ひととせがさね 10




《三月 南雲薫》

「南雲でお家騒動があったらしい」
久し振りに情報共有も兼ねて集まった江戸の料理屋の個室で、風間が唐突にそう言った。
 壁に寄りかかったまま酒をなめていた不知火がめんどくさそうに答える。
「南雲? 四国か。知らねえなあ」
風間は続けた。
「幕府が一時研究をしていた変若水の研究者が、反幕勢力にさらわれ南雲がかかわっているとの情報がある」
「何」
 不知火が顔あげる。天霧がうなずいた。
「長州にも話がいったようだな。聞いていたか」
 民兵の寄せ集めである奇兵隊に変若水を使ったらどうか、どうせ農民だし訓練もほとんどしていない。戦場でおびえて逃げかえるのがオチだ。それなら変若水を飲ませて羅刹にすれば強力な勢力になる。その話が持ち込まれ、長州側――高杉晋作が断った。それに南雲がかかわっている?
「南雲だって鬼だろう? 羅刹を作ってどうするんだ」
不知火がそう聞くと、風間は手酌で酒を注ぎ飲んだ。
「お前がそれを探ってくるのだ」
「はあ?」
天霧も言う。
「お願いしたい。我らは甲州に行き、戦の情報を探る必要がある。どちらにしろ変若水の扱いは一歩間違えれば人間同士の争いが鬼に飛び火する可能性がある。状況を把握しておきたい」

 雲の端にかかっている満月の明かりで、薫は積み上げられた本棚を見上げて目的の書を探した。蘭方医の松本良順から入手したという高価な書。
「これか」
 薫は手に取って、ふと先日の松本良順その人が話していた時のことを思いだした。
『……彼女も連れて行くのか? 置いて行くなら私が面倒を見るが』
『連れて行きます。目の届く場所にいてくれた方が落ち着くし』
 先週、千鶴と沖田総司が江戸で療養している屋敷に忍び込んだ時の、沖田と松本との会話だ。
 その言葉が聞こえてきたとき、連れていくのか、と屋根裏で聞いていた薫は目を見開いた。当然置いて行くと思ったのに。連れていく先は、戦場になる甲府城だ。千鶴を心配した松本が置いて行くのなら、と言ったのだが沖田はあっさりと断った。      羅刹の沖田が一人で甲府城の戦場に行けば、一度知ってしまった血の匂いに到底抗えるわけがない。すぐに狂って人でなくなり江戸に戻らず、千鶴も沖田の存在を忘れることを期待していたのだが。
 だが千鶴がついて行くのなら沖田は無茶をしないだろうし、千鶴の前で化け物のような姿をさらすのは必死に耐えるはずだ。必要最低限の血――千鶴の血だけを飲んで、狂わないままでいるかもしれない。いつかは狂うだろうが、それまでをあの二人が穏やかに幸せに暮らすのは許せない。 その時はそれだけを強く思って 帰ってきたのだが。

