ひととせがさね 11


 




《四月 沖田総司》


 山崎は追ってこなかった。
別の道で宇都宮城に行っているのかもしれないが、あの傷の様子ではそれもないだろう。戻って埋めてやりたかったがあのあたりはもう官軍が来ている。
 総司は横になって眠ろうとしたがなかなか眠れない。そのうち遠くから微かな音が聞こえてきた。
  パキ、パキ、と落ちている枝を踏む音、ガサガサと草をかき分ける音。
 総司は刀をそっと握った。隣で横になっている千鶴の様子を窺うと、よく眠っている。葉の間から零れ落ちる木漏れ日が千鶴の上に模様を作っているが、四月の曇り空のせいで眠りを妨げるようなものではない。
 総司は音をたてないようにゆっくり体を起こした。全神経を耳に集中させる。
 誰かがこちらに向かっている。話し声も聞こえてきた。
「……だから、俺の嫁も困っててよ。今日の夜の集まりで俺、言おうと思ってんだよ」
「そりゃいいや、俺の息子どももそう思うだろうしうちも同じだって言おうか」
「ああ、頼む」
 話している内容から、総司たちを探している官軍ではなく麓の村の農民のようだ。川のすぐ近くで休むのはまずいかと思ったが、これだけ上流ならめったに人は来ないかと思っていたのに。
 ――できれば殺したくないな……
総司は千鶴を起こさないように剣を持ち、いつでも立ち上がれるように膝をついた。
 幸い話し声はそのまま小さな川の反対岸をさらに上流へと遠ざかっていく。木炭小屋でもあるのか山菜でも取りに来ているのか。きっとまた下ってくるだろうから気を付けていないと。
総司は刀をまた地面に置くと、そのまま木に寄りかかった。
「殺したくない……ね」
自分がよくわからない。いや最近の自分がよくわからない。
薫が現れたあの時、完全に総司の油断だった。剣では総司が勝った。薫の命は総司の意志一つだったのだ。
なのにとどめがさせなくて、千鶴に羅刹という重い運命を背負わせてしまった。
 今もそうだ。できれば殺したくないというのは本音だ。殺しをためらうなんて僕らしくない。
 でもそれだけじゃない。
 昨日の戦闘で千鶴が官軍の兵に狙われた時。
総司が感じたのは恐怖だった。これまでに感じたことの無いような恐怖。全身が冷たくなり一気に冷や汗が吹き出したのを覚えている。
近藤が撃たれた時に感じたのは、怒りだった。目の前が真っ赤になり近藤を傷つけた人間を一人残らず殺してやると即座に思った。自分が敵に囲まれた時にも、あんな恐怖は感じたことはなかった。
 そして彼女が自分で刀を振り人を斬った時に感じた、目をそむけたくなるような後ろめたさ。
 千鶴が一緒に戦うと刀を持った時は、彼女らしいとほほ笑んだ。総司自身、京に行ったばかりのころは近藤と土方から人を簡単に斬るなと言われて、彼らの役に 立てないことに苛立ち自分を情けなく感じていたことを思い出し、千鶴にも一緒に戦ってもらうことをその時は了解したのだが。
だが、実際目の前で彼女が人を斬るところを見たら、一番うろたえたのは総司だった。千鶴は役に立てたことを喜んでやり遂げたという表情をしていたのに。
「僕はなんであんなに嫌だったのかな……」
総司は片膝を立てその上に腕をのせて顎のあたりを撫でた。
 自分でもどうもよくわからない。だけどもうあの子には戦ってほしくない。僕の役に立ちたいって思ってくれるのは嬉しいしかなえてあげたいけど……
 総司はため息をついた。彼女は頑固だ。それに実際、今の状況じゃあ猫の手でもいいから借りて戦わないと勝てない状況だというのは総司も千鶴もわかっている。当然ながらそこを言われたら、総司としては千鶴が戦うことを認めざるを得ないのだ。
じゃあ総司の行く先は戦場だからと言って千鶴を江戸の松本の家に置いて行くかというと、それも嫌だ。
 嫌だ嫌だの自分の包囲網に、総司はため息をついた。
命の使い場所は、多分前までなら官軍に捉えられた近藤の救出に迷いなく使っていただろう。土方の所に行って事情を聞くと決めた今でも迷いがないと言ったら嘘になる。
 うすうす感じてはいるが……総司はそこで、「ん……」とため息のような寝言を言って寝返りを打った千鶴を見た。羅刹の影響で顔色は悪いけれど、よく寝ている。
 多分千鶴がいなければ、総司は近藤の救出に行っただろうと、うすうす総司は自分でもわかっていた。たとえそれが成功率がゼロに近く、総司自身の命も失くす可能性が高く、新選組に迷惑をかけることであったとしても。
 でも、今は、近藤はそれを望まないだろうと言うこともうすうすわかっていた。
 多分それは、総司が千鶴に戦ってほしくないと思う同じ理由だということも今はなんとなくわかる。
 いろんな見方や考え方が渦巻いて、一つの答えが出せない。これも総司には初めての経験だった。これまでは一番重要だと思うことだけを真っ直ぐに追い求め、他は簡単に――自分の命さえ簡単に切り捨てられたのに。

