ひととせがさね 12

 




《五月 沖田総司》

まあ確かにさ。もう眠ろうって言ったのは僕だけどね。
総司は何度寝返りをうっても眠れないので、もう諦めて体を起こした。木にもたれて、柔らかそうな草むらの上ですやすやと寝ている千鶴を見る。
『……もう眠ろう。これ以上続けてると本当に休むどころじゃなくなりそうだ』
何度も口づけ抱きしめて触って体を寄せて……舌だって入れたのに。それだけじゃなくて言葉でも思いを伝えあった。総司の方は熱くなりすぎて、全く眠れないというのに。
「そんな男の横でこんなにあっという間に眠れるなんてほんと千鶴ちゃんらしいっていうか……」
 安らかな寝顔が憎らしく思えなくもない。       
あの細く柔らかくいい匂いのする体を抱きしめて、体中に口づけをしたい。
 総司はまだ先ほどの感触が残っている自分の手を、ぎゅっと握った。本当に行動におこしてしまいそうだ。
口づけをしたとき彼女は恥ずかしそうな顔をしていたからそれ以上は我慢したけれど、本当は瞼にも口づけをしたかったし、滑らかな曲線を描く耳や顎、首筋、うなじにも舌でなめて唇で触れて、感触を確かめたかった。
だけどもしそうしたら多分止められなかっただろうから、やめたのだ。明日には多分雪村の里につく。そしたら薫との戦いが待っている。今夜は少しでも体を休めて眠らなくてはいけないのだ。が、眠れない。いっそのこと彼女を起こして思いを遂げた方がすっきしりて眠れるかもしれない。  
その魅惑的な想像は我慢するのが難しいほどで、総司はぶんぶんと首を横に振って妄想を振り払った。
 十六夜の月明かりも、このこんもりとした繁みの中にはかすかにしか届かなかった。春とはいえ東北の夜は肌寒いが、ここは風も通らず暖かい。遠くで何かの虫が鳴いているのが聞こえる静かな夜だった。
 にもかかわらず眠れずに悶々としている自分がおかしくて、総司は小さく笑う。
 そういうことがしたいのなら、屯所でも江戸でも散々時間も機会もあったというのに、今、どうしてもできない時になってしたくてしたくてたまらなくなるとは。
 千鶴が自分のことを好いてくれているのは、総司は屯所のころからなんとなく気づいてはいた。だが、どうして自分を好きなのかが理解できなくて、千鶴にどう対応すればいいのかわからなかった。あんな風にまっすぐに好意を――他の誰にでもなく自分だけに好意を寄せられることなど、これまでなかったから。そして、『変な子だなあ』と思ったものだ。
だから、もし総司がその気になれば、屯所でも江戸でも十分に彼女の体を味わうことはできたのだ。そうしなかったのはなぜだろう?
 暇にあかせて総司は考えてみる。
性欲がなかったわけではない。そりゃあ近藤のことや新選組のこと隊務が一番の関心事ではあったが、島原にはたまに行っていた。しかし千鶴はどちらかというとそう言う対象というよりは、近所でよく一緒に遊んでいた子どもとか、いないけれども妹とか、そう言う存在だったのだ。
 真っ白な肌のや濡れたような大きな瞳を見てゾクリとしたことがないと言えばウソにはなるが、そういう風に扱うつもりは毛頭なかった。それがいまやこんなことになっているとは。
「人とのつながりってほんっと不思議だよね……」
 島原で感じるようなお手軽なものではない、腹の底から湧き上がってくるような欲求。だがそれを一方的に解消しようという気にはなれない。ゆっくりでいいから男としての自分を、心にも体にも受け入れてほしい。
「舌を入れた口づけだけで、体をこわばらせてたしねえ…」
先は長そうだ。先があれば、の話だけど。
総司は葉の隙間から見える月を見上げた。
明日は、千鶴の前で彼女の養父と兄を殺すこともありうる。いや、多分そうなるだろう。
 彼女の前で人を殺すのはいつも何か嫌な気持ちになる。自分の汚いところを見られたくないという思い……だと思う。近藤さんには、自分から積極的に殺しをしたことを知らせていたのになあ、と総司は月を見ながら近藤を想った。
総司が人を殺したという話を聞くと、近藤は『そうか、よくやってくれた』と笑顔を見せて褒めてくれたが、その表情には影があった。総司に人を殺させていることを近藤はいつも悔いているようで、当時の総司はそれが歯がゆくて腹立たしかったものだ。一人前に見られていないようで。
「……今なら近藤さんの気持ちもわかるんだけどね」
 総司は横向きになって丸くなって眠っている千鶴を見た。
そしてまた月を見上げる。
 多摩で育ち京へ上り、江戸へ下って今は東北の山の中。
「多摩を出るときなこんなことになるなんて思ってましたか? 近藤さん」
想像もできない時代の流れに巻き込まれ、泡沫のように現れそして消えた。
「……でも、僕は大切なものを見つけました。『命の使いどころ』を。近藤さん、見ててくださいね。僕は……近藤さんのためや新選組のためじゃなく、自分のために、明日は剣をふるいます。近藤さんが言っていた武士の志――主君のために振るう剣とは違うけど、もともと僕には主君なんていなかったし、こういう方が僕らしいんじゃないかな」