 ……なんとか千鶴に甲府城行きをあきらめさせる手はないか……
 薫は手の中の蘭学の原書を眺めた。明日にでもあの二人は甲府に立ってしまう。その前に……
 後ろでカタンと音がした。
「あらら、先客か」
肩の力が抜けた面白がるような声。
 薫が振り向くと、そこにいたのは異様な姿をした男だった。総髪のような長い髪。春もまだ浅いというのに袖のない服で肩一面に入れ墨が施されている。腰にさしている銀色の物を見て薫は目を細めた。異国の銃だ。
「鬼か。長州の、たしか……」
「不知火ってんだ。はじめまして、だな、南雲薫」
 薫は表情を変えずに不知火に向き直った。板張りの床に窓の部分だけ月明かりで切り取られたように明るくなっている。
「なぜここに?」
ここは、幕府が綱道のために借りた、江戸での実験場だった。綱道が京へ研究の場所を移してからは使われておらず、人の出入りもほとんどない。
「まーよく知らねえけど、あんたと同じ理由じゃねえかな」
 部屋の端と端。お互いに近寄ると危険だと感じているのか距離は詰めずに緊張した空気が漂っている。
「変若水が欲しいの?」
 薫はほほ笑むと、手に持っている本を開けた。分厚いページの真ん中がざっくりと深く切り取られている。そしてそこに、見慣れたガラスの瓶が入れられていた。
 ぴゅう、と口笛の音がして、不知火が頭を掻いた。
「そんなところにあるとはね。ここには二回来たけどわからねえはずだ。高い本なんだろ? それ」
「……」
 薫は変若水をつかむと、本を閉じて机の上に置いた。頭はフル回転で今の不知火の言葉について考えている。
 長州は……いや、薩摩も土佐も変若水を使うことは断ってきたはず。特に長州の高杉晋作は烈火のごとく怒ったと聞いている。ではなぜこいつかここに?
「長州方の考えが変わったってこと? 変若水が欲しいの?」
「まさか!」
不知火は一笑に付した。
「いらねーよ。俺がここにいるのは藩命ってよりは鬼としてだ。『できそこない』を大量生産することに大反対の鬼がいるんでね」
 風間か。
 薫は心の中で呟いた。鬼の西の頭領が羅刹について蛇蝎のごとく嫌い抜いていると聞いている。
 ふふっと薫は笑った。その軽蔑している変若水が、東の頭領である雪村に渡ったと知ったら、風間はどうするかな。雪村家で変若水を大量生産して羅刹の兵隊を作り、人間も、そして東の鬼をも滅ぼす――その最初の一手、綱道の協力はもうとりつけてある。後は進めるだけだ。
 薫の表情を見て、不知火は顔をしかめた。
「どうやら……あまり面白くもねえことを考えてるみたいだな」
「……この世の中自体がそもそも面白くないからね」
 薫が答えた瞬間、不知火が動いた。あまりの素早さに影しか見えなかったが一気に距離を詰められ、薫が後ずさる間もなく殴り飛ばされる。
「ぐっ!」
 ガタガタッと本棚にぶつかり本や書が上から落ちてくる。 不知火はそのまま薫の腹をけり上げ、薫の体がくの字に曲がったところで右手をねじりあげた。
「悪いな。これを不穏な奴に持たせないために俺がここにきてるんでな」
「っくっ……!」
 唇が切れたらしく、血の味が広がる。ねじりあげられた手は、動かせないくらい強い力で押さえつけられている。ドンッと激しく突き飛ばされて、今度は薫は机にぶつかった。硯や筆がその勢いでバラバラと床に落ちる。その隙に不知火は一気に後ろに飛びずさり、先ほどと同じ部屋の反対側の壁を背にした場所に立っていた。手には、薫から奪った変若水を持っている。