 まとまらない考えを、眠れないままに頭の中でもてあそんで、一刻ほどたった頃。上流の方から人の声が近づいてくるのが聞こえてきた。
 さっきの奴らかな。
 総司は念のため再び刀を持つと、腰を浮かせた。声が近づくにつれ今度は川の対岸ではなくこちら側を歩いて下ってきているのが分かる。
 総司はちらりと千鶴を見た。今から彼女を起こして音を立てずに立ち去るのは難しい。何も気づかずに通り過ぎてくれれば問題はない。しかし。
「岩がごろごろして歩きにくいな」
「行きに行ったように対岸に渡るか?」
「上なら渡れたがここじゃあずぶぬれになっちまう」
「森の中を歩いてくか」
「そうだな、この辺りは下草もそれほど生えてねえしな」
そんな会話と共に、声が移動した。            
総司は刀を持つと、音を立てないよう気を付けながら茂みから出た。千鶴の傍で戦闘になるとまずい。
 そのまま声の方へ歩いて行き、人影が見えた時に迷わず茂みから出た。
「わあ!」「な、なんだあんた!」
 男たちは総司が声から推測した通り二人連れの百姓のようだった。野良着に手ぬぐい。背には大きなかごと持ち薪を大量に積んでいる。
 誰もいないと思っていた奥深い山でいきなり人と出くわし、さらにその男がかなり背が高く刀を持ち洋装という見慣れない物だったせいで男たちは一斉に逃げ出そうとした。
 総司は大きく地面を蹴り一気に距離を詰めると、一人に足をかけて転ばせる。「わあ!」
同行の男があっさり転ばされもう一人は「ひ、ひいいい!」と情けない声をあげて腰を抜かした。ずるずると木に寄りかかるようにしてしゃがみこむ男に、総司は刀を抜くと刀身を男の首にピタリとあてた。
「ひっひいいい! 助けてくれえ! い、言わねえ! 誰にも言わねえから!」
「金とかも何にも持ってねえよ! 薪が欲しかったらやるから殺さねえでくれ!」
 総司は冷たい目で転んだままの男と目の前の男を見た。京で真剣でのやり取りを幾度も交わした殺気を瞳に込める。
 百姓でも生き物の本能としてその殺気を感じたらしく、男たちは青ざめた顔をして言葉も出せなくなってしまった。
「……ふもとの村の人?」
コクコクと刀を当てられている男がうなずいた。
「名前は?」
「み、宮川村の、佐吉だ」「お、俺は又助」
総司はじっと見据えたままうなずいた。
「僕とここで会ったことをもし誰かに言ったら……」そう言ってさらに殺気を込めて二人を見る。二人はごくりと唾をのんで微動だにしない。
「君たちの村に行って君たちはもちろん親類縁者を全部殺すよ」
ぐうっと喉を鳴らすような変な声が目の前の男からした。
「わかった?」
総司がそう言うと、転んだ方の男が首がもげるのではないかと思うほど盛大に首を上下に動かした。
「い、言わねえ! 言わねえ! ぜっったい言わねえ!」
悲鳴のように叫ぶ。
「君も。いいね?」
刀を当てられているため動けないその男は、目だけで必死にうなずいた。ひたいにはびっしりと脂汗が浮いている。
総司はすっと刀をひいて一歩下がった。
「じゃあ、濡れちゃって申し訳ないけど川を渡ってくれる?」
「は……へ? か、川を?」
四つん這いになって逃げようとしていた男は、総司の言葉の意味がわからなかったようで間抜け面で聞き返してきた。
「そう、少し深いけどこの辺りは岩のせいで水溜まりみたいになってて流れも緩いし、渡れなくはないよね?」
「は、……はい…! はい! そりゃあもう!」
男は木に寄りかかっている男の腕をとると、ぺこぺこと頭を下げながらも脱兎のごとく小川へと向かった。もちろん総司も抜き身を持ったまま後をついて行く。総司が見守る前で、男たちはザバザバと川を渡り、後ろを振り向きもせずに対岸の繁みの向こうへと消えた。
「……」
総司は刀を鞘へ納め、しばらく耳を澄ませる。ガサガサという騒がしい音が遠くになり、やがて聞こえなくなった。
 踵を返そうとして、総司はふと川の水面にポツンと水紋が広がったのに気付き空を見上げた。
 降ってきたかな?
 どちらにしろそろそろ千鶴を起こして移動した方がいい。あの百姓たちの事を信用しないわけではないが、信用する理由もない。危険の可能性はできるだけ避けておいた方が良い。雨だと羅刹とはいえ動きにくいので厄介だ。
 しかし雨は降っていないようだった。水紋は一つだけであっさり消え、広げた総司の手のひらにも何もあたらない。川の水紋は川岸の木の葉が落ちたか川の中の魚の息だろう。 また一つ、反対の方向に水紋が広がった。
「……」
総司は、ふと前に西本願寺で水たまりにできる水紋を眺めていた時のことを思いだした。
 そして千鶴に対する、自分の今のよくわからない感情とそれが重なり、ふいに理解した。