『そうだな、総司はその方がいい』

 近藤の笑顔が見えたような気がして、総司はほほ笑んで目を閉じた。

 

《五月 南雲薫》

月明かりの下で森の中を歩きながら、薫は生い茂る木の枝を腹いせに激しく叩いた。
 五月の新芽が引きちぎられ若い枝が折れて地面に落ちる。薫はそれを足で踏みつけ後ろも見ずに歩き続けた。
 くそっ。
 くそ……っ!
 どうして、どうして…どうしてあいつは! 千鶴は!
迷う必要なんてないじゃないか。そんなのわかりきってる。人間に殺された父さんや母さんを思い出したんだろう? 焼けた故郷を思い出したんだろう? ならなぜ迷うんだ。人間の……沖田なんかの言うことになんの意味があるっていうんだ!
 薫は目の前をさえぎる大きな枝を、刀を抜いて力任せに切り落とした。バサッと大きな音を立てて枝と葉が舞い飛ぶのを見て、少しだけすっとする。はぁはぁと肩で息をして、額から垂れてくる汗をぬぐった。
「……あいつ、邪魔だな……」
 最初から思ってたことだ。あいつさえいなければ、綱道で千鶴を釣るのは簡単だったはず。あいつさえいなければ、すべて計画通りに思い通りにできたのだ。
「でもまだ大丈夫だ。今からでもあいつを殺せば……」
総司と千鶴は雪村の里へ向かっている。総司も仲間になると言ってきたら一旦受け入れてその後、京なり江戸なりへ用事を作っていかせ不幸な事故にあってもらえばいい。あいつが仲間にならないと言って千鶴もあいつに同調するようなら、あいつは殺さなくては。
 薫は考えながら雪村の里へとついた。焼落とされた無残な家々の間にまばらに焼かれずに残った家がある。その中の一軒の内から灯りが漏れていた。薫はその粗末な家の戸を開ける。
 中では綱道が書物を読んでいた。
「ああ、おかえり」
「……ただいま帰りました」
「どうだったかね、あの子は」
薫は水瓶から水を汲むと、一息で飲み干す。
「……そうですね、思い出したみたいですが連れの人間のせいで羅刹の王国については迷ってるみたいです」
綱道はうなずいた。
「そうかね。だがまあ、大丈夫だろう。あの子は賢い子だ。ちゃんと会って話せばわかってくれるさ。種族の違う者どうし――しかもあの子は純血の女鬼だ―― が共に暮らしていくのは難しい。普段の時はいいがなにか問題があった時には、真っ先に『異なる』ものが標的にされる。昔話で何度も描かれているように、鬼はいつの時代も人間から石をもって追われる経験をしてきているんだ。あの子が人間の世界に慣れてしまっていたとしても人間側はそうはいかない。今はいいかもしれないが、どこぞに定着して生活していくのは難しいだろうよ」
薫は綱道をちらりと見て、視線を逸らせた。口には皮肉な笑みが浮かんでいる。
「俺の妹がそこまで聞き分けがいいならいいんですけどね」
話してもわからずに、力づくでわからせないといけないかもしれない。
「ちょっと隣の納屋に行ってきます」
 薫はそう言うと立ち上がり、家を出た。十六夜の月が明るくて雪村の里の状況がよく見える。長い年月がたち草木が多いつくし柔らかい光景にはなっているが、よく見ると破壊の限りを尽くされた痕がくっきりと残っていた。
「……」
 千鶴はずっと、鬼の特性について知り尽くした綱道に守られて人間と暮らしてきたから人間の恐ろしさを知らない。人の里で人間の沖田と暮らし、うまくやっていける気でいる。でも、怪我がすぐに治ることや何かの拍子で鬼の姿になってしまうことがもし知れたら、人間はころりと態度を変えてそれこそ『鬼』畜のごとき残虐な迫害をしてくるのだ。そして都合のいい時だけ自分たちの得になるよう味方になれとせまる。
「……沖田じゃ無理だ」
総司一人で守り切れるものじゃない。おまけに子でもできてみろ。悲惨な運命に子どもまで巻き込むことになる。
でもそれは鬼でも同じだ。一族外の鬼への冷酷な態度は、南雲で嫌というほど味わった。守ってくれる親、一族、組織のない子どもは搾取され虐待の限りを尽くされて捨てられるのだ。自らが強くなり集団をつくらなければ守れない。
「同じ種族、同じ一族で暮らしていくのが一番いいんだよ」
それをまだわかっていない千鶴には、薫が兄として教えてやらなくてはいけない。力づくでも。総司に負けるわけにはいかないのだ。
 薫はしばらく月明かりの下の雪村の里を眺めてから、となりの納屋へと行った。そこは綱道が実験場として使っている場所だ。いくつか並んでいる変若水の瓶の一つを、薫は手に取った。