「面白くもない世を面白くするのは自分次第だぜ……ってまあこれも受け売りだけどな」
 不知火はそう言うと、「悪いな」と片手をあげて部屋を去ろうとした。
「待てよ!」
 薫が鋭く呼び止める。不知火が振り向いたところで、後ろの壁が大きく音を立てた。
「うおっ!」
 不知火が驚く間もなく、上から落ちてきた網が不知火の動きを絡め取り、その後そのまま壁の両端に網が勢いよくひっぱられたせいで、不知火は壁に両腕を広げて貼り付けされているような体勢になってしまった。
「なんだこれ!」
壁に打ち付けれた衝撃で、銃も変若水も落としてしまっている。
 薫は机の裏のレバーから手を離した。
「……この部屋がもとは何だったか知ってるんだろ? 『出来損ない』の実験場さ。力だけは強い羅刹を、傷つけられずに拘束するための仕掛けがこの部屋にはたくさんあるんだよ。ああ、その網には鉄線が入っているからいくら鬼といえども素手でちぎるのは無理だからね」
 くっくっくっ…と薫は楽しそうに笑うと、唇の端の血を手で拭いゆっくりと不知火に近づいた。床に落ちている銃と変若水を拾う。
 銃をくるくると回して下から、上から、横からと眺める。 そして薫はそれを構えると、照準を不知火の胸にピタリと合わせた。
「これが安全装置?」
 かちゃりと外す。
「中に入ってのは銀の弾……じゃあないか、さすがにね。じゃあこれで撃っても致命傷は与えられないか」
 薫はつまらなそうにそう言うと、銃を机の上に置いた。
「もともとはこれが目当てだったんだしね」
 そう言って手に持っている変若水を月にかざす。
 不知火は、鋭い目で薫をじっと睨みつけていた。殴られて今度は逆に相手を縛り付けて。結構な乱闘騒ぎ、命のやり取りだったはずなのに薫は全くの平静だ。……いや、平静というよりそれすらも楽しんでいるような。神経が細そうな顔をしているのに。
 南雲のお家騒動は、本家の直系を遠い親戚の分家が乗っ取ったと聞いている。それもかなりえげつないやり方で、本家筋はほぼ殺されたという話だ。
 こいつが……と不知火は月に青白く照らされながらほほ笑んでいる薫を見た。確かに優しい顔のつくりだが目の中にすごみがある。
「南雲の当主は、鬼の秩序を守る気はないようだな」
薫はほほ笑みながら不知火を見た。
「秩序? ……ああ、西の頭領に従えとかそういうのか」
薫はそう言うと窓から月を見上げた。
「残念ながら南雲は西にはつかないよ」
「はあ?」
 鬼の数が少なくなり人間に同化しつつある現在、西以外組織だった鬼はもうないはずだが。……いや、あと一つあるか。
「京か? 鈴鹿?」
「違う。……俺は雪村家の直系の最後の鬼だ。だから東の鬼の頭領として雪村家を再興する。南雲は当然その下につくことになるね。もちろんこの変若水を使って羅刹を大量に作って人間からも舐められない一大勢力を作り上げるつもりだ。今の西の頭領のように薩摩だ長州だと人の都合で振り回されるのはうんざりなんでね」
「ゆ、雪村……」
聞いたことはある。だが、もう滅びたと聞いている。人に攻め入られて里に火を付けられて全滅したと。
「全滅はしてないよ。この変若水の研究者も雪村家の遠縁だし、雪村家直系の純粋な女鬼もいる」