 そうか、これが水紋の中から見た世界か。

 姉と姉の家族。近藤と土方。近藤と近藤の家族……幾重にも重なり合っている水紋を、総司はいつも外から見ているだけだった。
 今、自分は水紋の中に入っているのか。千鶴と一緒に。
 守りたいと思い、幸せを願い、笑顔に幸せを感じる。
水紋に入った者同士はそんな感情をお互いに持っているのだろう、多分。千鶴はどうなのかはしらないが、多分総司は……総司の水紋には千鶴がいるのだ。
 そして、前は入れてもらえないとさみしく思っていた近藤の水紋に、自分は実は入っていたのだと言うことにも気が付いた。
 京に行ったばかりの総司が人を斬ることに対して近藤がした哀しそうな顔やいさめる言葉は、あの時の総司にはわからなかったが今はよくわかる。総司の実力を疑っていたのではなく、大切だったのだ。人の血や恨みで汚れてほしくないと、きっと近藤は思ってくれていたのだろう。
 そして自分に大切な人ができて初めて、『軽々しく人を斬るなどと言うんじゃない!』と近藤から叱責された理由も心の芯にストンと落ちた。
『家族や友人がいて、日々の糧を得る為の仕事を持っていて、辿ってきた人生がそれぞれにあって……。そんな彼らを無礼打ちにするなど、許されると思っているのか! 武士というのは、民を守るものだろう!』
 きっと先ほど脅して行かせた百姓たちにも、嫁がいて子がいて親戚がいて友人や仲間が、同じ水紋の中にお互いを思いやって居るのだ。そしていくつもの水紋が 重なり合い、思いも重なる。何年も何年も、その人が生まれた時から季節をか重ね歳を重ね思いを重ねて作られてきたたくさんの水紋。
 人を斬るというのは、そのすべての年月と思いを断ち切り、水紋を壊すことなのだ。
 自分に、大切な人、守りたい人、失いたくない人ができて初めてわかった。
 それをすべてわかった上で尚、民の幸せを壊す者を覚悟を持って斬るのが『武士』なのだ。

 また川面に一つだけ水紋が広がる。
総司は土方の顔を思い浮かべた。
京へ行った時に、土方から『江戸に帰れ』と言われたことや出勤を停止されたことその後総司が人を斬るたびに叱り飛ばされたことを想いだす。
土方の水紋にも、総司は入っていた。
こそばゆいような腹立たしいようなむずがゆい感情。
「……気持ち悪……」
 総司はそうつぶやくと、まだ水紋が消える前に踵を返して小川を後にした。

 




