない』って、『そういう事』って、何かな?」
千鶴は再び頬が熱くなるのを感じた。
「えっと……屯所でみなさんが……その、島原とか行ってしてた……ような、こと、です」
「……」
今度は総司が黙り込んでしまった。どうしたのかと「総司さん?」と千鶴が総司の顔を見上げる。
「なんで僕は『そういう事』に興味がないと思うの?」
千鶴はきょとんとした。だって、そんなの……
「だって、ずっとそんなことしてないように見えたので……」
そこまで言いかけて千鶴はハッとした。
「も、もしかして私に内緒で、ここでもそういう島原みたいなところに行ってたんですか? ううん、こんな田舎に遊郭はないから、じゃあ里の女の人とまさかそう言う関係だったんでしょうか?」
ぜ、全然気づかなかった…っ! と驚愕の顔で見られて、総司はがっくりと肩を落とした。
「いやいやいやいや……なんでそうなるの。僕の好きな子は君なんだから、当然対象は君しかいないでしょ」
「えっ……え? えーっと……」
それならどういうこと? と、本気で首をかしげている千鶴を見て、総司は盛大にため息をついた。
「……君は、お兄さんも育てのお父さんも亡くしたし、羅刹の昼夜逆転とか僕の労咳とか、二人とも田舎で暮らした事なんてないし、……まあいろいろ他にも理由はあるけど、要は我慢してたんだよ、僕が」
「我慢……何をですか?」
総司の顔が本気でイラッとしたものになり、千鶴はびくりとする。
「君に、『そういう事』をするのを、我慢してたんです」
ポカンと千鶴は口を開けた。
「……そ、そうだったんですか……」としか言葉が出ない。
 しばらく無言で二人で見つめ合った。
 山の中をざざざっと木の葉を揺らしながら強い風が吹いている音が聞こえる。先ほどまではあたたかい日差しだったのだが、日も陰ってきたようだ。
「……それで?」
ずいぶん時間がたった後、総司が腕組をして聞いた。
「君の感想はどうなの?」
「感想、ですか?」
何を言えばいいのやら想像もつかない。
「今日、君の旦那になったばかりの男が、君をお嫁さんとして抱きたいって言ってるんだけど、その感想だよ」
面と向かって言われて、千鶴は汗が噴き出した。か、感想と言われても……
「でも、……でも、総司さんって京にいる時も……その……永倉さんとか原田さんとかはよく島原に行ってましたけど、総司さんはそんなに行ってなかったと思うんですけど…」
総司は大きな手で自分の顎を撫でた。
「ああ、だから僕は『そういう事』に興味がない男だと思ってたってことかな?……あんまり商売の女の人は好きじゃなくてね。でも、そりゃ、左之さんとか平助みたいに頻繁ではなかったけど、僕もたまに行ってたよ」
 総司の口からそう聞いて、正直千鶴はかなりショックだった。総司のことを好きだったのはいつごろからだっただろう?かなり早く……十五と十六とかそんなころからだったと思う。なのにその時総司は島原で別の女性と……
総司が裸の女性を抱いている場面がパッと頭に浮かんで、千鶴の顔はこわばった。
「そ、そ……総司さんも、島原でそういうことをしてたんですか……?」
千鶴の目にみるみるうちに涙が溜まる。総司はぎょっとした。
「ちょっと、ちょっと待って千鶴。君と相愛になる前の話だよ? それも、どうしようもなく溜まった時に買っただけで馴染みがいたわけじゃないよ」
 千鶴の肩を抱こうとしたら、千鶴は体をこわばらせてしまったので総司は手をひっこめた。
「江戸以降はそんな機会はなかったし、もちろん機会があったとしても僕には君しかいないからそんなことを他の女とはしないよ、わかってるよね?」
千鶴は手で涙をぬぐいながら何度もうなずいた。
「は、はい。……わかってます。わかってるんですけど、ちょっと……驚いて。すいません」
「……」
 総司は、ため息をつきながら涙を吹いている千鶴を見た。まさかこんな展開になるとは思っていなかった。自分に悪いところは無いと思うけれど、過去は消せないしそれに千鶴が傷ついたのも取り消しはできない。できるのは……こうやって慰めるくらい、かな?
 総司は恐る恐る千鶴の肩をだいてみる。今度は拒否するような彼女の反応はなかったので、総司は自分の胸へそっと抱き寄せた。
 しばらくそうやって抱きしめていると、外で細かな春の雨が降り出す音が聞こえてきた。雨が降ると静かなこの家は、雨の音以外何も聞こえなくなる。それは、まるでこの世界に二人きりのような気持ちにさせてくれるので総司は好きだった。雨の日には二人とも何もすることがなくて、家の中でのんびりするのだ。
「……落ち着いた?」