「私は、沖田さんと生きていきたい。……羅刹の軍隊なんてほしくないわ。誰かを傷つけて作る王国なんていらない」
 千鶴にそう言われて、薫はすっと目を細めた。
やはり理解しあえない。雪村の里を焼かれた事を思い出したとしても部分的なことで、千鶴の骨身にしみたわけではない。異種族との接触がどんな悲しみをもたらすか……仲間がいない弱いものがどんな扱いを受けるのか。どんな扱いを受けてきたのか……
「俺は、されたことを返したいだけなのに。理不尽な理由で俺をしいたげた奴らに、ただ復讐してやりたいだけなのに……!」
 お前は俺が受けてきた苦しみの味方にはなってくれないんだ? そんな生ぬるい生き方をしてきた沖田なんかの味方をして、血を分けた兄のために力を貸してくれる気はないのか!
 もういいよ。もともと大して期待なんかしていなかった。自分の望みは力づくで自分の手で叶えるものだって南雲で学んだよ。
 千鶴は今度は綱道に向かって、人間と仲良く暮らせるはずだと必死に説得を始めた。
 無理だ。
 過去の歴史で十分にそれはわかってる。
「もし虐げられたくないなら、自分が強くなればいいだけの話さ。苦しむような弱さがいけないんだよ」
 薫は懐に持っていた変若水と取り出した。皆の驚いた顔の前で一気に飲み干す。
 とたんに体中が熱くなり、一つ一つの細胞が飛び散るような痛みが襲った。呼吸が苦しくなり目の前の視界がちかちかと白黒に点滅する。しかし薫は奥歯を血が出るほど噛み、肩で息をしながらも痛みに耐えた。
「……沖田が弱くないことは知ってるよ。だから俺はさらに強くならなくちゃいけない」
 薫は刀を抜いた。                  大通連。千鶴の小通連との対となる刀。雪村家直系の証。
この刀が、千鶴はこちら側の存在だと言うことを物語っている。今は千鶴は何かを勘違いしているだけだ。俺はそれを正さなくてはいけないんだ。
 千鶴がいれば、俺は一人じゃない。肉親が、家族ができる。家族がいれば……そうすれば、同じ思いを分け合えるんだ。
 キィンという刀と刀が全力でぶち当たる音が、静かな山の中に響いた。その音が消える前に、総司と薫は再び切り結ぶ。キンキンという火花が散りそうなくらい硬質な音が響き渡る。
 くっ…!
つばぜり合いで負けて、薫は後ろによろめいた。その瞬間に鋭い風切音とともに白刃の一閃が振り下ろされた。羅刹の力で避けたが、薫だけが分かる。この力に今の体では耐えられない。もうすぐ羅刹状態が解けてしまう。
 もとの剣技のレベルが違いすぎるのだ。切り結びの際の駆け引きも、京で散々ならした一番組組長と薫とでは比べ物にならない。
 ……今は俺の方があいつに多く傷をつけているが、全体的に押されている。あいつもそれに気づいている。その証拠に、少しでもスキを見つけたら一気に襲い掛かろうとこっちを見ている。
「くっ…!」
 また負けか? また負けるのか! くそっ!
「私たちは、薫を攻撃したいんじゃないの。人を悲しませる戦いをやめてほしいだけ。ただ変若水の効果を消したいだけ……!」
 千鶴が口を挟んできて、イラついた薫は集中力をとぎらせた。
「――うるさいな、黙っててくれよ! それとも沖田より先に死にたいのか?」
こんな時でもこいつのためか。こいつに味方をするのか!俺は、俺のためだけじゃなくお前のためにも力を持ちたかったっていうのに!
 怒りで目の前が真っ赤になった。千鶴しか見えない。
 怒りに任せて千鶴へと距離を詰め、薫は刀を振りあげた。
事態は一気に動き、そしてすべてが終焉に向かって走り出した。


 ――本当に千鶴を殺したかったのか……?
目は開いているのにもう何も見えない。微かに耳が聞こえるだけで、自分の心臓の音が小さく聞こえる。どんどん弱くなっていく。
 寒い……
 血が流れ出ているのを感じる。
ああ……俺は、死ぬのか。
しかし恐怖は感じなかった。感じたのは安堵だ。もう苦しまなくてもいい。辛い思いも、悲しい涙も全て終わった。
なぜ千鶴に刀を向けたのか。心の奥底には答えがあった。
 一人になりたくなかった。
沖田に負けるのはわかっていた。だから……それなら……千鶴にも一緒に来てほしかった。
 心の中で薫は小さく笑った。             
実際にはもう顔は動かせない。
 ひどい兄貴だな、俺は……
ああ、寒い。寒い。
暖めてほしい。誰かに……太陽に……
羅刹になったらもう太陽に暖めてもらうこともかなわないのか。いや、月は……
 薫は昨夜見上げた十六夜の月を思い出した。
 月は、結局太陽がいなくちゃだめなんだ。月だけでは存在さえ誰にも気づいてもらえない。
でもお前が照らすのは俺じゃなく、あいつなんだな……

 今夜の月はまだ空にあるのか。

 意識を手放す瞬間、薫は最後にそう思った。




13へ続く


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