《四月 土方歳三》


 肩を落として足を引きずるように歩く部隊の皆を見て、土方は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 負け戦ってなあみじめなもんだぜ……。金も兵も権限も全部俺に与えてくれたなあ。決定が遅く兵の配置もまずい旧幕府のお偉いさんを上に据えねば戦すらできないことが歯がゆい。それでもまだやりようがあったはずだ、と土方はもう何度も何度も反芻した宇都宮城での戦いを、もう一度最初から思い起こした。
 あそこで、ああしときゃあ……
 あいつはあそこで使うよりもこっちに……
 撤退を指示しながらも、土方はすでに次の戦について策を練っていた。
「土方さん、お知り合いという方が……」
 小者に袖を引かれふとそちらを見ると、三日月の暗い光に照らされて懐かしい姿が木々の間から現れた。
「おまえら……。宇都宮まで来てたのか」
 総司と千鶴だ。
 近藤さんが用意した洋装を着ている。土方は少し眉を寄せた。何をしに来たのかはわかりきっている。部隊に撤退を続けるように指示を出した後、土方は隊列から外れて横の繁みに入った。
 予想していた通り、挨拶もなく総司に肩をつかまれ詰め寄られる。
「なにを……なにをやってたんですか!」
「あんたがついていながら、なんで近藤さんが投降したんですか!」
「あんたなら、土方さんならできたはずだ!」
総司に責め立てられ、むかっ腹が立って言い返しながらも土方はその罵声が心地よかった。            
本当にその通りだ。
 何をやってたんだ俺は。               
どうして俺がついていながら近藤さんを投降なんぞさせちまった。俺なら……鬼の土方ならできたはずじゃねえか!
俺ぁ、誰かにこうやってののしってほしかったんだな。
しかもその『誰か』は総司でしかありえない。子どものころから長く時間を共にして、殴り合いのケンカもこっぱずかしい青臭い話も泣けないくらい悔しい思いも天下を取った気分も、全部同じに味わってきた『仲間』にしか、この気持ちはわかり合えない。
 土方が感謝すらしたいような気持になった時に、総司の拳が容赦なく飛んできて目の前に星がとんだ。
 て、てめえ……!
 もう十二、三のガキじゃねえんだぞ!俺より大きいガタイで本気で殴ってくんじゃねえよ!
 怒鳴り散らそうとして総司の目を見て、土方は言葉を飲み込んだ。
 時勢や状況を考えずに自分の感情をぶつけてくるいつもの総司じゃない。なんでもかんでも土方に背負わせ土方のせいにして文句だけ言っていたのとは違う瞳の色が、そこにはあった。
 理解している。わかっている。全部わかった上でその上で、土方ならできたはずだと。でもできなかった状況があったのだろうと。
「僕は……、少し変わったのかもしれません。昔はわからなかったことも、今ならわかる気がする」
 土方は目を細めた。自分でもそれを自覚してんのか。
 隣で心配そうに二人を見守っている千鶴をちらりと見てから、土方は総司に向き直りため息をついた。
「近藤さんは俺たちが逃げる隙を作るために、自分から殺されに行くことを選んだんだよ」
 総司は、そんな言い逃れ聞きたくないだの、どうせそういう風に近藤さんがするしかないように土方さんが仕向けたんでしょうだの言ってくるかと思いきや、悲し気にほほ笑んだだけだった。
「そんなことだろうと思ってましたよ。……まったく、近藤さんらしいや」
 その総司の言葉を聞いて、近藤が死んでから初めて土方は泣きたくなった。

 ホントにそうだな。近藤さんらしい。お前と……俺が惚れて、大将に押し上げたかった近藤さんらしいや。    
若いころ試衛館で語った夢は、これでもう本当にかなわなくなっちまったんだなあ。               
総司、お前も俺も、まあ時代の流れからいやあ負け組だ。だが、あの人に惚れて一度の人生でかいことやってみようとしたこたあ、後悔してねえよ、お前もだろ?