不知火はピンときた。そういえば風間が騒いでいた。
「もしかしてあれか? 京で新選組と行動を共にしてるっていう……」
「そう。あれは俺の妹だよ。俺と違って幸せに暮らし何も知らない、ね」
薫の目がギラギラと輝いて、不知火は面食らった。とても肉親のことを話しているような目ではない。
「だけどよ、俺も会ったことあるが新選組の奴らと行動を共にしたいって言ってるらしいぜ? 風間も、それに鈴鹿の鬼もそれでフラれたって聞いてるが」
薫は、ハッと鼻で笑った。
「それが何? 俺たちには血のつながりがある。最近知りあったばかりの人間風情……しかも羅刹に成り下がった男よりもずっと濃い絆が、ね。道理を説けばあいつだってわかるはずだ。雪村の再興が自分の使命だってね。そして誰からも虐げられない力を持つんだ」
ぎらぎらと輝きを増し、狂ったように妄想を喚き散らす薫を、不知火は茫然として見ていた。
 これは……こいつは狂ってる。南雲のお家騒動も相当な修羅場だったらしいし、雪村家の直系が南雲へ養子へ出されてお家騒動ってのもかなりの理由ありっぽいし、いろいろあったんだろうが、危険思想には変わりない。
 薫はまだつかれたように話している。
「なのにあいつはいつまでもあの沖田総司にかかわって、あの出来損ないに優しくしてるんだ。なぜだ? 兄がどれだけの苦労をしてきたと思ってるんだ? なぜあいつはいつまでも沖田から離れないんだ? おまけに沖田の吸血の面倒まで見て沖田が弱音を吐いたら励まして、沖田が撃たれたら看病して! 見てるだけでイライラするんだよ!」
吐き捨てるように言った後、薫ははあはあと肩で息をしていた。ふと理性が戻ったのか再び笑顔を顔に張り付けるが、目が笑えていない。顔には脂汗が噴き出ていて異様な表情だった。
「さて……しゃべりすぎたかな。お前はどうしようか。殺してもいいけど……」
 そしてふと手に持っている変若水に気づいて、目を輝かせて不知火を見た。
「そうだ。前から鬼が変若水を飲んだらどうなるか気になっていたんだ。ここでおまえで試すって言うのはどうかな」
「なっ…! ふざけんな!」
 近寄ってくる薫から逃れようと腕を思いっきり動かすが、がっちり網にからめとられていてびくりとも動かない。
「それ以上近づくと、蹴りと頭突きをおみまいすんぞ!」
 近くまで来た薫は、まじまじと不知火を見た。そして「やめた」と言った。
「お前に飲ませても経過も見れないしつまらない。それよりももっと面白い実験相手を思いついたよ。千鶴だ」
 再び薫の目がらんらんと輝きだすのを、不知火は引き気味に見ていた。
「千鶴って……お前の妹だろ?」
「そう。純血の女鬼。あいつに飲ませてやろう。愛しい沖田をお揃いでさぞかし嬉しいだろう」
 あっはっはっはっ! と狂ったように笑う薫を見て、不知火は背筋が寒くなった。飲めばしばらくして血に狂い、人格も何もかも破壊されて人でなくなるという薬を、妹に。
 薫は笑いながら、もといた机の横の窓に足をかけると、後ろを振り向いた。
「失礼するよ。沖田と千鶴を追いかけなきゃいけないんでね。お前については長州に差出人不明で投げ文でもしておいてやるよ」
 そういうと、黒い残像だけを残して薫は消えた。
「くっそ…っ!」
 完全にやり込められた不知火は、唯一できる腹いせに、足で壁を思いっきり蹴った。