 静かに聞くと、千鶴はコクンと胸の中でうなずいた。
総司はふと思いついて聞いてみる。
「千鶴は、ここに来てから……その、僕とそういうことをしたいとは思わなかったの?」
しばらく考えてから、千鶴は首を横に振った。
「抱きしめてもらったり口づけとか…それで十分でした」
「……そう言いきられると、僕としては困るんだけど……それ以上は嫌ってこと?」
そう聞かれて、千鶴はしばらく考えた。
「嫌っていうか……別に積極的にはしなくてもいいかなって思います。ずっとこのままでもいいんですけど、総司さんはそれはどうですか?」
「どうですかって……このままなんて嫌に決まってるよ、そんなの」
総司が呆れてそう言うと、千鶴は驚いたように「そうなんですか?」と総司を見上げる。
 駄目だこれは、天然だ。と総司は天を仰いだ。十四歳か十五歳くらいからこれまで、男所帯でさらに隔離されて暮らしてきたのだからしょうがないのかもしれないが、こうも無邪気に言われると総司もやりにくい。
「そこまでひどいことをするつもりはないんだけどね……なんでそんなにしたくないの?」
千鶴は屯所で隊士同志が下品な顔でニヤニヤしながら話している場面を思い出して、総司の体から離れると自分の両腕を抱いた。
「屯所で聞いた話だと、女の人がかわいそうっていうか……」
「あー……屯所か」
 総司は頭を掻いた。それはしょうがない。もともと『オトコ』の塊のような男たちが、斬った張ったの毎日の中で男成分はさらに濃縮されなりふり構わずまき散 らされていた。同じ男でも総司のようなタイプが顔をしかめるような、女性に対する武勇伝を語っている隊士はたくさんいたのだ。多感な少女にとっては、さぞ やおぞましく恐ろしい話を数多く聞いたに違いない。
 総司は体を離した千鶴を見て、髪をかき上げてしばらく考える。
「……僕も怖い?」
 千鶴はじっと総司を見上げる。「総司さんも島原で……みなさんみたいなことを女の人にしたんでしょうか」
 ガックリと総司は頭を下げた。
「いや、もうその話はよそう。他の女との話は今は関係ないんだよ。……僕が、君に、君の嫌がるようなことをする男に見える?」
「……」
 千鶴は首を横に振った。総司は総司だ。ちょっと意地悪だけどいつも千鶴のことを考えてくれて、千鶴のために今も生きてくれている。
 すっと総司の手が千鶴の頬に伸びて、千鶴はビクンと肩をすくめた。それを見た総司が苦笑いをする。
「ほら、僕の手見てみて」
 総司の浅黒く大きな手。千鶴の頬には触れずに目の前に差し出されたそれを、千鶴は見た。
 ……あ……
 千鶴は目を見開いた。
小さく震えてる。微かだけど指先が……
 千鶴がパッと総司の顔を見ると、総司は苦笑いをした。
「……僕も怖いんだよ。君と同じ」
「……総司さんは何が怖いんですか……?」
 総司は首をかしげる。
「何が怖いのかな。全部怖い。うまくできるかな、とか、君に嫌な思いをさせないかな、とか。あと、早く……早く千鶴の着物を全部脱がせて、触りたいっていう思いを抑えられるかなとか」
 生々しい総司の言葉に、千鶴は胸がドキンとなって苦しくなった。耳も頬も熱くなって総司の視線から隠れてしまいたくなる。
 その時、また総司の手が見えた。その手が前に見た映像と重なる。
 あの時は夜だった。森の中で……いろんなものを失ってこれからどうなるのかわからなくて不安で不安でしょうがなかった時。総司さんが最後まであきらめないって言ってくれた。それを聞いて私も、この人の傍にずっといたいって思ったんだ。あれは……最初の口づけの時。
 唇を重ねながら、彼の指先は微かに震えていた。強く触れると私が壊れちゃうんじゃないかっていう風に、震えながら優しく触れてくれた。
「……」
 千鶴は総司を見た。
同じだ。総司さんはあの時と同じ。二人で生きようって決めたあの時と――
 千鶴は総司の手をそっとつかんだ。総司は目を見開く。
「いいの?」
千鶴がうなずくと、総司はほっとしたようにほほ笑んだ。両腕を広げて千鶴を優しく包む。
「君は、僕を受け入れてくれたよね。僕自身をそのまま――僕の怒りや涙や、わがままなところ、自分勝手なところ、病気も羅刹も、全部、さ。だから僕の体も受け入れてほしい。君に受け入れてもらえて初めて、僕は存在できる気がするんだ。そのかわり、僕を全部君にあげるから」
 総司の震える指先が千鶴の頬に触れ上を向かせる。千鶴は彼の緑の瞳が、深く熱い色になっているのをぼんやりと見つめて、目を閉じる。
 この先の時間も想いも命も、すべてを君に――
 最後の言葉は、千鶴の唇の中に消えた。