「これから、どうするんですか?」
総司に聞かれて土方は苦笑いをした。
「近藤さんに新選組を託されたんだ。戦いを放り出すわけにはいかねえよ。俺は新選組と北を目指すが……」
土方はそこで、総司と、少し離れたところに立っている千鶴を見た。
「お前ら二人はどうするんだ? ついてくるんなら歓迎するが」
 総司が真っ直ぐに土方を見た。
「僕は、土方さんといっしょには行けません」
総司の表情はいっぱしの男のものだった。土方は寂しくは思ったものの、ほっとする。
 近藤さんの遺志を抱えて勝てもしねえ戦についてくることはねえ。お前はもう居場所を持ったんだろ。そこできっちり生きろ。
 土方は、屯所での二人、江戸での二人を思い出した。
総司が変わったのは千鶴の影響だろう。今の総司に、この千鶴なら大丈夫だ。                  
総司たちの行先を聞く気はない。もうここで道は分かれる。
「……総司を頼む」
いろんな思いがこみ上げて、千鶴に対してはそれしか言葉が出てこなかった。千鶴は土方の想いを受け止めてくれた。
「……はい!」
 その気負った瞳が微笑ましくて、土方はふっとほほ笑んだ。幸せになれよ。
 そして寂しさを断ち切るために勢いよく二人に背を向け大股で歩き去った。
 後ろで二人が何事か話し、立ち去る気配がする。
 土方はふと、あの成長した総司を近藤に見てほしかったなと思った。
 近藤さんならなんて言っただろうな。きっと喜んだに違いねえ。
 そうかそうか! 総司と雪村君が……そうか!いやこれはめでたい! 総司もようやく一人の男としての自覚も出てきたようだな。これも全部雪村君のおかげだ、なあトシ?
 満面の笑顔の近藤に、照れくさそうな総司。
 いつか見れたかもしれなかった光景は、土方の胸をしばらく温めてくれた。