 帰り道、空を見上げた薫は、ふと月が満月にはまだ足りないことに気が付いた。
 あと一日か二日で満ちる完璧ではない月。
「俺と同じだ。……沖田とも」
 千鶴も同じかもしれない。いや、そもそも人は――鬼も、皆何か足りずそれを埋め合わすために他人を欲するのかもしれない。
「いや、千鶴は月じゃないか」
 沖田にとっては太陽だろう。傍にいてくれて暖めてくれるもの。
「……でもお前たちだけが満月になるのは許せないなあ」
 薫はゆらりと笑うと、足早に駆けた。

 

《四月 千姫》

外に出た千は、意外に暖かい夜なのに驚いた。そういえば桜の蕾もあちこちで薄く色づいている。
「もうすぐ春なのね」
夜道を急ぎながら、千は隣の君菊に言った。
「はい、人の世とは関係なく季節は巡るのですね」
更にその向こうを歩いていた松本良順が笑った。
「確かにな。人間どもは今年は相次ぐ政変で花見どころじゃない奴らがたくさんいるからな。桜もそれにつきあってたら咲くどころではなくなってしまうな」
 花見どころじゃない奴ら……その代表格が、京での戦に負け江戸に落ち、さらに北の甲府でも戦に負けた新選組をはじめとする旧幕府軍だろう。急激な組織拡大と京での華やかな日々から一転、負け戦が続いている。
 これからいく家も、その渦中の人。新選組一番組組長、沖田総司が療養している屋敷だ。そして千と同じ血を持つ純血の女鬼である千鶴もいる。
 千の表情が険しくなった。
 一時は東の鬼をとりまとめるほどの力を持っていた雪村家。その直系の女鬼。同じような境遇、悩みや望まずとも巻き込まれる様々な陰謀や策略を、唯一共有できるのではないかと、千はことのほか千鶴に興味を持っていた。会ってみて、はかなげな外見には似合わない芯の強さや大胆さを知り、やっぱり女鬼だとうなずいたものだ。だが、彼女と千の道は分かれてしまった。
「人と共に……か……」
 京で千鶴を保護させてほしいと新選組の屯所に行った時に、彼女からそう言って断られてしまった。正直なところ彼女を狙っている男のことを考えると、人がどこまで守れるのかと疑問だったが彼女がそう言うのならしょうがない。
 できれば私と一緒に来て、鬼という種族の行く末について一緒に考えていきたかったんだけど。
 千のつぶやきが聞こえたのか、君菊が歩きながら遠慮がちに千の顔を覗き込んだ。
「千鶴さんと沖田総司のことでしょうか」
「そうね」
「姫様は考えたことがありますか?」
「私が? 人と……人の男を好きになってその人と添い遂げるってこと? 鬼を捨てて?」
頷く君菊に、千は楽しそうに笑った。
「考えたこともないわ。私は生まれた時から京の鬼で、女鬼として死ぬのよ。私まで人間の方に行ってしまったら、ただでさえ消滅してしまいそうな鬼という種族はそれこそほんとに絶滅しちゃうわよ。西の頭領は嫁を強引にめとるかさらうしか考えてないし。本当に鬼のことを考えているんなら、男の魅力で女鬼を惚れさせてみろってのよ。あんな風に襲ったら怖がられて嫌われるに決まってるじゃない。ねえ?」
君菊は含み笑いをした。
「それに、世継ぎのみが目的と言わんばかりの強引な求婚も、ですね」
 風間は――というか、西の鬼の一族は当初、風間の嫁として千に白羽の矢を立てたのだ。しかし風間の傍若無人な求婚に千がブチ切れあっという間に話は立ち消えた。別に相愛でもないのだからロマンチックに口説けなんて言ってないわよ。でも将来の奥方として尊重して扱ってもらわないと。結婚する前から産む機械みたいに言われちゃ結婚してからのことは推して知るべし。いくら鬼という種族の将来を心配してても、人身御供になる気はないわ。
「……風間のことも、今夜千鶴さんにお話されるつもりですか?」
千は真剣な表情になるとうなずいだ。
「そうよ。あいつ、今度こそなりふり構わず千鶴ちゃんをさらうつもりよ。羅刹になったとしても沖田総司一人じゃ千鶴ちゃんを守れない。かわいそうだけど、ここはいったん沖田総司とは別行動をして私たちといるべきだわ」
「雪村の里にも一緒に行くおつもりですか?」
「できればね」
 綱道の居場所がわかったのだ。東北の雪村の里で、羅刹の研究をしているらしい。
 新たに入った情報では、綱道の研究はかなり進んでおり変若水の毒性を薄めたり、夜にしか動けないと言う羅刹の特徴を解消したりしているらしい。          
千は、変若水の毒性を薄めたという情報に興味を惹かれた。
 薄めるからには毒性がどんなものかについて調べがついた可能性が高い。それならば体内に取り込んでしまった変若水の毒性についても薄めることができるのではないか。
 そして、鈴鹿御前の末裔としてこの日の本で異国の粗悪な鬼を大量につくられることについて黙ってはいられない。綱道に理を説いて説得し、羅刹を作り出すことをやめさせて変若水の研究もあきらめさせる必要がある。
 千は、できればそれを千鶴と一緒に雪村の里に行ってやりたいと思っていた。
 簡単にはいかないだろう。南雲薫という存在もあちこちで噂を聞いているし、綱道と繋がっているとも聞いている。でもこれは鬼の運命を左右する大きな問題だ。千はそれを千鶴と――次の東の鬼の女頭領と一緒に成し遂げたいと考えていた。
「うまくいくといいですね」
君菊は、千の孤独をよく知っている。
「そうね」
無理矢理連れていく気はないけれど、でももしできたら。
千の淡い期待は、当然ながら叶わなかった。