 風向きが変わったのか、急に冷たい風に肌を撫でられ千鶴は目を覚ました。
 開け放した戸から見える庭はもう夜で、相変わらず細かな雨が降っていた。外はもう真っ暗だ。東北の四月は涼しく、夜で雨まで降っていると寒いくらいだ。千鶴は足元にクチャクシャになっている着物から総司の着物を手探りで探すと、隣で横になっている総司の裸の肩にかけた。
 自分も自分の着物を肩にかける。
起きようかと思ったが、隣で眠っている総司を見てやめた。
 前にもこうやって寝顔を近くで見たことがある。あの時も雨で、屯所のあの場所。あの時は完全な片思いだった。
千鶴が隣に寝て総司の寝顔を見つめていると、彼の茶色い長い睫が一瞬震えて、そしてゆっくりと上がる。
「……千鶴……」
 目の前にいる千鶴に少し驚いたように総司はそう言うと、手を伸ばして千鶴を引き寄せた。その無造作な動きが二人の親密さをあらわしているようで嬉しい。
「……お腹、すいた?」
そう聞かれて、千鶴は首を横に振った。
「なんだか胸がいっぱいで……」言ってるそばから千鶴のお腹が、ぐうううううう〜…きゅるるる…と盛大になり、千鶴は真っ赤になり総司は声をあげて笑い出した。
「も、もう!総司さん!そんなに笑わないでください!」
「だって…! 千鶴のお腹は正直だね」
 まだ笑っている総司を置いて、千鶴は起き上がった。着物を胸に当てて乱れた髪を――総司に乱された髪を手で軽くすいて片側に寄せる。
「何か軽く作ります。総司さんも食べますか?」
 そうやって振り向いて、まだ畳に横たわっている総司を見た。総司はしどけない姿の千鶴を見上げている。
「……千鶴」
 総司が手を伸ばした。それに促されるように千鶴は総司の上に体をかがめる。そっと二人のくちびるが合わさり、緩やかな優しい口づけを何度も交わした。
「……幸せだね」
 唇を離して、総司がそう小さくつぶやいた。その表情が本当に満足して幸せそうで、千鶴も暖かいものが胸にこみ上げる。
「……はい、とっても」
 総司が肩を抱き、千鶴は総司の腕枕で再び横になった。
「二人で眺められる月でもでてればよかったんだけどね」
「でも、雨も素敵です。雨の音って好きです」
「……そうだね、僕も」
 雨の音を聞きながら、総司は体を入れ替えて千鶴に覆いかぶさった。二人の上にかけられていた着物が滑るように落ちる。
「総司さん……」
 総司の手が千鶴の裸の腰を抱き寄せる。
 
雨の音がこの小さな家をすっぽり覆うように隠す中、二人はゆっくりと甘い吐息を交し合った。


 

14へ続く 


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