《四月 雪村千鶴》


沖田さんは眠れなかったみたいで、私が起きた時は隣で座って夕焼けの空を眺めてた。
 何を考えているのかその横顔からはわからない。
 でも連日の移動と気の休まらない野宿、それから……近藤さんのこと、土方さんのことで、沖田さんの顔には疲れが見えた。疲れっているより憂いかな……
 総司自身の体の事だってあるし、これから行く雪村の里で起こることへの不安だってある。いろいろ考えてしまうのも当然だ。
「おはよう、千鶴ちゃん。ちゃんと眠れた?」
 千鶴が起きたことに気づいた総司が、優しい笑顔で顔を覗き込んできた。さっそく出発しようとする彼にもう少し休んでほしいと言うと、「ちょっと昔話をしたい。きちんと休むから聞いてよ。近藤さんに出会ったころの話」と、瞳を伏せて切なそうな顔をした。
 そうして話してくれた彼の話しは、胸が痛くなるほど優しくて暖かい素敵な思い出だった。そして、どんな苦難が待っていても、二人で乗り越えようと誓い合う。
その後、昇ってくる月を見ながら二人で取り留めもない話をした。月を見ながらふと千鶴が言う。
「土方さんにとっても……近藤さんはとても大きな存在だったんですね。今頃、一人で大丈夫でしょうか……」
 千鶴は、あの最後の別れの夜、一人で部隊の方へと去って行った土方の、その背筋の伸びた後姿を思い出していた。
「もう近藤さんも沖田さんも山南さんもいなくて、相談できる人が誰もいなくなっちゃいましたよね」
返事がないので総司の方を見ると、彼は微妙な顔をして千鶴を見ていた。
「沖田さん?」どうしたのかと千鶴が首をかしげる。
「君さ……なんていうのかな、前も思ったけど……紛らわしいよね」
「紛らわしい?」
総司は少し意地悪な目で千鶴を覗き込んだ。
「土方さんが心配?」
「え? それは普通に……沖田さんは心配じゃないんですか?」
「僕と君では違うでしょ。君が一番心配しているのは僕じゃないの?」
「もちろんです! 沖田さんは一番、大丈夫かなって思ってます」
「じゃあ、そう言ってくれないと」
そこまで言われて、ようやく千鶴は気づいた。
「え、それって……沖田さん、もしかして……」
総司はやれやれと呆れたようにほほ笑む。
「君って鈍いときはとことん鈍いよね」
これって、つまり……その……や、やきもち? 土方さんに? 千鶴は真っ赤になってうつむいた。
「す、すいません……」
総司はそんな千鶴をほほ笑んで見ていた。
「あの時――土方さんに会いに行く前に、僕のことを信じてくれてありがとう」
「会いに行く前……」
思い出して、千鶴はまた顔が赤くなった。突然抱きしめられた時のことだ。
「君は、僕が土方さんを殺すんじゃないか、殺さないまでもひどくなじって詰め寄って殴り合いか斬り合いになるんじゃないかって心配してたでしょ」
「……沖田さんが近藤さんのことをとても大切に思っているのを知っているので……」
土方さんを許さない、許せないんじゃないかと最初は思っていた。
「僕も自分でどうしたいのかわからなかった。でも近藤さんが投降して斬首になった悔しさとか悲しさとかそういうのが渦巻いていて何か行動を起こさないと気持ちを収められなかった。でも、君が……」
総司はそう言うと、少し恥ずかしそうに視線を空へ移した。
「君が、僕だから大丈夫、信じてるって言ってくれて、なぜかすごく安心したんだ」
「安心?」
「そう、僕だから大丈夫だって。そう言われて、ああ、僕は大丈夫だって僕も思った。土方さんが何を考えているのか知りたくて宇都宮まで行くんだなってわかったんだ。土方さんが何を考えているのか知りたいなんて思ったのは、あれが初めてだった気がする。多分僕の知らない近藤さんを知ってて、僕にはわからない幕府の動きを考えてて…… そしてどうするのかを知りたいと思ったんだ」
「……」
「まあ、顔見た途端やっぱりカッとなっちゃってつかみかかって殴り飛ばしちゃったけどね」
 総司は肩をすくめていたずらっぽく片目をつぶった。
どうして自分の言葉で総司が安心してくれたのか千鶴にはわからなかったが、役に立てたようで嬉しい。千鶴がそう言うと、総司はしばらく千鶴を見つめた。
「自分を信じることとか……自分を好きになることとか、そういうのは誰かにそのままの自分を受け入れてもらって初めてできるようになるんだと思う。人の目に映っている自分を見て初めて、自分っていう人間に気づくことってあるよね。お日様に照らされて初めて見える月みたいにさ」
総司の言葉に千鶴は驚いた。             
「わ、私が信じたからってことですか? 違います、私は沖田さんの目を見て、信じても大丈夫だなって思ったんです。ちゃんともとから沖田さんの中にあったんですよ」
千鶴が慌ててそう言うと、総司は楽しそうに笑った。
「そうかもね。でも真っ暗だったせいで照らしてもらうまで見えなくて、自分でもわからなかった。角度は違うけど、近藤さんもそうだったんだ」
「近藤さんも?」
総司はうなずく。
「そう。近藤さんは僕の力を信じてくれた。剣の力だけじゃなく、勝ちたい、勝って生き残りたい、負けたくないっていう意地みたいなところも。子どものころ 周囲の大人がみんな『可哀想に』『気の毒な奴だ』って僕のことを見てる中で、近藤さんだけが僕の素質と意地を信じてくれたんだ。いじめてくる兄弟子と試合形式の稽古をすることになってね、その時に自分の実力でやりかえせって忙しい毎日の合間を縫って毎日こっそり僕に稽古をつけてくれたんだ。とっても厳しい稽古をね」
「そ、それでどうなったんですか?」
 ワクワクハラハラしながら千鶴が聞くと、総司は面白そうに千鶴を見た。
「試合の結果? 勝ったよ、もちろん」
総司は脇に置いてある刀を持ち上げる。黒に赤の見慣れたそれは、月明かりの下で重く光った。
「これは、僕が負け続けないための、何とか這い上がって生きる方法を見つける為の、僕にとっての唯一の手段だったんだ。弱くてみじめでみんなから憐れまれていじめられるだけの弱い存在から、立ち上がって戦うための、ただひとつの僕の武器。初めて近藤さんが教えてくれた」
 沖田さんにとって近藤さんは、恩師でもあり兄でもあり父でもあり……今の沖田さんを形作ってきた、とっても大きな人だったんだ……
 千鶴はあらためて、近藤を想った。
そんな人と知り合うことができて私も幸せだった。沖田さんの大切な部分を占める人を知ることができてよかった。
でもそんな大きなものを失った今の総司を思うと、やはり千鶴の胸には不安がこみ上げる。
「沖田さん……」
千鶴の声にそんな不安が現れていたのか、総司は千鶴を見るとにっこりとほほ笑んだ。
「でもこれからは別の方法で別の武器で、別の目的のために戦うことになるのかなって思ってる。これまでとは違うけど、僕には戦う理由があるから、まだ立ち続けていられるんだ」
総司の瞳の色はとても深くて、千鶴には底までは見えない。
でも、前向きな光がおどっているのはわかる。
「行こうか」
総司が立ち上がり、月明かりの下で千鶴に手を差し伸べた。その顔は優しくほほ笑んでいる。
「……はい」                      
千鶴はうなずき、総司の手を取った。




12へ続く


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