 千鶴と総司の二人に久しぶりに会ったときに、以前にはなかった信頼関係のようなものが二人の間に感じられた。以前、屯所の時は名前までは教えてくれなくて千鶴の気持ちもまだぼんやりしていたようだったのに、今はもう覚悟を決めたような。
 そして、思った通り雪村の里にいる綱道の話と、変若水の効果を消す話についても、千鶴はかなり興味を持ってくれたようだった。
「千鶴ちゃん。……どうしたい?」
 総司が千鶴の意向を聞いたのを、千は聞き逃さなかった。これまでには無かった態度だ。
 千鶴は、雪村の里に行きたいが総司と離れるのは嫌だと迷っているようで、総司の様子から彼も雪村の里についてくるのではないかと千は思った。まあ、邪魔ではあるけれど、それで千鶴ちゃんが一緒に雪村の里に行ってくれるなら……と考えていると、綱道がすべてをひっくり返した。近藤が新政府軍に投降したことを伝えたのだ。
「近藤さんが投降!」
 激高した総司と千は、図らずも言い合いのようになってしまい、そこを千鶴に止められた。
「……近藤さんの居場所はわかりますか?」
総司が思いつめたような眼で松本に聞いた。
「それを知って、どするんだ」
「……乗り込んで、助け出します」
 愚かな……と思ったが、彼なら行くだろうと千は思った。松本や君菊が、近藤の救出がどれだけ無謀かを伝えても、それは彼にとっては問題ではないのだ。近藤に心酔し、近藤の右腕として剣をふるうことを誇りと思っている剣士だと、京にいる時に聞いたことがある。自分の命を惜しむようなタイプには見えない。千は総司の緑の瞳に浮かぶ色をみてそう思った。                  こういうタイプは知ってるわ。何かを成すために命があると考えているタイプよ。だらだらと生きるのではなく、志を叶えるために命を使う。
 やっかいな人に惚れたわね、と千は千鶴を見た。こんな男の傍にいれば千鶴は泣くことになるだろう。
 ……まあ、雪村の里に行くのは、近藤さんが死んだあとになるかもしれないわね。沖田さんはきっとその時にはもうこの世にはいないだろうけど。千鶴ちゃんをできるだけ慰めてあげなくちゃ。
 千の、総司に対する予想はほぼ当たっていたはずだ。
しかし千鶴が「沖田さん。……どうしますか?」と聞いたときに、総司の瞳の中の暗い怒りがふっと消えたのを見て千は、目を瞬かせた。
 総司の瞳には、千鶴が映っていた。
もちろんそれまでだって、千鶴はもちろん千や君菊、松本のことを総司は見ていた。だが実際は見ていなかったのに、今、総司の中には千鶴がしっかりと映っている。
 少しの沈黙の後、総司は答えた。
「……土方さんに会う。会って、話を聞く。そのあとは……、まだわからない」
 千は目を見開いた。近藤を救うために、救えないのはわかっていてもそこで命を使いたいと思っていたはずなのだけれど。長らえたいと思わせたのは、千鶴ちゃんの存在かしら? 土方さんに会って話を聞くなんて……さっきからさんざん土方さんのせいだって決めつけてたのに?
 総司が変わってきている。
ほとんど総司のことを知らない千でさえそう思うのだから、きっと彼は変わったのだろう。大きく……深く、広く考えるようになった気がする。過去と今だけじゃなく、未来のことまで。自分と近藤さんのことだけじゃなく、他の人のことまで。
 彼をそんな風に変えたのは、彼の瞳の中に映っている人を見れば誰なのかはすぐにわかる。
 千はため息をついた。
「千鶴ちゃん、決めたんだね。沖田さんについていくって」
「うん」
 迷いのない千鶴の目を見て、千はにっこりとほほ笑んだ。「なら私は背中を押すよ。頑張って、千鶴ちゃん!」

 帰り道、君菊に「よかったのですか?」と聞かれても、千は心の底からうなずくことができた。
「鬼の将来も心配だけど、やっぱり好きな男と添い遂げる方が優先よ。私もそこまで思える人が欲しいなって思っちゃったわ」
 千は君菊と話しながら、ほんのつい先ほど、千鶴たちと分かれた時のことを思い出していた。
 帰る時に千鶴と総司は門まで見送りに来てくれて、総司が松本と話している間に千は千鶴二人で話すことができた。
『千鶴ちゃん、京の私の屋敷、知ってるよね。何か困ったことがあったらいつでも手紙を頂戴。やっぱり沖田さんとは別れるっていう話でもいいから』
 最後はいたずらっぽくウィンクをして千が言うと、千鶴は笑った。
『それにしてもなかなかたいへんそうな相手よね。もうすこし穏やかな優しい人にすればよかったのに』
つけつけと千が言うと、千鶴もうなずいた。
『ほんとだよね。私もどうしてなのかなあって思うときがあったよ。でも傍にいたいって思ったの。真っ直ぐに思うように生きてる沖田さんが好きなんだと思う。それができない時にそばにいて支えてあげたいって思ったの』
 真面目な顔で、考えて言葉を選びながら言う千鶴に、千は笑顔になった。
『そう。千鶴ちゃん、幸せそう』
千鶴は照れたように笑った。
『私、父様が本当の父様じゃなかったのも知らなかったし、京まで父様を探しに行ったのに見つけられなかったでしょ。小太刀の道場も途中で辞めたし、新選組でお世話になっている時だって皆さんみたいに志はなかったの。そんなつもりはなかったんだけど、私、流されるままだったなあって』
『そんなことないわよ!』
千が憤慨する。
『全部他の奴らが勝手なだけ! 千鶴ちゃんはそれに巻き込まれて迷惑って話じゃない』
『ふふ、ありがとう。……巻き込まれてもね、ちゃんと最後までやり遂げたかったなって思うのはもう嫌なの。私にとっては沖田さんを好きになったことが唯一自分から始めたことで、だから最後までやり遂げたいの。辛いことや悲しいこともあると思うけど、逃げないでちゃんと受け止めて最後まで……』
 千鶴の言葉が震えて、千は、千鶴が総司の死を覚悟していることを知った。
 ただ恋に浮かれているだけじゃない。ちゃんと、自分の人生すべてをかけて総司の人生を受け入れたいと思っている。
きっとさっきの様子なら、総司も千鶴のその思いに応えている。信頼し合って強い絆で結ばれている総司と千鶴を見て、千は心の底から千鶴は幸せを祈った。
 きっとどんな困難も二人で乗り越え、共に笑って泣いて生きていくのだろう。そんな人に出会えたなら、そこで幸せになった方が良いに決まってる。
「ですが、千鶴さんも無理やり変若水を飲まされて羅刹になってしまったとおっしゃってました。沖田さんも羅刹ですし、大丈夫でしょうか」
「カンだけどね、雪村の里には羅刹の問題をなんとかできる秘密が必ずあるわ。だからそこは大丈夫よ。それに、こういっちゃなんだけど千鶴ちゃんが羅刹になったせいで風間が襲ってくることもなくなると思うし」
千の言葉に君菊は、ああ、と顔を明るくした。
「それはそうですね、確かに」
「でしょ? それに私のカンはあたるのよ。なんてったって鈴鹿御前からの能力なんだから」
ふふっと君菊は笑った。
「姫様にかかるとなんでも前向きになりますね」
千はむうっとふくれる。
「なによ、その方がいいでしょ? あの二人の未来にたくさん幸せがあった方が」
「ええ、私もそれを願っています」
 そしていつか、世の中が落ち着いたら遊びに行けるといい、と千は思った。
 多分行けるわ。そんな予感がする。
 だって私のカンはあたるんだもの。

 

 

11へ続く


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